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斎藤工・上野樹里が信念を貫くために心掛けていること「社会に感じる違和感を大切にしたい」

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「もしすべての男性が妊娠する可能性がある世の中になったら…?」を描いた漫画「ヒヤマケンタロウの妊娠」がNetflixとテレビ東京の企画制作で実写化。4月21日からNetflixで全世界独占配信される。 突然の妊娠発覚に戸惑う広告代理店で活躍する桧山健太郎を斎藤工、そんな桧山のパートナーでフリーライターの瀬戸亜季を上野樹里が演じる。 現代社会に潜むさまざまな問題や悩みをポップに描いた本作。そんな社会派コメディドラマをどのように作り、役と向き合っていったのか、斎藤工と上野樹里に語っていただいた。

現代社会が落とし込まれた脚本

――原作は読まれていましたか?

斎藤工(以下、斎藤):お話をいただいてから拝見しました。
作品が発表された2012年に、もっと話題になっていてもおかしくなかったんじゃないかな、と。リアリティとコミカルさがある世界観に、夢中で作品の中に惹きこまれましたね。

上野樹里(以下、上野):私も作品のお話をいただいてからですね。
まず着眼点や発想から、役の立ち回りなど予測ができないので、初めての感覚を抱きながら物語に興味が湧きました。
そして私がドラマの中で演じる亜季が、原作の中では複数登場するヒロインの中の1人であって年齢も40代前後と私より少し上。ドラマでは全8話を通して亜季を描いていますが、原作では後半に少しだけ登場するんだな、という意外な事実に驚きました。

――原作よりも、ドラマのほうがより攻めた内容になっていると思うのですが、原作と脚本の違いはどのように感じられましたか?

斎藤:民放の中でも前衛的なテレビ東京と、Netflixが組むことの攻め具合というのはあると思うんですけど、まず、チームの立て付けが分厚いな、と。脚本の山田(能龍)さん、天野(千尋)さん、岨手(由貴子)さん、監督の箱田(優子)さん、菊地(健雄)さんも含めて日本映画の銀河系軍団みたいなチームです。
原作コミックが出た2013年に映像化していたら、またちょっと違う形だったでしょうね。脚本は読んでみると、原作との差異が「いま」というものに落とし込まれているな、と思いました。

上野:原作では、子どもを授かって生むことに前向きな桧山に周りの女性がハッとさせられていく印象だったと思うんですけど、ドラマの中の桧山は、否定的なところから始まっているんですよね。
亜季自身も、仕事は忙しいし、自分が子供を持つことを現実味を帯びた形で考えてすらいない状況。子どもを授かったというチャンスをどういうふうに受け止めればいいんだろう、と。今の現代社会の余裕のなさも描かれていて、よりリアリティが出せたのかな、と思います。

このチームだから作れたヒヤマケンタロウ像

――役をどのように捉えて、演じる際に心がけていらっしゃったのでしょうか。

斎藤:「ヒヤマケンタロウの妊娠」というタイトルに答えはあるので、そこにどうやってたどり着くか。
桧山の葛藤はどのようなものだったのか、自分の中でも仮説を立てていたんですけど、実際に現場に行くと、いい意味で違う方向に向いていきました。
「ヒヤマケンタロウ」の物語というより、彼を取り巻く人たちの在り方を描いた作品だと思うんですけど、ひとつのコンパスの軸が刺さる「ヒヤマケンタロウ」を監督さん始め、役者さん、スタッフさん、みんなで一緒に作っていただいた。自分で何かを掘り下げることは結果的にできていないんですけど、他力本願でできたキャラクターだからこそのブレ感が彼に宿ったのかな、とポジティブに捉えています(笑)

――出来上がった作品を観られて、どのように感じられましたか。

斎藤:そりゃあ毎度、この人(自分)は役者をやめたほうがいいと思っちゃうんですけど。

上野:そんなことないですよ。

斎藤:いや、今回も例外なく、自分では「間違ったチョイスをしているな」と細かい部分で思うんですよ。 個人で表現をしているわけじゃなくて、亜季がいて、亜季にぶつけたものが跳ね返ってきて、化学反応みたいなものが生まれた瞬間があると、全てが必然だったんじゃないか、と思うんですよ。きれいごとじゃなく、この作品に関わる全ての人たちが、全員必要だったな、と思いました。

