第95回アカデミー賞レポート完全保存版、“軽視されてきた人々”の快進撃
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最多7冠を獲得した「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」の面々(写真提供:JOHN ANGELILLO / UPI / Newscom / ゼータ イメージ)。
ふたを開けてみれば作品賞を含む最多7冠の「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」が人気と評価の高さを強く印象付けた第95回アカデミー賞。例の「事件」が一番の話題になった昨年に比べれば、しっかり作品にフォーカスが当たった授賞式だったと言えるだろう。アカデミー賞はその折々のアメリカ映画界のトレンドや傾向を反映させる祭典という側面が強く、下馬評通りと言われた受賞結果からも読み取れることが多い。授賞式の中継を見た人も、見ていない人も、すべての人に読んでほしい完全保存版レポート。
文 / 木津毅
近年のアカデミー賞は、ハリウッドを取り巻く社会的・政治的議論が注目される機会になっているところがある。俳優部門のノミネート20名がすべて白人であったことが問題視され#OscarsSoWhiteというハッシュタグが生まれた2015年。#MeTooや#TimesUpのムーヴメントをオスカーがどう受け止めるか注目された2018年。司会に選ばれたケヴィン・ハートが過去の同性嫌悪のツイートの問題により辞退することとなった2019年。映画そのものよりも背景にある業界の問題が表面化していた。あるいは、2017年の「ムーンライト」と「ラ・ラ・ランド」の作品賞発表時の取り違えや、昨年のウィル・スミスによるクリス・ロックへの平手打ちといった「騒動」がアウォードよりも注目されがちなのも、よくも悪くもSNSの影響力が強い現代ならではの現象だろう。わたしもつい、逐一そうしたニュースを追ってしまいがちだ。
今年とくに取沙汰されたのは、他のノミネート作品に比べ知名度のなかったインディペンデント映画「To Leslie トゥ・レスリー」に主演したアンドレア・ライズボローが俳優陣の後押しを受け主演女優賞にノミネートされ、アカデミー側からキャンペーン手順に関して調査を受けたことだ。ライズボローがノミネートを取り消されることはなかったが、毎年加熱するオスカー・キャンペーンのあり方が見直される契機となった。結果として黒人俳優のなかで有力候補とされていた「The Woman King(原題)」のヴィオラ・デイヴィスと「Till(原題)」のダニエル・デッドワイラーがノミネートから外れたこと、また監督賞候補に女性が選出されなかったこと(『ウーマン・トーキング 私たちの選択』のサラ・ポーリーを有力とする向きもあった)に疑問の声が上がっていた。
現在のアカデミー賞はこうした背景が前提として共有されている現実がある。司会のジミー・キンメルがそうした話題をどのようにジョークとして調理するのか、昨年の事件について触れるのかといった関心が、あらかじめ多くの視聴者の間で高まっていた。いち視聴者でしかないわたしもまた、キンメルに課せられたプレッシャーの重さを想像して勝手にハラハラしていた。
そして授賞式本番、「トップガン マーヴェリック」の戦闘機からパラシュートで登場した(という設定の)キンメルは、冒頭のスタンダップでそうした期待に満遍なく応えるパフォーマンスを披露。もちろん恒例の出席者いじりは数多く盛りこまれていたが、昨年物議を醸したような容姿や年齢をからかうものやセクハラまがいのジョークはなく、ノミネート作品の内容を生かしたものが中心だった。また、ウィル・スミスの騒動についてもたっぷり触れはしたが、あくまで暴力行為を批判的に皮肉るのをメインとし、ゴシップ的な興味を煽るようなものではなかった。いっぽうで、ジェームズ・キャメロンが監督賞にノミネートされなかったことについて「アカデミー会員は彼を女性だと思っているのかもしれません」と言ったり、ノミネートから外れたヴィオラ・デイヴィスやダニエル・デッドワイラーに言及したりと、今年のアカデミー賞で問題だとされたポイントもさりげなく盛りこみ、抜群のバランス感覚を発揮してみせた。「スピーチの時間が過ぎたら『RRR』のダンサーたちに追い出されます」という授賞式の見どころを紹介する意味も兼ねたネタまで、キンメルは(トリウッド映画である『RRR』をボリウッド作品と言ってしまうミスはあったものの)アカデミー賞のホストの役割を全うすることをオープニングで明確に示した。ひとまずホッとした、というのがわたしの率直な感想だ。
キンメルが去るといよいよ受賞結果の発表が続く。今年の一発目は長編アニメーション部門で、多くの予想通りNetflix作品の「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」が受賞。そのクオリティが高く評価されていた同作の受賞は納得のものだったし、ギレルモ・デル・トロはアカデミー賞と馴染み深い存在である。共同監督のマーク・グスタフソンとともに彼がステージに登場すると、会場は穏やかな空気に包まれた。
