細野ゼミ 補講1コマ目(後編) ソウルミュージック補講
音楽
ニュース
「細野ゼミ」メインビジュアル
細野晴臣が生み出してきた作品やリスナー遍歴を通じてそのキャリアを改めて掘り下げるべく、さまざまなジャンルについて探求する「細野ゼミ」。2020年10月の始動以来、「アンビエントミュージック」「映画音楽」「ロック」など全10コマにわたってさまざまな音楽を取り上げてきたが、氏の音楽観をより深く学ぶべく前回より“補講”を開講している。
ゼミ生として参加するのは、氏を敬愛してやまない安部勇磨(never young beach)とハマ・オカモト(OKAMOTO'S)という同世代アーティスト2人だ。ハマのリクエストをもとに、第1回の「補講」で取り上げるのは「ソウルミュージック」。前編では、細野が特に入れ込んで聴いていた作品やベーシストとして影響を受けたプレイヤーについて語ってもらった。後編は細野が影響を受けたソウル系のベースプレイヤーの話で始まったが、話題はいつしかバンドにおけるレコーディング論に……。
※「細野ゼミ」ソウルミュージック本編はこちら(前編 / 後編)。
取材・文 / 加藤一陽 題字 / 細野晴臣 イラスト / 死後くん
基本は弱虫っぽいのが好き
──前回は、細野さんが愛聴されてきたソウルやファンクのアーティストの数々を伺いました。Sly & The Family Stoneやチャック・レイニーなど、ベースプレイヤーとして影響を受けたアーティストのお話もありましたね。
細野晴臣 うん。ベーシストとしての影響が特に強かったのは、やっぱりスライのラリー・グラハムやラスティ・アレンと、チャック・レイニーだね。ジェームス・ジェマーソンとかも聴くのは好きだけど、ベーシストとしては「同じことはすぐできそうだな」とか思っちゃうし。
ハマ・オカモト でもジェマーソンのベースは主旋律に対してもう1つのメロディのようにベースが鳴っているのがすごい。それって、細野さんにも同じことが言えると思います。
細野 ああ、そういう影響はあるかもしれない。あとは、リー・スカラーもいるね。
──リーランド・スカラーとも呼ばれていますね。ユーミンさんなど、日本の作品にも参加されています。
ハマ フレットが全部ナナメになっているベースを弾いてますね。
安部勇磨 なんで?
ハマ 人間工学に基づくと、あれがいいらしいんですよね。そもそも弾くときの姿勢や手の動きを考えたとき、全部のフレットが垂直なのがおかしいらしくて(笑)。でも、何十年もあれでやってる。あんなのよく弾けるなと思うんですけど。だから最初はピッチも合わないらしいんですよ。慣れないと。
安部 へえ、そうなんだ。
細野 それに慣れたら、普通のベースは弾けないだろうね。
ハマ 細野さん、リー・スカラーはどういう経緯で?
細野 ジェームス・テイラーだよ。
ハマ ああ、そこでか。つながりますね。
細野 ほかにもベーシストとして影響を受けた曲、いっぱいあるよ。例えばいまだに好きな曲で……。
細野 Ohio Playersの「Ecstasy」。これも好きな曲。アイデアっていうか、曲の構成が天才的だなって思ったりする。あとはクインシー・ジョーンズの「Summer In The City」。これなんかも林(立夫)と一緒に何度も聴いたな。
安部 もう、カッコいいですね。
ハマ 今のダブルストップ(※2つの音を同時に出す奏法)とか、細野さんが影響を受けているのがわかりますね。
細野 そうそう、これね。モロに。
ハマ 細野さん、Pファンク勢はどうだったんですか?
