西寺郷太のPOP FOCUS 第16回 BTS「Dynamite」
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「西寺郷太のPOP FOCUS」
西寺郷太が日本のポピュラーミュージックの名曲を毎回1曲選び、アーティスト目線でソングライティングやアレンジについて解説する連載「西寺郷太のPOP FOCUS」。NONA REEVESのフロントマンであり、音楽プロデューサーとしても活躍しながら、80年代音楽の伝承者としてあらゆるメディアに出演する西寺が持論も展開しながら、愛するポップソングについて語る。
第16回では「第63回グラミー賞」の「最優秀ポップ・デュオ / グループ・パフォーマンス賞」にノミネートされたBTSの「Dynamite」にフォーカス。BTS最大のヒット曲として世界各国で人気を集める「Dynamite」の魅力に、3つの観点から迫る。
文 / 西寺郷太(NONA REEVES) イラスト / しまおまほ
壁を壊したリル・ナズ・Xとの共演
今回は、3つの視点からBTS「Dynamite」について触れていきたいと思います。まず1つ目は、「BTSとグラミー賞」。
昨年の「第62回グラミー賞」では、カントリーとヒップホップの融合により歴史的ヒットとなった「Old Town Road」をリル・ナズ・Xとともに歌ったBTS。今年、日本時間の3月15日に開催される「第63回グラミー賞」では「Dynamite」が「最優秀ポップ・デュオ / グループ・パフォーマンス賞」にノミネートされているということもあり、初の単独パフォーマンスが決定しています。
まずは昨年、BTSがリル・ナズ・Xとグラミー賞で共演した“大きな意味”について解説したいと思います。長年カントリーミュージックは白人歌手が歌う、アメリカ合衆国の“白人社会”を象徴する音楽として愛されてきました。その先入観を壊したのが、1999年生まれの若きラッパー、リル・ナズ・X。彼が大胆にもこれまで相反する音楽性だと思われてきたカントリーと黒人文化の象徴であるラップを混在させた「Old Town Road」は、TikTokで発表するやいなや大きな話題を集めました。一部の層から波紋を呼びながらも「The Billboard Hot 100」でなんと19週連続ナンバーワンに。1958年にビルボードチャートが始まって以来の大記録となりました。
グラミーは保守的で、票を投じることができる層が音楽界でキャリアを重ねた年配の白人男性が比率的に高いこともあり、白人社会の象徴とも呼べる賞。これまで多くの黒人歌手、ラッパーが正当な評価を得ずに抗議、落胆してきた“暗い歴史”があります。昨年の段階では、韓国からアメリカに乗り込み、ラップ、ダンスミュージックを“逆輸入的”に吸収し、人気を得ているBTSがリル・ナズ・Xとともに「Old Town Road」を歌ったわけですが、韓国出身の彼らがそのように古い体質のグラミーに呼ばれたこと、そして人種やジャンルの壁を壊した「Old Town Road」を歌ったこと、まずはそこに意義があったことを強調したいです。
Wham!のジャケットが映り込む
2つ目の視点は「BTSとジョージ・マイケル(Wham!)」。
僕がBTSのファンになったのは、2020年8月21日に発表されたシングル「Dynamite」からなので本当に最近のこと。僕と同じくジョージ・マイケル信奉者で韓国の芸能エンタメに強いライター、K-POPゆりこちゃんから驚きの連絡が来たのがきっかけでした。「郷太さん! 先週発表されたBTSの新曲のMVにWham!の『FANTASTIC』のジャケットが映り込んでいます! 彼ら、この曲に明らかなマイケル・ジャクソンへのダンスオマージュをちりばめているんですが、なんとWham!にもリスペクトを表明しているとは!」と、そのメッセージには書かれていました。
