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大野和士が新国立劇場《ボリス・ゴドゥノフ》を語る ──人間の内面を巧みに描く、天才ムソルグスキーの大傑作

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大野和士 撮影:石阪大輔

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11月15日(火) に初日を迎える新国立劇場のムソルグスキーのオペラ《ボリス・ゴドゥノフ》新演出初演。直前の稽古の合間を縫って、公演を指揮する大野和士芸術監督に話を聞くことができた。

「ムソルグスキー畢生の大作。私はムソルグスキーは不世出の大天才と言っていいと思っています。それはたとえばショスタコーヴィチも言っているんですね。彼はムソルグスキーの未完のオペラ《ホヴァーンシチナ》を補完していますが、私たちがショスタコーヴィチの特性であると思っているもののほとんどを、彼はムソルグスキーから得たと言っているんです。人間の内面性、瞬時に変わる心模様が、哲学的な深みにまで達しているような音楽を作ることのできた作曲家です」

今回の舞台は、ポーランド国立歌劇場との共同制作で、同劇場芸術監督のポーランド人演出家マリウシュ・トレリンスキが手がけるプロダクション。本来は今年4月に、先にワルシャワで初演される予定だったが、ロシアのウクライナ侵攻を受けて中止となった。

「結果として新国立劇場で世界初演されることになりました。この《ボリス・ゴドゥノフ》ほど、人間の精神の表裏を描き尽くしたオペラはありません。それをこのような時期に日本で初演することはとても意味のあることだと思っています」

もちろん世界情勢は今回の上演にも影響している。当初は3人のロシア人歌手の出演が予定されていたが、招聘を断念した。

「ボリスと修道僧のピーメン。そしてボリスの臣民でありながら、裏切って行ってボリスの政権を倒すシュイスキーという役の3人を新たにお願いしました。ボリス・ゴドゥノフ役は私の友人のギド・イェンティンスさん。昨年の《ニュルンベルクのマイスタージンガー》でポーグナー役を歌ったバス歌手です。彼がボリスを2回、ロシア語で歌っているという情報が耳に入ってきたので、すぐ彼に電話して、やっていただくことにしました。ピーメン役は実はなかなか決まらなかったんです。あるとき、私がたまたまYouTubeで見つけた素晴らしい声のバス歌手がジョージア人のゴデルジ・ジャネリーゼさんでした。まだ32歳。ピーメンは老僧の役なので、年齢的にどうかとは思ったのですが、ここまで声のいい人を見つけることはなかなかできない。これは運命だと思いました」

「シュイスキーは、これも私の友人のアーノルド・ベズイエンさんというオランダ人テノールです。シュイスキーという登場人物は、貴族らしい清らかな優しい声で、最初に声を聴いただけだと、この人はいい人だろうと騙されてしまうような役なんですね。それを彼にお願いしました。先日、オーケストラと合唱と合わせるリハーサルがあったのですが、3人の歌にみんなびっくりしていました。ロシアの歌い手たちが来られなくなったのは悲しいことですけれども、こういう困難をみんなで乗り越えて出す結果が今回の公演です。ぜひ日本の多くの聴衆の皆さんに聴いていただきたいと思っております」

映像も巧みなトレリンスキ演出の本質は台本の読みの深さ

演出のトレリンスキは映画監督出身。今回も大がかりな映像が強烈なインパクトを与える。

「トレリンスキさんとは、エクサンプロヴァンスとワルシャワの劇場で一緒にプロコフィエフの《炎の天使》をやりました。たしかに照明や映像を使いますが、それよりも私は、彼の台本の読みの深さにとても惹かれました。声だけを聴かせるような舞台を作る人です。今回も、ボリスがひとりで悩むシーンとか、修道僧がひとりで歌うシーンなどは、舞台上に何かがあるということを感じさせません。逆に、合唱が出てくる場面などでは、視覚的な要素も大いに使う。演出家としての多面的な手腕を、この《ボリス・ゴドゥノフ》でも見事に発揮していると思います」

「私の知人のひとりは、今回は5公演のうち4回見に来ると言っています。1回よりも2回、2回よりも3回見たほうが、舞台と音楽の関係、演出と音楽の解釈が作品にどう作用しているかがわかるわけですよね。1回目には視覚的な要素にすごく心を奪われたという方が、2回目には音楽的な深さのほうが心に残ったというような場合もあると思います。もちろん、1回見ていただくだけでも楽しめるように、舞台も音楽も、私たちみんなが頑張るということは間違いないですけれども(笑)」

11月6日(日) に劇場ホワイエで開催された「オペラトーク」では、パネリストとして招かれたロシア文学者の亀山郁夫と元外交官で作家の佐藤優の両氏が、「この時期にこのオペラの上演は世界的事件」(亀山)、「大野さんは勇気がある。政治的な戦いの中で、人間の共通の言葉を見つけることができる」(佐藤)と、ともに上演への驚きとその意義を語った。

「その点で言うと、日本でこれを上演できるのは、日本人の懐の深さがあるんだと思います。このロシアの物語をやるということは、現実として当然、いま起きているさまざまな政治的な問題と関わってきます。それを考えることなくしてはできないと思います。それゆえになかなか演奏できないという国もあるわけです。この作品の場合には、それがあり得る。これがたとえば愛の二重唱で満ちているようなオペラであれば、どんな国のどんな時代でも、それが検閲で禁止されたことはないわけですよね」

ただしムソルグスキーが描いているのは、人間のドラマであり、内面的な精神描写の巧みさがこのオペラの最大の魅力だろう。その特質を端的に示す例として、大野監督はオペラ冒頭のボリスの登場シーンを挙げる。

「《ボリス・ゴドゥノフ》の原作は史実をもとにしたプーシキンの戯曲ですが、ムソルグスキーは台本を完全に書き直しているんですね。民衆が「ボリスよ、私たちの皇帝となってくれ」という大賛歌が歌われた後に、普通だったら「よし、皆の者。私について来い!」というのがオペラの常套ですよ。ところがこのオペラでは、「私の心は千々に乱れている……」と、作品の中でも一番暗いと思われる音楽が出てくるんです。なぜなら、プーシキンの戯曲では、本来帝位を継ぐはずだったドミトリーを殺したのがボリスです。その罪の意識、あるいは皇帝であることのプレッシャーや、裏切られるのではないかという不安。そうしたものに苛まれている。その焦燥がボリスの登場の音楽なんです。主人公がこんな音楽で登場するオペラはないですよね。ムソルグスキーが、人間の心に対して鋭い感性を持っていたことの表れだと思います。もうひとつ。聖愚者という登場人物が出てきます。かつてボリスを皇帝として賞賛していた民衆が、いまはボリスを追い落とそうとする偽ドミトリーの賛歌を歌わんとしている。そのとき聖愚者が彼らに、「泣け、ロシアの民よ。すぐに(別の新たな)敵がやってくるだろう。あなたたちは苛まれ続けるのだ」と歌います。ムソルグスキーのオリジナルです。民衆の熱狂とはどういうものか。その本質は悲しみを伴うものだということを、音楽で書いたのです。これはロシアだけの話ではないですよね。人間の本性に対しての鋭い直観力。それを音楽にできた大天才がムソルグスキーです。その大傑作をご覧ください」

新国立劇場の《ボリス・ゴドゥノフ》は11月15日(火)~26日(土)。東京・初台の新国立劇場オペラパレスで。

取材・文=宮本明
撮影=石阪大輔

<公演情報>
新国立劇場 開場25周年記念公演 オペラ『ボリス・ゴドゥノフ』<新制作>

チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2222883

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