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ぴあ 総合TOP > ぴあ映画 > 【特集】世界をトリコにする男塚本晋也

『ヒルコ/妖怪ハンター』配信開始記念!

【特集】
世界をトリコにする男
塚本晋也

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世界の映画人たちが、その一挙手一投足にアツい視線を送る男──塚本晋也監督。他とは一線を画す映画作りを貫いてきたこの異才の初期の野心作『ヒルコ/妖怪ハンター』が、満を持してデジタル配信でも楽しめるようになった! そこで今回は、同作をはじめとする塚本監督の配信中作品から、その魅力と変遷を振り返ってみたい。

※「塚」は正しくは右の部首の内側に「ヽ」が入る旧字表記。

タランティーノ、ブラピほか錚々たる面々も!
人々はなぜ、塚本晋也監督のトリコになるのか?

1989年の『鉄男』で衝撃的な映画監督デビューを果たし、1992年の『鉄男Ⅱ BODY HAMMER』で世界中の映画ファンや映画監督を熱狂させた塚本晋也監督。そのほとんどの監督作を監督だけではなく、脚本、撮影、特殊撮影、美術、照明、編集、出演を兼務する形で作り続けてきた彼は、孤高のインディーズ・フイルムメイカーでありながらも、世界が次作を期待する日本人の映画監督として知られている。

クリエイターや俳優の中にもファンは多く、あのクエンティン・タランティーノやダーレン・アロノフスキー監督(『ブラック・スワン』)も塚本の動向を常に気にしていて、『カノン』『アレックス』などのギャスパー・ノエ監督は「彼以上に自由で精力的な映画作家に出会ったことがないし、彼の超絶的遊戯スタイルはほかに例を見ない」(キネマ旬報社『塚本晋也読本・普通サイズの巨人』より)という賛辞を送っている。ブラッド・ピットも熱狂的な塚本晋也監督のファンのひとりだ。

それにしても、人々はなぜそれほどまで塚本晋也監督の作品の虜になるのだろうか? その答えとしてインパクトのある映像とパワフルな音響を挙げるのは簡単だが、それだけではない。塚本は己の肉体や脳で察知した“人間と変化する世界”との関係を、脳裏に焼きつくような、たたみかけるような映像で繊細に炙り出し、進化し続けるから、彼の映画を観た多くの人たちは心を揺らすのだろう。

そんな塚本監督の『鉄男』に魅了され、『悪夢探偵』(06)などに照明のスタッフで参加したのが『空白』『BLUE ブルー』などの𠮷田恵介監督。昨年の東京国際映画祭のQ&Aでも、「塚本監督のどこが素晴らしいのか?」と聞かれた際に「誰が監督か知らずに観ても、塚本監督作品だと分かるオリジナリティがあるところに憧れます」と答えている。また、『双生児』(99)や『悪夢探偵2』(18)のキャストでもある漫画家&小説家の内田春菊は、「塚本さんって、日本映画界では珍しく、女をちゃんと描ける監督さんだと思う」(同前)と評価。池松壮亮に至っては、自分から大好きな塚本監督と会いたいと願い、それが結果的に『斬、』(18)の主演に繋がった。

果たして、ファンも同業者も魅了する塚本晋也はこの先どこへ向かうのか? うねりをあげながらデカくなっていく塚本ワールドが、今後もブレることなく、時代の要請に則した“衝撃”を私たちのもとに届けてくれることだけは間違いない。

満を持してデジタル配信開始!
『ヒルコ/妖怪ハンター』(1990)

伝奇SFファンタジーの大家・諸星大二郎のコミック『妖怪ハンター』を大胆な解釈で実写化した、塚本晋也監督の『鉄男』に続く劇場映画第2作。同時に塚本のメジャーデビューを飾った本作は、亡き妻の兄からの手紙で彼女の故郷の村を訪れた異端の考古学者・稗田礼二郎が、行方不明になったクラスメイトの月島令子を探す中学生のまさおと一緒に学校に忍び込み、そこで恐ろしい妖怪ヒルコに襲われるジュブナイルホラーだ。

映画化に当たって塚本は、原作コミックの名編のひとつ『海竜祭の夜』をベースに、そこに『黒い探究者』『赤い唇』の要素も絡めて物語を再構築。カルト的原作ファンの凝り固まったイメージを払拭するように、コミックではクールな佇まいの稗田をあえてビビりで三枚目のキャラクターに変え、この役を沢田研二に軽妙に演じさせているのが面白い。

