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池松壮亮×松居大悟監督『君が君で君だ』対談 気鋭の俳優と監督が追いかけた尾崎豊の姿

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リアルサウンド

 松居大悟が監督・原作・脚本を務めた映画『君が君で君だ』が、7月7日より公開されている。本作は、好きな女の子の“大好きな人”になりきって、10年間彼女を見守ってきた3人の男たちの愛の結末を描くラブストーリー。『息もできない』のキム・コッピが演じるヒロイン・ソンを「姫」と影で慕う3人、“尾崎豊”に池松壮亮、“ブラッド・ピット”に満島真之介、“坂本龍馬”に大倉孝二がなりきって見守る、愛の行く末を描く。

【写真】『君が君で君だ』池松壮亮が髪の毛を食べる?衝撃シーン

 リアルサウンド映画部では、『私たちのハァハァ』や『自分の事ばかりで情けなくなるよ』などこれまでも多くタッグを組んできた監督の松居と俳優の池松にインタビュー。2人の尾崎豊に掛ける想いから、衝撃なシーン満載の本作の裏側について聞いた。

■松居「長年の戦友でもあるので、彼と戦えたら」

ーー松居監督が長年温めていたラブストーリーの本作、監督にとって初のオリジナル映画になりました。

松居大悟(以下、松居):制作会社に呼び出されて、「こういう原作どうですか?」と相談を受けるとき、「うーん、これは難しいけど、実はこんな企画があるんです」といつも自分のオリジナル企画を出していたんですけど結局はじかれて、オリジナルで映画を作る難しさを感じていました。だけど今回、東映ビデオさんが「面白い」と言ってくれて、台本を突き詰めていって、「ちょっとキャスト当たってみましょう」と前向きに動き始めることになり、池松くんがいいなと。勝負作だからというのもありますし、長年の戦友でもあるので、彼と戦えたらなと思いました。

ーー池松さんは初めてこの企画を聞いたとき、どうでしたか?

池松壮亮(以下、池松):松居監督とは映画だけではなく、舞台もドラマもPVも、これまで何度もいろんなこと一緒にやってきました。松居監督からこのタイミングでオリジナル作品をやりたいという話を聞いて、内容はハチャメチャだしすごく破綻しているし、アプローチとしてはちょっと過激だなとも感じましたが、見つめようとしているものはすごくピュアなものだなと。オリジナルと言っても、その人らしいものを描けなければ、作る意味もなくなってくると思うんです。だけど本当に松居監督らしい題材だったし、僕自身も、尾崎豊さんにわりと影響を受けてきた人生なので、やってみたいなと思いました。

ーーこの作品に出てくる偉人、尾崎豊、ブラッド・ピット、坂本龍馬の3人はどのように決めたのでしょう?

松居:最初に頭に浮かんだのは尾崎豊でした。あとは時代や国境なども超えて、同じ空間に存在できない3人にしたいなと。僕は尾崎豊にすごく影響を受けていて、憧れの人だったので、やっぱり自分にとっての“スター”がいいなというのも一つの指針でしたね。尾崎豊の次は、海外スターとして「ブラピ」という響きが面白いなと思ったりして。

池松:おもしろいですか?(笑)

松居:最初はそう。「ブラピ」って言ってる感じが(笑)。

池松:怒られるよ、ブラピファンに。もうちょっとちゃんと言っておかないと。

松居:(笑)。要は全部好きだからこの3人にはしているんですけどね。僕はその人たちの生き様とか人生を描きたいのではなくて、その人たちになろうとしているんだけどなれないという悲哀や滑稽さがすごく人間的で好きなんです。虚構と現実の狭間の作品にすごく興味があって、それで本人役というのを映画『アイスと雨音』だったり、『バイプレイヤーズ』(テレビ東京系)でやっているんです。本人が本人役をやることによって、作られた完全なる役を演じるドラマよりも、説得力がある物語ができるんじゃないかなと。今回はその逆で、3人の男が、尾崎、ブラピ、龍馬になろうとするんだけれども、どうしてもなれない。なぜなら、国籍が違う、そもそも人が違う、時代が違う、生まれてきた環境が違う……という感じで絶対的に無理だから。けれども、“なろうとしているなれなさ”がすごく愛おしくて、物語を強くさせるはずだと考えました。

■池松「尾崎豊さんの表現みたいなものが身体中に流れている」

ーーその中でも尾崎豊になろうとしている男に池松さんをキャスティングした理由は?

