豊川悦司が永野芽郁に施した“解放” 『半分、青い。』が描く創作の苦しみ
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創作には多かれ少なかれプレッシャーがつきまとう。0から1を作り上げ、さらにそれを膨らませていくという作業にはとてつもないエネルギーが必要とされるという。脚本家・北川悦吏子氏は自身のTwitterで以下のように述べている。
私の持論を言えば、オリジナルでホンを書くのって、ほんとーーーっに、大変で辛いので、オイシイとこだって取ってくのは、やめてあげて欲しいんです。そのひとかけらの、星の砂欲しさに、炎天下の砂漠をぶっつづけで歩くのは、作家なんです。
参考:『半分、青い。』第81話では、自分の限界を痛感した鈴愛(永野芽郁)が秋風(豊川悦司)に……
それは脚本家、小説家、作曲家、画家、そしてもちろん漫画家にも当てはまることなのであろう。
一向に筆が思うように進まない鈴愛(永野芽郁)。NHKの連続テレビ小説『半分、青い。』の第79話では、秋風(豊川悦司)が『月が屋根に隠れる』(以下、『月屋根』)の共作、つまり原案・楡野スズメ、作画・秋風羽織という形にして発表することで、鈴愛の窮地を救う。
ボクテ(志尊淳)から、鈴愛は秋風の期待を1人で担おうとしている、だから鈴愛を「漫画から解放」するようにと求められる秋風。こうして秋風は自ら『月屋根』の筆を執り始めるのであった。そう、ここで秋風が行った“解放”とは、鈴愛の筆を折ることではなかった。
秋風は過去にも鈴愛に漫画と向き合うよう進言してきた。かつて鈴愛が律(佐藤健)にフラれた際には、「物語を作ることは自身を救うんだ」と説得してみせた。しかし今回、秋風が漫画を通して鈴愛に伝えようとしたことは、「自身を救う」ということとはまた違った種類のメッセージであったのだろう。
共作という形で鈴愛のアイデアを一度形にしてあげることで、頭の中のアイデアが形になることの喜びをもう一度、少しでも鈴愛に感じ取ってほしかったのではないか。なぜなら、高校時代、初めてペンを握ったときの鈴愛はいきいきとペンを走らせていたのだから(当然その頃はまだ秋風は鈴愛のことを知らないけれど)。売れなきゃいけないとか、結果を残さなきゃいけないといった商業的なプレッシャーや、秋風の弟子として上手くいかなくてはならないといったことなど端から頭になく、ただ純粋に漫画を描く楽しさに駆られていたときの感覚を思い返してほしかった。もちろん、実際に描いたのは秋風ではあるのだが、本作の主題歌「アイデア」の歌詞、「つづく日々の道の先を塞ぐ影にアイデアを」ではないが、鈴愛の“アイデア”が何らかの形で鈴愛の創作意欲に光明をもたらすことを信じていたのだろう。
とにかくこのスランプから抜け出さなきゃいけないという、義務感に近いネガティブなモチベーションが鈴愛のペンを動かそうとしていた。それは本来の創作の形であってはならない。理想論ではあるのだけれど、体の奥底から沸々とわき上がってくる、エキサイティングな感情からくるものであってほしい。これは秋風から鈴愛に対する渾身の(ひょっとしたら最後になるかもしれない)メッセージだった。
とはいえ、鈴愛はそれでもまだ自分の漫画家としての至らなさを実感している。「先生は本物の刀で人の心を斬る」「私は偽物の刀しかない」。「心から血が流れる」ほどの漫画が描けないのだと。第80話の終盤、祖父の仙吉(中村雅俊)に電話をかけた鈴愛は、思わず「あかんかもしれない」とつぶやく。昔の、純粋に漫画を描くことが好きで仕方がなかった鈴愛に完全に戻れたかというとそうではないのであろう。しかし、失意に沈む鈴愛に、仙吉はそれでも「御の字」だと励ます。そしてこう続ける。「人間は強いぞ。鈴愛はことのほか強いぞ」と。そしてラストシーンでは、仙吉が得意のギターを使って、「あの素晴らしい愛をもう一度」を弾き語り、思わず鈴愛は涙する。ここしばらくふさぎこんでいた鈴愛の人生に光が差し始めたのを思わせるシーンであった。
子供の頃から猪突猛進型の性格であった鈴愛。彼女は漫画と出会うことで、また一つ強くなり、大人にもなった。鈴愛は秋風と出会っていろいろなことを学んできたが、それらがこれからの人生でどのような形で糧となっていくのか。今後も繰り広げられるであろう、七転び八起きの鈴愛の人生を追っていきたい。(國重駿平)