さらに妖怪を誘い込むワナも“ごきぶりホイホイ”みたいだし、妖怪探知機もオモチャみたい。キンチョールでヒルコを追い払ったり、ガラス窓の向こうから死体が覗いたりするお化け屋敷みたいな世界観や特殊な役になりきった竹中直人、キモ可愛いヒルコの造形には塚本監督の遊び心が伺えて、怖いけれど、楽しい仕上がりになっている。

自らのオリジナル脚本を映画化することが多い塚本監督のフィルモグラフィの中では、この『ヒルコ/妖怪ハンター』は確かに特殊な位置づけの作品なのかもしれない。原作モノの映画化は長編では『双生児』(99)と『野火』、そして本作の3本のみ。撮影を完全に他人の手に委ねているのも大きな違いだが、塚本監督が当時掲げていた“肉体”や“暴力”、閉ざされた“空間”のテーマ、生と死をめぐる世界観は本作でも息づいていて、高速で走るヒルコの目線のショットにも塚本イズムが継承されている。

それでいてコミックの恐怖を塚本なりの解釈でアレンジした本作は原作ファンにも好意的に受け入れられ、原作者の諸星大二郎もその斬新なクリエイトを高く評価。ヒロインの令子を演じた上野めぐみが歌う甘美な挿入歌『月の夜は』は、一度聴いたら忘れられなくなるものになっている。

塚本監督から、配信開始についてよろこびのコメントが!

テレビドラマから国内外の大作映画まで
塚本晋也、俳優としての顔

塚本晋也監督は、多くの映画やテレビドラマでさまざまな役柄を演じる俳優としての顔も持っている。それこそ、俳優の塚本しか知らなかった人もいるかもしれない。

そもそも塚本は、ほぼすべての自身の監督作に出演。さらに『我が人生最悪の時』(94/監督:林海象)では目つきの怪しいヤクザ役を、『殺し屋1』(01/監督:三池崇史監督)では主人公を操る“ジジイ”役を、『とらばいゆ』(01/監督:大谷健太郎)では棋士の妻を優しく見守る夫役を演じ、後者の2作で毎日映画コンクール男優助演賞も受賞している。

その演技力の高さは、NHKの連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』、『カーネーション』『半分、青い。』『おかえりモネ』の4作に出演していることでも明白だ。『シン・ゴジラ』(16/監督:庵野秀明)の生物学者役も独特の存在感だったし、端役のオーディションを受けた『沈黙-サイレンス-』(16)ではマーティン・スコセッシ監督の目にとまり、物語の鍵を握る隠れキリシタン役を怪演! 脳裏にいつまでも焼きつく表情と芝居、迫真が、俳優・塚本晋也の唯一無二の魅力と言えるだろう。

今こそ配信でじっくり楽しみたい!
塚本晋也監督ならではの才が光る作品たち

『電柱小僧の冒険』(1987)

背中に電柱の生えた少年が近未来で鉄の吸血鬼軍団と戦う、オフビートの異色ヒーローファンタジー。塚本監督によるオリジナルの同名舞台劇を、その美しいセットを流用する形で8ミリフィルムで映画化。

面白くて、観客がジェットコースターに乗ったような同時体験ができるような映画を目指した本作は、被写体をひとコマ撮ってはちょっとずつ動かす“コマ撮り”の手法を駆使したスピーディな仕上がりに。8ミリフィルムでの限界を極めた塚本監督自身も大満足の完成度で、金属と肉体の融合、両面テープなどで創造したジャンクな美術、圧倒的な熱量でたたみかけるエネルギーの放出などその後の塚本ワールドの原型がいくつも見受けられる。

エンディングテーマは、ばちかぶり(田口トモロヲがボーカルを担当していたパンクバンド)の名曲『オンリー・ユー』。1988年度のぴあフィルムフェスティバル(PFF)でグランプリを受賞。審査員のひとりである大島渚監督も絶賛した。

『鉄男』(1989)

第9回ローマ国際ファンタスティック映画祭でグランプリを獲得し、塚本晋也の名を一躍世界に知らしめた最初期の代表作。1986年の8ミリの短編をベースに、肉体が鉄に侵食され、ペニスまで金属ドリルになってしまった男の壮絶な戦いをメタリックな美術と音響、『電柱小僧の冒険』と同じ“コマ撮り”の手法を取り入れて描いた壮大なメタル・サイキックムービーだ。

当初は8ミリで撮って16ミリにブローアップする予定だったが、デレク・ジャーマン監督の白黒映画に触発された塚本監督は、鉄の白と黒と銀の世界を描く本作を全編16ミリの白黒で撮ることを決断。人間は鉄筋コンクリートの中でセクシャルに野蛮化するという、当時の塚本作品の「都市と肉体」のテーマも開始される。

