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戦争の後には平和が訪れるのか?『アイダよ、何処へ?』監督が語る

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『アイダよ、何処へ?』 (C)2020 Deblokada / coop99 filmproduktion /Digital Cube / N279 / Razor Film / Extreme Emotions / Indie Prod / Tordenfilm / TRT / ZDF arte

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『サラエボの花』などの作品で知られるヤスミラ・ジュバニッチ監督の最新作『アイダよ、何処へ?』が17日(金)から公開になる。本作は1995年にボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争の中で起こった大量虐殺事件を題材にした作品だが、映画として非常に完成度の高いものになった。作品が扱う題材について真摯に語る一方で「"重い題材を扱っているから観るのをためらう”と思わずに、俳優の演技がすごかったとか、スリリングなドラマだったと感じてもらえたら」と語るジュバニッチ監督に話を聞いた。

本作の主人公アイダは、ボスニア東部の町で暮らす元教師の女性で、夫とふたりの息子と暮らしながら国連保護軍のオランダ部隊が管理する施設で通訳として働いている。ボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争は泥沼化していたが、彼女の暮らすエリアは国際連合によって“安全地帯”に指定されており、国連保護軍が地域の安全を守っているはずだった。

しかし、対立するセルビア人勢力が彼女の暮らす町スレブレニツァに侵攻。人々は家を追われ、ある者たちは森に隠れ、ある者たちは国連施設に逃げ込もうと押し寄せる。アイダの働く施設はまたたく間に人であふれかえり、オランダ軍は正面ゲートを閉鎖。施設周辺は入りきれない人で埋め尽くされ、その中にはアイダの家族もいた。セルビア人勢力が次々に一帯を制圧する中、アイダは自身の家族や同胞を守ろうと奔走するが、施設は国連本部から支援を得られずに極限状態に陥ってしまう。

ほんの数日で約8000人がセルビア人勢力によって殺害された“スレブレニツァの虐殺”は現実に起こった事件だ。本作は現実に起こった出来事をベースに、フィクションを織り交ぜながら脚本が執筆されたが、1974年にサラエボで生まれ、ボスニア紛争を生き延びたジュバニッチ監督は「当時の私たちの感情を表現したかった」と語る。

「国連を信じていたのに裏切られ、殺されるとわかっていたのに見捨てられた。当時の彼らの感情や運命を体現するようなキャラクターを主人公に据えたいと思いました。また、国連という組織が人命がかかっているのに、こんなにも官僚主義なのだということも描きたいと思いました。そこで“国連施設の通訳”を主人公にしようと思ったのです。アイダは家族をもつ女性としてボスニア人全員と同じ運命を持つひとりの人間であり、その一方で国連のミーティングに参加し、セルビア人の将軍とも話をするわけですから、状況がどうなっているのか、システムがどうなっているのかも理解しているのです」

映画は混乱する状況下でアイダが奔走し、自分の家族の命を救おうとあれこれ策を練るドラマと、迫り来るセルビア人勢力に対して国連がどう向き合ったのかが描かれる。ポイントはアイダが完璧で無私の精神をもつ人間ではないことだ。もちろん彼女は国連の通訳として困っている人を等しく助けようとする。その一方で、彼女は何とかして自分の家族を“優先的に”助けたいと思ってしまう。

「彼女は国連の仕事をしているから、自分や自分の家族はほかの人よりも少し待遇がよくなると信じているわけです。そこに彼女の大きなドラマがあると私は思っています。というのも、アイダがあそこまで国連のことを信頼していなかったら、彼女が国連の職員でなければ、家族を森に逃がして、アイダの一家は無事に逃げることができたかもしれないわけです。そんなドラマも本作には盛り込まれています」

自分の家族を守る策を思いついたアイダは施設内を走り、職員や兵士に掛け合い、同時に自分たちの同胞を守ろうと行動しては国連職員の無策さに裏切られ、少しずつ追い詰められていく。

