“過去の追体験”から“震災以降の未来を読み解く手段”へ 朝ドラで描かれる“戦争”の変遷を辿る
映画
ニュース
NHKの連続テレビ小説(以下、朝ドラ)『まんぷく』が放送されて1カ月が過ぎた。インスタントラーメンを生み出した日清食品の創業者・安藤百福とその妻・仁子の半生をモデルとした本作は、ヒロインの今井福子(安藤サクラ)がホテルに就職する場面からスタートする。
時代は昭和13年。物語はホテルの電話交換室で働く福子が後に夫婦となる立花萬平(長谷川博己)と話す場面からはじまり、二人の日常を描く一方で、じわじわと庶民の生活に戦争の影が忍び寄ってくる姿を描いていく。
脚本は『HERO』(フジテレビ系)などで知られる福田靖。平均視聴率は序盤から好調で、朝ドラのセオリーに従った安定した作りとなっている。
ここで言う朝ドラのセオリーとは何か? それは、戦前・戦中・戦後を舞台にした女性の一代記ということだ。中でも第二次世界大戦末の戦時下を描くことは、朝ドラの大きなモチーフとなっている。
1961年に朝ドラがスタートした際、メインターゲットの視聴者だった主婦層には戦争体験者が多く、まだ記憶として生々しかったため、彼女たちの共感を呼ぶドラマを作るうえで戦争の描写は必然だったのだろう。その流れは現在も続いているが、同世代的な体験として戦争が描かれていたのは、1983~84年にかけて放送された橋田壽賀子脚本の『おしん』がピークであり、それ以降は過去作をなぞった縮小再生産となり、朝ドラ自体が時代とズレたものになっていく。
1991年の『君の名は』は戦時下を舞台に恋人同士のすれ違いを描いた作品で、かつてはラジオドラマで話題となった作品だったが苦戦し、視聴率は朝ドラ歴代で最低(当時)だった。
その後、朝ドラからは戦争というモチーフは徐々に後退していき、内館牧子脚本の『ひらり』や大石静脚本の『ふたりっ子』など、現代を舞台にしたトレンディドラマのテイストを朝ドラに移植したような作品がヒットするようになる。
その傾向は2000年代も続き、戦争を描かない現代モノの朝ドラが増えていくのだが、2010年代に入ると再び変化する。
転機となったのは2011年に放送された岡田惠和脚本の『おひさま』だろう。
筆者は『おひさま』放送前に岡田にインタビューしたのだが、いわゆる戦後民主主義的な事後的な視点ではなく、当時、日本の戦争は正しいと思って、日本が勝つことを信じていた国民学校の教師の視点から当時のことを描きたいと語っていたのが印象深かった。
こういったニュートラルな視点から戦時下を描こうという試みは、次クールの渡辺あや脚本の『カーネーション』でも続いている。
同時に変化していくのがヒロインの描かれ方だ。かつての朝ドラヒロインが、現在の視点から戦争に対する違和感を表明する戦後民主主義の理想を体現するような女性だったのに対して、『カーネーション』の糸子(尾野真千子)や森下佳子脚本の『ごちそうさん』のめ以子(杏)も、当時の生活感をしっかりと持ったヒロインであり、戦争に対する違和感は、物資が減って生活が困窮していくという過程として描かれていく。これは『まんぷく』にも引き継がれている。特に印象的だったのは、歯医者の牧善之介(浜野謙太)が登場する度に乗っていた白馬・蘭丸が軍馬として供出されていなくなっていたという場面。本作が持っているコミカルさの象徴だっただけに、白馬の欠落は、逆に戦争の深刻さを実感させられた。
こういった戦争観のアップデートが結果的にできたのは、脚本家の年齢が戦後生まれで、良くも悪くも直接的な戦争体験を持たないからだろう。
同時に思うのは、今の朝ドラにおける戦時下の描かれ方、つまり関東大震災を経て、第二次世界大戦へと向かっていく日本の流れを見ていると、2011年の東日本大震災を経て、2020年の東京オリンピックという未来へ向かっていく空気と重なって見えることがとても多い。これは朝ドラではないが、宮崎駿のアニメ映画『風立ちぬ』や、片渕須直のアニメ映画『この世界の片隅に』にも、同じことが言える。
逆に、現代を舞台にした朝ドラである『あまちゃん』と『半分、青い。』における東日本大震災の描写は、過去の朝ドラにおける戦争と重ね合わせて見ることが可能だろう。
ちなみに、上述した岡田へのインタビューは東日本大震災が起きた直後、ドラマの放送どころか日本自体がどうなるかわからないという緊迫した状況でおこなわれた。当時は原発事故の影響を恐れて“疎開する”という言葉がふつうに飛び交っていた。
空襲を避けて防空壕に避難して暗闇の中で過ごすという戦争ドラマでは、定番のシーンは、計画停電を思い出させた。こちらが過敏になっていた面は大きいが、戦時下の空気感を描こうとした『おひさま』は、岡田の意図を超えたところで、震災以降の日本の空気とシンクロしてしまったのだ。
この傾向は今も続いている。朝ドラで描かれる戦争は、過去の追体験とは違う、震災以降の未来を読み解く手段として描かれることで現代性を獲得したのだ。
(成馬零一)