草なぎ剛、『青天を衝け』で演じる徳川慶喜との共通点 時代の変わり目に注目された2人を繋ぐもの
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2月14日より放送がスタートしたNHK大河ドラマ『青天を衝け』。2024年から新1万円札のモデルになる“日本資本主義の父“と呼ばれる渋沢栄一の生涯を描く。渋沢栄一を演じるのは吉沢亮。明るい未来を切り拓こうと、幕末から昭和初期という激動の時代を走り抜ける姿からは、混乱を極める今を生きる私たちにとって温かな希望を見せてくれる作品になるはず、と強く感じる。
そして、幕末の日本において重要人物といえば、徳川幕府最後の将軍・徳川慶喜。渋沢栄一とは、幕府終焉間際の混乱を共に駆け抜け、その後も生涯に渡って厚い信頼関係を結んだと言われている仲。本作においても「もう1人の主役」と囁かれるキーマンだ。その徳川慶喜を、草なぎ剛が演じている。
冒頭のシーンの撮影の日、砂利道や川の中を走るシーンが続いた吉沢亮さんと高良健吾さん。終わるころには袴(はかま)はずぶぬれに…。大事なシーンの撮影を終え、4人がそろった初めての日の記念にパチリ。#青天を衝け#吉沢亮 #草彅剛 #堤真一 #高良健吾 pic.twitter.com/njbnhat2Ln
— 【公式】大河ドラマ「青天を衝け」 (@nhk_seiten) February 14, 2021
かねてより憑依型の演技を見せ、演出家のつかこうへいに「大天才」と言わしめるなど、演技に関して高い評価を得てきた草なぎ。昨年公開された映画『ミッドナイトスワン』ではトランスジェンダーの凪沙役を演じ、第63回ブルーリボン賞 主演男優賞、第44回 日本アカデミー賞 優秀主演男優賞を受賞したことでも話題になった。
その演技を見て、長年共に歩んできた香取慎吾から「演技をやめようと思います」という言葉がつい出てしまうほど。草なぎの演技は、スイッチが入るように目の中の光から切り替わる。役柄の人生が草なぎの中に入った……そんな印象を抱かせる力が彼にはあるのだ。
真面目なサラリーマン、ワケありのフードファイター、余命僅かな教師、男気溢れる任侠、戦国時代を生きた家族の遺産を狙うクズ男……ときには“SMAPの草なぎ剛”という役柄を演じた作品もあった。実に様々なキャラクターを演じてきた草なぎ。そんな彼が、近代日本の根本を揺るがす渦中の人、徳川慶喜を演じるとあって期待は高まる一方だった。
実際オンエアされると「(草なぎ演じる徳川慶喜の)存在感に圧倒された」という声がいくつも上がった。現代を生きる私たちにとって徳川慶喜は、まさに“歴史上の人物”という印象を持つ人が多いはずだ。しかし、草なぎが徳川慶喜としてそこに佇むと「歴史上の人物」と呼ばれる人にも、たしかに感情があり、血肉が通っていたのだと思わされる。そして、徳川慶喜という人が背負ったものの大きさに説得力を感じるのも、草なぎ剛という人が演じているからではないか。
江戸幕府最後の将軍・徳川慶喜と、平成の時代を先導した国民的アイドルの草なぎ剛。もちろん歴史には諸説あり、見ている立場によってその意見は分かれるもの。しかし、江戸から明治へ、平成から令和へ。自分だけでは抗うことのできない大きな時代の動きに翻弄される運命の持ち主であること、そして時代の変わり目に日本中から注目されたという点だけを取ってみても、2人には共通したものがあるのではないかと感じられる。
