Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
ぴあ 総合TOP > ぴあ映画 > 『おちょやん』で話題の“世界の喜劇王” チャップリンと日本の深い縁を自伝から探る

『おちょやん』で話題の“世界の喜劇王” チャップリンと日本の深い縁を自伝から探る

映画

ニュース

リアルサウンド

 千代(杉咲花)と一平(成田凌)が夫婦となり、3年が過ぎた昭和7年の物語が展開している連続テレビ小説『おちょやん』の第14週。「兄弟喧嘩」と題されたこの週で描かれたのは“鶴亀家庭劇”の千之助(星田英利)と、“須賀廼家万太郎一座”を率いる万太郎(板尾創路)の確執についてだ。世界の喜劇王であるチャールズ・チャップリンの来日が報じられ、道頓堀を牛耳る大山(中村鴈治郎)は、鶴亀と万太郎一座を競わせ、客入りの良かった方の劇団の演目をチャップリンに見てもらうと言い出すのである。

 月曜日の第66話でもちらりと解説が入った通り、当時の日本でチャップリンは“変凹君”や“アルコール先生”という愛称で人気を博していた。成田凌が主演を務めた周防正行監督の映画『カツベン!』の劇中でも、物語の主な舞台となる「青木館」の映写室のシーンでチャップリンの話題が登場する。成河演じる映写技師が密かにコレクションしていたフィルムの切れ端のケースに“茶風林”と書かれていて、それがアルコール先生のことであると知った成田は「ニコニコ大会できるやないですか!」と目を輝かせるのだ。

 昭和7年、いや、映画史をたどる上で和暦というのはいささか不便が生じるので、1932年としておこう。すでにその頃にはハリウッドはトーキー映画一色に染まっており、チャップリンをはじめとしたサイレント映画期のスターたちが軒並み大きな壁にぶち当たった時期でもある。数年前のアカデミー賞受賞作である『アーティスト』に描かれたような時代といえばわかりやすいだろうか。キートンもこの頃からみるみるうちに人気が急落してしまうし、『Mank/マンク』でアマンダ・セイフライドが演じていた(奇しくもチャップリンと浮名を流したことでも知られる)マリオン・デイヴィスもその転換期を象徴する演者のひとりといえよう。

 当時トーキーに対して否定的な立場をとっていたチャップリンは、この大きな時代の流れに苦悩し、結果的に名作『街の灯』をサウンド版(基本的にはサイレント映画だが伴奏が入っている)として仕上げたのち、長い休暇に入る。ロンドンを皮切りにヨーロッパを点々とし、かねてからラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の影響で興味を持っていた日本に向かうことを決めるのである。デイヴィッド・ロビンソンの記した伝記『チャップリン』(文藝春秋刊)によると、1932年3月12日に兄のシドニー・チャップリンとともに貨客船の諏訪丸に乗り込み、経由先のシンガポールで熱を出し、バリ島でフィルムを回し、5月の2週目に来日を果たしたそうだ。

 このチャップリンの初来日は数々の逸話とともに語られる、実に興味深い旅路である。それについてはチャップリン自らが記した『チャップリン自伝 栄光と波瀾の日々』(新潮文庫刊)に実に克明に記されているのでそちらを参照するが、日本に到着するや数万人とも言われる群衆に囲まれ、政府が用意した専用列車で東京に向かったチャップリン一行。そこでも群衆に押し潰されそうになるほどの人気ぶり。そして帝国ホテルへ向かう道中で、使用人で通訳も兼ねた高野虎市に言われるがまま理由もわからず皇居に一礼したという。その辺りから不穏な空気を感じ取っていたチャップリンは、翌日首相官邸で行われる予定だった歓迎会をキャンセルし、当時の総理大臣・犬養毅の子息である犬飼健らとともに相撲観戦をすることに。

 まさにその日に起きたのが、歴史の教科書などで習う「五・一五事件」である。青年将校たちによる犬飼毅暗殺。実はチャップリン自身も、その標的として狙われていたのだ。チャップリンを暗殺すれば、日米開戦に持ち込めるというねらいがあったとのことで、前述の自伝のなかには直後に訪れた事件現場の様子も記述されている。そのような命の危険にさらされながらもチャップリンは日本観光をつづけ、歌舞伎や芸者、茶の湯など日本の文化に触れ魅了され、えび天を36尾食べ、6月2日に横浜港から氷川丸に乗り込み帰路に就くのである。

 と、ここでようやく『おちょやん』の話へとつながる。この初来日のタイミングでチャップリンが道頓堀に滞在したことを確認できる資料はないが、都内の演劇場で万太郎のモデルとされる曾我廼家五郎の楽屋を訪れたということはよく知られている。つまり、この第14週で描かれたエピソードにおいて“世界の喜劇王”たるチャップリンの存在は、ある種のトリガーにすぎないということだろう。あくまでも、万太郎と千之助という道頓堀を代表する2人の“喜劇王”の関係性を深堀りし、松竹家庭劇(劇中では鶴亀家庭劇)を代表する作品となる『丘の一本杉』の誕生へとつなげるねらいがあったと考えられるわけだ。

 さて、チャップリンはこの1932年の後も何度か来日を果たしている。2度目と3度目は『モダン・タイムス』がアメリカで公開された直後であり、4度目は1962年のことだ。この10年前にチャップリンはアメリカを追われ、スイスに移住している。60年代の後半、ベトナム戦争が激化するなかでアメリカ国内の政治的な動きは大きく変わり、チャップリンを再評価する機運が急激に高まる。そして1972年にアカデミー賞名誉賞を受賞し、チャップリンとハリウッドは事実上和解する。ここではじめて、サイレント期の映画スターの1人だったチャップリンが、映画史における極めて重要な人物、正真正銘の“喜劇王”としての地位を不動のものにしたといえるだろう。

 それからチャップリンが後世に与えた影響については、改めて言及するのも無粋に思えるほど計り知れない。初期の作品から一貫して演者の動作を以って体現されていくスタイルに、喜劇であり悲劇でもあり、またアクションでもある娯楽性の高さと、そこに込められた社会的風刺の価値。もちろんジャン・ピエール=メルヴィルから周防正行にいたるまで、影響を受けた映画人も挙げればキリがないだろう。もっぱら喜劇の舞台で頭角を現し、のちに映画女優として一時代を築く浪花千栄子をモデルにした『おちょやん』という作品においても例外ではない。チャップリンは明確に現代にもつながる映画の礎として、避けては通れない存在なのだ。

■久保田和馬
1989年生まれ。映画ライター/評論・研究。好きな映画監督はアラン・レネ、ロベール・ブレッソンなど。Twitter

■放送情報
NHK連続テレビ小説『おちょやん』
総合:午前8:00〜8:15、(再放送)12:45〜13:00
BSプレミアム・BS4K:7:30〜7:45
※土曜は1週間を振り返り
出演:杉咲花、成田凌、篠原涼子、トータス松本、井川遥、中村鴈治郎、名倉潤、板尾創路、 星田英利、いしのようこ、宮田圭子、西川忠志、東野絢香、若葉竜也、西村和彦、映美くらら、渋谷天外、若村麻由美ほか
語り:桂吉弥
脚本:八津弘幸
制作統括:櫻井壮一、熊野律時
音楽:サキタハヂメ
演出:椰川善郎、盆子原誠ほか
写真提供=NHK
公式サイト:https://www.nhk.or.jp/ochoyan/