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ぴあ 総合TOP > 『ババヤガの夜』王谷晶×『 マイ・ブロークン・マリコ』平庫ワカ 特別対談:エンタメ作品で“シスターフッド”を描く意義

『ババヤガの夜』王谷晶×『 マイ・ブロークン・マリコ』平庫ワカ 特別対談:エンタメ作品で“シスターフッド”を描く意義

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リアルサウンド

 友だち? 相方? 同志? 運命共同体? どれでもあるようでいてどれでもない……そんな名前のつけられない関係でつながっている人が、あなたにもいるだろうか。

 これまで「アイツのことは気に食わないけれど」とぶつかり合いながらも、大きな困難を前に結託し、「ブラザー!」なんて呼び合う間柄になっていく男性同士のバディ作品は、数多く生み出されてきた。きっと、男性にそうしたドラマがあるように、女性にだってあるはずなのだ。「あの子のことは面倒くさい女だと思うけれど」と思いながらも、唯一無二の存在として強くつながる関係性が。

 そんな女性同士の連帯を描く“シスターフッド”作品が、いま注目を集めている。ライフステージの変化によって分断されやすかった女性同士のつながり。しかし、SNSの普及によりそれぞれのステータスを超えて、ある困難に「一緒に戦おう」とつながることができる世の中になってきたからだ。

 そこでリアルサウンドブックでは、小説『ババヤガの夜』の著者・王谷晶と、漫画『 マイ・ブロークン・マリコ』の作者・平庫ワカのリモート対談を実施。奇しくも2020年1月の同時期に、シスターフッドをテーマに小説と漫画という異なる手法で向き合った2人。お互いの作品を前に感じたこととは……。(佐藤結衣)

それぞれが煮詰まったところから生まれた2作品

――まずは『ババヤガの夜』そして『マイ・ブロークン・マリコ』の2作品が、どのような背景で生まれたのか、からお聞きしたいです。

王谷晶(以下、王谷):もともと『完璧じゃない、あたしたち』(2018年)という短編集を担当してくださった編集の方が「長編どうですか?」というお話をくださったのがきっかけでした。でも、私の筆が遅くて(笑)。うだうだしているうちに「文藝で特集をやります。そこにスペースを取ったので」と、おしりに火炎放射器を当てられた状態になってしまいました。

――火炎放射器(笑)。そのときから“シスターフッド”をテーマにしようと?

王谷:そのとき考えていたのは、70代のバアさんが大暴れする話でした。『ババヤガの夜』とは全然違うプロットだったんですが、結構な量を書いたところで「このまま進めても詰まるぞ」と気づいて(笑)。なので、1回その話はナシにしてもらって、2~3回プロットを練り直して『ババヤガの夜』になっていったという感じですね。

――『ババヤガの夜』にも鬼婆に憧れるシーンがありましたし、通じているところはありそうですね。

王谷:そうですね。肉体的に暴れるバアさんって読んだことないなって。だから最初のプロットは、もう初っ端からバアさんが筋トレをしたり、鉄アレイで他人をぶん殴るような話だったんですよね(笑)。

平庫ワカ(以下、平庫):見てみたいですね(笑)。

王谷:それはそれで別に書き始めてもいいかなと思ってたりします。

――ぜひ! では、平庫さんの『マイ・ブロークン・マリコ』はどのようにして生まれたの
でしょうか?

平庫:実は描こうと思って描いた話ではないんです。別で外国モノの男性ばかりが出てくる話を練っていたのですが、そのネームが全然うまくいかなくて。にっちもさっちもいかない状態になって。それでガス抜きのつもりで描いたのが『マイ・ブロークン・マリコ』のネームでした。本命のネームを担当編集さんに見せたあと、「実はこういうものが……」と出したら、「こっちでいきましょう」って。

お互いに思わず嫉妬した、小説と漫画ならではの表現

――同時期にこの2作品が揃ったのも運命的なものを感じまずが、お互いの作品を読まれてみていかがでしたか?