――上野さんは、役作りという面ではいかがでしたか。

上野:亜季はフリーランスとして必死に確立しようと働く中で、様々な重圧を1人で背負いながら、満たされない環境の中で自分を見失うまいと仕事をしている女性です。今はフリーランスで働いている方もたくさんいらっしゃいます。自分がやりたいことをやるために選んだことだけど、思い通りにいかない現実だったり、自分の年齢と、子どもを産むのか産まないのか、結婚するのかしないのか、いやそんなことを考えている場合じゃない……でも、自然の流れに身を任せていても、このまま私はどこまで行ってしまうんだろう、という漠然とした不安の中で、自分らしさを追求している女性として共感される部分はひとつ意識しました。
あとは、桧山が妊娠してからパートナーとしての亜季に男性が共感する部分はあるのかな、ということを考えながら、自分が亜季らしくいられるビジュアルを楽しんで作りました。

今回、初めてNetflixの作品に携わったんですけど、最初、企画書で「映画のようなタッチのドラマ」とあったんです。テンポ感やセリフのトーン、映像のタッチはどうなるんだろう、と未知の世界に悩んでいたところに、斎藤さん演じる桧山がいて。
こういうトーンで、こういう世界観で作られていくのかなと、影響を受けて自分も亜季としてそこにいられたのかな、と思います。なので、斎藤さんは役者を続けてください(笑)

斎藤:ありがとうございます(笑)
亜季の存在はこの物語の主線だと思うんですよね。男性が妊娠したという状況からさらに踏み込んで描くには、妊娠した男性をパートナーに持った亜季やその周りの人たちがどう変化するのか、ということ自体が実は「ヒヤマケンタロウ像」を作ってくれているんですよね。

桧山と亜季のシーンは全体としてそこまで多くないんですけど、客観的に作品を観たときに、亜季のシーンで桧山を想起させてもらえることがあるんです。これは上野さんの懐の広さなんだな、と思いました。桧山という存在が映っていないときでも、桧山がそこにいる、と感じさせてもらえる場面がたくさんあって、「あっ、桧山を描いていただいてるな」と思いました。

互いの存在があったから、桧山と亜季が出来上がった

--ご自身が演じられた役に対して、共感した部分はありますか?

斎藤:作品の冒頭で桧山が語りでスムーズに生きよう、スマートに生きようと弊害を回避していく、と入るんですけど、これってたぶん人間の本能だと思うんです。でも、回避しきれない「まさか」が大小問わず必ず訪れる。そこで、自分の本性が見えるんですよね。普段、距離を置いている自分の本性をいざというときに見て「ああ自分はこんな形だったのか」と傷つくというか。
人生は簡単に攻略できるものじゃないから、その「まさか」が訪れたときの慌て方が他人事じゃないな、という想いで演じてたかな。たぶん、実際に僕も普段はいかに摩擦も少なく、省エネで生きようとしちゃってるんですよね。
それは、スマートなようでいて、実態がないような生き方。こうやって映画やドラマで描かれる人間のドラマの部分は、ハッとさせられる部分があるな、と思います。

上野:どうなんでしょうねぇ……いまだに、自分でも自分が分からないです。みんな魂は同じで、ただどんな体験をしたか、という違いなだけも気がしていて。
でも亜季は魂を売らない人という感じがしていて。自分の信念をもっているから、理想通りにいかないけど、その中で必死に生きているように思います。だからあまり亜季が笑う瞬間はないんですけど、そこは似ているな、と思いました。自分も普段、あれこれ考えている時間が長くて、あんまり笑ってなかったりするので、もっと笑いたいと思います。

――斎藤さんから観た亜季、上野さんから観た桧山の印象はいかがでしたか。

斎藤:桧山が亜季に中絶のサインをもらいにいくシーンが、僕らのファーストカットだったんですけど、多くの場合は男女逆の状況なんですよね。
でも、作中でサインをするのは女性である亜季。亜季は女性だけど、その状況における“いわゆる”男性感をすごく感じさせてもらいました。だから、桧山の母性みたいなものが反作用的に出てきた、というのがその掛け合いの中でありましたね。
女性性の対立ではなくて、その状況における「今の世の中ってこうだよな」というような、瞬間的な男性性、女性性みたいなものを亜季の中に感じたので、桧山という前例のない佇まいになっていった。上野さんじゃなかったら、ああいう「ヒヤマケンタロウ」にはなってないですね。

