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孤独な地縛霊の“眼差し”通じて人間を描く『とりわけ眺めの悪い部屋』山西竜矢×湯川ひなインタビュー

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左から、ピンク・リバティ『とりわけ眺めの悪い部屋』主人公・夏子役の湯川ひな、ピンク・リバティ代表・山西竜矢  撮影:藤田亜弓

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演劇ユニット、ピンク・リバティ代表の山西竜矢が、約2年半ぶりとなる新作『とりわけ眺めの悪い部屋』を東京・浅草九劇で上演する。脚本家を志望する青年の部屋に住み着いた孤独な地縛霊と、彼女を取り巻く人々が繰り広げる群像劇だ。開幕を約2週間後に控えた稽古場で、主人公の幽霊・夏子役を務める湯川ひなとインタビューに応じた。

周りから“浮いて”いる、特別な存在感が主人公の幽霊にぴったり

──まず山西さんに質問させてください。コロナ禍で残念ながら公演中止になってしまった『下らざるをえない坂』から約2年半ぶりの新作です。『下らざる〜』のリベンジもできたと思いますが、どういったモチベーションで新作を上演しようと思われたのでしょうか?

山西 『下らざる〜』と同じ時期に、初長編監督作品として『彼女来来』という映画の撮影を進めていまして。公演が中止になってしまったショックというか、ダメージはあったのですが、結果的にその分全てのリソースを投下してこれまでと異なる映像ジャンルに集中してクリエーションすることになったので、そのあとにやる演劇は、そういう経緯を経た中で少しでも“変化”したところを見せられたら、と思って今作を書きました。

──湯川さん演じる地縛霊の夏子が住み着いた事故物件と、部屋を訪れた人が必ず修羅場になってしまう『とりわけ眺めの悪い部屋』をクロスオーバーさせる構成を楽しく拝読しました。彼女を主演に起用した決め手を教えてください。

山西 長久允(まこと)さんが監督されて、サンダンス映画祭ショートフィルム部門のグランプリを日本映画として初めて受賞した『そうして私たちはプールに金魚を、』(2017年)に、ひなちゃんが主演していたのを拝見したんですね。それで「素敵な雰囲気の役者さんがいるんだな」と思って、自分のワークショップに参加してもらいました。その様子を見て「夏子のイメージにハマるな」とオファーしたんです。

──湯川さんのどんな点が、夏子にぴったりだと思われたんでしょうか?

山西 夏子は、住み着いた部屋の主である一郎としか会話できません。一郎宅には彼の仕事関係者が飲みに訪れるんですが、幽霊の夏子は彼らと一郎の様子を黙って見つめている“眼差し”なんです。で、こう言ったら失礼になってしまうかもしれないですけど……ひなちゃんにもどこか一段、周りから“浮いて”いるような、夏子に通じる特別な存在感があって。そういうところが、幽霊みたいな役を演じるのに適しているというか、俳優としての質感が作品にぴったりだと感じました。

──夏子は会話の輪に加わることのできない、孤独な“眼差し”なんですね。湯川さんは本作が舞台初主演ですが、幽霊の役についてどのように受け止めていらっしゃるんでしょう?

湯川 舞台主演のお話を初めていただいたので、ドキドキしたことをよく覚えています。新しい挑戦はきっと自分を成長させてくれるだろうな、と思ってお引き受けしました。俳優の仕事は、自分が「やれるだろうな」と想像できる範囲の役をやるより、何かしら“壁”みたいなものが目の前にあった方がよい気がしているんです。そういう意味で地縛霊の夏子は私にとって大きな試練ですが、いろいろ思索しながら楽しく取り組ませてもらっています。

セリフ以外の“眼差し”が、主人公の本質を表している気がして

──地縛霊の夏子ってどんな人物でしょうか? 湯川さんの言葉で改めて教えてください。

湯川 まず生前のその人と幽霊になった時の意識は必ずイコールになるのかな、ってことを考えました。生前できなかった未練や後悔、隠れていた本質が幽霊になって表れている可能性もあるんじゃないか……とか。幽体と生きていた人、両方の性質を考えなきゃいけない気がしたんです。

──台本上、夏子の死因は明らかになっていませんし、なぜ幽霊になったのかも説明されません。そういう中で湯川さんとしてはイコールor not、どちらの路線で役を深めているんでしょうか?

湯川 生前と幽霊の夏子は「同じ人物ではない」という結論を出しました。一郎みたいに心を通わせた人は、たぶん生前いなかった。幽霊になって初めて人と心を通わせることができるようになったんじゃないかな、と想像して。一方で、生前の夏子はずいぶん大人っぽい人だったんじゃないかな……とも思いました。山西さんもおっしゃったように、彼女は周りを客観視する“眼差し”の持ち主なので。

──生前と幽体の夏子は別人格でありながらも、生前の名残みたいなものが見え隠れすることもある……ということでしょうか?

湯川 幽霊になって、夏子の時間は止まってしまいました。生きていれば29歳の一郎と同じくらいの年齢なのに、死んでしまった19歳の姿のままでいるしかない。その年にしては大人びている夏子の“眼差し”は、とにかく一郎や彼の部屋を訪れた人に注がれる、というか。

──切ないですね。夏子はどんな風に一郎や訪問者を見つめているんでしょう?