細野 そっちにはいかなかった。ちょっとハードすぎるっていうかね。僕は根が弱虫っていうか、あんまりマッチョなのがダメなのかもしれない(笑)。
──ジョージ・クリントンとかブーツィー・コリンズとか、見た目も強そうですからね。
ハマ ああ、ちょっとヤンキーっぽい感じありますよね(笑)。
細野 ジェームス・ブラウンは好きだったけどね。まあ基本は、弱虫っぽいのが好きなんだよ。
ハマ ソウルやファンクって、マッチョで土着的な印象がある一方で繊細なアーティストも多いですよね。カーティス・メイフィールドとか、アル・グリーンとか、ダニー・ハサウェイとか。
細野 そういう人たち、好きだねえ。あとはビル・ウィザースも。ジェームス・ギャドソンってドラマーが好きだった。シカゴのThe Chi-Litesとかね。The Natural Fourっていうすごくロマンチックなボーカルグループもよかったな。バラード系が好きだった。
ハマ だんだん細野さんが好きなものが立体的になってきた感じがする。
安部 うん(笑)。
──ムードが大事なんですね。
ハマ そうかもしれないですね。だってさっきのOhio Playersなんて「Ecstasy」ですもんね(笑)。曲が始まったとき、もうその空気がある。
細野 マーヴィン・ゲイとか、あれを聴いてセックスする人が多いって聞いたよ。どっちかっていうとそういう音楽が好き……別にセックスは関係ないけど(笑)。そうやっていろいろ聴いていると、やっぱりスライはちょうどいいところにいるんだよね。よくあんな音楽ができるなと。「Runnin' Away」とかね。もうあんな曲は二度と出てこないと思う。
ハマ ジャンルがないですよね、スライは。あれがジャンル。一般的にはファンクとかソウルとかでくくるんでしょうけど。
細野 スライは2008年に「東京JAZZ」で来日して、僕も東京国際フォーラムに観に行ったんだ。
──「まさかの初来日公演」と話題になりました。
細野 そのときに大好きな「Family Affair」を歌い出して、ジーンときたね。改めて、「こんなにスライが好きなんだな」と思って。
ハマ いやあ、バンドの話はいいですね。diskunionのフリーペーパー(※「レコードがある暮らし」。ハマは連載を担当している)でもあんまりしてないと思う。細野ゼミ特有。
細野流レコーディング
細野 前回、Charles Wright & The Watts 103rd Street Rhythm Bandの話が出たよね。これちょっと聴いてみて。今聴くと普通かもしれないけど。
細野 リズムのパターンがすごく魅力的でしょ。“ドン ドンツ ドドッ ドン”って。こういうところに情熱をかき立てられたんだ。
安部 ああ、カッコいい。
ハマ “この時代の録り音”っていうのかな。細野さんたちの作品を聴くと、そういったサウンド感も忠実に表現するじゃないですか。やはりエンジニアさんともコミュニケーションを取っていたわけですよね。細野さんのこれまでの作品を聴いていると、エンジニアの方との組み合わせの妙もあるんだろうなって。ティン・パン・アレーでやられていた、いしだあゆみさんのアルバム「アワー・コネクション」とかを聴くと、当時の海外のサウンド感を再現できているのがすごい。
安部 そうだね。今聴いても、伝わってくる空気感が違う。なんか、ああいう昔の音源って、フワッと香ってくるじゃないですか。今のレコーディング技術や機材などでノイズが減ってしまったからなのかどうかはからないですけど、僕はああいう時代の音が好きだから体が勝手に反応しちゃう。「どうやったらあの音を出せるんだろう」とか、そういうのを考えるのも楽しいし。ハマくんとかも、OKAMOTO’Sで「あの時代の音を出してみよう」ってやってみたりする?