松居:尾崎豊というより、この作品の真ん中にいて、愛を全うする男として池松壮亮にお願いしました。やっぱり、「人をここまで愛することができるか」とか「人に気持ちを伝えることが愛ではないんじゃないか」とか、僕のやろうとしているテーマに対して、誰よりも信用を持って一緒に走れると思ったからです。もちろん、単純に自分が描いているよりも、突き詰めたところにいってくれるとも思いました。

ーー2人は尾崎豊にどのような影響を受けてきたのでしょうか?

池松:最初、松居さんは“尾崎豊の映画”を作るんだと思っていて、それで引き受けたら全然違ったから、ちょっと話が違うんじゃないかなと思ったりもしたんですけど……(笑)。90年生まれの僕が2歳のとき、92年に尾崎豊さんは亡くなられています。保育園の頃、父親と「僕が僕であるために」を大合唱しながら通うのを何年間もやっていたんですけど、当時、父親は上手くいかないことが多かったようで、この歌を歌いながら自分を奮い立たせていたというのを後から聞いたんですよ。そんなこともありながら、おそらく僕が初めて歌を知ったのが尾崎豊さんの「僕が僕であるために」。それ以来、家で何度も聴く機会がありましたし、小中高の頃もずっと耳にしていました。尾崎豊さんの表現みたいなものが身体中に流れていて、だいぶ影響を受けているんです。僕と同じように尾崎豊さんに影響受けている人たちの中で、グラフにしたらものすごい枝葉の下の方にいる僕たちが、いろんなところを通って、当時のことは分からないけれども力を借りて、映画としてさらに自分たちの表現に持っていく。尾崎豊さんが見つからなかったこと、見つけられなかったこと、ずっと探し求めて見つからなかった、愛するとは何かということを、今回は映画でやろうとしているのが面白いなと思いましたね。

松居:僕は歌詞の1割も理解はできていないのですが、多感な時期にずっと聴いていました。「この人みたいに生きたい」という憧れだったり、自分ができないことを軽やかに歌っていたりするスターに見えて、かっこよかった。他のアーテイストも聴いていましたけど、尾崎豊を聴くときはちょっと自分のモードが違って、無敵になれた気がしました。

■池松「ああいう瞬間に出会うたびに、なんで俳優になったんだろうと思います」

ーー作品の中では衝撃的なシーンがいくつもありました。特に池松さんが女性の下着姿で踊るシーン。あれはどのように演じられたのでしょうか?

池松:これ着てくださいって言われて……やっぱり、ああいう瞬間に出会うたびに、なんで俳優になったんだろうと思います。嫌ですよ。あんな姿を一応全国に晒すわけですから。

松居:あ、そう。恥ずかしかった?

池松:ええ。

松居:あ、すいません。

池松:2度とやりたくないです。

松居:すごい良いシーンなんですけどね。あのシーンあたりが、作品として伝わりやすいところだと思っています。「好きだ」とか「愛する」とかって、結局その人と一緒にいて、同じ時間を共有することが正しいとされているけれど、その人自身になりたいということも僕はあったので。そういう「愛する」形もある気がしていて。

池松:頷いていますけど、本当に分かるんですか?

ーー……いや。池松さんはどうでしょうか?

池松:僕は全く以って未だに理解できないんです。「同化したい」って思ったことありますか?

ーーいや、ないですね。

池松:ないですよね、異性ですよ。

松居:あ、そう?

池松:単純な憧れとかじゃなくてですよ。

ーー松居監督はなりたいと思ったことがありますか?

松居:(頷く)……いやいやいや、こんなこと言えないですよ。

池松:なんでさらっと言うかな。

松居:取材だからだよ。

松居「食べれないですかね。食べない?」

ーーもう一つ衝撃的だったのが、やっぱり髪の毛を食べるシーン。

松居:「同化したい」という行動の延長線上にあることで、その人になりたいということは、つまり、その人の全てを受け入れる。それは理解できるじゃないですか。その人だったら汚いものもきれいに見れるとか、その延長線上に「その人になりたい」があって、その人になりたいということは、「食べれる」でしょ。

池松:「食べれるでしょ」じゃないでしょ(笑)。食べないでしょ。

松居:食べれるんじゃないかな。

池松:「食べれるんじゃないかな」じゃないでしょ(笑)。

松居:すごい筋通ってると思ったんですが、通ってない? 食べれないですかね。食べない?

