日本に地図にない“地下空洞”があったら? 異色のビジネス小説『インナーアース』の面白さ
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お仕事小説は数々あるが、この職種が題材になるのは初めてではないだろうか。主人公たちは地図製作会社の社員である。しかも新たに挑む仕事が、海底のさらに地下にある大空洞の地図を作ることだ。まさに前代未聞のお仕事小説である。
近未来の日本。北九州市に本社を置く、地図製作会社「メイキョウ」は、一昨年、悲願の住宅地図全国制覇を成し遂げた。しかし広報課長の天河結は、それ以来、会社のモチベーションが下がっているのではないかと危惧している。そんなときパーティーで、「リーデンブロック」という聞きなれない会社の代表取締役・蛍石喬から声をかけられた。蛍石の話によると、日本海の地下約20キロ付近に、琵琶湖の半分ほどの空洞が見つかったとのこと。その地下空洞の地図を、メイキョウで作ってほしいというのだ。
これがメイキョウの新たな目的になると確信した天河は、ひそかに動き出す。まず、サーベイ本部の鷹目進一郎、広報室の桃田瑠璃、ケイビング好きの若手社員・駒根木晶に声をかける。さらに特殊車両「自由断面掘削機型車両」――通称〈道行〉を見て、仕事が実現する可能性を感じた。とはいえ、首尾よく地下空洞に到着したとしても、先は見えず、宇宙服のようなスーツを着なければ行動できない高温地帯だ。命懸けの仕事を会社が認めてくれるのか。ケイビング部を作り、晶をリーダーにして、メンバーの選抜をするなど、事前の準備が静かに進行する。そして会社の許可が下りると、晶や鷹目などのゼンキョウ社員は、勇躍、地下世界に向かうのだった。
地球の地下にある大空洞を旅する、ジュール・ヴェルヌの冒険物語『地底旅行』を読んだことのある人は多いだろう。本書は、その『地底旅行』を意識している。実際、作中に、「昨今、宇宙にばかり目が向いていたが、こいつはとんだ盲点だぞ。誰も知らない地球の内部、昔読んだジュール・ヴェルヌの本の世界が現実になるんだからな」「『蛍石』といえば英語名でフローライト。ハロゲン化鉱物の一種の名です。そしてリーデンブロックはジュール・ヴェルヌの小説『地底旅行』に登場する鉱物学者の名前です。うーん、どちらも地下繋がりだ」というセリフが出てくるのだ。つまり現代版(近未来だが)『地底旅行』であることを、表明しているのである。
それを、お仕事小説としたところに、本書の面白さがある。どこまで信じていいのか分からないうえ、命の危険がある。そんな仕事を受諾するために白河は、情報収集や根回しなど、事前の準備に力を入れるのだ。ここの部分は、お仕事小説の醍醐味に満ちている。
科学も小説もヴェルヌの時代から進歩した。もちろん物語世界という前提ではあるが、地下の大空洞に行くための目的や資金をリアルに描くために、作者はお仕事小説というジャンルを選択したのではなかろうか。
さらにメカや冒険の魅力も見逃せない。晶たちを乗せて地下を掘り進む〈道行〉の姿には、ワクワクさせられる。ロボット工学の権威で、〈道行〉の設計にもかかわった森稲葉博士の説明を聞いていると、現在の技術で製作可能なのかと思ってしまうほどだ。ちなみに本書の作者の小森陽一は、航空自衛隊のパイロットを主人公にした『天神』シリーズなどで知られている。メカの描写は抜群なのである。
さらに地下の大空洞に到着した後は、冒険小説のようになる。ただし作者は、晶たちに安直なピンチを与えない。意外な方向から危機が襲いかかるのである。しかもこれが、地上に残った天河のドラマと結びつき、意外な真実が明らかになるのだ。いや、この発想には驚いた。まさかこういう方向に話を持っていくとは、予想外もいいところだ。
とはいえ本書のメインとなっているジャンルは、やはりお仕事小説である。大空洞の地図化に夢中になる晶、がさつなようで情味のある鷹目、他人とは違う視点を持つ日向翼など、メイキョウのメンバーは、錯綜した状況の中で、地図会社の社員として全力を尽くす。地上の思惑をぶっ飛ばす、地図屋魂が愉快痛快。彼女たちと共に、21世紀の“驚異の旅”を、存分に楽しんでほしいのである。
■細谷正充
1963年、埼玉県生まれ。文芸評論家。歴史時代小説、ミステリーなどのエンターテインメント作品を中心に、書評、解説を数多く執筆している。アンソロジーの編者としての著書も多い。主な編著書に『歴史・時代小説の快楽 読まなきゃ死ねない全100作ガイド』『井伊の赤備え 徳川四天王筆頭史譚』『名刀伝』『名刀伝(二)』『名城伝』などがある。
■書籍情報
集英社文庫『インナーアース』
著者:小森陽一
発売日:2021年2月19日
価格:本体780円+税
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