戸田奈津子が語るトム・クルーズの素顔
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2015年8月、「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」の来日記者会見に参加したトム・クルーズ(左)と、通訳を担当した戸田奈津子(右)。
2022年5月、「トップガン マーヴェリック」を引っさげてトム・クルーズが約4年ぶりに来日を果たした。神奈川・横浜港 大さん橋 国際客船ターミナルで行われたジャパンプレミアでは、終了予定時刻を過ぎてもファンサービスを続行。駆け付けたファンの1人ひとりを大切に思っている様子がうかがえた。
常に笑顔を絶やさず、危険なスタントも自らこなすクルーズとは、いったいどんな人物なのか? 30年以上付き合いがあり、同じ7月3日生まれの字幕翻訳者・戸田奈津子に彼の素顔を聞いてみた。また、今回の来日時にクルーズの通訳を担当しなかったことが話題となっていた戸田。その理由についても教えてくれた。
取材・文 / 小澤康平
100%の力を出せなかったらトムに申し訳ない
──今年の5月、トム・クルーズが「トップガン マーヴェリック」を携えて約4年ぶりに来日しました。ただ、いつも通訳を担当していた戸田さんの姿が隣にありませんでした。
はい、降りました。
──トム・クルーズほどのプロフェッショナルであれば、通訳も一番信頼している人にやってもらいたいという気持ちがあったと思うのですが。
それはよくわかっています。最初に降りることを伝えたときは彼もびっくりしていました。でも、やっぱり引け時というものがある。トムは本物のプロだから、あれだけ実力があるのに常に努力して200%の力で物事に当たっている。私はこの歳になって、昔のように力を発揮することはできないかもしれないし、もし100%も出せなかったらトムに申し訳ないと思ったんです。だから決意しました。
──トム・クルーズはすぐにそれを受け入れたんですか?
来日してからも「君がやるんだからね」とふざけて言ってはいましたね(笑)。でも最終的には理解してくれました。
──5月23日の記者会見、24日のジャパンプレミアに来場されてはいましたが、「来てほしい」と言われていたんですか?
そうですね。でもトムが何を言うのか、私自身が聞きたいという気持ちもありました。
──最初に会ったのは30年以上前、「遥かなる大地へ」での来日時だと思います。そのときからトム・クルーズの印象は変わりましたか?
ぜんっぜん変わってないです。ずっとファンサービスの塊のような人。あなたレッドカーペットの現場に行ったことある?
──今回取材したんですが、決められた時間を過ぎてもファンと交流し続けていました。
いろいろな俳優を見てきましたけど、あそこまでやるのは彼だけ。映画会社は大抵ファンサービスの時間を1時間程度取りますが、トムは自分から「2時間欲しい」と言うんです。しかもそれを日本だけでなく世界中でやってるんですよ。あれは本当にすごい。もちろん彼自身、ファンとの交流が好きというのもあると思いますが。
トムとヒッチコックについて語り合うことになるとは
──ファンを大切にするようなトム・クルーズの人間性は、身近で接していても変わらないですか?
約30年仕事をしていますが、彼が笑顔を絶やしたのは見たことがないです。ファンには愛想よくしても、内輪の人に不機嫌な顔を見せたりわがままを言ったりする俳優もいますが、トムは絶対に違う。寝てるときも笑顔?……と思ってしまいます。
──(笑)。
イベントのとき、トムとスタッフ10人くらいで舞台裏を移動することがよくあります。普通のスターは自分が主役だと思ってるから、エレベーターに真っ先に入って一番奥に行きます。でもトムは自分でドアを押さえておいて、みんなが乗ったのを見届けてから最後に乗る。そんな小さなことからも、真心込めてやってくれていることがわかるので、我々はいつも恐縮しながら乗ってます。
──今回の来日で初めて知った側面はありましたか?
いつもは凝縮された時間の中で付き合っているけど、今回は1日早く来て。「もう着いたんだよ」と電話がかかってきました。3時間ほど一緒にお茶をしたんですが、あそこまでリラックスしておしゃべりをしたのは初めてで、すごく楽しかった。トムの妹さんとその息子さんもいたので、家族についての話もしたし、(アルフレッド・)ヒッチコックの映画の話までね。まさか彼とヒッチコックを語り合うことになるとは思わなかった(笑)。
──戸田さんは、2014年に出版された著書「KEEP ON DREAMING」の中で、トム・クルーズの魅力を「尽きることなき映画への情熱」と表現されていました。今も字幕翻訳家として現役であり続ける戸田さんにも、そういった情熱があるように思います。それは長年にわたって信頼関係を築いている理由の1つだったりしますか?
