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「文學界」編集長・丹羽健介が語る、実験場としての雑誌 「文芸誌は絶えず変わっていく文学の最前線」

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 文藝春秋が発行する純文学の文芸誌「文學界」は、2021年2月号で創刊一〇〇〇号を迎えた。後に芥川賞を受賞した又吉直樹『火花』を掲載した2015年2月号が初の増刷となって以後、最近では「JAZZ×文学」特集の2020年11月号、哲学者の國分功一郎とお笑い芸人の若林正恭(オードリー)の対談を掲載した最新の2021年3月号などが増刷となるなど、たびたび注目を浴びている。また、名物コーナーといえる新人小説月評は、率直な寸評が書かれることで知られ、最近も話題になっている。2019年7月より編集長を務める丹羽健介氏に同誌について聞いた。(2月10日収録/円堂都司昭)

“あらゆるものの中に文学がある”という教え

――文藝春秋に入社されたのは1994年。最初から出版社志望だったんですか。

丹羽:漠然とマスコミ志望でしたが、本が一番好きだったので。音楽も好きでしたからレコード会社も考えなくはなかったのですが。

――入社の頃はどんな分野を読んでいたんですか。

丹羽:日本文学、海外文学、批評です。ミステリーやSFも好きでしたが、どちらかというと純文学に偏っていました。日本では大江健三郎、中上健次、海外ならアルチュール・ランボー、ヘンリー・ミラー、サミュエル・ベケット。大学時代に批評というジャンルを知ってからはロラン・バルト、吉本隆明、蓮實重彦、柄谷行人などを読んでいました。大学の時は今の文学を追わなければいけないという義務感はないし、お金がないから文庫本で読むことが多かったです。

――入社されて最初に配属されたのは、出版局第二文藝部ですね。

丹羽:第一文藝部は芥川賞系の純文学、第二文藝部は直木賞系のエンタテインメントと大まかに分かれています。第二文藝部のほうが出版点数が多くて人員も多い。上司からは、先輩の動きをみて学びなさいと言われたんですが、なにをしていいかわからず、ほぼなにもしていませんでした。自社主催の文学賞パーティでいっぱい食べて「そういうところじゃない」と怒られたり(笑)。仕事もそこそこに学生時代に在籍していた劇団を手伝ったりしていたら、こいつは鍛えなければと判断されたんでしょう、1年後に「週刊文春」へ異動になりました。

――週刊誌だと仕事のサイクルが全然違うでしょう。

丹羽:ぬるま湯(といっても自分がサボっていただけですが)から一気に戦場へ送り込まれた感じです。しかも、特集班という毎週いろいろな事件を取材するチームに入れられた。背骨を叩き直せということだったんでしょう。移ってすぐオウム真理教の地下鉄サリン事件(1995年)、その後に酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺傷事件。1997年)が起きました。特集班に3年、次にグラビア班に2年で合計5年、「週刊文春」にいました。

――2000年代に入って「Title」の編集に移った。

丹羽:「Title」の認知度が低かったので、取材先で「どういう雑誌ですか」と聞かれた時には「ブルータス」みたいな雑誌と答えていました(笑)。要するにカラーのグラビア頁中心のカルチャー誌です。今なら考えられませんが、「ロックで旅するイギリス」号(2006年5月号)でロンドンへ出張したり、当時は好き勝手やっていた気がします。自分は編集長ではないからコスト意識もなかった。自分が抜けて2年後に休刊(2008年)になりました。