ハマ 僕らも好きな昔の曲をコピーとかするけど、それが同じように録れるかは別の話。「ああいう音に近付けよう」と思って行動することはできるけれど、やっぱり毎度、痛感するよね。「難しいよな」って。前回勇磨が言っていたように、「こういう話を聞いたから、実際にそのアーティストの音源を聴いてみる」って音楽自体を知ることも大事だけど、同時に“耳のチューニング”みたいなのも大事っていうか。細野さんたちもセッションで作ったことが多かったと思いますけど、やっぱりどこかでメンバーやエンジニアの方と会話をしたりして、イメージに近付ける作業はあったんだろうなって。
細野 はっぴいえんどの1枚目あたりは、僕らのやりたいサウンドを誰もわかっていなかったから大変だった。だけど70年代あたりからエンジニアも変わってきて、話さなくても大丈夫になったな。急激に、飛躍的に進歩したよね。やっぱりマルチトラックレコーダーが出てきてからなのかな。エイプリル・フールのときは2ch、4chとかの時代で、はっぴいえんどの頃は8chだったと思う。
──安部さんはかねてから、細野さんにレコーディングについて聞きたいことがたくさんあるとおっしゃっていましたよね。今の話の流れで伺うのはちょうどいいかもしれません。
ハマ そうじゃん。自分で録音してるじゃん。ソロを。
安部 いやもう、機材から何から全部伺いたいです。細野さんの音を聴いていると、「なんでこんな音になるんだろう」って思うんです。“デカい岩”みたいに聞こえるんですよ。山の中にある、デッカい岩みたいな。ドシンとしてて、温かくて、暴力的じゃなくて、太くて、なんか優しい。
細野 それはよくわかんないわ(笑)。
安部 音をどういじると、ああいう魔法が生まれるのかが知りたい。ビデオカメラをスタジオに設置して、細野さんの作業を全部見たいくらい。あとは、細野さんが今レコーディングするとしたら、ミュージシャンたちとどういうコミュニケーションを取るんだろう、と。細野さんって、ミュージシャンへの“伝え方”が上手なところがあるんだろうなと思うんです。僕自身、「バンドメンバーにどこまで伝えるべきなのか」とか、「どういう言い方がいいだろう」とか考えてしまうんですよね。だって自分の言い方によって、相手の汲み取り方も変わるじゃないですか。仮にセッションで作っていくとき、細野さんは「それ、違うね」とか言うのかな?とか。そういうことをいろいろ知りたいんです。
──マネジメントだったり、プロデュースだったりの手法というか、考え方についてですね。
細野 バンドってのは、みんなそれぞれ個性がある人たちの集まりだから、そういう人たちの個性を無視しちゃうとダメなんだよな。だからこそ、そのメンバーでできることしかできないっていうか。設計図をしっかり作り込んで、それに当てはめようとするとあんまりうまくいかない。
安部 細野さんにも、設計図に当てはめようとした時期はあったんですか?
細野 僕の場合、最初からざっくんばらんなんだよね(笑)。バンドのメンバーが優秀な人たちばかりだから。
安部 曲を作ったときに思い描いている完成像があると思うんですけど、レコーディングでいろいろな人が関わることで、想定していたものと乖離していくようなことは?
細野 想定以上はたまにあるけど、想定外はないね。イメージを共有しているから。普段も同じような音楽をみんな聴いていたし、みんなが好きなことも大体わかっているし。だからそんなに難しいことではないよね。
バンドは勉強になる
──そもそも細野さん自身がバンド出身であることも、プロデュースワークで生かされているんでしょうかね。
細野 そうかもしれない。バンドは勉強になるんだよ。
ハマ トロピカル三部作(「トロピカル・ダンディー」「泰安洋行」「はらいそ」)を作っているときに感覚が異なるスタジオミュージシャンとかを呼んでいたら、いろいろ質問されていたでしょうね。「これってどういうこと?」「この弾き方で合ってるの?」「さっきまでラテンっぽかったのに、急に民族音楽みたいなのはどういう意味?」みたいな。
細野 そういう会話は全然したことがなかったな。
ハマ 「そんなこと説明するのが一番面白くねえな」ってなっちゃう気がしますね。あれは、あのメンバーで録っていたからできたのかもしれない。
安部 基本的にはコード進行だけみんなに伝えて、「ちょっとやってみよう」って感じで作っていたんですか?
