ドレスコーズ志磨遼平、『THIS IS US 36歳、これから』を語る 「どの世代にも訴えかける“穏やかな”ドラマ」
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全米で絶大な支持を集め、日本の海外ドラマファンからも「もっとも泣ける」と謳われた『THIS IS US 36歳、これから』が、海外ドラマ専門チャンネルAXNにて5月3日より放送される。36歳の男女4人を主人公に、それぞれが人生の壁を乗り越えようとする中で、大切なものを失い、見つけ、そして運命の糸がたぐり寄せられていくさまが描かれる。
今回リアルサウンド映画部では、登場人物たちと同じ「36歳」となったドレスコーズの志磨遼平にインタビューを行った。「どんどん続きが観たくなる」という本作の構成の巧みさから、これまでのドラマにはない魅力まで、たっぷりと語ってもらった。(編集部)
■どの世代にも訴えかける普遍的ドラマ
――『THIS IS US 36歳、これから』に、当初はどんなドラマをイメージしていましたか?
志磨遼平(以下、志磨):「すごい面白いドラマがあるので、観てみませんか?」とお話をいただいたときに、ふわっとした説明は聞いていて。「志磨さん、36歳になりましたよね? 今、36歳の人たちを描いたドラマが、アメリカで大ヒットしていて云々……」みたいな。で、なるほど、それならば、自分も36歳ならではの感想が何かあるかもしれない、と思って観始めました。
――志磨さんは、同世代みたいなものって意識しますか?
志磨:あまり自分は、同世代の動向というか、自分と同じ年代の人たちが今、どんな分野でどういう仕事をしているのか、全然知らないところがあって。年齢の近い社会人があまり周囲にいないというか。わりとポツンとひとりでやってきたようなところがあるので。
――毛皮のマリーズというバンドをやっていた頃は、またちょっと違ったんじゃないですか?
志磨:あ、そうですね。マリーズはドラムの人以外みんな同い年の、それこそ同級生だったので。だから2011年にマリーズを解散してからは、36歳の人が、今、何をしてるのかっていうデータがほとんどないですね。地元も遠いので、同級生たちの近況や噂も届かないし。やっぱり、ミュージシャンっていうのは会社勤めとかと違って、ふわーっとしたお仕事じゃないですか。ひとりで歌ったり踊ったり、が仕事なので(笑)。上司がいたり、後輩が入ってくるわけでもないというか。ただ、自分と同じ年ごろの人たちが何をしているのかなっていうのに、まったく興味がないわけではないんです。僕だって、この年齢なりにいろいろ考えることはあるので。
――ロックスターとはいえ。
志磨:人の子ですから(笑)。だから、単純に自分と同世代の人……しかも、国境も超えた遠い文化圏で、同じ頃に生まれて、同じだけ人生を生きてきた36歳の姿を『THIS IS US 36歳、これから』では観れるのかな? という、そこにまずは興味を持ちましたね。
――なるほど。とはいえ、実際ご覧になっていただいたように、このドラマは、今の36歳を描いた、いわゆる「世代論」的なドラマとは、ちょっと違いますよね。
志磨:うん。第1話のオープニングで36歳のひげもじゃの彼(ジャック)が出てきて、彼と奥さん(レベッカ)のあいだに三つ子が生まれるっていう話かと思いきや、それと並行してランダルとケヴィン、ケイトっていう、また36歳の男女が3人出てくる。そして、1話の終わりにはびっくりする展開が待っています。「あ、なるほど。これは一般的なドラマとは違う形で進んでいく話なんだな」と。これから観る方にはあの衝撃を体験してほしいので、はっきりと話すことができないのが残念ですが。
――そうですね(笑)。本作が「世代論」的な“ヨコ”のドラマになっていないのは非常に巧みな構成によるところが大きいと感じます。
志磨:“世代”という括りではなく……人生のなかでの36歳、ひとつの“点”を、描いているんですよね。構造が非常に面白いですし、時代にとらわれない普遍性のある作りになっている。
――ちなみに、36歳って、どんな年齢なんでしょうね。みんな、それなりに社会経験も積んでいて、結婚して子供がいる人もいれば、そうじゃない人もいて……。
志磨:そうですね。実際に「36歳」になってみると、10代、20代に思っていた未来予想図とは、やっぱり多かれ少なかれのズレが生じてくるじゃないですか。それこそ僕の場合だと、「音楽でやっていこう」と目指した頃はCDが毎週百万枚とか売れて、音楽番組もいっぱいあって、音楽雑誌とかも売れまくってて。「うわー、僕もこの世界に入りたい!」と思ってたわけですけど、いざミュージシャンになってみたら、みんなしょっぱいことばっかり言ってるじゃないですか。やれ、音楽は売れないだ、雑誌に影響力はないだとか。何か思ってたのとちょっと違うなあ、っていう。