王谷:平庫さんのことはかなり前からTwitterでチェックさせていただいていて。『マイ・ブロークン・マリコ』に併録されていたメキシコの国境のハードボイルドなお話も、Twitterで拝見していたんです。日本の漫画離れしたところと日本の漫画的な表現が融和していて、ちょっと偉そうな言い方になっちゃいますが「あ、この人、くるんじゃない?」みたいなものを感じていました。そしたら『マイ・ブロークン・マリコ』が始まって、いい意味でショッキングでしたね。学生時代から始まる関係というのは個人的に刺さるものもあったし、あのヤンキー寄りのガラの悪さの生々しさが地元の話みたいに感じて、なんだか過去に戻されたような感覚になりました。「ついに日本の漫画でこれをやる人が出てきた」と、めちゃめちゃ嬉しく思ったのと、ちょっとやられたなっていうショックな気持ちもありました。

平庫:恐縮です……。実は私もTwitterで王谷さんをフォローさせていただいてます(照)。私は本当に小説が全然読めないタイプなんですが、『ババヤガの夜』は1日で読み終わってしまいました。「こういうのが読みたかった!」って興奮しました。今まで、割と自分が「こういうの見たい」と思っているものって「需要がないんじゃないかな」って思っていたんですけど、『ババヤガの夜』を読んで「違う、これはみんな出していないだけだぞ!」と思ったんですよね。これを読めば、みんな目覚めるはずだって!

王谷:ありがとうございます!

平庫:読みながら「なんで私は主人公の新道みたいじゃないんだろう」「私もこんな強さがほしかった」ってジタバタしました。あと、ラストに向かう終盤の方で、ゴロッと変わる転換点があるじゃないですか。もう落ち着いて座っていられなくて歩き回りながら読みました。もう本をぶん投げてその場で腕立て伏せとかしたくなるくらい身体性を誘発させられる熱さがあって。言い方がアレですけど、「うめぇーなー! なんでこんなものが書けるんだろう」と。

――確かに、本をぶん投げたくなるあのシーンは、小説ならではの仕掛けでしたね。

平庫:「うぉーー!」って熱くなったあと、「あぁ、人生……」となりました。もう、本当に大好きです。

王谷:私も『マイ・ブロークン・マリコ』を読んで、やっぱり漫画にしかできない表現を随所に感じて悔しく思いましたよ(笑)。あの高速バスでシイちゃんが抱えた骨壷がマリコになる1枚絵とか。動きやセリフが詰め込まれたカットからの叙情的な1枚絵、みたいな緩急の付け方が漫画ならではですし、他の漫画にはないテンポのよさがありますよね。なんだか映像的な感触があるというか。

平庫:それは私も『ババヤガの夜』を読んでいるときに思っていました。文字を読んでいるのに映画を見ているような。

王谷:私は文章を書くときに、まず頭の中で映像を再生して、それを頭の中でコンテ的なものに切って文章に変換していくみたいなタイプなので、それもちょっとあるのかもしれないですね。

平庫:私も最初に映像で見えるタイプです。それを「こっちのアングルのカットを使おう」とか「ここは引きで」とか、頭の中で映像編集をしているような感じです。

――なるほど。同じような作業手順を踏んでいるからこそ、漫画と小説で異なるメディアではありますが「やられた」みたいなのがあるんですかね。

平庫:そうですね。だから『ババヤガの夜』は私、教科書にしたらいいと思っています(笑)。「面白く見せるとは」が、全部詰まっているから。

「男対女」みたいな話を描きたかったわけではない

――『ババヤガの夜』も『マイ・ブロークン・マリコ』も、理不尽な支配を受ける女とそこに対して暴れる女、そして敵となる男と男女の分断をギリギリでつなぐ中立的な男……と、キャラクター構造が近い部分がありますね。