上野:台本を読んだときから役と似ているかはさておき、斎藤さんが演じられる桧山が想像できたので、自然と私の役や役割も定まっていきました。
桧山は女性から人気でエリートで才能がある。仕事一番、プライベートは深入りせず楽しむ。でも苦労のない反面、どこか味気ない日々を送っていることに亜季も含め気付かない。そんな桧山が妊娠という様々な困難を通して、二人がいい感じに熱くぶつかり合うので、喧嘩ばっかりしているのに、なぜか嫌じゃない。結婚もしてないのに最高のパートナーになっていく感じで。
ただ妊娠を身をもって経験していない亜季は、どんどんお腹が大きくなり時に感情的になってしまう桧山に、上手に桧山を包んであげられない歯痒さ、守ってあげられる余裕のない自らの小ささ、無力さに気付かされました。

ふたりが信念を貫くために心がけていることは?

――今回の作品では、少しずつ社会が変わっていっているのかな、と感じられる描写も多くあります。変わっていくのだとしたら、次の世代に繋ぐ社会はどんな社会がいいな、と思われますか。

斎藤:次の世代や、さらにその次の世代に対して、たぶん僕の代は繋ぐべき何かを形成できていないというか……混沌としたまま、凪のように今があるのかな。
俯瞰で物事を捉えられるのが、自分より下の世代だと思うので、僕はむしろ期待するしかないな、と思っています。老朽化した何かのバトンを受け取りすぎなくていいよ、ということは思いますし。上の代の失敗を見て反面教師にすることが唯一の学びかな、と。時間はかかると思うんですけど、革命的に何かが変わった未来に僕は期待しています。

――作中では、男女の齟齬もいくつかあったと思うのですが、男女が分かり合うためにはどうすればよいと思われますか。

斎藤:最近のニュースを含めて、総じて、男性主権の社会構造にはろくなことがないなっていうのは感じます。中にはね、2割ぐらいは立派な方もいると思うんですけど、残念なエビデンスみたいなものが見えてしまっていますよね。
前の世代の人たちが決めたルールや公約は本当に見直さないと。というか、改める機会、きっかけは今なんじゃないかな、と思っています。

――作品の中では、それぞれが自分の理想とする生き方を貫こうと奮闘しています。斎藤さんと上野さんが自分の生き方を貫こうとする上で大切にしていることはなんでしょうか。

上野:違和感には敏感でいたいですよね。自分が居心地がいい状態で仕事に没頭できるのが一番いいのかな、って。そのために常に自分がフラットでニュートラルな状態でいないといけないと思います。
感覚でしかないんですけど、誰かの言った一言に引っ掛かったときに、「なんで引っ掛かるんだろう」ってちゃんと考えたい。引っ掛かるということは、何か自分にあるわけだし、そのままにしないで、ひとつひとつ考えて歩いていく。それが自分の生き方なのかな、と思います。そんな感じで、不器用ながらにやっています。

斎藤:両親は、決して子どもが主体というわけでもなく、下の僕が20歳になるまでを親の義務と定めていて、それ以降は南米に旅したり、自由を謳歌しています。
この物語の中でも、新しい命、尊い命というものが命題にありながらも、本当に社会と育児が切り離されていていいんだろうか、ということを自分自身に突き付けられた気がしました。
自分の今までの大きなテーマである、全て分別してしまうことが実はもっと直結したものなんじゃないかな、ということがこのドラマの経験ですごく明確になったな、と思います。プライベートと仕事ってもちろん、分かれてはいると思うんですけど、プライベートの時間に台本を読んだり準備をしたりするし、本番でリラックスするために、仕事中にプライベートの時間を思い出して……そこの相互関係はあると思うので、メンタルとフィジカルを離して考えるのではなく、ひとつのものとして考えていきたいな、とより思うようになりましたね。

「ヒヤマケンタロウの妊娠」は4月21日(木)よりNetflixにて配信開始。
(c)坂井恵理・講談社/(c)テレビ東京

撮影/奥田耕平、取材・文/ふくだりょうこ

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