――ミュージシャンの場合は、特にそうかもしれません。
志磨:ただ、そうやって10代の頃に目指した場所にいざ自分が立ってみると、そこから見える光景が、外から見ていたのとはまったく違うみたいなことって、これくらいの年齢の人たちはきっと多かれ少なかれ、みんなあると思うんですよね。だから、自分とはまったく違う境遇の本作の登場人物たちにも、思わず共感してしまう瞬間がある。
――それこそ第1話で、役者の仕事をしているケヴィンは、「自分が本当にやりたいのは、この仕事じゃない」と、レギュラー番組を降りてしまうわけですが。
志磨:そうそう。そのあとマネージメント会社のオフィスに呼ばれて……あのオフィスでのシビアな空気とか、ぼくからするとゾッ! としますよね(笑)。本人は「新しい門出だぞ!」とかウキウキしてて、なのにマネージャーやオフィスの重役たちはみんなめちゃめちゃ厳しい顔で。あ、この空気知ってる……みたいな(笑)。
――何か新しいことをやる際に、まわりの人すべてが、手放しで応援してくれるような歳ではないという。
志磨:20代だったら、きっとみんな応援してくれますよね。「若いときは、それでいいんだよ」とか言って。「頑張れ、頑張れ、失敗してもいいから」って。でも、36歳の失敗は、ガチですから(笑)。
――ただ、本作は「36歳あるある」みたいなもので押すのかと思いきや、案外そういう話でもないですよね。
志磨:観る前は、そういう「36歳あるある」みたいな感じなのかなって僕も思っていたんですけど、もっとパーソナルなテーマですよね。登場人物たちの境遇も、特殊と言えば特殊な境遇ですし。「この世代だったら、あるよねえ」みたいな感じではなく、彼らが個人個人で抱えている問題を、丁寧に描いている。そしてその問題は、36歳という年齢に限ったものでもない。だから、どの世代にも訴えかけるドラマですね。
――そういう意味では、視点の切り替えが、ものすごく巧みですよね。
志磨:物語が分かりにくいという意味ではないのですが、登場人物の誰に感情移入しているのか分からなくなる瞬間があります。そこが面白いというか、すごく脚本が上手いところなんでしょうね。
■作品に寄り添う絶妙な音楽の使い方
――音楽の使い方も一般的なドラマとは異なりますよね。
志磨:そう、音楽の使い方なんかも、僕らの世代の懐メロとか当時のヒット曲満載! みたいな感じでくるのかと思ったら、全然そんなことはなくて。ずいぶん渋い選曲でしたよね。
――誰もが知っている名曲という音楽の使い方はしていない。
志磨:主題歌のスフィアン・スティーヴンスは今の人ですけど、挿入歌はブラインド・フェイスとか、ポール・サイモンとか、70年代のが多くて。割とタイムレスな、シンガーソングライター系のものを好んで使っているような印象がありました。時代を象徴するヒット曲を使うのがわかりやすい手法だと思うんです。でも、本作はそれをやっていない。シンガーソングライター系の曲が多く使われているのも、彼らの内省的、私小説的な歌詞が「これは世代ではなく、あくまで個人の葛藤なんですよ」というのを表しているような。
――確かに楽曲の歌詞が、ドラマの内容ともリンクしている。
志磨:それぞれの視点が移り変わる脚本の構成、そして音楽の使い方、とかなり細かいことをやっているドラマだと思います。だけど、視聴者が困惑するような難しい感じは全然しない。そのバランスも本当に絶妙です。
――台詞で説明するドラマではなく、画面を見ているだけで、音楽を聴いているだけで、観る側のほうがいろいろ気づいて、さらに前のめりになってしまうというか。
志磨:うん。そういった、いやらしくない「上手さ」がありますよね。2話の最後でとある人物が当たり前のように登場するんですが、観ている方がなぜ彼が出てきたのか、そこに気づいたところで終わる。毎回ヒキが上手いから、どんどん続きが観たくなっちゃうんですよね。
■近年のドラマにはない“穏やかさ”
志磨:あと、最近は『ブラックパンサー』とか『スリー・ビルボード』みたいに、人種間やジェンダー観の問題をテーマに掲げた作品が話題じゃないですか。いわゆる、現代が抱えている闇、そういったものをこの世代で根絶しよう、という気運がどんどん高まっていて。
――そうですね。
