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第2回大島渚賞、該当者なしの理由は?黒沢清「映画の役目は問題の提示」

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左から荒木啓子、黒沢清、大島新、PFF理事長の矢内廣。

第2回大島渚賞の記念イベントが、本日3月20日に東京・丸ビルホールで開催され、審査員の黒沢清と荒木啓子、ゲストの大島新が登壇した。

ぴあフィルムフェスティバルで知られる一般社団法人PFFが、映画の未来を切り拓く若く新しい才能に対して贈るため、2020年に創設した同賞。劇場公開作3本程度の日本で活躍する映画監督が選考対象となり、原則として前年に発表された作品がある人物に贈られる。映画祭キュレーターや評論家らが推薦した候補の中から、審査員が受賞者を決定する形式で、第1回では「鉱 ARAGANE」「セノーテ」の小田香が選ばれた。しかし今年度は審査員長である音楽家の坂本龍一、そして審査員の黒沢と荒木の総意として「該当者なし」という結果になった。

イベントでは黒沢と荒木がその結論に至った経緯を説明。まず黒沢は、病気療養のため登壇が叶わなかった坂本について「あれほど映画に対して熱心かつ詳しい方はそういない。僕が全然知らないような、新人無名監督の映画も普段からご覧になっている」と話す。また審査の際、坂本はコロナ禍における映画作りを強く意識していたそうだが、黒沢は少し違う視点から見ていたという。「音楽家である坂本さんは、ライブができなくなり、ある種音楽が禁止されてしまったこの事態が『歴史的にまれなことだ』とおっしゃっていました。ただ映画を作っているほうはそんな“ライブ感覚”とはだいぶずれています。僕たちが新作として目にするものは前年に撮っていたり、それが一般公開されるのはさらに1年後だったりする。あまりそのときの時流に乗りすぎると、公開した頃に事情が変わってしまう、ということはいつも警戒しているんです」と、黒沢は自身の意見を述べた。

同時に黒沢は「こうして僕が大島渚という冠の付いた賞を選ぶ立場にいるのが、いまだに後ろめたい」「正直荷が重いです(笑)」とも明かす。審査時に黒沢は「こんなにいい題材があるのに、もったいない」という言葉を何度か口にしたそうで「皆さん、商業映画では思いつかないような“ネタ”を見つけてくる能力はけっこうある」と振り返る。さらに坂本から聞いたエピソードを交え「学生から『自分の作品が誰かを傷付けるのが不安だ』と言われたとき、坂本さんは『そんなことなら作るな。必ず誰かを傷付ける可能性がある、それが作品というものなんだ。それが怖いなら作る資格はない』と言ったそうです。今回の候補者の作品は、面白いとっかかりを見つけながらも、最終的には誰も傷付けないようにうまくまとまっていたり、なぜか最後は感動的になっていたりした。ああもったいないなと。商業映画ではないのだから、もっともっと“いろんな人を傷付けまくる”というか、どういうことかわからないところで突然終わったっていいんじゃないか」と説明した。

続けて、デヴィッド・クローネンバーグの「ヒストリー・オブ・バイオレンス」やラジ・リの「レ・ミゼラブル」といった映画を例に挙げ「こんな問題があるけどどうします?というところで終わる。大島渚作品もほとんどそうなっていると思う」と話す黒沢。「戦場のメリークリスマス」「愛と希望の街」といった大島渚作品のラストを振り返り「バサッと終わるのが気持ちいい。問題が目の前に提示される、映画の役目はそれでいいんだという、すごく刺激的な映画」と解説した。

またイベントでは、坂本からのコメントが読み上げられる場面も。坂本は「『該当者なし』を避けるために、ギリギリこれか?!という作品もないではなかった」「しかし、全員の了解として、それはギリギリだし、無理しているし、大島渚の名前を冠した賞にふさわしいかと問われれば、答えは明らかだという空気が蔓延した。腰をひいて無理やり一作決めるか、それとも肚を据えて、敢えて『該当者なし』でいくか。当然後者のほうが大島渚の名前にふさわしいだろう」とメッセージを寄せた。

実際に今回の大島渚賞では、大賞以外に“坂本龍一賞”と“黒沢清賞”を設けるという案も挙がったそうだが、「該当者なし」を選択した荒木は「スタートしたばかりなので、今は“こういう賞なんだ”と道を作って行くとき。(別賞を設けると)開拓中の道がおかしくなっていくのでは、ということをお二人が懸念しているのがわかった」と述べる。黒沢は監督という立場から「なんにせよ選ばれればうれしいわけだから、選んであげたいなというのが、作る側の思いとしてはあった」と明かしつつ「でも、そんなんじゃ駄目なんでしょうね、大島渚賞は」とまとめた。

イベント後半には、大島渚の息子であるドキュメンタリー監督の大島新もステージへ。ドキュメンタリーの道を選んだ理由を聞かれ、大島新は「劇映画を観るのは好きですが、大島渚と比較されてしまうのはなかなかしんどいなと。また小学校1年生の頃に『愛のコリーダ』の裁判が始まって、私は突如“エロ監督の息子”となり、映画とは距離を置いてきました。高校生の頃からノンフィクションやドキュメンタリー映画は好きだったので、映画の道に進むならこっちだと思っていました」と率直に答える。さらに父としての大島渚について「子供に対しては常識的なことを望んでいました。いい大学に入ってほしい、いい会社に入ってほしいという保守的なところがあったので、外での顔と違いましたね(笑)。ただ相手を緊張させる人ではありました」と証言した。

トークショーでは黒沢が、この日上映される大島渚の「日本春歌考」の魅力を語る場面も。「“めちゃくちゃにやってやれ!”という部分と、“映画としてこれは守ろう”というある種の規律正しさが、絶妙なバランス」と述べる黒沢は、新宿駅で撮影されたシーンに関して「一般の乗客もその場にいる中、カメラが何気なくスーッと移動するんです。これは相当前から準備して、レールを敷いておかないと無理。ちゃんとした段取りと準備と計算の中、即興のような芝居を撮る。それが際立っているのがこの作品」と熱弁した。

※大島渚の渚は旧字体が正式表記

坂本龍一 コメント

去年の一回目は「セノーテ」があった。実は「セノーテ」も、もともとは候補作に入っていなくて、ぼくが推薦したものだった。それはともかく、「セノーテ」は全く大島渚が作っていた映画とは異なるものだけど、その質、実験精神、思想からみて、充分に大島渚賞にふさわしいものだったと思う。
さて今回の二回目であるが、ぼくは個人的に候補作を、いつも以上の好意の目をもって観た。「該当者なし」を避けるために、ギリギリこれか?!という作品もないではなかった。実際に、審査の話し合いの時に、そのタイトルも出した。しかし、全員の了解として、それはギリギリだし、無理しているし、大島渚の名前を冠した賞にふさわしいかと問われれば、答えは明らかだという空気が蔓延した。腰をひいて無理やり一作決めるか、それとも肚を据えて、敢えて「該当者なし」でいくか。当然後者の方が大島渚の名前にふさわしいだろう。
「該当者なし」は、一つの強烈なメッセージだと思う。来年こそは、大島渚の名前にふさわしい豪胆で、深い思想をもった、切れ味の鋭い候補作を観られることを、大いに期待している。