『金色のガッシュ!!』が不動の名作たる理由とは? 魔物と人間の絆が描き出す「別れの美学」
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「週刊少年サンデー」にて2001年から2007年まで連載を続けた、バトルファンタジー作品『金色のガッシュ!!』(講談社)。約14年前に連載を終了したものの、未だに名作の1つとして語り継がれる本作。なぜ『金色のガッシュ!!』は現在でも語り継がれる名作になり得たのか。その理由はバトル要素にも劣らない、熱く深い人間ドラマにあった。
中学生である高嶺清麿は、難関大学の論文でさえ容易く理解してしまうほどの超天才児。清麿はそのあまりにも中学生離れした頭脳からクラスに馴染めず不登校になってしまい、自宅で暇を持て余す日々を過ごしていた。そんな清麿のもとにイギリスにいる父から、謎の少年・ガッシュ・ベルが送られてくる。記憶を失った状態で発見されたというガッシュ。突然のことに戸惑う清麿だが、次の瞬間彼を更に困惑させる出来事が起こる。清麿がガッシュの所持していた本の文字を読むと、ガッシュが口から電撃を吐いてみせたのだ。
驚愕する清麿だが、ガッシュは自身が電撃を出していることに気付いていない。実はこのガッシュは魔物の子供。記憶を失ってはいるが、大切な使命があり人間界に訪れていた。それは“人間界に送られた100体の魔物の子供の中で、最後の1人として生き残る”こと。ガッシュは人間とパートナーになり戦う、次期魔王候補の1人だったのだ。
その後清麿とガッシュの前に、見るからに凶暴で攻撃的な容姿をした魔物・コルルが現れる。しかしコルルはもとは心優しい少女だったと知り、驚愕する清麿とガッシュ。選ばれた100体の魔物のうち戦う意志の弱い者は凶暴な別人格が植え付けられてしまうようで、コルルの本には自らの意思とは関係無く凶暴化してしまう呪文が刻まれていたのだ。泣きながら攻撃するコルルは、ガッシュに本を燃やして欲しいと頼みこむ。本への攻撃を躊躇しているガッシュを見て、自らの意志で涙ながらにコルルの本を燃やす清麿。コルルは去り際、「魔界にやさしい王様がいてくれたら、こんなつらい戦いはしなくてよかったのかな…?」とガッシュに尋ねた。こうしてガッシュは清麿と共に数多のライバルとの戦いを重ねながら、“やさしい王様”を目指すのだった。
本作の魅力を一言で表すなら、「別れの美学」に尽きるだろう。“別れ”は漫画に関わらず、様々な創作物に彩を添える。信頼し合いずっと一緒に居たいと考えている者同士が、望まない別れを余儀なくされる。それによって物語は一段と深みを増すのだ。ではなぜ“別れ”が『金色のガッシュ!!』では、特に際立つのか。その秘密は物語の根幹である、“100人の魔物が人間とパートナーを組んで争い、最後の1人が魔界の王様となる”というルールにある。
この戦いにおいて魔物の子供は、自分が所持している本を燃やされると魔界へと帰されてしまう。そのため魔物とパートナーは、一丸となって相手の本を燃やすべく戦う。そして作中にはガッシュだけでなく、数多くの魔物が登場した。つまり本作にはそれだけ魔物とパートナーの別れが描かれている。もちろん100体100通り全ての別れを事細かく描いている訳ではないが、作品自体が魔物同士の戦いを主軸としているため、必然的に全てのエピソードが別れに向けて動いている。
魔物にとって人間のパートナーは、唯一無二の存在だ。パートナー以外では本の文字が読めず、呪文も発動できない。そのため魔物とパートナーは共同生活をしており、中には共に旅をするコンビもいた。魔物と人間の別れには壮大なドラマがあり、甲乙付け難い名シーンをいくつも輩出したのだ。
また“最後の1人が魔界の王様となる”というルールにも、大きなポイントがある。それはとどのつまり「勝者でさえ最後は魔界に帰ってしまう」点だ。一般的なバトルロイヤル系の作品であれば、「死なないために戦う」であったり「大切な人を救うために戦う」であったりと、勝者は敗者と違う運命を辿るが、本作は敗北=死では無いため、勝者であっても最後はパートナーとの別れを避けられない。そのため最後は喜びに涙しながらも同時に悲しみに暮れ大粒の涙を流す。
連載が終了し数年の月日が経つも、未だに読者の心を掴んで離さない『金色のガッシュ!!』。登場する魔物と人間の間には、一言では言い表せないドラマがあり、それが本作の魅力。魔物と人間の儚い絆が、『金色のガッシュ!!』を不動の名作へと押し上げたのである。
■青木圭介
エンタメ系フリーライター兼編集者。漫画・アニメジャンルのコラムや書評を中心に執筆しており、主にwebメディアで活動している。