主演は田口トモロヲ。塚本作品には欠かせない音楽の石川忠もこの作品から参加。主人公に轢き逃げされ、その事故で頭に金属片が刺さってしまった復讐に燃える“やつ”を塚本自身が怪演している。

『鉄男Ⅱ BODY HAMMER』(1991)

「規模の大きな映画を作りたい」。塚本監督がそんな想いを胸に、単なる続編ではなく、『鉄男』のモチーフをよりグレードアップさせたまったく新しいストーリーで描いたパート2。

当初はPFFスカラシップ(PFFアワード入賞者による企画コンペで選ばれた監督のオリジナル作品を、企画開発から製作、劇場公開、DVD発売までバックアップするシステム)で撮る予定だったが、企画にゴーサインがなかなか出ず、一般公募による60人のスタッフと、なんとか工面した資金による自主制作で撮影に入る。だが、途中から参入した東芝EMIが巨額の製作費を出してくれたおかげで、塚本監督がやりたかったことをほぼすべてクリア。廃工場などで撮影された濃密な1500カットもの映像が、暴力的な音響と編集で観客に襲いかかる体感型映画のスタイルを作り上げた。

主演は『鉄男』に続いて田口トモロヲ。“やつ”もさらに狂気を増した塚本監督自身が体現。ラストを飾る布袋寅泰の『MATERIALS』も刺激的だ。

『TOKYO FIST東京フィスト』(1995)

『鉄男Ⅱ BODY HAMMER』で極めた塚本監督の「都市と肉体」のテーマに、別設定で迫ったバイオレンス・ラブストーリー。

現役のボクサーだった塚本の実弟・耕司の話と斎藤久志監督(原案)のアイデアを融合させた本作には、それまでの作品と違ってSF的な要素はない。だが、ボクサーの友人に恋人を奪われたサラリーマンが復讐のために通い始めた東京のジムで原始的な本能に目覚め、彼の恋人だった女性がボクサーの強靭な肉体を目の当たりにしてから無数のピアッシングと刺青をすることで野生の血を覚醒させていく、『鉄男』2作にも負けない怒涛の展開は、圧倒的で超ハイテンション! 観る者にも痛みを共有させ、塚本が唱える「都市と肉体」論をより生々しく際立たせている。

主演の塚本監督は本作のために1年間ボクシングジムに通ったという逸話も。共演は藤井かほり、竹中直人などで、元世界チャンピオンの輪島功一も出演。サンダンス・フィルムフェスティバル・イン東京でグランプリに輝いた。

『BULLET BULLET/バレット・バレエ』(2000)

恋人の拳銃自殺をきっかけに銃に魅せられていくCM制作会社の社員(塚本晋也)を中心に、生と死、愛と絶望の狭間でもがく人々を塚本監督ならではの鮮烈な白黒映像で活写したバイオレンスムービー。

中年世代とジェネレーションX世代の戦争、埋められない距離、それぞれの世代の孤独や苦悩に肉迫した本作では、実際にオヤジ狩りにあった塚本の実感も反映されている。また、“拳銃映画”の側面もあるこの映画をリアルなものにするために、塚本は撮影前にサイパンの射撃場で実際に拳銃を撃ち、その感触を身体に覚えさせた。

拳銃自殺する恋人を鈴木京香が演じ、不良グループのボスを当時BLANKEY JET CITYのドラマーだった中村達也が初めての演技ながら異様な存在感で体現しているのも見逃せない。さらに、井筒和幸監督がオヤジ狩りにあう中年男に扮していることにも驚く。

1998年のヴェネチア国際映画祭でのワールドプレミアを皮切りに、25の映画祭で上映され、世界中で脚光を浴びた。

『六月の蛇』(2002)

セックスレスの夫婦とその妻を脅迫する末期ガン患者のストーカーによる、歪んだ性愛を描いた官能ムービー。塚本監督自身が「出発点であり、ひとつの到達点」と公言する本作は、20代前半の塚本が閃いた“雨がずっと降っている6月を舞台に、ストーカーにむちゃくちゃにされた夫婦が最後は幸せになる”という20年間温めてきたシンプルなアイデアがベース。

自慰、脅迫、盗撮をめぐる禁断の欲望という新たな領域に踏み込んでいるように見えて、肉体の痛みと死の匂いを伴うエロティシズムは確かに塚本ワールドの真髄であり、進化した形と言えるだろう。土砂降りの雨の中で自慰行為に走るヒロインを演じた黒沢あすか(『冷たい熱帯魚』)がとにかくセクシーで、目が釘づけになる。