――「週刊文春」、「Title」にいた時期をふり返ってどう思いますか。

丹羽:週刊誌は、毎週いろんなニュースとダイレクトに斬り結ぶ。そのヒリヒリする感じが良い人にはたまらない。でも、僕は鈍くさい面があって、日々起こっていることに食らいついていくのが苦手なんです。青くさい文学青年の自分が週刊誌に行くわけがない、小説が好きだからそちらの仕事に配属されるだろうとたかをくくっていました。しかし、文藝春秋に入ると最初はだいたい週刊誌に配属されるんです。週刊誌は企画段階から完成までサイクルが速いため、編集のイロハを学ぶ場としてとてもいいからなんですが、当時はそれを知らず腐っていた。今は意識が変わりましたが、文学と比較して週刊誌を低く考えるところがあったと思います。自分のデスクの本棚に『ランボー全詩集』をさして、俺はこんなところにいる人間じゃない、本当は文学をやりたいんだと厭味ったらしくアピールしたりしていました。そうしたらある日、後に社長になった当時の平尾隆弘編集長から「昼ご飯に行かない?」と呼び出され、2人で話しました。「丹羽君は、文学は本のなかだけにあるように思っているかもしれないけど、僕は違うと思うんです。見方をかえれば、日々社会で起こっていることにも文学的興味をそそることがあるんじゃないか」。意味がよくわからないままなんとなく丸め込まれた形でしたが、そういわれたことが心に残って、週刊誌ジャーナリズムと文学を優劣で考えるのはやめました。あらゆるものの中に文学があるという考えは今につながっている気がします。ただ、雑誌時代も小説はずっと読んでいましたね。阿部和重さんの「アメリカの夜」でのデビュー、町田康さんの「くっすん大黒」でのデビューは鮮烈におぼえています。

雑誌全体を見渡す編集長という立場

――続いて第一文藝部に移ったわけですが、社内の異動について希望は出せるんですか。

丹羽:アンケート調査があり、ここは無理ですという陳情も一応できます。それはしませんでしたが、文芸がやりたいと言い続けていました。「Title」以後は第一文藝部と「文學界」を行ったり来たりで、ここ10年ほどは純文学畑でやってきました。綿矢りささん、金原ひとみさんのデビューの頃も「文學界」編集部にいました。

――純文学の雑誌は他にもあるわけですが、芥川賞のお膝元である文藝春秋の「文學界」には独特なものがあるのかなと想像します。

丹羽:「文學界」が特別に芥川賞と結びついているわけではないと思います。この雑誌に載ったら芥川賞を受賞しやすいかといったら全然そんなことはないので。「文學界」のカラーは、外からの見え方はあるでしょうけど、中にいるとよくわからない。むしろ、こういう雑誌だと定義していない感じです。

――文藝春秋では直木賞の選考会の司会を「オール讀物」編集長が担当していると記事で読んだのですが、芥川賞の方は……。

丹羽:「文學界」ではなく「文藝春秋」の編集長がするんです。受賞作も「文學界」ではなく「文藝春秋」に載る。

――文芸誌って文学好きの学生でも読んでいる人は……。

丹羽:なかなかいない。読んでいるのは相当ディープな文学好きに限られるでしょうね。僕も学生時代は手に取ったことがなかった。「文學界」に対しても大江健三郎の「政治少年死す」(浅沼稲次郎刺殺事件から着想を得た作品。右翼からの脅迫があり長く書籍に収録されなかった)を掲載した雑誌というイメージくらいしかなかった。同作は入社直後に会社の資料室でこっそりコピーしました。

――「文學界」編集長になったのは2019年ですね。

丹羽:それまで5人くらいの「文學界」編集長の下で仕事をしてきたので、経験はあるほうでした。でも、以前の僕は担当作家だけをみて、いかに良い新作を書いていただくかにだけ心を砕いていればよかった。号全体のバランスも数字も気にしなくていい、トラブルが起こった時に責任をとる必要もない、ある意味気楽な立場です。でも、編集長になるとそうはいかない。雑誌全体を見渡さなければいけない。机の位置がちょっと変わっただけなのに、みえる景色が変わった感じがしました。

ブルーノート・レコードのような場であってほしい

――近年、「文藝」や「群像」はリニューアルでわかりやすく変わりましたが「文學界」もしばらく前から内容が変化しましたね。他のジャンルをとりあげることが増えた印象です。

丹羽:編集長が変わったことを分かりやすく示すためにも表紙のデザインを含めリニューアルすべしとの声があるのですが、前編集長の時に始まった柳智之さんによる作家の顔の絵がすごく良いんです。デザインに落としてもコンセプトがわかりやすく、色も毎号変えて確実に前の号と変化をつけながらも「文學界」だとはっきり識別できるため、外見は変えていません。

