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さいたまゴールド・シアターとわたし 第1回 蜷川幸雄がさいたまゴールド・シアターに託した思い

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さいたまゴールド・シアター(撮影:宮川舞子)

故・蜷川幸雄によって2006年に創設されたさいたまゴールド・シアターが、今年12月に最終公演を迎える。高齢者のプロ劇団として、数々のレジェンドを生み出してきたさいたまゴールド・シアター。本連載では、その足跡をさいたまゴールド・シアターゆかりのアーティストたちの言葉によってたどる。第1回は、さいたまゴールド・シアターをたびたび取材してきた演劇ライターの川添史子が、彼らの15年と9カ月に及ぶ歩みを振り返る。

文 / 川添史子

2006年、さいたまゴールド・シアター誕生

12月に最終公演を迎えるさいたまゴールド・シアターの活動を振り返るスペシャル企画として、さまざまな演劇人が、手がけた舞台や思い出についてつづるシリーズがスタートする。こちらではそのプロローグとして、集団がたどってきた驚くべき軌跡をざっと振り返ってみよう。

蜷川幸雄が埼玉・彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督に就任したのは2006年1月。演劇経験のない高齢者のプロ劇団を作るというユニークな構想のもと、さいたまゴールド・シアターは同年4月に発足──つまり蜷川が同劇場で真っ先に打ち出した目玉企画である。20人の枠に1200人超の応募が集まり、当初2日間の予定だったオーディションは「全員の選考に立ち会いたい」という蜷川の希望により15日間に延長。55歳から最高齢80歳までの48名が選ばれ、かくして平均年齢66.7歳の劇団が誕生した(年齢は当時)。

中間発表公演「Pro・cess~途上~」、 “Pro・cess2”「鴉よ、おれたちは弾丸(たま)をこめる」(清水邦夫作)を経て、彼らの最初の船出は岩松了の書き下ろし作品「船上のピクニック」(2007年)が選ばれた。その後ケラリーノ・サンドロヴィッチ作「アンドゥ家の一夜」(2009年)、松井周作「聖地」(2010年)と、気鋭の同時代作家による書き下ろし作品に次々と挑戦。作品の難易度が高ければ高いほど、そのハードルを乗り越えようとするエネルギーが放出され、彼らの実人生がゴツゴツと現れるような舞台は毎公演が演劇界をどよめかす事件となった。

活躍の場は海外へも

ゴールドの躍進は埼玉にとどまらない。世界のトップアーティストが参加する国際演劇祭「フェスティバル / トーキョー」には2009年、2014年に招聘。2013年には初の海外公演(パリ)と国内ツアー公演が実現した。中間発表公演でも上演された清水邦夫作「鴉よ、おれたちは弾丸(たま)をこめる」を新演出で立ち上げ、法廷という権力の場を、煮炊きをしたり洗濯物を干したりと“生活で占拠”していく老婆たちの過激でパワフルな姿は、海外でも賞賛を浴びる。同作は2014年、熱いオファーを受けて香港にも上陸。さらに、2015年に彩の国シェイクスピア・シリーズ第30弾×さいたまネクスト・シアター第6回公演として上演された「リチャード二世」は翌2016年、「クライオーヴァ国際シェイクスピア・フェスティバル」(ルーマニア)に招聘され、同フェスティバルのオープニングを飾った。

そのほかにも、「ザ・ファクトリー」と名付けられた実験公演や、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団の日本人ダンサー瀬山亜津咲との本格的なダンス作品「KOMA'」(2014年)を発表。2016年5月、蜷川亡きあともそのパワーは衰え知らず。埼玉から発信する世界最大級の大群集劇「1万人のゴールド・シアター2016」(ノゾエ征爾演出)にも参加し、公募で集まった約1600人の60歳以上の出演者の中でも“本家ゴールド・シアター”としてひときわ輝く存在感を示した。さらに、岩松了作・演出「薄い桃色のかたまり」(2017年)、岩井秀人構成・演出の番外公演「ワレワレのモロモロ ゴールド・シアター2018春」、国際舞台芸術祭「世界ゴールド祭2018」における2つの野外パフォーマンス……さいたまゴールド・シアター×菅原直樹 徘徊演劇「よみちにひはくれない」浦和バージョンと、さいたまゴールド・シアター×デービッド・スレイター「BED」(すべて2018年)、そして藤田貴大作・井上尊晶演出「蜷の綿-Nina’s Cotton-」リーディング公演(2019年)……などなど、さまざまな形態 / 劇作家 / 演出家の作品に精力的に参加してきた。

