セットリスト
1. 風邪
2. HEALTHY
3. 悲しみのレモンサワー
4. スープが冷めても
5. 恵日
6. 泪
7. 共犯
8. 生活
音楽
ニュース
第1部は弾き語り、そして第2部は彼にとって初となるバンドセットでのライブと、異なる形式で行われる2部公演となった小林私の渋谷クラブクアトロワンマン。生のバンドとともに演奏するという「ごく当たり前」の形が彼の活動経歴からすると「異質」であるのと同じように、そのパフォーマンス自体もいわゆる「ミュージシャン」の表現形式としてはきわめて異質なものであった。というか、そもそも小林私とは「ミュージシャン」なのか?曲を書き、ギターを弾き、歌う。その意味ではもちろんミュージシャンなのだが、ミュージシャンかくあるべき、というルールやマナーから彼は完全に解放されている。
音源を聴いたり、配信を観たり、ツイートを目にするたびに常に「小林私とはいったい何なのか」という疑問が湧いてくるのだが、彼は決して自らその答えを提示したりはしない。といってたぶん本人には煙に巻いてやろうとかミステリアスを演出しようとかいう意図があるわけでもないのが厄介で、要するにその「よくわからなさ」というか「何者なの?」と感じ続けることが小林私を受け取るということなのだ、と最近思うようになった。好きなことを好きなように表現して、そこにたまたま天賦の才として持っていた声と歌詞によって無理やり説得力をもたせていくというのが小林私という表現なのである。多様性の時代?アートの自由?そんなのはどうでもいいが、少なくとも小林私は芸術の多様性そのものであり、自由そのものだ。
だから、このライブもまさにそういうものになった。開演時刻、ステージに立ったバンドメンバー(ギターにイワブチコタロウ、ベースにねはん、そしてドラムに篠田“しのぴ”千寿)が演奏を始めると、スキャットをしながら小林私が登場する。パワフルなバンドサウンドを背に、スタンドマイクを握ってドスの効いた声で歌い始めたのは「風邪」。初のバンドセットということでどこか探り探りのような、でも同時にバンドだろうが弾き語りだろうがまったく気にしない自由さも感じさせながら、「小林私ですどうぞよろしく!」という短い挨拶を挟んで「HEALTHY」へ。ジャジーなニュアンスをもったこの曲を身振り手振りを交えながら歌い終えると、さっそく「帰ります、疲れた!」と叫んで客席をどよめかせる。
「今日、8曲やるんです」と今日のライブの全容を明かすものの、そうライブハウスに伝えたら1時間半の時間を確保され、「30分で終わるのに……だから僕、1時間喋らないといけない。困ったもんですね」とネガティブなんだかポジティブなんだかわからないコメント。「1部は15分押したんで、今度は1時間巻こうかな。みなさんは楽しみに来てるかもしれないですけど、僕らは仕事ですから」と再びフロアをざわつかせる。と思えばその流れで好きな落語の話から「暑いな」とか言ってさりげなく自身が着ているグッズのスウェットを宣伝する……「ワンマンなので何言ってもウケると思ってます」という言葉が本音なのか何なのかはわからないが、とにかく、この時点で曲を演奏している時間と喋っている時間がだいたい同じくらいになっているのは確かだ。
ところで「8曲」というのは要するに1月にリリースしたアルバム『健康を患う』を収録順に全曲(つまりリリースされている全レパートリー)やるということなのだが、じゃあそれがよくある「アルバムの再現ライブ」的なものなのかというとまったくそういうわけでもない。というよりも、8曲の塊である『健康に患う』を、あっちこっち寄り道する(そして急に曲がり角を曲がるようにして無理やり曲につなげる)トークによってぶっ壊してとっちらかす、そこに主目的があるんじゃないかというくらいに、彼は音楽について何も語らないのだ。