――かつての「文學界」の表紙は白いイメージでした。

丹羽:そうそう。創刊一〇〇〇号記念特大号だった今年2月号の巻頭にこれまでの表紙の変遷を載せましたけど……(と同号をめくる)。

――あ、ここに載った2018年3月号に誌面の変化があらわれています。「岡崎京子は不滅である」と特集タイトルがあってマンガ家の名前が文芸誌の表紙の真ん中にドーンとある。

丹羽:前編集長が企画した号ですね。文藝春秋の雑誌のなかでも、文學界はなにをやってもいいという自由度が一番高い。それだけに編集部員のキャラクターが強く反映されるんです。自分が編集長になった時、編集部4人のうち2人が異動になった。部員が半分も代わると雑誌のカラーは大きく変わります。しかも文春は編集長交代のサイクルが短く、3〜4年で代わる。仮に強い個性の編集長でも5年すれば別の人になり、雑誌の傾向も変わるので、「文學界」という雑誌のキャラクター付けは特に無く、前任から受け継いでいる明確なものがあるわけでもない。編集者が面白いと思うものを載せるだけです。とはいえ過去の号を見ると、新陳代謝を繰り返しつつも続いているなにかはある。編集者よりずっと活動期間の長い作家が書いている場である以上、作品の力によって連続性が保たれていると感じます。

――創刊一〇〇〇号記念特大号には「文學界事件簿」が掲載され、戦時中の「近代の超克」座談会、「第三の新人」命名、文學界新人賞での石原慎太郎の文壇デビュー、大江健三郎「政治少年死す」封印、又吉直樹『火花』掲載という出来事が回顧されていました。

丹羽:執筆した佐久間文子さんには「文學界」がどんな雑誌か、ふり返る読みものとなる「事件簿」にしてくださいと依頼しました。佐久間さんに面白いと思う事件の選択を任せ、時系列でとりあげてもらった結果、こういう雑誌なんだとつかめるすごく面白い評論になったと思います。

――丹羽さんが編集長になってから「文學界」をこう変えた、こう変わったという点は。

丹羽:自分ではよくわかりません。作家にとって「文學界」が、ジャズミュージシャンにとってのブルーノート・レコードのような場であってほしいと僭越ながら思っています。それから、雑誌っぽくいろいろなものを載せたいという気持ちがある。自分1人が面白いと思うものだけでは限界があるから、編集部全員のやりたいことを入れたい。様々なタイプの編集長がいるでしょうが、強いリーダーシップを持ち、俺についてこいというタイプでは僕はないので、バンドのイメージです。一応リーダーは自分ですがメンバー1人1人の総合力で雑誌を作る感じです。

才能ある書き手にもっと現れてほしい

――具体的にこのバンドというイメージはありますか。イギリスのバンドとか。

丹羽:なぜバンドといったかというと、編集長を命じられた際、「他の編集部員は誰をつけてくれるんですか」と訊いたんです。それに対し上司から「大丈夫。ビートルズみたいなメンバーだと思ってくれ」といわれたのが頭に残っていて(笑)。ビートルズなんておこがましいですけど、同じ4人組だからなんとなく。ビートルズと違って年齢はバラバラですが、そこが強みになっていると思います。年齢的には2番目に若い浅井茉莉子がいなければ実現しなかった企画もいっぱいありますし。

――芥川賞になった又吉直樹『火花』を担当した編集者ですね。

丹羽:村田沙耶香さんの『コンビニ人間』の担当でもあります。ビートルズでいえばポール・マッカートニーですね、浅井は。重版した3月号の國分功一郎さんと若林正恭さんの対談も、僕からは決して出てこない企画。毎号4人みんなで作っていく感じです。

――で、編集長はジョン・レノン。

丹羽:いえ、僕はリンゴ(・スター)です。ビートルズは男性4人ですが、誌面のジェンダーギャップは意識しています。方針というか自戒として。編集長になる前、「文學界」の特集について知り合いの女性の編集者から「執筆者が全員男ですね」といわれハッとなったことがありました。ふだん書き手の性別を考えることはありませんが、自分も男だから、無意識に男性中心的な考えになっていることがある。女性を含む編集部全員の意見をとり入れて、偏りを極力なくしたいと思っています。

