成田凌・清原果耶、対称的なふたりが辿り着いた「“普通”とは何か?」
映画
インタビュー
成田凌&清原果耶 撮影:奥田耕平
世の中に蔓延る「普通(まとも)」とは何だろうかーー?
そんな問いに真っ向から挑んだ映画『まともじゃないのは君も一緒』が3月19日(金)に公開される。本作は、成田凌演じるコミュニケーション能力ゼロ<普通が分からない男>大野と清原果耶演じる恋愛経験ゼロ<普通を知ったかぶる女>香住、全く噛み合わないふたりが繰り広げる一風変わったラブストーリーだ。
成田と清原は初共演でありながら、噛み合わない掛け合いの応酬を息ぴったりに演じている。取材中の息の合ったふたりの会話は、まるで映画の続きを見ているかのようだ。そんな成田と清原は初対面時、お互いにどのような印象を抱いていたのだろうか。
「最初はちょっと緊張していたんですよ。こんな(芝居の)能力を持った10代の女の子が、こんなアホみたいな20代後半の僕をどう見ているんだろうなって。でも、意外と喋ってくれて優しかったです。安心して『元気?』とか喋りかけていましたよ。いい感じでした」(成田)
「初めましてのとき、成田さん、甚平を着ていて。なんで甚平……?というのが第一印象です(笑)。ちょっとビックリしました。身軽な人だなと思いましたね。だけど、人を引き寄せる優しさというか、リラックスできる雰囲気を作ってくださる人柄がとても素敵だと感じました」(清原)
お互いの第一印象を聞いて笑い合うふたり。優しい時間が流れる。
「ビビられているなんて知らなかったですよ。それは失礼しました(笑)」(清原)
「僕、甚平着ていたの記憶にないんですよ……。初めましてのときに何を考えているんでしょうね? 靴じゃなくてサンダルを履いていたってことでしょ。それはビックリするよね。失礼いたしました(笑)」(成田)
「考えないで気楽にいこう、という気持ちで」(成田)
清原が演じる予備校生の香住は、恋愛初心者であるにも関わらずSNSでの聞きかじりの知識だけで自分は恋愛上級者と思い込むちょっと厄介な女の子だ。軸の定まらない宙ぶらりんなアドバイスを毒気強めに大野へぶつけていく。監督の前田弘二から「今までにない清原さんが見たい!」と言われ挑んだこの役に、頭を抱えることもあったという。
「香住の毒気を中途半端に演じない方がいいと思ったのですが、なかなか上手くいかず。香住はとてもブレるんですよ。筋が通っていそうなことをずっとまくし立ててはいるけど、実は本心じゃなくて『世間一般ではこういうことでしょ? だからこうしよう!』と自分ではない誰かの意見を軽くまとめて、さも本当かのように大野に叩きつけているだけ。だから、撮影中には何度もどうしよう!となりました」(清原)
上手く芝居に表現できないと悩むたび、清原は成田へ相談をしていたと話す。成田が清原にしたアドバイスとは。
「考えないで気楽に行きましょう!って。僕自身、お芝居に対してもちろん一生懸命やっていましたが考え込むことが今まであまりなかったから。逆に自分はちゃんと考えてやらないとなと思いました」(成田)
「考えてしまうから、うーんってなるんだけどなと思ったんですけど(笑)、参考になりました。純粋にすごい!って言ったことを覚えています」(清原)
そんな清原に対して「すごく真面目に真摯に役と向き合っている」と成田は話す。
「清原さんは『こういう感じとかじゃない、こうする!』って。だから芝居が真っすぐ入ってくるんです。佇まいから素晴らしくて。これからもっとすごいことになる女優さんだなと思っています」(成田)
一方、成田が演じる予備校講師の大野も香住に負けず劣らずクセの強いキャラクターだ。「普通の結婚」を夢見ているものの、数学一筋で生きてきたため世間一般の“常識”を理解していない。人とのコミュニケーションが苦手で、会話も一方通行になりがちだ。芝居をする上ではあまり考え過ぎないという成田だが、本作でも脚本から受け取った大野の印象をひたすら“素直”に演じていたという。
「大野をコメディとして演じてしまうと引かれてしまうある意味危険なキャラクターでもあると思いました。だから、つくり過ぎず脚本を信じて真っすぐ素直に演じれば面白くなるだろうと思っていました」(成田)
「“普通に媚びない”生き方が輝いて見える」(清原)
“普通”に対する感覚が異なる大野と香住。ふたりの価値観、人間性を通じて自分はどちらの感覚に近いのだろうかと考えさせられる。成田は香住へ、清原は大野への共感を示した。