そして、今年の主役のひとりは間違いなく「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」(以下『EEAAO』)で助演男優賞を獲得したキー・ホイ・クァンだった。多くのひとが熱く期待した受賞で、プレゼンターを務めたアリアナ・デボーズも受賞者を読み上げるときには涙声。キー・ホイ・クァンは涙ながらに感謝を捧げ、難民出身の自分が受賞したことを「アメリカの夢」だと語って授賞式はいきなり感動のピークに。「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」や「グーニーズ」の子役として人気を博したものの、ハリウッドにアジア人俳優の活躍の場は少なく、なかなか機会に恵まれてこなかった彼のドラマティックな復活を印象づけた。また、デボーズとともにプレゼンターを務めたトロイ・コッツァーが手話によるスピーチをおこなったこともあり、ベトナム系のクァンの受賞は近年のオスカーが強くプッシュする多様性を象徴する一幕でもあっただろう。
続けて発表された助演女優賞は同じく「EEAAO」からジェイミー・リー・カーティス。予想が割れていた部門だっただけに、授賞式序盤から早くも「EEAAO」の勢いが本物であることが証明された。「ハロウィン」シリーズで知られるカーティスは「長年、私が出演したジャンル映画を支えてくれた何千、何十万人ものひとたち、私たちはいま、ともにオスカーを受賞したのです!」とスピーチ。長らくオスカーから軽視されてきたジャンル映画からの影響をふんだんに盛りこんだ「EEAAO」が正当に評価された意義を、多くのホラー映画に出演してきたカーティスが端的に示してみせた。
主要部門で「EEAAO」が強さを示したいっぽう、技術部門で予想以上の健闘を見せたのがNetflixのドイツ映画「西部戦線異状なし」だ。確実と言われていた国際長編映画賞だけでなく、撮影賞、美術賞、作曲賞を受賞。骨太の戦争映画、しかもかつて作品賞を受賞したクラシックのリメイクということでオスカーとの相性は良かったとはいえ、今年はNetflixが弱いと言われていたなかで存在感をアピールすることとなった。短編ドキュメンタリー賞を受賞した「エレファント・ウィスパラー:聖なる象との絆」もNetflix。「ギレルモ・デル・トロのピノッキオ」を含めると計3つの作品賞を獲得しており、むしろNetflixが多様な分野で映画界に貢献していることを示す結果だったと言える。
長編ドキュメンタリー賞はプーチン政権批判で知られる活動家アレクセイ・ナワリヌイの毒殺未遂事件を追った「ナワリヌイ」が受賞。当人はロシアで投獄されているため出席は叶わなかったが、妻のユリア・ナヴァルナヤが「夫は真実を語ったために収監されている」と訴えるスピーチをした。ロシアによるウクライナ侵攻の終わりが見えないなかで、同作の受賞はプーチン政権に対抗する意味合いがこめられていただろう。今年のアカデミー賞はトランプ政権下のときほど政治的なものではなかったが、もちろん、社会的な意識が欠けていたわけではない。
賞の発表だけでなく、歌曲賞にノミネートされた楽曲のパフォーマンスも授賞式の見どころ。オスカー常連のダイアン・ウォーレンとソフィア・カーソンによる情感に満ちた「Applause」(『私たちの声』)、シュールな世界観でアカデミー賞らしからぬ時間を作り上げたステファニー・シュー&サン・ラックス&デヴィッド・バーンによる「This Is A Life」(『EEAAO』)、スーパーボウルのハーフタイム・ショウで妊娠を発表したばかりのリアーナによる「Lift Me Up」(『ブラック・パンサー/ワカンダ・フォーエンバー』)とそれぞれ個性的なステージを見せるなか、今年大きな話題となったのはTシャツとジーンズにノーメイクで「トップガン マーヴェリック」の主題歌「Hold My Hand」をダイナミックに歌い上げたレディー・ガガだ。「ジョーカー」続編の撮影に集中するため一時は欠席も発表されていたが、シンプルな歌の力でポップ・スターとしての存在感を見せつけた。そして、多くのひとが心待ちにしていた「RRR」から「Naatu Naatu」のダンス・ステージはこの日一番の盛り上がりを見せ、オスカーの国際化を象徴するひとときに。見事に歌曲賞を受賞し、インド映画界の超大御所作曲家M・M・キーラヴァーニは、自身が親しんだというカーペンターズの替え歌でスピーチして会場を微笑ませたのだった。
また、アカデミー賞授賞式ではこの世を去った映画人たちの功績を讃える追悼も重要な時間だ。プレゼンターを務めたジョン・トラヴォルタは、「グリース」で共演したオリヴィア・ニュートン=ジョンや「ベイビー・トーク」で共演したカースティ・アレイを含んだ故人たちに向けて涙に息を詰まらせながらスピーチし、「彼らの存在は永遠に“愛すれど悲し”でしょう」と締めくくった。トラヴォルタはニュートン=ジョンと歌った「愛すれど悲し(“Hopelessly Devoted to You”)」を引用。映画文化を紡いできた人々の絆をたしかに感じさせる名スピーチだった。そして、レニー・クラヴィッツが歌う「Calling All Angels」とともにレイ・リオッタ、ジャン=リュック・ゴダール、ラクエル・ウェルチ、バート・バカラックらの姿がスクリーンに映し出され、映画界を彩ってきた先人たちに想いが馳せられた。
