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キャリー・ジョージ・フクナガは『007』の監督にふさわしいのか? その作家性と新作の行方を占う

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リアルサウンド

 イギリスの長寿スパイ映画シリーズ『007』。『007 スペクター』(2015年)に次ぐ25作目の最新作『Bond 25(仮題)』の監督を務めるはずだったダニー・ボイル監督が、プロデューサーとの創作上の意見の相違により降板。複数の候補が検討されたが、新しく選ばれたのは、アメリカのキャリー・ジョージ・フクナガ監督だった。アメリカ出身のアメリカ人による『007』映画の監督は史上初である。

参考:ハリウッド大作で相次ぐ監督降板にある背景は? 「クリエイティブ上の意見の相違」について考える

 キャリー・ジョージ・フクナガ監督は、最初の長編映画を監督してから10年あまりで、近年活躍の場がNetflixでの制作が主だったこともあり、一部の映画ファンに馴染みが薄いかもしれない。さらに近作であるドラマ『マニアック』(2018年)は賛否両論を生む作品だった。ここではそんなキャリー・ジョージ・フクナガ監督の主な作品と作家性を振り返りながら、『007』監督にふさわしい才能なのか、そして新作がどうなるのかについて、うらなってみたい。

 キャリー・ジョージ・フクナガ監督は、「監督がジェームズ・ボンドを演じたらいい」という冗談も飛び交い、また有名女優との交際を報じられたこともある、正統派のハンサムな容貌を持つ。長身にトレードマークのメガネが印象的で、『スーパーマン』の主人公クラーク・ケントを思い出させるときがある。

 カリフォルニアで生まれ育ったアメリカ人だが、フクナガという名前から分かる通り、日本にルーツを持っており、日本で半年間ほど暮らしていたこともある。 しかし、それはヨーロッパの複数の国にもさかのぼれる彼のルーツの一つでしかなく、無理に日本文化につなげて語れば実態を見失ってしまうだろう。アジア系のルーツが彼の作品に影響を及ぼしているとすれば、それは多民族やそれらの文化への興味と共感であるはずだ。

 学生時代に撮った短編『Victoria para chino』(2004年)は、トラックにすし詰めで輸送される、メキシコからアメリカへの不法移民の苦難を描いたドキュメンタリー風の作品であり、監督としての長編デビュー作となった『闇の列車、光の旅』(2009年)もまた、同様の題材を扱っている。このように、民族的な社会問題をテーマとした物語をリアルに描くというのが、フクナガ監督の主要なアプローチだといえよう。リアルサウンドの過去のインタビューで、フクナガ監督は日本の映画監督からの影響を語っているが、名前を挙げたのが、今村昌平監督と是枝裕和監督。いずれもドキュメンタリーの手法をフィクションに持ち込んだ作品を撮っているので、非常に分かりやすい。

 舞台をアフリカに移した、イドリス・エルバが出演する『ビースト・オブ・ノー・ネーション』(2015年)も、深刻な社会問題をリアルに描くフィクションである。西アフリカのどこかに生きる、家族から愛され創造力豊かに育ってきた一人の少年が、内戦によって家族を失い、生きるために少年兵として殺人の訓練を受ける内容は、『闇の列車、光の旅』に続き、集団の中で暴力とともに生きざるを得ない主人公の境遇を通し、劣悪な環境に置かれ生き方を選ぶことができず可能性が狭められてしまう若者たちの、世界でいまも起こり続けている悲劇を語っていく。

 これらの作品は、ある意味一つのジャンルの中に収まるものであるが、フクナガ監督は、他にも様々なタイプの作品に手を出している。『TRUE DETECTIVE/二人の刑事』(2014年)は、「TVドラマのアカデミー賞」と呼ばれるエミー賞において、監督賞を受賞した出世作だ。マシュー・マコノヒー、ウディ・ハレルソン、2人の名優が演じる性格の異なる刑事が、異常かつ難解な事件を追い続けるという内容だが、マシュー・マコノヒー演じる刑事が、あまりにもエキセントリックなのが特徴で、犯人と刑事の狂気と狂気がぶつかる構図は、作品のはじめからただの「刑事ドラマ」ではないと思わせる。TVドラマとは思えないような、キャリアの中でも最高の演技だと感じさせる2人の主演俳優の重厚な演技が圧巻だが、それを引き出したのは、やはりドキュメンタリー風の作品で培ったフクナガ監督のリアルな演出手法であろう。

 エマ・ストーン、ジョナ・ヒルが主演したTVドラマ『マニアック』も、ジャンルの枠をはみ出してくる、難解な内容を扱った実験的作品だった。過去の精神的外傷を治療するという薬の治験に参加する男女の物語で、舞台はめまぐるしく様々な精神世界へと転換していく。複雑さとコメディの要素が絡み合うところが、これを楽しめる視聴者を限定してしまうきらいがあるが、バーチャル・リアリティやフェイクニュースがあふれる、現実感が曖昧になってゆく世の中で、何が人間の精神をつなぎ止めるのかが描かれる意欲的な作品だったといえよう。

 さて、これらの作品を撮ってきたフクナガ監督の『007』は、どうなるのだろう。『007 カジノ・ロワイヤル』(2006年)など、人間くささや成長途中の危うさを見せるジェームズ・ボンド像によって、古い印象を一新させたダニエル・クレイグ主演の『007』シリーズは、サム・メンデス監督による『007 スカイフォール』ではさらに方向が転換し、アーティスティックで内省的な雰囲気と、英国の伝統に回帰する保守的価値観の導入により、さらに新たなファンを増やしつつイギリス国内で大ヒットを記録した。その重々しい内容は、シリーズのお気楽な娯楽性を愛した往年のファンからは批判を浴びることも少なくない。

 難解で作家的、そしてシリアスな傾向を見せるシリーズは、フクナガ監督を選択したことから、大筋ではその雰囲気を継承するものになると思える。さらにメンデス監督同様、フクナガ監督は作品の有りようを大枠から捉え直すことのできるヴィジョンを持っているので、作品の文学性や格調が失われることもないだろう。アクションに関しては、『ビースト・オブ・ノー・ネーション』の銃撃シーンなどから予想すると、絵画的な感覚にこだわったヴィジュアルから脱却し、マーク・フォースター監督の『007 慰めの報酬』のときに最も高まったリアル路線へと一部回帰するのではないかと思われる。

 さらに変更、または軽減されると予想できるのは、メンデス監督が高めた、英国復権の保守的要素ではないだろうか。メンデス監督も社会問題を描いてきた作家だが、その視点はどちらかというと国内のマジョリティ側から眺めた問題意識の方が強い。対してフクナガ監督は、常にグローバルな視点で世界の社会問題に目を向け、さらに移民問題が原点となっている作家だ。そんな彼が、EUを離脱することを決定したイギリスをどのように眺めているのか。その姿勢が、ジェームズ・ボンドを現実的な世界に引き戻すのではないだろうか。そして、スパイ組織の暴力性や、その中で追いつめられる弱いボンド像も見られるように思える。

 これらはあくまで、フクナガ監督の作風を中心に導き出した予想でしかない。だがいずれにせよ、フクナガ監督の作品群からは、シリーズに新しい風を吹き込むことが期待できるポテンシャルを感じることは確かだ。それを活かすには、彼の作家としての自由を束縛しないことが鍵であろう。フクナガ監督を選択した『007』、果たして吉と出るか凶と出るか。それすらも、作品を観るうえでの楽しみとなり得るだろう。(小野寺系)