「香住は誰かの受け売りで何となく喋っているけど、自分も学生時代はそんなことあったなと。高校生のときとか、地に足をつけてちゃんと生きることなんてほとんど考えられないし。大衆の何となくの意見を代弁してくれている香住を見て、まあそうだよな……って」(成田)
「私はたぶん大野寄りの生き方をしてきたから大野らしさが輝いて見えるというか。世間知らず過ぎるところはありますけど、大野の“普通に媚びない”生き方に共感ができる。自分の好きなもの、信じたものを素直に信じられる人だから」(清原)
では、自身が演じた役柄についてはどう感じているのだろうか。
「大野に対しては共感より客観的に見ていたんですよ。面白いキャラクターだと思いました。それは変わり者だからではなく、素直で真っすぐ真っ当に生きている男だと思ったから。一見数学以外に興味がないと思いきや、いろんなことに興味があってフットワークが軽い。すごく好きですよ」(成田)
「理解はできるんですけど、共感まではいかなくて。私は自分の感情だけで一人の人間をあそこまで巻き込むことはできないですね。遊び回したり連れ回したり、迷惑だなと感じてしまう(笑)。だけど、この世代の女の子特有のフラフラ感はすごく可愛らしいと思います」(清原)
普通が分からない大野と普通を知ったかぶる香住はどちらも“普通”からはズレているかもしれない。生きていれば誰しも一度は人とのズレを感じる瞬間があるだろう。成田と清原のふたりもまた大野と香住のように“普通じゃない”エピソードを持っていた。
「僕、高校生のとき、右側だけパーマをかけていたんです。アシメの髪型をしようと思っていて、美容学校に行くにあたって、ただ長さが違うだけじゃダメだなと。ヴィダルサスーンのとある言葉に響いて、右側だけ巻いてやれ!って(笑)。当時はそれが正解だと思っていましたし、いいよね!ね!? みたいな感じでしたけど、この前卒アル見たらまともじゃないなと思いました(笑)」(成田)
「普通じゃないと言われたことはないですけど、学生の頃からこういうお仕事をさせてもらっているのは当たり前のことではないなと思います」(清原)
“普通”の正解は見つからない
本作には「普通」という言葉が使われたセリフが54回登場する。SNSの普及から大多数の同調を“普通”とせざるを得ない昨今の息苦しさ。その中で生きる我々にとって、「普通とは何?」という究極の問いを与えてくれる作品が『まともじゃないのは君も一緒』なのだ。本作への出演を通じて成田と清原もまた“普通”に対する考えを深めていた。
「誰かが『普通さ』と言っていたらすごく気になってしまうようになりました。ネットで見かける大衆の意見に流されている人たちは何なのだろうか、自分自身の意見とは?と。でもそれって、僕はずっとそこにいたんだなとも思ったんです。もともとそこに対して何となくモヤっとしていましたけど、それが顕在的な疑問に変わった。これから先、普通って何だろうと一生思い出しますね。正解は見つかりません!」(成田)
「私はもともと普通なんて人それぞれだし、私には私の普通があって、生き方もあると考えていました。それで今まで生きてこられているから普通を気にしたこともなくて。本作で役を演じて改めて普通を考えましたけど、結果、普通って人それぞれでいいじゃんって私は思いました。正解はないことだと思います」(清原)
芝居に対する向き合い方、共感するキャラクター、普通に対する考え方……どれもが対称的であるふたりだが、本作を通じて見つけた「普通とは何?」の解は共通していた。「普通には正解がない」ということだ。
最後に、コミュニケーション能力ゼロの大野と恋愛経験ゼロの香住にちなみ、「自身がゼロだと感じること」について質問すると、ふたりとも“音楽”にまつわるゼロの話しをしてくれた。
「いっぱいありますけど、ミュージカルは絶対にできないと思います。歌を歌うのも苦手だし、ダンスもダメ。楽器も何もできない。なので、それはゼロかな……」(成田)
「ドラムですね。私はダンスも歌も好きで、弦楽器も好きなのでギターとベースは趣味でやっているんですけど、ドラムだけは絶対にできる気がしなくて。左右違う動きでリズムを刻むのは、想像するだけでも頭が追いついていかない。なので、ピアノやエレクトーンとかもできないです。やってみたいけど、今のところ無理そうですね(笑)」(清原)
『まともじゃないのは君も一緒』は3月19日(金)より全国公開
撮影/奥田耕平、取材・文/阿部裕華
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