――又吉直樹氏が一番目立った形ですけど、それ以降も異分野の才能を誌面に起用する一方、文學界新人賞がある。新人を見出すことについてはどう考えていますか。

丹羽:小説の書き手ということでいうと、年1回の文學界新人賞はもっとも大切な新人発掘の場ですが、それだけでは全然足りない。才能ある書き手にもっと現れてほしい。言葉を扱う芸術である以上、演劇、詩、歌詞を伴う音楽、お笑いなどの異分野に小説にも才能を発揮する人がきっといるはずです。文芸編集者って隙あらば「小説、書いてみませんか」という人が多い気がします(笑)。もちろん、新人賞でデビューした作家に続けて良い作品を書いてもらうよう、編集者が二人三脚でとり組むのも大事な仕事と考えています。

単行本とは違う文芸誌の楽しさ

――昔からある話ですが、純文学とエンタテインメント小説の違いはどう考えますか。

丹羽:ふだんあまり考えたことがなく、よく定義を聞かれるんですが、納得のいく説明はできたことがないです。面白いという感覚の質の違いかとも思いますが。山田詠美さん、桐野夏生さん、吉田修一さん、島本理生さんなど、越境して書いている人もたくさんいる。純文学とエンタテインメント小説の違いは作品や作家の特性というより、どの雑誌に書くかで分けられている感じがします。

――「文學界」では対談などに登場する人も多岐なジャンルにわたり、一昔前とは違います。

丹羽:嬉しいのは、例えば「國分さんと若林さんの対談を目当てに買ったけど、一緒に載っている李琴峰さんの小説(「彼岸花が咲く島」)も読んだら面白かった」といってくれる人がいて、読者にとって偶然の出会いの場になれること。単行本とはそこが違います。

――最近は「アートとことば」、「JAZZ×文学」、「藝能文學界」といった特集がありました。

丹羽:「JAZZ×文学」はずっとやりたかった企画で、なぜこの時にやったかという理由はとくにありません。僕はあらゆることを文学に結びつけて考える癖があって、好きななにかで全部を語る人がいるじゃないですか。ロック音楽を全部、「レッド・ツェッペリンでいうと何枚目」とツェッペリンにあてはめて語る人とか。いませんかね? 極端な話、 “なにか×文学”は何をあてはめてもできる。ただ、企画者が対象に強い気持ちを持っていないとだめだと思う。「JAZZ×文学」は想像した以上に好評で、数字もよかった。でも、だからといって、こういうことも、ああいうこともやろうと器用にはできません。

――昨年からは新型コロナウイルスの問題もありますが、時事性、社会性、あるいはノンフィクションを誌面にとりこむことについてはどうお考えですか。

丹羽:月刊誌なので1カ月に1回出せるフットワークの軽さを活かしていければと考えています。同時に小説は、作家もその時代を生きている以上、直接的に書くのでなくても、作品に社会性は出てくる。一〇〇〇号記念特大号でいろいろな方に小説を書いていただいたのですが、面白かったのはコロナという言葉は出てこなくてもコロナ禍の日本が色濃く反映された作品が多かったこと。そうしてくださいと頼んだわけではないんですが、各々の作家が時代を感じとって自分の中のプロセスを通して書かれたのだと思います。今、社会でこういうムーブメント、事件があるからと直接わかる形ではない社会状況の小説への反映のされかたに興味があります。

文芸誌における批評の位置づけ

――最近、文芸誌における批評の位置づけが難しいとよくいわれます。2月号の「21世紀の日本文学」座談会では多くの論点で対立があり、安藤礼二氏がゲラで批判を挿入し鴻巣友季子氏も加筆して応戦していました(江南亜美子氏も出席)。

丹羽:期待を上回る熱い座談会になりました。お三方には本気で議論をしていただき、感謝しています。批評を文芸批評と広い意味での批評に分けた場合、自分は後者に強く興味があります。僕は東浩紀さんと同世代で、彼がアニメやゲームを文芸批評のタームで論じたのが新鮮でした。あらゆるものが対象になりうるのが批評の面白さ。3月号から北村匡平さんの「椎名林檎論 乱調の音楽」が始まりましたが、自分の考える批評の中心は、わりとそういうところです。先日観た映画『花束みたいな恋をした』で小説がサブカルチャーの一つとして扱われていたのが面白かった。というより、もうずいぶん前からハイカルチャーとサブカルチャーの区分けに意味がなくなり、フラットな状態になっていて、そういう区分けがさらに無くなることで批評は今後もっと面白くなると感じています。