王谷:はい、『ババヤガの夜』に出てくる人は、わかりやすいキャラクターになっていますが、ちょっと薄めれば身の回りにもいるよねっていうタイプでもあると思っています。私は『マイ・ブロークン・マリコ』に出てくる、海辺で出会う釣り人の男性キャラクターが好きなんですよ。重い過去を抱えていて、シイちゃんのことも引いて見てるんですけど、それでも小さな希望になっている感じが。

平庫:実は私の身近にも虐待サバイバーがいるので、その話を聞いていたときに「自分は何もできないな」と、シイちゃんと同じような気持ちがずっとあったんです。それが抱えきれなくなって、どうにかしないとって吐き出したような作品なんですよね。あの釣り人の男性にもモデルがいるのですが、挫折を味わった人の柔らかさというか、そういうのがある男性は身の回りにもいっぱいいるじゃないですか。マリコの親父が本当にクソ野郎なので、読んでいる女性に向けて「こういう人もいるよ」と、男性という存在のバランスを取りたかったのと、逆に男性に対しても、「弱さをもったままでいい」ということを言いたかったのかもしれません。

――『ババヤガの夜』では、柳のポジションがそれにあたりますね。

王谷:そうですね。彼には、私の父が重なっていたのかもしれません。社会に出てみて「うちの親父は割とマシだったな」って思ったことがあって。体育会系でしたし、別にパーフェクトなタイプでもないんですが、強いとされる男性の中にも、物理的な強さを相手に振るうタイプと、それを優しさに変換できるタイプと、大きく2種類いるのかも、と思わせてくれる存在でした。柳はヤクザですし全然いい人ではないんですよ。今回はヤクザをロマンチックに書くのはやめようと気をつけていたので。でも、そもそも人間って誰でもいい人な部分とクソな部分は持っているから。その割合が何かの拍子で揺れることもあると思って。

平庫:その場、その場でその人なりの心に従うものですよね。やっぱり人と関わっていくと、人の判断も変わっていくから。柳には「こういうものだよな、人って……」という人間臭さが見られて、すごく好きでした。

――女性が困っていて、そこに理解のある男性キャラクターが出てきたら、かつては救い出してくれるのがお決まりの流れだったように思います。でも、この2作品はそうはなりませんね。

平庫:もー、そうしたら、全部台無しですから! 男についていけば解決するという時代は終わったんです(笑)。

王谷:そうですね。今までの歴史を見ていても、それで解決した人がどれほどいるのかと思うわけですよ。もう同じ轍を踏むわけにはいかない(笑)!

――先ほど平庫さんにはシイちゃんとリンクした怒りが実際にありましたが、王谷さんの作品にも身近な怒りが影響していますか?

王谷:新道と私は全く違う人間ですし、環境的にも全く違うんですが、この社会で女と見なされて生きていくことへのフラストレーションを「腕力で叩き潰すことができたらな」とは何百回も考えたことがあります。「ああ、この瞬間、私がドウェイン・ジョンソンでさえあったら! あの筋肉さえあれば!!」みたいな(笑)。そういう広い意味で「女」に生まれた煩わしさは、きっと誰もが抱えていて、それを暴力では解決できないかもしれないけれど、暴れてくれる女がいる作品を書いてみたいなと思いました。

平庫:私、新道に生理がくるシーンがすごい好きなんですよ。「ちゃんと新道にも生理きてる!」って思いました。あの期間って、なかなか描かれないじゃないですか。

王谷:そうですよね。作品内の時間が1ヶ月以上流れているのに、生理の「せ」の字も出てこないフィクションにはしたくなかった。だいたいの成人女性が、1ヶ月のうちの1週間は、人によってはそれ以上もわずらわされているわけじゃないですか。女を書く以上、そこを無視するわけにもいかない。かといって、ことさら何か意味を持たせるのも嫌で。新道はアスリート的なメンタルがあるので、自分の体調を常に把握しているという意味でも、生理は生理、日常ルーティーンとして書かねば、と。