早速「Dynamite」のリンクに飛んだところ、確かにメンバーのRMさんがラップしているレコードショップのシーン、スタートから49秒くらいのタイミングで左側最前列のかなり目立つ場所にWham!の1stアルバム「FANTASTIC」(1983年発売)のジャケットが映っていたんです。ちなみにWham!とは、ジョージが幼なじみのアンドリュー・リッジリーと組み1982年6月に10代でデビューし、世界中のポップシーンで頂点を極めたアイドルグループ。デビュー曲、その名も「Wham Rap!」は、アメリカのディスコバンド・Chicの大ヒット曲「GOOD TIMES」や、その曲からインスパイアされたThe Sugarhill Gangの「Rapper's Delight」にオマージュを捧げたラップナンバー。イギリスの白人青年2人組がラップをするというのは当時、考えられないアイデアだったこともあり、最初のシングル発売時にはヒットに至りませんでしたが、その後、1年かけてWham!の魅力は本国イギリスのみならずヒップホップ、ラップ発祥の地であるアメリカへと逆輸入的に伝播してゆきます。
MVの制作者、およびラップを担当しているRMさんはその歴史的背景を理解し、暗号のようにメッセージを埋め込んでいると僕は感じたんです。わざわざWham!の代表作と言われるポップな「Make It Big」(1984年発売の2ndアルバム)や、ジョージの「FAITH」(1987年発売のソロデビューアルバム)ではなく、Wham!の「FANTASTIC」を選んでいるわけですから。つまり、イギリス人の青年たちがダンサブルなラップで国境とジャンルを超え、先入観を壊した。自分たち韓国人、アジア人もそれらパイオニアの意志を継いでラップでアメリカに乗り込むよ、と。困難や人種的差別があっても自分たちの音楽でボーダーを越える勇気があるんだ、と。
個人的にはその少し前のタイミングで音楽プロデューサーのJ.Y. Park(パク・ジニョン)さんの敬愛する3人のアーティストがマイケル・ジャクソン、プリンス、ジョージ・マイケルだと知り、僕と同じじゃないか、と強烈な親近感を持っていたところでした。1980年代に「MTV」で流れたポップスや、90年代前後のダンスミュージックに影響を受けたことをてらいなく公言してくれるK-POPの制作陣、アーティストの面々へのシンパシーがどんどん高まっていた流れの中で、最大の決め手として届いたのが大傑作「Dynamite」だった、というわけです。
ジミンがまとったマイケルコスチュームの意味
3つ目の視点は、前の2つと重なってくるんですが、「BTSとマイケル・ジャクソン」。
僕が10歳くらいのとき、1983年頃のことですが、ケーブルテレビ「MTV」の全盛期が訪れていました。海外アーティストのMVやライブ映像がラジオのようにノンストップで流れる有料チャンネルで、日本にもその勢いは小林克也さんの「ベストヒットUSA」を筆頭にお茶の間にも伝播していたんです。よく「そんな小さい頃から洋楽聴くなんてすごい早熟だったんですね!」と驚かれることもあるんですが、当時の子供たち、特に上の兄、姉がいる世帯の小学生は今のYouTubeみたいな感覚で貪るように観て聴いて普通に夢中になっていたんですよね。今の少年少女もBTSの映像や音楽を難しいものとは捉えていないと思います。
「MTV」勃興期に人気を集めたのは、カラフルな化粧をしたCulture ClubやDuran Duran、先ほども触れた、若さに満ちたWham!といったイギリスのバンド、ユニットでした。彼らは映像の使い方を理解していたんで、ビデオもゴージャスだったり異国情緒漂う面白いものが多くて。10代の子供たちには見た目のインパクトって大事なので、スーッと入ってきたんです。その点、アメリカの白人バンドやアーティストのほとんどはジーンズにTシャツ、着飾りもせず普通にカメラに向かってライブしているだけ。その壁を壊したのが当初「MTVはロック専門チャンネル」だから、と放送を拒まれていたマイケル・ジャクソンの「Beat It」や「Billie Jean」のMV。特に「Beat It」には、ハードロックギタリストの象徴的存在であるエドワード・ヴァン・ヘイレンがギターソロで参加していて、「エディがギターを弾いているこの曲が“ロック”でないわけないですよね?」という論調でそれまでの白人中心のルールを壊したわけです。