授賞式終盤はいよいよ主要部門の発表が続く。スティーヴン・スピルバーグをはじめ錚々たるメンツが集まった監督賞も「EEAAO」からダニエルズことダニエル・クワンとダニエル・シャイナートが受賞。スピーチではクワンがアジア系の移民2世であることに言及し、シャイナートは子どもの頃に女装していたことに触れていた。後者は現在アメリカで活発化している反ドラァグのムーヴメントを背景にしていると思われる。映画にはシャイナート自らSM趣味に喜びを見出す人物としてカメオ出演していることも鑑みれば、クィア文化を祝福する「EEAAO」は様々な側面でアメリカにおけるマイノリティを肯定する映画であったと言えよう。アカデミー賞がいまダニエルズを推すのは、いたずらに気鋭作家を祭り上げるのではなく、新世代の価値観を称揚する意味もあると感じられる。
主演男優賞は「ザ・ホエール」からブレンダン・フレイザー。「ハムナプトラ」シリーズなどで活躍していたフレイザーもまた、キャリアの浮き沈みを経験してきた俳優だ。その上セクシュアル・ハラスメントの被害によるトラウマも抱えていただけに、悲願の受賞に身体を震わせながらエモーショナルなスピーチをおこなった。今回の俳優部門は長い経歴を持った俳優陣、それもキャリア初期は軽く見られがちだった者たちの功績を讃える側面が強い結果だったが、フレイザーはまさしくその象徴的な存在であった。
主演女優賞は、ケイト・ブランシェットとの一騎打ちと目されていた「EEAAO」のミシェル・ヨーが受賞。アジア系の主演賞は男女問わず史上初で、中華系マレーシア人のヨーは「今夜この式を見ている私と同じような少年少女たち、これは希望と可能性の光です」という言葉からスピーチを始め、「EEAAO」がアジア系の連帯を反映させた作品であることを強調した。そしてまた、「女性のみなさん、“全盛期は過ぎた”などと誰にも言わせないでください」「この賞を私の母と世界中の母親たちに捧げます。彼女たちこそがスーパーヒーローです」と女性に対するエンパワーメントも欠かさなかった。「オスカーでもっとも白い」と言われ続けてきた主演女優賞において、有色人種の女性は史上2人目。昨年の受賞者ジェシカ・チャステインとともに、その1人目であるハル・ベリーもプレゼンターとして登壇。アカデミーにとっても歴史的に意味のあるじつに21年ぶりの出来事となった。
そして「EEAAO」の作品賞で第95回アカデミー賞は大団円。インターネット・カルチャーのノリをふんだんに盛りこんだ同作は映像感覚として新鮮ないっぽうで、移民の家族の絆の物語であることを考えるとアメリカ映画が伝統的に描いてきたものとかけ離れてはいない。また、アメリカでは長く軽視されてきたアジア系移民を中心としていること、クィアの物語でもあること、ADHDの特性を肯定的に捉えていることなども、近年のアカデミー賞が目指す多様性や包摂性と一致するところ。たんなる一時期的な流行ではなく、ここのところの潮流を受けた結果なのだ。それらが現在のSNS文化とうまくクロスしたのが、「EEAAO」の成功だったのではないだろうか。
個人的なハイライトは、作品賞のプレゼンターを務めたハリソン・フォードに、キー・ホイ・クァンが真っ先に駆け寄って熱い抱擁を交わし、その光景をスティーヴン・スピルバーグが温かく見守っていた瞬間。スピルバーグの「フェイブルマンズ」は受賞に至らなかったが、約40年前に「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」で交わった3人の邂逅は、ひょっとするとアウォード以上に意味のあるドラマだと思える。映画文化が生み出す豊かな歴史や繋がりもまた、アカデミー賞が讃えるものであるはずだ。
結果的に作品賞、監督賞、主演男優・女優賞、助演男優・女優賞という主要6部門を独立系スタジオであるA24の作品が独占。大手メジャースタジオの苦戦や停滞が囁かれることになったが、ダニエルズはじめミレニアル世代の躍進という意味合いもそこにあったかもしれない。いずれにせよ、SNSを駆使した草の根的なキャンペーンをいかに取りこんでいくか、司会やプレゼンターに対する視線が厳しいなかでどのようにホストが「面白い」授賞式を演出するか、ノミネートや受賞結果にどのように多様性や国際性を生み出していくか……など、アカデミー賞が現在直面している課題に苦闘している様が端々から伝わってくる内容だったと言える。SNSの影響から逃れられないなかで、どのような作品が注目され評価されるのか。今後のさらなる変化を予感させられる授賞式だった。ただ、わたしもそうだが、サプライズには欠けたものの今年は安心して見られたというひとが多いのではないだろうか。ゴシップや社会的な議論にヤキモキしたり、結果に文句を言ったりしながらも、何だかんだ毎年観てしまうアカデミー賞。今年の授賞式にもまた、ハリウッドの「夢」にまつわる物語がいくつも生み出されていた。