「なんでつながり続けているのか」全然わからない関係性

――シイちゃんとマリコ、新道と尚子のお互いをちょっと「めんどくさい女」とドライな目で見ているところも印象的でした。

王谷:実際、長く付き合いのある女友だちって、「こいつめんどくさいな」っていう部分も把握していますよね。それも承知でつるんでいるというか。友だちほど「どこが好き」って言えない関係もないかなって思うんですよね。そういう意味では、よっぽど恋人のほうが明確に選んでいるというか……。でも、腐れ縁みたいな友だちとかネット上で10年以上フォローしてる人とか、「なんでつながり続けているのか」って聞かれると、全然わからない(笑)。

平庫:そうですよね。私は友だちって、家族とかと同じくらい「選べない」存在なのかなって思うようになっていて。本質的には一緒にいる明確な理由なんてなくて。気づいたら一緒にいる、みたいな。インタビューで「シイちゃんはマリコのことが恋愛的に好きだったんですか?」って何回か聞かれたことがあるんですが、きっとそういう面もあるかもしれないし、そういう面だけでもなかったんじゃないか、と。人間の感情って、結局グラデーションなので。

――ネット上でのつながりのお話がありましたが、SNSを通じて痛みや怒りを分かち合い、直接に会わずとも育まれる絆は、かつて「友情」の概念とはまた異なる感覚ですよね。

平庫:王谷さんがブレイディみかこさんと対談された『覚醒するシスターフッド』で「SNSで女の人が意見を出やすくなった」とおっしゃっているのを読んで、「そうなのかもな」と思いました。SNSで自分の意見をかみしめるというか、「これってこういうことでいいんだよね?」「怒っていいんだよね?」「これおかしいよね?」と確認し合える輪ができつつあって。よくも悪くもだとは思うんですけど、そういう基盤ができてきたから『ババヤガの夜』とか『マイ・ブロークン・マリコ』とか、シスターフッド的なものがエンターテイメントとして受け入れられるようになったのかなと、少し思ったりもしました。

王谷:それはあると思いますね。多分、『ババヤガ』もその前の本も、5年、10年前だったら、企画そのものがおそらく通っていなかったと思うので。このSNS文化が出てはじめて、殴られる心配なしに自分の意見が言えるようになった。それは女の人だけじゃなくて、差別を受ける弱い立場にあるすべての人に通じますが。インターネットは悪いところもいっぱいあるけど、その1点に関してはすごく大きいものだと思っています。

「喧嘩はやめて」じゃなくて、面白さで殴り合え!

――以前に比べたら声が上がりやすくはなっているんですけど、一方で埋まらない力の差というのはたしかにありますよね。争うことなく対等にやっていくというのが理想的ではあるんですけど……。

平庫:「男女平等」って言っても、身体性が決定的に違いますからね。どっちかに合わせるとかという話じゃなくて、相互理解するために戦わなくちゃいけない(笑)。男女だけじゃなく、マジョリティーとマイノリティーとかもそうですけど、誰かが作ってくれるものではないので、勝ち取っていくしかないと思うんですよ。

王谷:その都度、小さなバチバチをし合いながら、ちょっとずついいほうに向かっていくしかないんじゃないかなと。「喧嘩はやめて」じゃなくて、面白さで殴っていこうと(笑)。面白さで殴られたら、人はなかなか抗いにくいと思うので。

平庫:それですね! 言いたいことがあればあるときほど、エンターテイメントにしていかなきゃいけない。面白ければ強者も意識を向けずにはいられない、そんな作品を作っていかないといけないんだなって、最近思います。