――いろんな事象に対する批評がある一方、作品評があります。最近、また注目されている新人小説月評もそうです。この欄に関しては、3月号まで担当者だった荒木優太氏のゲラ段階での文言削除をめぐり編集部と意見が衝突し、降板を告げられたことを本人がツイートしました。このインタビュー収録時点ではまだ進行中の案件なので詳細まで掘り下げませんが、コーナーの位置づけをどう考えているかは聞かせてください。芥川賞候補となりうる新人の作品を扱うコーナーとされているので、他誌の時評とはみられかたが違いますよね。

丹羽:新人小説月評と新聞など他媒体の文芸時評との大きな違いは、芥川賞との結びつきではなく、その月に文芸誌に発表された新人小説全作を論じることだと思っています。他媒体では評者が今月はこれとこれがよかったと評する対象を選ぶのに対し、全部に触れる。

――2人の評者でいわゆる5大文芸誌に掲載された新人の小説全部をカバーする形ですね。場合によって「小説トリッパー」など他誌の作品もピックアップしますが。

丹羽:新人の全作品というのは大きいことで、この欄でしか評されない作品もあります。だから、文芸誌に書く小説家は称賛にせよ批判にせよ、この新人小説月評をずっと覚えているということが多いのです。

文学の最前線であり実験場

――最近、一般論として、文芸誌の書評に批判的な文言をみなくなったといわれます。そういう傾向のなかで批判が載るのは賞の選評くらいでしょう。新人小説月評も選評のような読まれかたをしている面はありますし、ことさら目立つ一因になっている気がします。

丹羽:基本的に書評欄は、編集部と評者がその本を評価している前提で載る。だめだと思う本ならとりあげないと思います。一方、新人小説月評は評者が必ずしも評価していない作品も論じる。そういう欄は他にあまりない。批判の有無というのは、いつに比べての話でしょう。例えば、江藤淳が文芸時評をやっていた時代でしょうか。

――ふり返ると、渡部直己氏のチャート式の時評、佐々木敦氏の絶対安全文芸時評、また時評ではないですが福田和也氏の『作家の値うち』など、文芸批評で話題になりがちな採点性、網羅性などをコンセプトにした批評形式がいろいろ試みられました。大森望氏と豊崎由美氏の『文学賞メッタ斬り!』シリーズという企画もありました。一方、ゼロ年代以降、批評家より書評家が増え、全般的な傾向として褒めレビューが多くなったといわれます。

丹羽:小説を並べて採点するような形式の批評は当時自分も面白く読んでいましたが、振り返ると、批評家のユニークなキャラクターによって成立していた部分が大きかった気がします。そういう形式がはたして次世代の批評に何かを受け継いだのか、ちょっとわかりません。

――批評の新しい書き手を見出すことも課題だと思いますが、それこそ新人小説月評は、文芸に関して新進の書き手が担当するコーナーになっていますよね。

丹羽:最近だと小川公代さんのように新人小説月評の執筆後に他の文芸誌にも批評を書くようになった方がいます。東浩紀さん、千葉雅也さん、そのほか現在活躍中の多くの批評家が担当していました。

――新人小説月評は今後も2人で新人の全作品をとりあげるスタイルは崩さないですか。

丹羽:はい、複数の視点があることが大事だと思っているので。

――先に触れた「21世紀の日本文学」座談会でも日本の小説が近年、海外で評価されていることが論点になっていましたが、この点はどうとらえていますか。

丹羽:日本の小説家の作品が海外で評価されているのは素晴らしいことです。一方で、文芸誌の現場は毎号手探りでやっていて、それが読者にどう読まれるか、ましてや翻訳されて海外でどう評価されるかまではとても考えられない。考えているのは、今までの流れになにか一石を投じたり、違う試みをしたいということです。文芸誌は絶えず変わっていく文学の最前線であり、いわば実験場です。毎号いろいろなものが載っていることが大事ではないかと思います。