三菱一号館美術館が24年秋まで長期休館に 休館前最後の展覧会『芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル』は4月9日(日) まで
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(左):月岡芳年《ま組火消しの図》1879年 赤坂氷川神社 (右):落合芳幾・四代鳥居清忠《吃又》看板絵(芳幾)《文覚》看板絵(四代鳥居清忠)1894年 早稲田大学演劇博物館
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すべて見る設備の入れ替え及び建物のメンテナンスのため、4月10日(月) より2024年秋までの予定で長期休館に入る三菱一号館美術館。休館前最後の展覧会となる『芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル』が4月9日(日) まで開催されている。
江戸後期を代表する浮世絵師、歌川国芳のもとで学び、良きライバルとして当時人気を二分した落合芳幾(おちあいよしいく)と月岡芳年(つきおかよしとし)。同展では、国芳の門弟として腕を磨いたふたりの作品が、江戸から明治という激動の時代のなかでどのように変化していったのか、両者を対比させながら紹介。大阪で書店を営んだ浅井勇助氏が収集し、幕末明治の浮世絵を網羅する「浅井コレクション」をはじめとする貴重な個人コレクションを中心に構成されている。
ともに江戸に生まれた芳幾と芳年は、10代のほぼ同時期に国芳に入門。慶応2-3(1866-67)年には、幕末の不穏な世相を反映し歌舞伎や講談の残虐シーンを分担して描いた「英名二十八衆句」を共作し人気を博すが、明治維新を迎え、浮世絵が衰退していくなかで、芳幾は新聞錦絵などの新しいジャンルを開拓。芳年は浮世絵での表現にこだわり続けるなど、それぞれの道を模索していく。
展示の序盤では、二人の師である国芳の作品や、国芳の作風を継承し、芳幾、芳年それぞれが描いた武者絵を中心に紹介されている。
武者絵に役者絵、美人画、風俗画にいたるまで幅広く描き、幕府の規制をかいくぐって風刺を続け、江戸庶民の人気を得ていた国芳。なかでも最も得意としていたのは武者絵で、芳幾は国芳が手掛けた武者絵の人気シリーズ「太平記英勇伝」(1848-53年)の作品を引継ぎ、1867年に同名シリーズを発表。両者を見比べると、芳幾がいかに師の作風に非常に忠実に描いているかということがわかるだろう。
一方の芳年も、1883年から4年の歳月をかけて武者絵のシリーズ「芳年武者无類」を出版している。こちらは、無地の背景や人物の配置など独特な構図で描かれた芳年の武者絵の金字塔的シリーズで、芳年が国芳から継承した画風を革新的なものに変えていったということを見て取ることができる。
明治に入り、芳幾が活路を見出したのが「新聞錦絵」というジャンルだ。芳幾は、戯作者の條野採菊(じょうのさいぎく、鏑木清方の父)らとともに東京初の日刊紙「東京日日新聞」を発刊。新聞からゴシップ的な記事を選び、テキストに即して描いた錦絵「新聞錦絵」を刊行するとたちまち人気となり、多くの追随者を生むことになった。のちに刊行された「郵便報知新聞」の新聞錦絵では、芳年が起用されている。
芳幾が新聞錦絵で成功する一方で、芳年は西洋絵画にも学び、自らの表現を突き詰めていく。歴史画も数多くのこしている芳年だが、晩年には100図からなる大作シリーズ「月百姿」に取り組んだ。これは、歴史上の人物や物語の登場人物などを月にちなんだ風景のなかに描いたもので、文学的で静謐なその作品世界は、芳年が試行錯誤のうえにたどり着いた境地を示しているといえる。
江戸から明治へ、浮世絵衰退の時代に生き、それぞれのやり方で時代に抗った芳幾と芳年。同じ師に学んだふたりの対照的な生き様を、それぞれの作品を通して感じとってみてほしい。
<開催情報>
『芳幾・芳年―国芳門下の2大ライバル』
2月25日(土)〜4月9日(日) 三菱一号館美術館にて開催
詳細はこちら:
https://mimt.jp/ex/yoshiyoshi/
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