――最近は、ぶつかり合うよりも器用に避けていくほうがスマートな傾向にありますが、その結果言いにくさばかりが増長されたようにも感じます。

王谷:結局もっと陰湿な、それこそSNSで匿名攻撃みたいなものが増えたような気がします。私自身も、もっとちゃんと喧嘩していけばよかったな、昔を振り返って思うところもあるんですよ。もともといろんなことを受け流すのが得意なタイプだったんですけど、20代半ばくらいで心身がガタっときてしまって。5年くらい引きこもって暮らしていたんです。そしたら、頭の中の絶望感が腐ってもげてしまったのか、今度はヘラヘラした仮面みたいなものがつけられなくなっちゃって。色々とやりづらくなってしんどいけど、結果的にこっちのほうが生きている感じがするっていうのがあるんですよ。

平庫:それは、私も鬱をやっているのでわかります。私はなかなかハッキリと物事を言えなくなった時期があったんです。だから、漫画では極端なことを描きたくなったのかもしれないけど(笑)。でも最近思うんですよね。このちょっとブレーキがかかったような、負荷を感じる状態でやっていくのが人生なのかなって。

今後描いていきたいのは、グラデーションのバリエーション

――先ほど、王谷さんは「老女を書きたい」とおっしゃっていましたが、そのあたりも踏まえて、今後描きたいテーマがあればお聞きしたいです。

王谷:普通に暮らしていて中高年の女性っていっぱいいるのに、もっとフィクションにもいろんなバアさんが出てきてもいいじゃんって思うんですよ。「いろんな人がいるんだよ」っていうのを常に意識したいし、「その1人の中にもマジョリティー性とかマイノリティー性とかが組み合わさっているんだよ」っていうのを書きたいですね。一面的には感じたくなくて、しんどい人の中にも、いろんなしんどさのバリエーションがある。『マイ・ブロークン・マリコ』を読んですごくいいなと思ったのが、貧乏描写に多角性があるというか、貧しさの描写にいろんなバリエーションがあるんですよね。そこに感動しました。貧乏は、さまざまに貧乏なんですよね。ああいう描写は本当に漫画ならではだし、しっかり世界を見ているなと思って。私もそういう多様なしんどさとか、その中のいろいろな喜びとか、グラデーションのバリエーションをたくさん書きたいなと思っています。

平庫:ありがとうございます。実は私、次に考えている作品が、男の子同士の学園ラブコメなんですよ(笑)。

王谷:えぇー(笑)!

平庫:ラブコメ、なのかな?? 大多数の中にうまく適合できない人たちの恋愛模様が描きたくて……というより、見たいと思っています。Netflixで学園恋愛ものを見て思ったんですけど、「この子たちは恋愛を人生の中に最初から組み込んでて、すごいなー」と。恋愛って、そんなに最初から装備されているものなのかと、私が実感がなくてわからないところでもあって。わからないからこそ、「これは恋なのでは?」という気持ちがわくグラデーションを描いてみたいと思っています。

――ありがとうございました。いろいろなお話を聞かせていただきましたが、改めておふたりの見つめているものの近さを感じることができました。いつか王谷さんが原作を、そして平庫さんが作画するという贅沢な夢も思い描いてしまいました。

王谷:あー、それいいですね! メディアミックスとか、地味な字書きの夢です。

平庫:いやそんなこと言ったら、私も新人中の新人なので。実現できるように、もうちょっと漫画がちゃんと描けるようにならないと!

王谷:私も、その日までこの業界で生き延び続けていきますね(笑)。

■書籍情報
『ババヤガの夜』
著者:王谷晶
出版社:河出書房新社
発売日:発売中
定価:1,650円
公式サイト

■書籍情報
『マイ・ブロークン・マリコ』
著者:平庫ワカ
出版社:KADOKAWA
発売日:発売中
定価:715円
公式サイト

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■書籍情報
『天雷様と人間のへそ―平庫ワカ初期作品集―』
著者:平庫ワカ
出版社:KADOKAWA
発売日:3月8日
定価:715円
公式サイト