湯川 たとえば言い合っている二人がいても、その渦中にいる話者ではなく様子を見守っている人に“眼差し”を向けたりするんですよね。みんなが会話しているシーンで、もしお客さんが夏子を見ることがあった場合に「あ、どうして夏子はいまこの人を見つめているんだろう?」って別の視点を与えられていたらいいな、と思います。セリフ以外の反応が、夏子の本質を表している気がして。

──夏子は主人公ながら、コミュニケーションを取れるのは一郎に限られています。また怒涛の長ゼリフで物語の進行役を務める“狂言回し”的な側面も担っていますし、他のキャストと求められる役割が明らかに異なっていますよね。

湯川 そうですね。周りがエキサイトするぶん、夏子だけは感情的にならず、フラットな存在でありたいと考えています。その平坦なスタンスが物悲しく見えたらおもしろいのかな、と。

──いまお答えいただいたのは、山西さんの演出を受けて定まったことなんでしょうか?それとも、湯川さんご自身で考えたこと?

湯川 山西さんの台本を読んで受け取った印象をもとに、私が考えました。

山西 実はひなちゃんとは、役や設定について時間を設けてすり合わせをしたわけではないんです。なのに、ここまで高い解像度で夏子を捉えてくれていることが嬉しい。隣で聞いていて、僕がこの台本の中で夏子をどう表したいのか「きちんとわかってくれているんだな」と信頼度が増しました。

「きれいは汚い、汚いはきれい」なのが、愚かしくも美しい人間

──テーマの着想はどういったところから起こったのでしょうか?

山西 幽霊を主人公に、その眼差しを通じて人間を描く物語をやりたい……という思いはずっと抱えていました。ヒトならざる者の目で人間を見つめるからこそ、その生態がハッキリ浮かび上がることってきっとあるだろうな、と。それを夏子の“眼差し”に託しました。彼女は人間の汚さや愚かさを目の当たりにしますが、一方で美しいところも発見する。だから「やるせない」といいますか。

──人間の表裏を浮かび上がらせたい、と感じる理由は?

山西 この作品に限らず、僕が自分の創作物で目指したい地点はずっと一緒でして。演劇でも映像でも、伝え方に差はあれど、「きれい」と「汚い」が混在しているのが人間なのではないか、というところに向かっていると思います。シェイクスピアが『マクベス』の中で「きれいは汚い、汚いはきれい」と書いていたセリフは、自分にとっても大切な考え方です。

いちばんはじめにこの作品の企画書を書いた時に、養老孟司さんがインタビューでお話しされていた言葉を思い出していました。確か、トイレが汲み取り式のぼっとん便所から水洗に移行したタイミングで、土葬から火葬に変わったらしいんですね。で、養老さんはその流れを指して「人間が見たくないものを排除しようとしている」とおっしゃっていて。死体や老廃物といった、汚いけれど全人類と関わりがあって切り離せないものを、視野に入らないように追い払おうとしていると。たしかに現代でも、映りの悪い写真を加工して肌をキレイに整えたりしますよね。メイク用品も発達して、洋服のデザインもどんどん洗練されていく。自分自身もその影響下にあるな……と実感する一方で脳裏をよぎるのは「人間は、必ず汚い部分を含んでいる」という意識です。忘れたくないし、常に念頭に置いておきたいんです。

だから、物語において、陰惨な悲劇や楽しいコメディももちろんエンターテイメントとしてとても大切なものだけど、創作物がそこに特化した鮮烈なものだけになってしまったら、それは嫌だなと思って。なので自分は、そのあいだくらいにある、ちょっと気持ち悪いけれど、キレイで素敵なところも描かれている人間ドラマをつくっていこうかな、と。それは今回の『とりわけ眺めの悪い部屋』にも前面に出ているのではないかな、と思います。

──第一報出しのコメントで、山西さんは「ここ数年映像作品に携わってきたことで、逆に“演劇とは何か”ということを自分なりに捉え直すことができた」とおっしゃっています。具体的にどういったことに気づかれたのでしょうか?

山西 少なくとも自分にとっては、「演劇は言葉のプレゼンテーションに適した場だ」ということに改めて気づきました。僕にとって、映画という媒体は、ビジュアルが重なっていく“画(え)”によっての構築がしやすい場で。監督した『彼女来来』もできるだけセリフの少ない脚本にして、物語やテーマをビジュアルで語ろうという思いがありました。そこはやはり映像の特権的な強さな気がしていて。

それを経て演劇に戻り、夏子のモノローグが膨大になったのは……その反動かな、と(苦笑)。舞台に立った役者の生の肉体や、発する言葉が目の前にある。それだけの事実に感動してしまうのは、演劇特有の、強い武器だと思います。

──たしかに。つかこうへいさんの作品に登場する長ゼリフも聴けるどころか、圧倒されますもんね。『とりわけ眺めの悪い部屋』とつか芝居とでは、作風は大きく異なりますけど。それで、冒頭を夏子の長いモノローグにしたんですか?

山西 夏子のモノローグや訪問者たちの会話も、もともとは少し切ろうと思っていたんです。いっぱい書いて、俳優に読んでもらって要らないところを切ろうとしていて。でも実際に稽古場でやってもらったら「あれ、聴けるな」って。ちゃんと成立したんですよね。僕だけが受けた感触かな、と思って見ていたスタッフさんに確認してみたら「全然聞けますよ」「もっと長くても大丈夫」って。それで手応えを感じることができた。それを機に、調子に乗って「もっと書こうかな」って。結果、初稿より長くなっちゃったんですけどね(笑)

取材・文:岡山朋代 撮影:藤田亜弓

『とりわけ眺めの悪い部屋』
2021年11月10日(水)〜11月14日(日)
会場:浅草九劇
チケットぴあ:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventCd=2121704

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