集団行動、齋藤里菜の“開花”に寄せる大きな期待 映像演出も取り入れた初の着座公演ワンマンを見て
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相対性理論のコンポーザーであった真部脩一が立ち上げたプロジェクト、集団行動が11月20日に渋谷PLEASURE PLEASUREにてライブ『Sit down, please』を行った。
今回のライブは彼らにとって初の全席着座公演で、観客全員が座りながら観賞するスタイルを取っている。くつろぎながら楽しめるとあって落ち着いた空気の中でライブがスタートした。開演前のSE「チグリス・リバー」という楽曲が流されるとメンバーが颯爽と登場。全員が配置に立つとボーカルの齋藤里菜がどこか物々しい雰囲気で「こんばんは、集団行動の時間です」と言い放ち、1曲目「土星の環」で幕を開けた。
バンド演奏は安定感があり、力強い。そこにどこか抜け感のある齋藤の歌声が際立つ。溶け込むというより“浮き立っている”というイメージに近く、特徴的な真部のメロディをよく歌いこなしている。彼らを見ていると、やはりどうしても脳裏によぎってしまうのが相対性理論の面影であるが、齋藤のまだ何にも染まってないような純朴な歌声は彼らとは(やくしまるえつことは)また違った魅力がある。
相対性理論が日本の音楽シーンに与えた影響は計り知れない。彼ら以降、日本の女性ボーカルのバンドの様相は急激に変化したと言ってよいだろう。紅一点のボーカルを中心に据えて男性の演奏陣がそれを支える形でステージを作り、少し萌え要素のあるボーカルと質の高いバンドサウンドのギャップがある種の中毒のようにリスナーの耳を侵食していく。少し懐かしげなメロディと風変わりな歌詞は一度聴いたら頭から離れない……なんてバンドは彼ら以降数えられないほど増えた。真部脩一は、ある意味現在の音楽シーンのパイオニア的な存在だ。
そして彼らも相対性理論と共通する要素は確かにある。だがしかし、この集団行動というプロジェクトにあるのはそうしたものとは一線を画したスタイリッシュな出で立ちと、いまだ全貌を現しきっていないと思わせる彼らを包む謎めいたオーラである。そして、それをもたらしているのが齋藤里菜という歌い手の存在だろう。ずっとバレーボールひと筋だったという彼女が一転してそれまでまったく興味のなかった音楽の道へ進み、シーンの立役者たちとバンドを組んでいる。それまで相対性理論すら知らなかったという彼女だからこそ出せる、彼女のボーカリストとしての素質がどう開花するのか。それによってこの集団行動というバンドそのものの未来の行く末が左右される気がしている。
今回、何度も幕間映像が挿入された。その映像は、椅子にロープで縛り付けられて座っている齋藤が舞台に立っているミッチー(ベース担当)に助けを求めるというもの。ステージ上のミッチーが(映像で流されている)齋藤を助けるべく舞台から捌けると、スクリーンでは齋藤が「何しに来たの? 次の曲が始まっちゃう、早く戻って」と言って突き返す。ミッチーの帰りを待たずに次の曲のイントロが始まり少し経ったあたりでミッチーが合流、という演出が何度か繰り返された。
この“男を振り回す女性役”を楽しそうに演じる齋藤の活き活きとした表情は、ライブ会場のムードを掌握する彼女のボーカリストとしての役目をあたかも比喩するかのように輝いていた。トイレ休憩(!)中に流された“フォークデュオ”という名前の架空のユニット(真部似のSHUと西浦似のKENがメンバー)のビデオも風刺が効いていて思わず笑ってしまった。着座公演ならではのこうした映像による演出は、異質ながらも彼らのこれからの活動の軸になっていくかもしれない。
「充分未来」で手拍子を煽るクールな姿や、アコースティック編成で見せたバンドとしての振り幅、「ホーミング・ユー」でのライト演出など特筆すべきはいくつかあるが、それよりもこの齋藤里菜という“つぼみ”が今まさに開きそうな瞬間にとても興味が湧いた。現時点で彼女にはちょっとしたオーラも出てきている。彼女の今後の成長次第でこのバンドの未来がどこへ向かうのか、彼女がどうやって“縛られたロープ”をほどくのか、期待せずにはいられない。
■荻原 梓
88年生まれ。都内でCDを売りながら『クイック・ジャパン』などに記事を寄稿。
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