小沢健二『Eclectic』は“早すぎた作品”だったーー15年を経て理解された「ビート」という技術
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小沢健二が2002年にリリースした4thアルバム『Eclectic』の配信がスタートし、再び注目を集めている。3rdアルバム『球体の奏でる音楽』(1996年)以来、約4年4カ月のインターバルを経て発表された同作品は、全曲ニューヨークとマイアミで録音/ミックスされた。「Eclectic」とは“折衷的な”という意味だが、その言葉通りこのアルバムは(音楽的にも制作スタイル的にも人種的にも)さまざまなファクターを取捨選択し、融合させた作品となっている。彼のキャリアのなかでも、もっとも刺激的なトライアルに溢れたアルバムと言っていいだろう。
1994年のアルバム『LIFE』の大ヒットにより、90年代半ばの音楽シーンを象徴する存在となった小沢健二。メディアを賑わせ、NHK紅白歌合戦にも2年連続(1995年、1996年)出演するなど、誰もが認めるポップスターとして活躍していた小沢は、1998年になるとニューヨークに移住。物理的にも精神的にも、完全に日本と距離を置いてしまう。ライブはもちろん、リリースも途切れ、『球体の奏でる音楽』から『Eclectic』の間に発表されたのは、マーヴィン・ゲイのトリビュートアルバム『Marvin Is 60』の日本盤に収録された「Got to Give It Up」のみ。つまり『Eclectic』は、4年以上のブランクを経て(メディアにもまったく登場せず、小沢の動向はほとんど不明だった)、突如として我々の目の前に現れた作品だったのだ。
レコーディングに使用されたスタジオは、ニューヨークのザ・ヒット・ファクトリーとマイアミのクライテリア・スタジオ。どちらも超一流のスタジオだ。参加したミュージシャンも当時のトップレベルばかり。しかし、この作品のポイントは「日本のポップスターがアメリカの一流ミュージシャンと一緒にアルバムを作りました」みたいな話ではなく(90年代くらいまでは、そういう“企画”がよくあったのです)、全ての楽曲のビート(トラック)を小沢自身が打ち込みで作り上げていることだ。
『Eclectic』の配信スタートに際して、小沢はこんなコメントを発表している。
「『Eclectic』は「ビート」という技術を試してみたアルバムです。「ビート」という言葉を、僕は2000年頃のNYシティで聞くようになりました」
「街じゅうで鳴っていたあの音楽様式への関心から、『Eclectic』は生まれました。だから何よりも音楽技術的で、それ以前の『LIFE』とか最近の『流動体について』とかとは、出自が違います」
注目すべきは“「ビート」という技術”という部分だろう。ここでいうビートとは(ブラックミュージック特有の)“ノリ”といった曖昧な概念ではなく、音楽の歴史のなかで構築された体系であり、それを自らの楽曲に取り入れるためには、緻密な解析能力とテクニックが必要なのだーーおそらく小沢は、ニューヨークでの生活のなかで、そのことを明確に認識したのではないだろうか。
2000年前後のブラックミュージックが小沢に刺激を与えたことも、想像に難くない。エリカ・バドゥ、アリシア・キーズ、そして、2000年に超傑作アルバム『Voodoo』をリリースしたディアンジェロといったアーティストたちが生み出したネオソウル。70年代のオーセンティックなソウルミュージックにジャズ、フュージョン、ハウス、ヒップホップ、ハウスなどを融合させることで生まれた新たな音楽の潮流は、『Eclectic』のプロダクションに明らかな影響を与えているはずだ。フリッパーズ・ギターの時代から『LIFE』までの、(ディープな音楽知識に裏打ちされた)膨大な引用とオマージュに彩られた作品群とはまったく違うアプローチが施されているという意味でも、やはり特異なアルバムと言えるだろう。
しかし、この音楽的な冒険心に満ちた作品は、当時の日本のシーンではまったくと言っていいほど理解されなかった。(かく言う筆者も、『LIFE』『球体の奏でる音楽』とのあまりにも大きな違いに“ポカーン”としてしまったことを正直に記しておきたい)。メディアでも“ニューヨークに行った小沢健二が現地の一流ミュージシャンと本格的なR&Bに挑戦!”という紹介がほとんどで、彼がやろうとしたことを的確に評した記事はほぼ皆無だったと思う。
だが、リリースから15年が経過した今、『Eclectic』は2018年のシーンと完全にフィットしているように感じる。“時代が作品に追いついた”というクリシェを使いたくなるが、少なくともここ日本においては“早すぎた”作品だったということだろう。ceroが本作に収録された「1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)」をカバーしたことも、本作の再評価につながった大きな要因だ。また、ロバート・グラスパー、ケンドリック・ラマー、サンダーキャットなど、ジャンルを超越、融合、“折衷”させた新世代のアーティストたちが次々と登場したことも、『Eclectic』の音楽的構造の理解に対する、重要な補助線になっていると思う。簡単に言うと“いろんな要素が混ざっている音楽に耳が慣れた”、そして“ビートに対するリテラシーが上がった”ということだ。
2018年の秋にApple Musicで『Eclectic』を聴いて実感するのは、小沢が構築したビートのユニークさだ。前述した通り、このアルバムのビートには、当時のネオソウルの影響が明らかに反映されている。しかし、単にブラックミュージックのテイストを取り入れただけではなく、そのストラクチャーを詳細に分析し、再構築する過程のなかで、独自としか言いようがないグルーヴを獲得しているのだ。
前述したceroのほか、DATS、D.A.N.、Suchmos、SANABAGUN、King Gnu、など現行のブラックミュージックの影響を受けながら、ジャズ、ヒップホップ、R&Bなどを融合させた音楽を体現しているバンドが目立っている現在の音楽シーン。『Eclectic』こそが、メインストリームにおけるその嚆矢であると断言したい。20世紀の終わりにひとりの日本のミュージシャンがニューヨークで作り上げた“ビートという技術”。さまざまな知的な操作の末に生まれたビートの豊かさをぜひ、たっぷりと味わってほしい。
■森朋之
音楽ライター。J-POPを中心に幅広いジャンルでインタビュー、執筆を行っている。主な寄稿先に『Real Sound』『音楽ナタリー』『オリコン』『Mikiki』など。
■配信情報
『Eclectic』
・iTunes
・Apple Music
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