1400年にわたる太子信仰の世界を紐解く『聖徳太子 日出づる処の天子』、サントリー美術館にて開幕
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《如意輪観音座坐像》鎌倉時代 建治元年(1275) 奈良国立博物館
2021年は聖徳太子の1400年遠忌(聖忌)に当たる年。これを記念して、大阪・四天王寺を中心に太子ゆかりの寺院の品々を紹介する展覧会『聖徳太子 日出づる処の天子』が、11月17日(木)よりサントリー美術館で開催されている。2022年1月10日までの開催される本展では、国宝9件、重文33件が展示される。
推古天皇の摂政として冠位十二階の制定、十七条憲法の発布、遣隋使を派遣、仏教排斥派の物部氏との戦いに勝利するなど、あらゆる面でその能力を発揮した聖徳太子(574~622年)。太子はその類まれなる才能、実績、人徳から、人物でありながら日本仏教の祖として篤く信仰されるようになり、明治以降は多数のお札に肖像画として登場、1400年にわたって大きな存在で有り続けている。
本展では、太子が建立した四天王寺の寺宝を中心に、各地に点在する太子にゆかりのある品々を紹介。太子の足跡や、現在まで受け継がれている信仰の歩みをたどっていく。また、先に開催された大阪市立美術館の展示構成をアレンジし、太子信仰の関東地方の広まりについてより深く掘り下げた内容となっている。
第1章「聖徳太子の生涯―太子の面影を追って」では、各地の太子絵伝や、太子所用の伝承を持つ国宝《七星刀》など、太子ゆかりの品々を紹介していく。太子により創建された大阪の四天王寺では、奈良時代(8世紀)に太子の生涯を絵画化した「聖徳太子絵伝」が制作された。全6幅からなる絵伝では、太子の生涯とその偉業が細やかに描かれており、当時の人々が太子に強い信仰心を持っていたことをうかがうことができる。
信仰の対象となった太子は、ときには幼児、ときには青年、ときには観音の化身として、さまざまな様式で表現されるようになる。第2章「聖徳太子信仰の広がり― 宗派を超えて崇敬される太子」では、幼い太子の二歳像や童子像、摂政像などさまざまな姿の聖徳太子を紹介する。
聖徳太子信仰の拠点となったのは、太子自身が建立した日本最古の官寺、四天王寺だ。太子は仏教排斥派の物部守屋との戦いにおいて、勝利の際には四天王のために寺を建立すると誓いを立て、見事に物部氏を撃破。推古天皇元年(593)に大阪の地に同寺を作り、今日に至っている。
第3章「大阪・四天王寺の1400年 ― 太子が建立した大寺のあゆみ」では、戦禍や災害で何度も伽藍が失われたものの、人々の太子への厚い信仰により都度再興を果たしてきた四天王寺の1400年の歴史を、その名宝とともに紹介していく。
《四天王寺演技(根本本)》は、寛弘4年(1007)に、四天王寺内で発見された太子の真筆とされるもの。うっすらと手の形の朱印が押されており、聖徳太子の手であると伝えられている。
そして、第4章「近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ ― つながる祈り」では、近代から現代までの聖徳太子のイメージの変遷を紹介する。明治以降、聖徳太子は政治家としての側面がクローズアップされ、7種もの紙幣に肖像画が描かれた。笏を執り、ひげを蓄えている男性という聖徳太子のイメージ像が定着したのはこの頃だ。
そして、昭和に入ると太子を主人公とした山岸凉子のマンガ『日出処の天子』も大ヒットとなり、明治以降に定着しかけた聖徳太子のイメージはまた新しく上書きされるようになり、現在に至っている。
1400年という時間のなかで、さまざまな形で表現されてきた聖徳太子。この記念すべき年に、その偉業と、現在もなお人々に親しまれている信仰の世界を覗いてみよう。
【開催情報】
千四百年御聖忌記念特別展『聖徳太子 日出づる処の天子』
11月17日(水)~2022年1月10日(月・祝)、サントリー美術館にて開催
https://www.suntory.co.jp/sma/exhibition/2021_4/index.html
※会期中展示替えあり
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