Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
ぴあ 総合TOP > 過去から現代へ、言葉を紡ぎ必死に対話する人々描く 瀬戸康史主演『彼女を笑う人がいても』観劇レポート

過去から現代へ、言葉を紡ぎ必死に対話する人々描く 瀬戸康史主演『彼女を笑う人がいても』観劇レポート

ステージ

ニュース

ぴあ

『彼女を笑う人がいても』より、瀬戸康史  撮影:細野晋司

続きを読む

フォトギャラリー(14件)

すべて見る

演出家・栗山民也と、劇作家・瀬戸山美咲の初タッグによる舞台『彼女を笑う人がいても』が上演中である。描かれるのは、現代と1960年のふたつの時代。現代において東日本大震災の被災者を取材している新聞記者・伊知哉と、彼の亡くなった祖父で1960年の安保闘争を取材していた新聞記者・吾郎が、その中心にいる。両者を演じるのは瀬戸康史だ。被災者の取材が継続できなくなり、仕事に行き詰まりを感じた伊知哉が、糸口を探そうと祖父の取材ノートを開くと、その瞬間、伊知哉から吾郎へ、現代から60年へと変わるのである。演劇ならではのマジックによって、自然にふたつの世界へ引き込まれていく。

左から 阿岐之将一、木下晴香、瀬戸康史、渡邊圭祐

ふたりの新聞記者を観続けていくうちにやがて、時代は違っても、彼らが同じ苦しみを抱えていることがわかってくる。安保闘争が激化する中で命を落とした女子学生の死の真相を追おうとするも、新聞社の上層部が闘争の沈静化をはかろうとして阻まれる。東日本大震災の被災者の声はもう必要ないとばかりに連載を打ち切られ、配置転換させられる。本当の声が伝えられることはないのである。

左から 瀬戸康史、吉見一豊

だからこそだろう。登場人物たちは、必死の思いで言葉を紡ぎ対話する。舞台上にあるのは、ふたつのテーブルといくつかの椅子。あるときはテーブルを挟んで向かい合い、あるときは隣同士に座り、伊知哉が、吾郎が、誰かの言葉を聞き、自分も言葉を放つ。しかも、ひとりの役者がふたつの時代の人物を演じ分けて、伊知哉と、吾郎と、次々に話していくのである。過去の会話と現在の会話がつながっていくかのような不思議な感覚に襲われる。

左から 木下晴香、瀬戸康史

ストレートプレイ初出演となる木下晴香は、現代で被災者家族を、過去では、命を落とした女子学生の覚悟を尊敬しながらも運動に迷いを持つ学生を誠実に演じ、まさしく声なき声が聞こえてくるようだった。これが初舞台の渡邊圭祐の演じ分けも見事である。現代で演じた新人記者では、身体の置きどころが定まらないような様子で今どきの若者を軽やかに表現。一転、奉仕活動を行い運動を批判する過去の学生を演じるときには重さを感じさせ、その立ち姿は強い印象を残した。

左から 瀬戸康史、渡邊圭祐
左から 近藤公園、瀬戸康史

近藤公園が演じたのは、被災者家族の兄と、女子学生の死の究明に協力する議員。被災地で生きるつらさに消えてしまいそうな姿が切なかった。そのほか、阿岐之将一、魏涼子、吉見一豊、大鷹明良がしっかりと脇を固め、その中心に立つ瀬戸が、あえてであろうが、伊知哉と吾郎の演じ分けをすることなく、とにかくまっすぐにずっと舞台にいて、彼らの声を聞き、疑問や怒りをぶつけていく。報道とは何か。言葉の力は消えたのかと。

瀬戸康史

タイトルにある「彼女」とは、命を落とした女子学生のことを指している。彼女自身は出てこないが、彼女の周りでこんなにも格闘した人がいて、今につながっていく。言葉が軽んじられたり、言葉による真摯な訴えが冷笑されることも多い今、笑う人がいてもあきらめたくない。言葉の芸術と言われる演劇で、そう心を強くした。

取材・文:大内弓子 撮影:細野晋司

『彼女を笑う人がいても』
作:瀬戸山美咲
演出:栗山民也
出演:瀬戸康史 木下晴香 渡邊圭祐 近藤公園
阿岐之将一 魏涼子/吉見一豊 大鷹明良

2021年12月4日(土)~2021年12月18日(土)
会場:東京・世田谷パブリックシアターほか、福岡・愛知・兵庫公演あり

フォトギャラリー(14件)

すべて見る