細野 まあそうね。譜面で“行き方”だけ伝えてね。リピート、ダルセーニョとかを書くわけ。それでコードを書いて、「ここは1拍食う」とかね。ハイフン付けて。
ハマ だとしても、「Choo Choo Gatagoto」をそうやって演奏するってすごいですよね。
安部 うん、それでまとまってるっていうのがすごい。僕の場合、自分が「このアプローチでいきたい」と思って、バンドメンバーが違うものからの影響を入れてきたりすると、それがいい意味で混ざるといいんだけど……細野さんがおっしゃる通り「そこも含めて面白くなるかも」とは思いつつも、「このアレンジは絶対に違うんじゃない?」と言ってしまう自分がいる(笑)。細野さんの三部作とかを聴いていると、「あれだけいろんなミュージシャンがいて、なんでああいうふうに曲を作れるんだろう」って。自分の体験としてはないことだから、すごく不思議。
細野 今やれって言われたってできないよ。あの時代だからできたことで。
ハマ 俺はプレゼンはするよ。みんなにリファレンス音源を聴かせて、「ちなみに自分はこういうふうに弾いていました」って。で、相手からもそういうのが出てくることもあるじゃない。その場合はどっちのアイデアがハマるかを考えはするものの、それこそ細野さんが言ったように、「できることしかできない」っていうか。「確かにこの感じがいいからやってみよう」でできることもあれば、「そういう音楽を聴いてきてないし、そもそもあんまりいいと思っていない」ってことになることもある。で、そういう人に無理やりやらせてもよくない。そうなると、プレゼン力がある人が勝つよね(笑)。
安部 そうだよね。
細野 歌謡曲の仕事とかがそうだったけど、オールマイティなスタジオミュージシャンを集めてやるときは、もう少しコミュニケーションを取るけどね。でも、バンドっていうのは情報量がそれほど多くなくていいわけだ。特に70年代はそういう時代だったし、それが普通だったんだよ。だから、今あれをやるとなっても難しい。ブギウギのバンドなんかは、自分自身もブギウギをやったことないし、メンバーもみんな知らないわけで、試行錯誤でやっていたんだよ。それがまた面白かったんだよね。
ハマ 細野さんも含めて、「みんなで知っていこう」みたいな感じか。
細野 そう。初めてだったから、最初は音にはならなかったね、もちろん。
誰でもできるようになると面白くない
安部 またソウルとは関係のない話なんですけど、細野さんって、1つのプロジェクトを終わらせて別のプロジェクトを始めるとき、どういう感覚なのか知りたくて。「もうやめどきだな」とか「つまらなくなってきたな」とかなのか、「なんか違ってきたよね?」みたいなテンションなのか。例えばですけど、「はっぴいえんどを残しながら違う音楽をやってみよう」という話にはならなかったんですかね? あるいは、「電子音楽をそのままはっぴいえんどでやってみよう」とか。
細野 はっぴいえんどの頃は、電子音楽を作ろうなんて全然考えてなかった。はっぴいえんどってバンドは、どちらかといえばカントリー系だったんだよ。でもそのうちに、僕が林立夫とか鈴木茂とか、周りの人間と一緒にビリー・プレストンとかブラックミュージックを聴き出したわけ。それで、ああいう要素を取り入れたソロを作ろうかなと思って。それでも半分はカントリーだから、大きくは変わってないつもりなんだよね。そこから先は変わっちゃったわけだけど。
ハマ 「新しく目についたものを、今やっているバンドでやってみよう」というのと、ソロでのそういう方向性が、混在しているってことですよね。
細野 そう。だから、スパッと変わるわけじゃないんだよ。ただ、長い間音楽やバンドをやっていると、「あれやりたい、これやりたい」がいっぱい出てくるじゃない。そして「やっとこれができる!」とやってみたものがそれまでとテイストの違うものだったりすると、傍から見ると急に変わったように見えちゃう。最近もそうなんだよ(笑)。