草なぎと徳川慶喜、彼らが世の中に知れ渡る時期が、厳しいタイミングだったというのも、ひとつ共通している点かもしれない。徳川慶喜が将軍になった1866年は約260年続いた江戸幕府の権威は失われつつあった時代。しかし、それでも徳川慶喜は、幕威回復を目指して幕政改革を行なった。伝統ある旗本軍団から、銃隊中心の近代的陸軍への改編。さらに、現在の議院内閣制につながるような先進的な体制を取り入れた。その抜本的な動きには、岩倉具視や坂本龍馬ら倒幕派も驚愕したという記録も残っているほどだ。
一方、草なぎがSMAPとしてCDデビューした1991年当時、日本は「第1次平成不況」と呼ばれる景気後退期にあった。テレビの歌番組が次々と終了し、アイドル業界全体が苦戦を強いられるタイミングだった。SMAPのデビューシングルの売り上げもジャニーズ事務所始まって以来最低だったとも言われている。そんな中で、SMAPが国民的アイドルへの階段を登っていったのもまた抜本的な改革があったからだ。アイドル=歌って踊る、だけではなく、トークも、笑いも、そして演技も。これまでの概念にとらわれず、時代を先取りしていくこと。その舵切りに迷いがないことが、共通しているように感じる。
そして、徳川慶喜といえば大政奉還だ。この決断には、「政権を諦めた」「再度権力を手に入れるための策略だ」など様々な憶測が飛び交っているが、見方によっては国内が分裂し、このままでは幕府はもちろん、日本という国そのものがなくなってしまうことを懸念した徳川慶喜の必死の策だったのではないだろうか。約260年、天皇から預かっていた政権。その所在を明らかにし、国の混乱を少しでも収めようとしたのかもしれない。幼きころから「朝廷に向ひて弓引くことあるべくもあらず」という思いを抱いてきた徳川慶喜なら、自分がどんなに叩かれたとしても、それが最善だと思い動いたとも考えられる。
徳川慶喜がどんな思いでその決断に至ったのかは測りかねるが、周囲の混乱具合は2016年のSMAPの解散に向けた一連の流れを思い返すと、少しは想像できるような気がする。草なぎをはじめ、SMAPメンバーが抱いていた真意をすべて知ることは難しい。だが、そこにあったのはSMAPというグループはもちろん、これまで築き上げてきたジャニーズアイドルという文化、そしてファンをギリギリまで守りたいという願いだったのではないかと。
最終的に、徳川慶喜が鳥羽・伏見の戦いで江戸に退却して隠居生活を始めた流れも、見方によっては「敵前逃亡」と非難されたが、一方で長期戦となり多くの血を流すよりも次の時代に向けて最善を尽くそうとしてのこと、という考え方も。Webの世界を中心に新しい地図を広げていった草なぎの行動ともやはり通じるものがあるように思えてくる。
ちなみに徳川慶喜と同じ時を生きた渋沢栄一は『雨夜譚会談話筆記』にて、様々な世間の声を受けても何も言い訳をしない慶喜の姿勢に、真の人格者ではないかと述べていた。世間から上がるあらゆる声を受け止めつつも、自分を責め過ぎず、そして翻弄してきた社会を恨まず、ただ必死に自分自身の進むべき道を模索していく。そんな姿勢が新しい時代へと歩み進める人には必要なのではないかと、徳川慶喜の、そして草なぎ剛の生き様から、感じることができる。
「YouTuber草なぎ剛」と先駆けてYouTubeに参入して、趣味を活かして動画撮影に取り組んできた草なぎと、隠居先でカメラ撮影を楽しみ雑誌に投稿する徳川慶喜の好奇心旺盛な姿も重なって見えなくもない。そしてバイク好きな草なぎに対して、ダルマ型自転車をこよなく愛したという徳川慶喜。国民的スターとなっても「ツヨポン」と呼ばれて愛される草なぎと、元将軍でありながら「けいきさん」の愛称で地元の人々に親しまれた徳川慶喜……知れば知るほど草なぎ剛という人が徳川慶喜の人生を演じてくれることが、楽しみでならなくなる。