個人的にはBTS楽曲を繰り返し聴く中でどんどん夢中になってしまったのが、個性的なハイトーンボイスのジミンさんのボーカル。数ある「Dynamite」の名演の中でも、ストレートにマイケルにオマージュを捧げた韓国音楽アワードの1つ「Melon Music Awards 2020」でのパフォーマンスには心の奥底が震えました。特にジミンさんは、スパンコールの付いたきらびやかなブラックのジャケットに白い腕章をはじめ、全身完全にシンボリックなマイケル的なコスチュームを身にまとっているのですが、僕が感動したのはこれこそマイケル自身が先人たちにリスペクトの念を持って行っていた活動とまったく同じ方向性だと感じたからです。
マイケルにはフレッド・アステアという尊敬する先輩ダンサーがいました。特に1930年代から1950年代にかけて、ハリウッドのミュージカル界を代表するダンサー、俳優、歌手として輝きを放ったレジェンドであるアステアも、マイケルのダンスを賞賛。深い人間関係を築いていました。しかし、マイケルがアルバム「BAD」を発売する直前の1987年6月22日、88歳でアステアは亡くなってしまいます。マイケルは翌年完成させた映画「ムーンウォーカー」内で発表した「Smooth Criminal」でアステアにオマージュを捧げ、アステアが映画「バンド・ワゴン」の中で着た全身白いスーツ、白いハットに水色のシャツという衣装を踏襲。そうすることで、当時10代だった僕はもちろん、多くの若い世代のファンがフレッド・アステアの魅力、ミュージカルの伝統に興味を持ち、ハマってゆくことができました。モータウン出身の黒人パフォーマーであるマイケルが、白人であるアステアのダンスを身体と精神に取り入れ、のちの世代に伝えたのと同じことを、ジミンやBTSは少年時代から重ねてきた厳しいトレーニングと愛を持って行っています。BTSが繰り返し示すオマージュはただ単に衣装を真似しているとか、ダンスを真似しているという側面に留まらず、マイケルを通り越して、マイケルが尊敬するアステア、そうなるとつまりもっと広く深くミュージカル映画やアメリカで生まれたエンタテイメントそのもの、「100年以上の歴史とつながっている」ということを指摘したいと思います。
越境者こそが文化を強靭にし、後世にその素晴らしさを伝えてゆく。過去のポップミュージックのレジェンドたちに最大のリスペクトを捧げつつ新たな時代を切り開くBTSのその姿勢に、僕は感謝の気持ちと刺激を与えてもらっています。どうかグラミー賞、獲得できますように!
※記事初出時、本文に誤りがありました。お詫びして訂正します。
西寺郷太(ニシデラゴウタ)
1973年生まれ、NONA REEVESのボーカリストとして活躍する一方、他アーティストのプロデュースや楽曲提供も多数行っている。2020年7月には2ndソロアルバム「Funkvision」をリリースした。文筆家としても活躍し、著書は「新しい『マイケル・ジャクソン』の教科書」「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」「プリンス論」「伝わるノートマジック」「始めるノートメソッド」など。近年では1980年代音楽の伝承者としてテレビやラジオ番組などさまざまなメディアに出演している。
しまおまほ
1978年東京生まれの作家、イラストレーター。多摩美術大学在学中の1997年にマンガ「女子高生ゴリコ」で作家デビューを果たす。以降「タビリオン」「ぼんやり小町」「しまおまほのひとりオリーブ調査隊」「まほちゃんの家」「漫画真帆ちゃん」「ガールフレンド」「スーベニア」といった著作を発表。イベントやラジオ番組にも多数出演している。父は写真家の島尾伸三、母は写真家の潮田登久子、祖父は小説家の島尾敏雄。