蜷川幸雄がさいたまゴールド・シアターに込めた思い

自分にとってゴールドの公演は毎回欠かさず足を運ぶ楽しみなものだったし、演劇ライターとして何度か取材もしている。2013年のパリ公演から帰国後すぐ、虎婆役の重本惠津子さん(当時87歳)と鴉婆役の田村律子さん(同73歳)に、劇中で一番好きなセリフを聞いたインタビューは印象深い。「(孫である若者に言う)“シャツを脱ぎな”です。あそこはサン・ピエトロ寺院の聖母子像(ピエタ)のようなイメージ。私は今、寄っかからないとちゃんと立てないんですけど、あそこだけは毅然と立って言おうと心に決めていました」(重本)、「“あなたには何も分かってない、女と言うものはすべてを分かって欲しいのよ”というセリフ。どうにかして言いたい!と思って演じていました」(田村)と、2人ともセリフと思いと身体をしっかり接続して届けようとしたことが伝わってきた(それにしても、イカすセリフを選んでくださったものだ!)。メンバー全員が戯曲の言葉を血肉にせんと格闘し、凄みと迫力が満ち満ちていた作品である。

蜷川は著書「演劇の力」の中でゴールドの目指す方向について「普通の職業的俳優たちの作るものとは違うんだということを明瞭にしたかった」と書いている。「ある種の知的階級の言語を使った自分の仕事を生活者の眼差しの中に置いてみたとき、ちゃんと成立しているのか。そう問い直したいという演劇的な衝動がぼくにはずっとあります。偉そうなことを言ってしまっている、といううしろめたさが常にある。舞台にメッセージがどうしても出てしまうわけですから、そのおこがましさをどうしても消したい」──観念から演劇を解き放ち、人間の根っこから表現を汲み上げようとした演出家の声が響く。

2014年、彩の国さいたま芸術劇場が開館20周年を迎えた年のインタビューでは、ポーランドの演出家タデウシュ・カントールの老人による劇団「クリコット2」による「死の教室」に言及しつつ「これとぶつからない、オリジナルのものができないかとずっと思っていました。(高齢者の劇団をつくるなら)はじめから前衛的なものという野心があった」と、長年の構想だったことを教えてくれた。「この集団(ゴールド)だけは、停滞しているのか、進化しているのか分からないんですよね(笑)。経験を積み活発になるけれど、老いが覆いかぶさってくる。それに“のたうつ”ことが劇に反映されると面白いと思っている」とも話していた。実験性が高い場で目指した純度の高い芸術性、作品からはみ出るメンバーたちの個人史や生活、押し寄せる老いとそれに抗うように「しかと存在しよう」とする生命力。これらすべてが演劇でクロスした作品は、奇跡的とも呼べるものだった。

彼らの姿が胸打つ理由

当たり前だが、結成から15年ということは、メンバーの年齢もプラス15歳ということだ。社会の端におとなしく生息するなんて“老後”をキッパリ拒む後半生を選んだ彼らは、なんと“恐るべき人たち”であることか。

この世に老いない人はいない。セリフが覚えられない、相手の声が聞き取れない、昨日できたことが今日できない、脚が、腕が言うことを聞かない、持病もあるし、家族の介護もある……彼らが演劇を続ける中でぶつかってきたのは、多くの人がいつか出くわす問題である。杖をつき、車椅子でも、なお世界を自分の身体ではっきり知覚しようともがき、舞台で“のたうつ”ことを選び続けた人たち──彼らの姿が、我々の胸を打ち、鼓舞する理由はここにある。

さいたまゴールド・シアター

2006年に埼玉・彩の国さいたま芸術劇場の芸術監督だった蜷川幸雄により立ち上げられた高齢者劇団。創設時の平均年齢は66.7歳。その後、岩松了、ケラリーノ・サンドロヴィッチら多彩なアーティストとのコラボレーションを行うほか、海外にも活躍の場を広げる。2016年に蜷川が死去した後も精力的に活動を行うが、12月に「水の駅」で活動を終える。