Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
Download on the App Store ANDROID APP ON Google Play
ぴあ 総合TOP > ぴあ映画 > ドレスコーズ 志磨遼平、『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』を語る 「こういう世界に生きていたい」

ドレスコーズ 志磨遼平、『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』を語る 「こういう世界に生きていたい」

映画

ニュース

リアルサウンド

 国民的キャラクターとして世界中で愛されるムーミン。フィンランドの独立100周年記念作品に指定され、2017年12月に劇場公開された『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』のBlu-ray&DVDが6月27日に発売された。1978年にポーランドで制作されたストップモーション・アニメーションによるTVアニメシリーズを再編集した本作では、ムーミンたちが初めてクリスマスを迎えるまでが描かれる。

 今回リアルサウンド映画部では、アニメーション映画への造詣が深い、ドレスコーズの志磨遼平にインタビューを行った。自身のメンタリティーとムーミン谷が合致したという本作の魅力について、たっぷりと語ってもらった。(編集部)

■「国土の背景があるのかなと、想像する楽しさ」

ーー『ムーミン』はさまざまなアニメーションが作られてきた作品ですが、これまで観ていた作品はありますか?

志磨遼平(以下、志磨):1990年頃にテレビで放送されていた『楽しいムーミン一家』は幼い頃に観ていました。なので、メインのキャラクターたちはなんとなく知っていましたが、原作を読んだことがなかったので、今回この作品を観て初めてムーミンのしっかりした物語の世界観を知りました。スナフキンやリトルミイなど、日本版アニメで慣れ親しんだキャラクターたちのパブリックイメージと、ちょっとずつ造形が違っている点も面白かったです。フィンランドの夏は太陽が1日中出続けていて、冬は一切太陽が出なかったりする地域もあるそうですね。本作でも、ムーミントロールが異常なくらいお日様を待ち望んでいるところなどにも、国土の背景があるのかなと、想像する楽しさもありました。

ーー『KUBO/クボ 二本の弦の秘密』や『犬ヶ島』など、パペットアニメーションの手法は最近もよく使われていますが、通常のアニメーションとはまた違った魅力があります。

志磨:生の質感や手作り感がとてもいいなと感じます。日本版のアニメーションのイメージも愛着がある造形ですが、パペットアニメーションになると、ムーミンの可愛さが数段も上回っていて。ポテポテしていて、目だけキョロキョロ動いたり方杖ついたり、可愛いかったですね。平面的な顔に表情をつけていくわけではないのに、ムーミンがちょっと落ち込んでいたり、笑っているように感じられるのが不思議でした。

ーー志摩さんはアニメーション作品もよくご覧になっていますが、本作のようなパペットアニメーションはいかがですか。

志磨:色や質感、画面の構成など、パペットアニメーションでこんな表現ができるんだとういう点で、アニメーションという一つの技法として、画面がとても綺麗にできている作品だなと思います。冬であったり、冬の象徴である氷姫やモランだったり、どうやっても“人”に置き換えては分からない、立ち向かうことすらできないものを描いている。“アニメ(Anime)ってアニミズム(animism)と語源が一緒で、アニマ(anima)という魂を吹き込むという意味である通り、本作が、パペットを動かして作り上げることによって、綺麗な映像が作り上げられているのが、本来の語源通りで、正しいアニメーションの形という感じがしました。

ーー吹替版では、宮沢りえさんと神田沙也加さんが参加しています。

志磨:神田沙也加さんが担当されているナレーションの表現がとても詩的で綺麗ですよね。「夏の甘い香りは消えて、ジャムの瓶の中に封印されています」とか「雪はムーミントロールの夢にも降り注ぎます」とか、お話の補足として綺麗な文章で説明しようというのではなく、作品の中でまた別の一要素を担っているなと感じました。

■「不思議と彼らの心の広さに感化されていく」

ーー本作にはたくさんのキャタクターが出てきますが、ムーミン谷の住人たちの“懐の広さ”が印象的です。

志磨:そうですよね。これも国民性なのかなと考えました。「ごちそうがあるって聞いたんだ。何も食べてなくて」と見知らぬ人が家に勝手に上がりこんできたとか、冬の間は使わないムーミンパパの水浴び小屋に勝手に別の人が住み込んでいたり。でも、ムーミンたちはそこに変な疑問は持たずにそのまま受け入れる。不思議と彼らの心の広さに感化されていくところもありました。

ーー普通に考えたら諍いが起きそうなポイントが無数にあります(笑)。

志磨:ムーミンが冬眠に入ったパパとママを突然起こしても、「こらー、ムーミン!」とかないんですよね。「起きたのかぁ」ぐらいでパパはそのまま眠りにまた入ったり(笑)。

ーームーミン谷の住人は、他者の価値観を絶対に否定しません。だからといって、本作は人種差別的なものに問題を投げかけているような声高な主張があるわけでもなくて。

志磨:多様性と言うにもほどがあるくらい、ムーミン谷の住民たちはみんな自由です。まず、ムーミンが「見えない生き物が……」と言ってるけど、「そもそも自分も妖精やん!」っていう(笑)。本当にいろんな生き物たちが、なんの軋轢もなく、ものすごく快適に暮らしている。ムーミン谷の空気感がアニメーションで描かれていることもあり、作り手側が現実社会に何かを訴えようといった意図も全く感じないんです。世界がムーミン谷の住人となれば、争い事は世の中からなくなりますね。