志磨:今はそういう「パラダイムシフト」じゃないですけど、旧世代と新世代との間に横たわる「価値観の溝」がどんどん可視化されてきていて。もちろん、すごく当然の流れだと思うんですが、自分の考え方やものの見方が糾弾されている、と感じる人からするとちょっと居心地が悪かったりして、すぐ「ポリコレだ!」とか「マウンティングだ!」とかの意見が出たりして……時代の変わり目に起こる軋みがすごくノイズっぽく入ってくることも多くて。でも、このドラマは最近のそういった作品と似ているようでちょっと違う、というか。なんか、穏やかなんですよね。
――このドラマにも、人種や性別、さらには職業など、さまざまな偏見や対立が含まれているわけですが、それらのものを分断するものにはなってないですよね。むしろ、そういった違いを、どうやって乗り越えるのかが、ごく日常レベルで丁寧に描かれているというか。
志磨:そうですね。登場人物たちが何かを代表するのではなく、あくまでも個人として、問題を解決しようとしているところがいい。主語を大きくしないで、あくまでも自分が蒔いた種をどうやって自分で刈り取るか、みたいな視点でしっかりと描かれていて。登場人物たちは自分の意志で、それぞれ行動を選択するわけですけど、その落とし前みたいなものは、ちゃんとみんな自分でつけようとするじゃないですか。ときに兄弟で助け合いながらも、基本的には自分で解決しようとするっていう。そこが、観ていてすごく心地よいというか。
■「登場人物たちにちょっとずつ感情移入できる」
――ちなみに本作は、さまざまな「名台詞」が登場するドラマとしても人気を呼んでいるようです。たとえば、第1話だったら「人生がどんなに酸っぱいレモンを与えても、レモネードを作ることはできる」といったように。志磨さんは、そういう経験ありますか?
志磨:うーん……あるような気もするんですけど、僕はせっかく作ったレモネードも「飲み干したら終わりだな……もったいないし、冷蔵庫入れとこ」ってしまっちゃうタイプかもしれないですね(笑)。人生のご褒美を享受することに慣れていない。不幸体質です(笑)。
――マリーズの解散は、それなりに酸っぱい経験だったのでは?
志磨:うーん、そこも難しいところなんですよね。ひょっとしたら、それこそがレモネードだったのかもしれない、というか。ファンやメンバーに見捨てられて泣く泣くバンドを解散したわけではなく、とてもいい状態でみんなに看取られながら綺麗に終わらせることができたわけで。僕は「俺たち、やっとここまできたね」みたいなことを、あまり素直に思えないタチなんですよね。思えるとしたら、ああやって終わるとき。だから、むしろそっちのほうが甘い経験だったような気もする。
――解散という酸っぱいレモンに思える経験も、実は志摩さんにとってはレモネードになっていたと。
志磨:なんか難しいですよね。物は言いようというか、他人のレモンが、こっちからしたらレモネードみたいな場合もあるじゃないですか。レモンばっかりみたいな時期って、実はものすごくいい時期だったのかもしれないし。それはこのドラマも一緒だと思うんですよね。他人から見たらものすごく酸っぱい経験が、当人たちにとっては素晴らしい経験だったりして。
――なるほど。それは一理あるような気がします。ちなみに志磨さんは、このドラマの登場人物たちの、誰にいちばん共感しましたか?
志磨:僕、ひとりっ子なんですよね。なので、兄弟げんかというものをしたことがないんです。小さい頃に、身近な人と思いっきりぶつかった経験がないというか。だから、大人になった今も、自分の意見をなかなか通せないところがあって。意外に思われるかもしれないですが(笑)。「そうか、じゃあ君の言う通りにしよう」って、僕は大体言うんですけど……で、あとになって、「うーん」って思って、「そうなるぐらいだったら、あのとき言っとけばよかった」って思うようなことが、結構あったりとかして。
――ちょっと意外ですね。
志磨:職業的な意味で言ったら、俳優をやっているケヴィンがいちばん近いと思うんですけど。人気商売という意味では僕も同じというか、明日をも知れぬ身なので。だけど、性格的にはランダルかもしれないです。言いたいことが言えず、突如、壊れるタイプかも(笑)。そう、ケヴィンみたいに思ったことを素直に言える人は全然健康的というか、すごい立派だなって思うんですけど、僕はあんまりそういうタイプじゃないので。「大丈夫、大丈夫」って、常に気丈に振る舞いながら、ある日、腰から砕け落ちるパターンっていうか(笑)。そうやって、誰かひとりにではなく、いろんな人にちょっとずつ感情移入できるところもこのドラマの面白いところなのかもしれないですね。
(取材・文=麦倉正樹/写真=池村隆史)