根本部分ではあるでしょうねえ。気心の合う仲だとは思います。トムがスターであることは関係なくて、同じ情熱を分かち合える人とは心が通じるじゃないですか。そういうお付き合いです。
──誕生日には毎年花束が贈られてくるそうですね。
誕生日とクリスマス、年に2回の花束は定例になっていて、そのたびに「なぜこんなにしてくださるの?」と思っています。来日のたびに手土産も持ってきてくださるし。今回の「トップガン マーヴェリック」での来日時も、リボンのかかったプレゼントをいただいたのね。私が(日本の風習で)すぐに開けないで置いておいたらトムが「開けないの?」って。慌ててリボンをほどいたら、彼がそのリボンをきれいに丸め出したんです。そんなに几帳面な人だということは知らなかった(笑)。あまりにもきれいに巻いていたから写真を撮りました(笑)。
──中身はなんだったんですか?
スカーフをいただきました。柄が左右非対称で、折り方によっていろいろな使い方ができるものを。トムがこうしたらいいよと折り方を教えてくれたんだけど、難しくて忘れちゃった(笑)。
トムはスター、ジョニーはアクター
──戸田さんから見て、トム・クルーズがほかの俳優と異なる部分はありますか?
トムは映画制作のあらゆる工程に目を通すんです。コンセプト、台本、キャスティング、衣装、カメラ、編集、音楽、最後のキャンペーンに至るまですべて。映画を自分の子供のように思っている。「ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション」にオーストリア・ウィーンのオペラシーンがありました。そこでレベッカ・ファーガソンが脚の出る黄色いドレスを着ているんだけど、あのスリットはトムがピンで調整したんですって。トムの立場なら、そういうことは衣装係に任せていると思っていました。そこまで完璧主義なのです。対照的なのがジョニー・デップで、彼にとってはカメラの前で演技をすることがすべて。すごく驚いたのは、何件かインタビューを受けた彼にその映画を何回観たのか聞いたら「完成版は観てない」と。自分の映画が売れている、売れていないもあまり気にしていない。どちらのほうが優れているという話ではなくて、トムとジョニーは力を集中する場所が違うということ。そういう意味でトムは“スター”で、ジョニーは“アクター”だと思っています。
──なるほど。ほかにスターだと思う方はいますか?
ブラッド(・ピット)も今やスーパースターになりましたよね。プロデューサーとしていい映画も作ってますし。1997年公開の「セブン・イヤーズ・イン・チベット」で最初に会ったときは、外に出ると女の子がいっぱいいて怖いからホテルから出たくないと言うし、インタビュー中もうまく話せなくて監督に助けてもらっていたんです。私もずいぶん助けたので、今でもブラッドに会うと「君に助けられたよ」と言われます(笑)。今は貫禄もありますし、あれだけ目の前で成長したと感じる人はほかにいないかもしれません。
──スターを定義するとしたら、どう言葉にしますか?
定義はできないですよ。これとこれの要素があればカリスマ性やオーラが出てくるなんて言えないでしょ? カリスマ性の要素は謎です。一方、アクターのほうは努力である程度積み上げられると思います。イギリス人の俳優が演技がうまいのは、みんな基礎を学んでいるから。例えばアンソニー・ホプキンスの演技の幅を見てください。
──去年の「ファーザー」もすごかったです。
ただただ舌を巻きますよね。
ハングマン、すごくいいキャラクターだった
──「トップガン マーヴェリック」はいかがでしたか?
