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28歳の若きTVマンは、なぜ“日の丸”をめぐるドキュメンタリー映画を蘇らせたのか?

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佐井大紀

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TBSドキュメンタリー史上“最大の問題作”と称される1967年のドキュメンタリー番組『日の丸』。今から50年以上前に放送された、しかも郵政省電波管理局がTBSを調査するに至ったほど波紋を呼んだ同番組の試みを、現代に再び挑んだのがドキュメンタリー映画『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』だ。

「日の丸の赤は何を意味していますか?」「あなたに外国人の友だちはいますか?」「もし戦争になったらその人と戦えますか?」と50年以上前にされた質問を、現在を生きる人々にしたら、どんな反応が起きるのか?というところから出発した作品は、1967年と2022年を対比して、何か見えてくる“日本像”のようなものはあるのか? そもそも1967年の番組を手掛けた寺山修司をはじめとした関係者は、『日の丸』で何を描こうとしたのか? はたして『日の丸』は偏向報道たったのか? など、さまざまな問いと向き合い、その答えを探す旅へとなっていく。

そう簡単に答えなど出るはずのない“問い”と向き合い続けた、28歳の若きTVディレクター、佐井大紀に話を聞いた。

1967年と現代の偶然の符合
対比によってなにか見えるものがあるのでは

はじめに『日の丸』が放送されたのは1967年のこと。今から50年以上前で、当然ながらまだ20代の佐井監督が生まれるよりもはるか前の番組になる。このドキュメンタリー番組にはTBSの新人研修で出合ったという。

「この番組の存在は是枝(裕和)監督が著書で触れていて、知っていました。ただ見る機会を得たのは新人研修のときでした。

印象はひと言、衝撃で。こんな尋常ではない街頭インタビューをまとめた、呪いのビデオのような、視聴者の気分を害する映像をよく当時のお茶の間に流したなと思いました。

今僕はドラマ制作部に所属していますけど、番組を作る上で、何に一番重きを置いているかというと、いかに視聴者の方に気持ちよく楽しんでいただけるか。視聴者の方にいかに興味をもっていただいて、作品世界に入っていただけるかを第一に考えています。

でも、『日の丸』がやっていることは反対のことで。視聴者の方が不愉快になる、あるいは怒り出すようなことを敢えてしている。これが当時のテレビでは許されていたのかと思いました。成熟しきってしまって、新たな可能性を切り拓くようなチャレンジができなくなっている現在のテレビとは大違い。テレビにこんな自由な時代があったことに衝撃を覚えました」

この衝撃が心から消えることはなく、ずっと『日の丸』のような挑発的な試みができないかと考えていて実現したのが今回の作品になる。

「どこかのタイミングで『日の丸』をやってみたら面白いことが起こるのではないかと、ずっと考えていました。

そう考えていたところ、『日の丸』が放送された1967年は、東京オリンピックと大阪万博の間だったのですが、現在も同様に東京オリンピックが終わって、大阪万博を控えているときに当たることに気づいたんです。さらに1967年はベトナム戦争が世界を揺るがしていて、取材時はコロナパンデミックが世界を脅かしていました。55年の時の隔たりはあるのだけれど、どこか類似している今こそ『日の丸』の試みをやってみると何か見えてくることがあるのではないかと思いました」

こうして、佐井監督はマイクを持って自ら街へ繰り出し、1967年の『日の丸』と同じ質問を2022年の人々へと投げかける。

「現在と1967年に同じ質問を投げかけることで、日本社会や日本人の変化みたいなものが、何か見えてくるのではないかと当初は考えていました。ふたつの時代を対比させることで、日本の実像みたいなものがきっと浮き彫りになるだろうと。ただ、日本とは、日本人とは、とか、そう簡単に答えが出るものではない。当然といえば当然なんですけど、街頭インタビューをちょっとしたぐらいで明確な答えなど出るはずもない。そのことにすぐ気づくんですけどね(苦笑)」

新たな疑問が浮かび混乱する
そんな頭の中がそのまま映っている

『日の丸』の試みを主体に始まった作品だが、佐井監督の視野はさらに広がり、街頭インタビューを起点に新たに生まれた疑問や自らへの問いと向き合い、その答えを探すことになっていく。結果、作品は、『日の丸』を現代で試みるという当初の想定した形からより広がりのあるものに。

1967年版『日の丸』の詳細な舞台裏を明かすとともに、この作品で起きた様々な問題(インタビューを担当した女性は批判を浴びて姿を消した。彼女は今回の取材でも見つからなかった)にも言及。国家とは何かを追い続けていた寺山修司が、テレビという公共の電波を使って壮大な実験をしたといわれる『日の丸』を改めて検証するとともに、寺山の真意にも迫ろうとする。さらに、その『日の丸』から派生して、アイヌの歴史と琉球の歴史といったテーマにも迫る作品になった。

「ふだんはドラマの現場で働いていますので、ドキュメンタリーを作るのは初めてのこと。あらゆることが手探りで進めていったんですけど、ひとつのことを調べると新たな課題や疑問が出てくる。その繰り返しで、調べれば調べるほどいろいろと解き明かしたいことが出てきた。そして、その度に僕は戸惑って混乱していた。

だから、興味の赴くまま動きながらも、探れば探るほど混乱して戸惑うみたいな、当時の僕の頭の中がそのまま映っている気がします(笑)」

では、熱望した『日の丸』の試みを、実際にやってみてどういう感触を得たのだろうか?

「まず街頭インタビューですが、あのような形で相手のタイミングなどほとんど関係なく、いきなり矢継ぎ早に質問をするのは気持ちのいいものじゃないです。1967年のインタビューで街頭に立った女性は批判にさらされて姿を消してしまいましたが、その気持ちが痛いほど分かりました。こんなことを素人にさせるなんて今では一発でアウトです。

作品については、いろいろなことが詰まっているので、おそらくみなさん感想の言葉が見つからないんじゃないかと。『日の丸』の質問と同じで、なかなか答えに困るかもしれません。ただ、それでいいと思っています。

僕は、世の中を斜めから疑ってみたり、別角度から物事を考えてみたりすることが好きで、それが自分のできることだと思っています。そこについてはこの作品でできていると思いますし、ドラマ制作に携わる者としてエンターテイメント性にもこだわりました。全編にわたって退屈させない作品になっていると思うので、ひとりでも多くの方に観ていただけることを願っています」

取材・文:水上賢治

<作品情報>
『日の丸~寺山修司40年目の挑発~』

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