塚本監督に独特な所作を見初められたコラムニストの神足裕司が夫役を演じ、塚本がストーカーの男を体現。第59回ヴェネチア国際映画祭では第1回コントロコレンテ部門審査員特別大賞を受賞した。

『ヴィタール』(2004)

「都市と肉体」「テクノロジーと人間性」などの対比をテーマに、都会で生活している“生きている実感”をなくした人たちの悶々とした喘ぎを描いてきた塚本監督が、そのテーマにピリオドを打って挑んだ野心作。

交通事故ですべての記憶をなくした医学生(浅野忠信)が解剖実習にのめり込み、現実と記憶、肉体の魂の狭間を彷徨う姿が描かれるが、塚本が本作で表現したかったのは「主人公が目の前に置かれた“肉体”という“自然”を見つめるうちに、肉体のトンネルをくぐり抜け、巨大な自然の世界に飛び抜けていくところ」。それには、塚本に子供ができたことや実母の意識が混濁してきたことが影響している。生と死が隣り合わせにあるということを普段の生活でまざまざと見せつけられ、人間の意識のありかについて考えたことが反映されているのだ。

この「人間と大自然」のテーマは、本作の直後に撮りたかったものの、実際の着手は10年後になった『野火』に受け継がれている。

『HAZE』(2005)

『鉄男』(89)と同じ時期からあった置き去りにしていたアイデアを、韓国のチョンジュ映画祭の“三人三色”というプロジェクトへの参加がきっかけで映画化した短編。撮影から編集、仕上げ、上映のすべてをデジタルで行った初めての塚本作品で、ストーリーらしきものは特にない。

塚本の演じる主人公が身動きがとれない“人型地獄”で目を覚ますところから始まったと思ったら、“歯の地獄”“くの字地獄”“水地獄”などなど塚本自身がイヤだと思う、痛くて苦しい悪夢的な状況が連続! その荒々しい狂暴なタッチは『鉄男』にも通じるが、主人公や彼が途中で出会う女(藤井かほり)がただ苦しむ弱い人間ではなく、生命力に溢れているところに、『ヴィタール』の後に本作を撮った塚本の進化が感じられる。

すべての地獄から解放された後に広がる、抜けるような青空も印象的だ。それは、次のステージに向かう塚本の強い決意を示しているようでもあり、この上なく清々しい。

『野火』(2014)

市川崑監督が1959年に映画化した大岡昇平の同名小説を、高校時代に原作と出会い衝撃を受けた塚本晋也監督が、20年の構想を経て再映画化。日本軍の敗戦が色濃くなった、第二次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。結核を患った田村一等兵とかつての仲間たちが、空腹や孤独と戦いながら“戦場”という極限状態の中で次第に狂気を帯びていく。

そんな本作に、日本が実際に戦争を起こしかねないという空気を察知した塚本監督が“今撮らなければ!”という強い決意のもと低予算の自主製作で着手。異常なほどやせ細った田村に塚本自身が約7キロの減量でなりきり、最小限のスタッフでフィリピン・ロケも敢行した。

塚本監督がそこまでして描きたかったのは、誰もが戦争で加害者になってしまうという状況や、美しい大自然の中で人間が命を落としていく不条理、戦争が終わっても心にできた傷は絶対に消えないという恐ろしさだ。共演はリリー・フランキー、中村達也、森優作。

『斬、』(2018)

江戸時代末期の農村を舞台に、時代の波に翻弄される浪人と彼と関わる人々の姿を通して生と死の問題に迫る塚本晋也監督初の時代劇。塚本監督が35歳のときに思い浮かべた“1本の刀を神妙に見つめる若い浪人”のイメージに基づく本作は、『野火』で描いた“戦争”をよりシンプルに視覚化したもので、『野火』同様、本当の暴力はすごく恐ろしいものであるということを訴える。

主人公の浪人を池松壮亮、隣人の農家の娘を蒼井優が演じたが、彼らの人生がひとりの剣豪(塚本)の登場で大きく変わっていく。ラストシーンを後味の悪いものにすることも、この作品における塚本監督のテーマだった。『野火』のときは「今にこうなるよ」という“警告”だったが、ここではそれが「もう手遅れだ~」という悲痛な叫びに。そのメッセージを受け取ったギレルモ・デル・トロ監督(『シェイプ・オブ・ウォーター』)は、「伝統と新しさの共存。美しく、力強い作品だ」と絶賛している。

Text:イソガイマサト

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