曲に込めた思いがどうとか、どういうふうに受け取ってほしいのかとか、「盛り上がっていこうぜ」とか、そういうミュージシャンが言いがちなMCを一切しない。そのかわりに、じつは今日は五美大展(東京の美術大学の合同卒業制作展)の片付けの日で、現役美大生でありその五美大展に出展している小林も本来はその片付けに参加しなければならない(「こんなことしている場合ではない」とまで言っていた)、そっちに行っていたほうが朝ゆっくり寝られたのではないかと愚痴ってみたり、この日行われていた生配信に触れて「(コメントは)あとで見たり見なかったり、三谷幸喜」と渾身のギャグで滑り倒したりするのである。本当、何なんだ。
「風邪」も「HEALTHY」もそうだし、次に演奏された「悲しみのレモンサワー」もそうだが、彼の楽曲にはどこか孤独の影がある。「スープが冷めても」を挟んで演奏された恵まれた日と書いて「恵日」などはその真骨頂みたいな曲だ。切迫感をもった歌声と鋭いロックサウンド(生のバンドアンサンブルによってその鋭さがいっそう際立つ)が、オーディエンスを一気に惹き込んでいく。「ライブが終わったら何を喋ったか忘れる」ということを彼は言っていたが、それでいえば、こうしてライブを観ている我々も、曲に入ったその瞬間にそれまで展開していたゆるゆるのトークのことをさっぱり忘れてしまうのである。それが上に書いた小林私の「説得力」であり、そしてじつはそれは音楽に対してもっとも純粋で誠実なやり方なのではないかとすら思うのである。
その後も曲の合間合間に曲とはまったく関係のない話が続く。ピンボーカルで歌うのは高校のとき以来だと言い、当時やっていたバンドの名前(「mont-blanc!」という名前らしい)を明かしたかと思えば、「お客さんさえ呼べばふざけてもいいだろう」と今の表現にもつながりそうな当時の思いを語る(全部書き起こしたいくらいだが、それをやっていると5000字くらいになってしまうので割愛する)。「あと3曲しかないからな……あと1時間、3曲……」。こんな形で時間との闘いになっているライブ、観たことがない。渋谷WWWで行われた前回のワンマンで時間が押したときの焦りを吐露しながら「今日は僕、焦りゼロですから」と胸を張ったり、リハのときにクリック音がスピーカーから鳴り続けていて「最悪、小林私のライブだし『みんなクリック音も一緒に聴いてね』でいいんじゃないか」と思ったというエピソードを開陳したり、「人を助けると思って」絶賛のつぶやきをしろと観客に強要して「泣いちゃうから。泣いちゃうといえば……」と無理やり「泪」という曲につなげたり。そしてまたしても曲が鳴り響いた瞬間に、僕たちはすべてを忘れていくのである。
「イカれたメンバーを紹介する!」と無理やりロックっぽさを出してメンバー紹介すると、エモーショナルなボーカルが強烈な印象を残す「共犯」を披露し「30分巻きだけど、俺頑張ったよ! アンコールやらないんで、各自帰って手を洗って消毒して!」と最後の「生活」へ。「貴方が去って 僕らが去って/見知らぬ誰かが行き交っていても僕らの生活は残ってる」という歌詞が聞こえてきたときに、このとっちらかったライブもまた小林私と我々の「生活」の一部であったということに気付かされた。現実と切り離した理想郷やエスケープの手段などではなく、だらだらと続く生活のなかの延長線で、彼は表現をしている。「気をつけて帰れ!」と絶叫してフロアを指差す小林私を見ているとそんなことを思った。終わってみれば1時間、30分きっちり音楽をやり、30分きっちり喋って、彼は帰っていったのだった。
取材・文 / 小川智宏
【公演情報】
小林私 ONEMAN LIVE 2021年2月28日(日) SHIBUYA CLUB QUATTRO 夜(2部)公演
2021年3月3日23:59までアーカイブ配信中
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