■「描いているのはなんとなく“家族モノ”」

ーー今回の作品には、「クリスマスを迎える」というひとつの大きなテーマがあります。

志磨:誰かに贈り物をすることや、ひたすら待つということが改めて良いなと思いました。サミュエル・ベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』ではないですけど、何も来ないのに、“クリスマス”という、みんながそわそわするぐらい特別な何かが訪れるのをひたすら待つ。そこで、贈り物をしたいと思い立ったときに、何をあげたら喜ぶかを考えると、ムーミントロールが「自分はおひさまが欲しいなぁ」と言って、結局春を待って、スナフキンが帰ってくるのを待っていて。ひたすら「待つ」ということに、ちょっとした切なさを感じました。物語に通底して、何かを待ち望んでる様子があって、それが来るまでは穏やかに夢でも見ておこうという感じが、うっすら切なくて美しかったです。

ーー恐怖を煽って乗り越えさせようと思える展開は随所にあるのに、そういう部分がフラットに描かれているのが独特な作りになっていると感じます。

志磨:いわゆる寓話的な物語だと、ムーミントロールが恐怖を乗り越え、“成長する”ための装置として、冬を運んでくる氷姫やモランを“怖い存在”として扱ってしまいます。でも、本作はそういう描き方は一切せずに、ムーミンも彼らの存在をあるがままに受け止める。むしろ、誰とも交わることができず、手に入らないものを欲しがってしまうという、モランの姿には切なさが感じられました。ないものを欲しがってしまうことにも、なにかしらの美学は感じるので、モランのそういう描写を含め、僕がこの映画を観て思ったのは、すごくストレートな同感というか、同調でした。

ーームーミン谷の“仲間”や“家族”も、テーマのひとつとして描かれています。

志磨:日本版のアニメタイトルが『楽しいムーミン一家』だったように、描いているのはなんとなく“家族モノ”だと思っていたんです。たとえば、冬の間はムーミン屋敷の水浴び小屋で過ごしているおしゃまさんの「家族っていうのは選べないからね」「それでも大事にせなあかんのよ」というセリフだったり、冬のムーミン谷にやってきた犬のめそめそが兄弟だと思っていたオオカミに敵視されたとき、自分のことを同じ家族だとは思ってくれていないと落ち込みそうなところを、ムーミン谷に暮らすへムル族のおじさんヘムレンさんが「家族とは時に複雑なものだ」「家族とは離れているほうがいいときもある」というセリフだったり。「俺たちは餌なんだ」みたいな話じゃなくて、家族は家族だけど、たまには距離をとったほうがいいときもあるさと、全部を否定しないですよね。

ーー“こうあるべきだ”という理想を押し付けてはこないんですよね。

志摩:そうなんです。むしろ、ムーミン谷の住人たちは結構ドライなところもあって。フィリヨンカさんというキャラクターは、ずっと食事を用意しているのに誰も来ないという寂しさを抱えています。そこにムーミンが「じゃあ、うちに来なよ」と声をかける。でも、その後で「僕、あの人あんまり好きじゃないんだよね」と言っていたり(笑)。ただ、そこには嫌悪とかとはまた違う、絶妙な距離感があるんですよね。それにしても、ヘムレンさんのキャラクターのインパクトはすごかったです。ムーミンたちが冬眠しているなか、颯爽とスキーをしながらムーミン谷に登場して、「運動はいいぞぉ」「外に出て運動だ!」と言い続ける。周りがどう思おうが関係なしの我が道を行く感じ。どこかギャグ漫画だったり、江口寿史さんの漫画に出てくるようなマッチョキャラのような存在でした。

ーー本作を観て、自身の中で何か変化はありました?

志磨:僕はわりと気性が穏やかなので、本作のような童話だったり、児童文学はとても気持ちよく観れるんです。「たまにはいいね」というよりは、常にこういう世界に生きていたくて。この作品を観て、僕もムーミン谷で生きていたいなと素直に感じました。

ーー志磨さんのメンタリティーとムーミン谷が合致したと。

志磨:僕は一人っ子で兄弟がいないんですけど、人格形成の期間に、人と争ったり、“怒り”のような激しい感情をぶつけたりした経験がないんですよね。そのまま幼稚園、小学校……とちょっとずつ社会に出て行って。そのなかでも、自分にはやっぱりその感情の動かし方が備わっていないんです。言い方にもよりますが、他人に対して、失礼な付き合い方なんじゃないか、もっとちゃんと正面からぶつかりなよ、みたいな(笑)。

ーードライということですか?

志磨:ドライとか無関心とはあまり捉えていなくて。人に対して怒るとか、すごく絶望するとかがないんです。すると、「それって期待してないってことじゃないの」とか、人って裏返して言うじゃないですか(笑)。「そう言われると心外だな」っていつも思っていたのが、ムーミンを観てスッキリしましたね。僕も、ムーミン谷のトロールなんじゃないかなって。これからはそう思って過ごしていこうと思いましたね。

(取材・文=石井達也、撮影=池村隆司)