ヤスミラ・ジュバニッチ監督

映画はアイダを演じた名女優ヤスナ・ジュリチッチの圧巻の演技と、緊迫感のある演出で観客を紛争の混乱の中に誘う。本作では物事が大きく動く瞬間や、重要な決定が下される場面、施設に押し寄せた人々の運命を左右する大事な出来事はすべて“画面の外”で起こっており、アイダを含むすべての登場人物たちは、自分たちの知らないところで起こった出来事や決定に翻弄され、裏切られ、追いつめられていく。本作は史実をベースにしたシリアスな作品だが、作品の構造はホラー映画やサスペンス映画に近く、観客は圧倒的な臨場感を味わうことになるだろう。その一方で本作には誰かが殺害されるシーンは一切、登場しない。

「人が死ぬ場面は見せないと決めていました。当然のことではありますが観客には知性がありますから、すべてを観せる必要はないというのが理由のひとつです。それから人が死ぬ場面を美化して描きたくないと思ったからです。この事件の生存者の方はまだ生きていますし、いまだに自分の家族の行方を探している方もいます。そんな方々の尊厳を守りたいと思いました」

アイダは家族を助けようと、同胞を守ろうと走り回り、作戦を立て、時に相手に挑むように説得をはかる。しかし、国連は彼らを見捨て、セルビア人勢力は彼らを包囲する。そして訪れる恐ろしい場面。ジュバニッチ監督はそのすべてを周到に計算したトーンで描き、さらに“その先”の出来事まで語っている。

「戦争の後には平和がやってくると私たちは教えられます。すべてが良くなるのだと。映画を観る時、観客は主人公に共感していることが多いので、主人公やその仲間に助かったり良くなったりしてほしいと思いながら観ることになりますし、そこでは物事は白黒はっきりと描かれます。映画は現実を少し簡略化して描いてしまうところがありますから。

でも現実はそこまで白黒はっきりと分けられるものではなく、戦争が終わった後に訪れる平和も複雑なものです。私は戦争には勝者も敗者もなく、実際にはみなが等しく苦しむことになると思っています。加害者は一時的に特権のようなものを得ることがあるかもしれませんが、戦犯という重荷を背負うことになりますし、暴力や死が持つ恐ろしいエネルギーに私たちは影響を受けてしまうわけで、誰も戦争には勝てないと思うのです。

ですから、白黒にはっきりと分けることのできない、戦争や平和の複雑な部分を描くことが、この映画にとって非常に重要なポイントになりました」

本作は、完成までに数々の困難があったという。それもジュバニッチ監督はこの出来事を証言集や書籍ではなく“映画”として描くことにこだわった。

「映画というのは、どのメディアよりも目や耳や皮膚を通して身体に入ってくることのできるものではないかと思います。人権や歴史を教えている教授たちは、この映画を授業で生徒たちに見せているそうです。その方が生徒たちがファクトを理解しやすいと言っていました。この映画はフィクションではあるのですが、ファクトがベースになっていますし、どういう状況だったのかを理解しやすいだけでなく、キャラクターと共にいるからこそ、エモーショナルなつながりを持つことができるのだと思います。記事や書籍だけではその瞬間に起きたことの感覚や匂いを伝えることができない。それを伝えることができるのも映画だからできることのひとつだと思っています。

本作は扱っている題材が重すぎて、フィルムメイキングの部分を覆い隠してしまっているのかな?と感じる時もあるんですよ。"重い題材を扱っているから観るのをためらう”と思わずに、俳優の演技がすごかったとか、スリリングなドラマだったと感じてもらえたら、と思っています」

『アイダよ、何処へ?』
9月17日(金) Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほかにて全国順次公開
(C)2020 Deblokada / coop99 filmproduktion /Digital Cube / N279 / Razor Film / Extreme Emotions / Indie Prod / Tordenfilm / TRT / ZDF arte