娯楽映画として最高でした。トムが命を懸けて作ったことも画面から伝わってきましたし。トムがよく言っているのは、観客は利口だから、リアルに撮っているかCGを使っているかはすぐ見分けるということ。そういうファンを失望させたくないから、スタントシーンは必ず顔が見えるように撮ると。もちろん俳優は命を懸ける必要はないですし、スタントシーンはスタントマンに任せていいのです。ジェームズ・ボンドは危険なシーンでは背中しか見せません。“映画”ですから、それでいいのです。でもこの時代に、あえて自分で危険を冒し続けているトムからは彼の映画愛を感じるし、尊敬せずにはいられません。今回も共演の若手俳優たちは、みんなトムの姿勢に圧倒されたみたいね。
──トム・クルーズ以外のキャストも、実際に戦闘機に乗って撮影していたり。
すごくいい経験ですよね。「トップガン マーヴェリック」に出演したことは、今後のキャリアが開くお墨付きをもらったようなもの。それをどう生かすかは1人ひとり次第ですけど。
──トム・クルーズとハングマン役のグレン・パウエルのエピソードも話題になっていました。グレン・パウエルは最初ルースター役でオーディションを受けていたけれど、落ちてしまった。ハングマン役を引き受けるつもりはなかったけど、トム・クルーズに「あなたのような俳優になりたい」と伝えたら、「役を選ぶんじゃなくて映画を選ぶんだ」と言われたそうです。いい映画に出て、もらった役をいい役に育てていけば、自ずと出演シーンも長くなる。トム・クルーズはそういう思いで、ハングマンをグレン・パウエルに託したと聞きました。
ハングマン、すごくいいキャラクターになっていましたよね。ルースターを演じるよりもよかったんじゃないかな。
──映画は日本でもアメリカでも大ヒットしています。
満席の劇場で観たら、普段は黙って画面を観ている観客が、笑うべきときには笑い声を上げ、途中で拍手も出たりして、日本とは思えない反応のよさがとてもうれしかったです。
やはり映画が大好きなのよね、トムは
──グレン・パウエルのエピソードにちなんでお聞きしたいのですが、もし戸田さんが「あなたのような字幕翻訳家になりたい」と言われたらどう返しますか?
まず一番は映画が好きであること。それから日本語に長けていないとダメですね。私の実感で言うと必要な能力の8割は日本語で、2割が英語。英語が話せればいいと思われがちなんですが、とんでもない認識違いです。映画の多くは万人に向けて作られていますから、辞書を引かないと理解できないような英単語はまず出てきません。文字数制限がある中で、びしっと伝える日本語に置き換えるほうが百倍、難しいのです。「英語のセリフは全部聞き取れます」なんて“売り”は全然強みになりません。
──戸田さんは日本語力をどう身に付けたんですか?
私が子供の頃は幸いにも……アニメやゲームがなくて、本を読んでばかりいました。ささやかな貯金ですけど、それが今の仕事に生きています。大人になってからも本を通していろいろな語彙や表現を知りましたし、読書による日々の積み重ねですね。
──「トップガン マーヴェリック」の“Coffin corner”の翻訳が話題になっていたのはご存知ですか? 戸田さんは字幕で「棺桶ポイント」と翻訳していましたが、日本語吹替だと「死の淵」になっていました。
Coffinは棺桶という意味ですから、原文通りのセリフです。吹替版だと口の動きが棺桶という言葉に合わなかったのかも。吹替技術は字幕とまったく異なりますから。
──中にはそういった事情を考慮せず、翻訳について批判的な意見を言う人もいると思います。
いろいろ言われることはありますが、全員に細かい事情を説明するのは無理なので気にしてません。1つひとつ反論してたら身が持ちません(笑)。
──最後にトム・クルーズの話に戻りたいのですが、今回の来日で印象的だったエピソードがあれば教えてください。
今回の来日でトムはTOHOシネマズ 日比谷の試写会で「トップガン マーヴェリック」を観たのですが、観客と一緒に映画を観るのは数多くの来日でこれが初めて! 彼の前の席には自衛隊のパイロットたちが座っていました。最近彼らに会って話を聞いたところ、トムのことが気になって反応をうかがっていたら、何十回も観ているはずのトムがゲラゲラ笑っていたっていうの(笑)。撮影していたときのことを思い出したり、普通とは違う楽しみ方をしているのだろうけど、それでもやはり映画が大好きなのよね、トムは。
戸田奈津子(トダナツコ)
東京都出身。映画字幕翻訳者。「地獄の黙示録」で本格的に字幕翻訳家としてデビューし、その後も数々の映画字幕を担当してきた。トム・クルーズをはじめ、多くのハリウッドスターと親交がある。