池松:食べないですよね。

松居:好きな人の髪の毛食べ……

ーーないですね。

松居:いやいやいや(笑)。閉じたな(笑)。

ーー池松さんはそのシーンをどのような心境で演じていたんですか?

池松:本当の人毛ですからね。

松居:食用の毛を用意するかって言ったら「そんなのいらない」って言って。

池松:言ってないんですけどね。撮影前にリハーサルとか本の打ち合わせとかで議論する時間を作ってもらったんです。3日間くらい、白熱しすぎて朝になるみたいな日を松居さんと過ごしまして。この映画をどうするべきかとかという話をずっとしているんですけど、そのときにおそらく、夜中の本当に疲れた頃、松居組名物の助監督に「この髪の毛を食べるシーンどうされますか?」って聞かれて、僕が「食べれるやつじゃなくて、人毛でいいから、俺が人毛食ってやるから」って言っちゃったらしくて。でも、僕、絶対に言ってないと思っていて、現場で喧嘩になりましたね。

松居:言った言ってないの喧嘩でしたけどね。でも、そのときは現場にはもう食用の毛はなかったので。

池松:助監督に「あなたが食べるって言ったから人毛を用意しました」って言われて、「普通俳優にそんなことをやらせるなんておかしいです」って。

松居:いや、言ってたの。それは、俺も知ってる。

池松:キレましたね。

■松居「自分が信じたいなというものを作りました」

ーー尾崎をはじめ、3人とも異常な行動が多いと思うのですが。

松居:異常でしたか?

ーーいや……はい。自身が演じた尾崎含め、3人の行動から何か感じるものはありましたか?

池松:はっきり言って、共感はないです。僕はこんなことしないし、ちょっと分からない行動がたくさんあるけれども、この映画に漂うものに関して、ほんの少しだけ“身に覚え”を感じるんですよね。人を好きになることや愛することは、僕も俳優なのでわりと考えてきた方だと思っていますし、自分ではものすごくロマンチストだし情深い人間だと思って27年間過ごしてきたんですけど、突然「好きだから同化したい」とか「好きだから食べる」とか言われると、価値観が揺らぐんですよ。そういうものに対して共感とは言えないけれども、この3人を見ているとどうしても切なくなって、自分が演じたいというか、自分なら演じられるんじゃないかと思いました。

松居:共感というより提案ですね。こういう愛し方をするやつもいるし、僕はこういう愛し方をする人を愛おしいなとも思う。でもこれが理解されないことだとも、もちろんわかっているんです。映画って、全員が右を向いたり、左を向いたりとか、全員が笑ったりするものじゃなくてもいいと思っていて、声出せない人が声出したりすることもあっていいと思うし、そういう表現に救われてきたからこそ、自分が信じたいなというものを作りました。

ーー監督にとって俳優としての池松壮亮はどのように映っているのでしょうか?

松居:外から見ていると、それぞれの作品の雰囲気の中に上手く存在していて、本人を感じさせずに作品にのめり込ませることができるのは、俳優としてすごい力を持っているなと思います。作品を一緒にやっているときは、「俳優・池松壮亮と一緒に」というよりも、「一緒に作る仲間」という意識の方が強いです。特に本作に関して言えば、結構コアなこと、話していても伝わりづらいことをやっているので、やり合うこともあるし、やり合ったから生まれるものもたくさんありました。

ーー池松さんにとって、松居監督はどんな存在ですか?

池松:20歳のときに出会って、出身も一緒で、例えば同じ尾崎豊さんが好きだったり、同じ映画を好きだったり、年が5個くらい違うけど、どこかに同時代性みたいなものを感じていて、同じような景色を見てきたんじゃないかなとも感じます。そして、これだけ関わるということはやっぱり、僕は松居監督の作品が好きなんです。松居大悟応援団長みたいな気分でもあるし、松居さんが作品を作るたびに、自分が関わっていなくとも、世の中に届いてほしい何かが一つある。いろいろひっくるめて、自分にとって貴重な存在です。

(大和田茉椰)