安部・ハマ はははは。
ハマ リスナー側は、その思いはわからないですからね。やっぱり「やりたい!」っていうのは、全然新しいプロジェクトを発足させる前からあるわけで。
細野 そう。機運が高まってきたりしてね。そういう意味では、特にこの3年間は難しかったよ。つい2、3年前に考えていたことが今はもう違うから。どういうアルバムを作ったらいいか、まだわからないんだよ。
ハマ 次作に関してはたびたびお話しされていますよね。「次はどうしようか」って。
細野 うん。例えば最近、SKETCH SHOWとか(高橋)幸宏のアルバムをずっと聴き直しているんだよ。SKETCH SHOWの活動期間は2年間くらいかな。本当にのめり込んでやっていたんだよね。ノイズを“チリチリ”いわせて(笑)。そのあと別れて、幸宏はソロを作り出したわけだ。最近、SKETCH SHOWが終わったあとの初めての幸宏のソロの「BLUE MOON BLUE」ってアルバムを聴いていたら、SKETCH SHOWをより洗練させてカッコよくしたような作品なんだよね。で、僕が何をやり始めていたかというと、SKETCH SHOWとはまったく違うことをやり始めたんだ。
──細野さんのSKETCH SHOW後は、アルバムで言うと「FLYING SAUCER 1947」です。このあたりからブギウギに至るまでの流れが始まっていきます。
細野 なんで僕が全然違うことを始めたかというと、SKETCH SHOWの後半あたりになると、いろいろなアプリがリリースされて、エレクトロニカが定番になっちゃった。要するに誰でもできるようになってしまったわけ。そうすると面白くないんだよ。特にああいう音楽は、手作り感が必要だったからね。だからアプリがたくさん出てきたことで、「ああ、もう繰り返しになっちゃうんだな」って思ったわけ。
ハマ 確かに、「この機材を買えばあの音が出る」というのが定番になったら、創作意欲は湧きづらいですよね。「あれ、どうやってやってるんだ?」が大事だった。
細野 そうそう、全然クリエイティブじゃなくなっちゃう。それはファンクのリズムに夢中になったときだってそうで、「どうやってるんだろう?」っていう気持ちから始まっているからね。
──細野さんの取り組んでいく音楽が変化してきた理由が伝わりましたね。安部さん、いかがでしたか?
ハマ 勇磨は、バンドの中での殴り合いとかを望んでいるんでしょ?
安部 いやいや(笑)。なるほどなと思いました。僕、「もうやりきったな」とか、「違うな」とか、ついつい考えてしまうわけですよ。「30代に入ったな」とか、「何歳まで続けるのかな」とかね。そういうのを、細野さんはいつもどうしてきたのかなって。
細野 現実に生きていると外的要因が影響することも多いよ。「これをやりたい」という気持ちだけじゃダメなんだよね。
──とはいえ、「同じようなものが増えてきたから、そうじゃないものを作ろう」と考えて違うことを始めることも、動機としてはあるわけで。
ハマ そう、ホントにその繰り返しもある。一昨年くらいに細野さんと昨今のシティポップブームについて話していて、細野さんはひと言、「わからない」で終わったんだけど(笑)。とはいえ、海外発のシティポップブームってあるじゃない。ああやって広がることはいいことなんだけど、一方で、みんな横一列になっちゃう。その横一列の感じを見てもなお、「ああいうものを作りたい」と思うか、「いいでしょ、もうやらなくて」になるか。
細野 まあ、この時代になると、もう出尽くしてしまっているところはあるよね。僕は大瀧くんが言う“ポップスの外に出たアバンギャルドな人間”だから(笑)、どこかまっしぐらになれないところもあるのかもしれない。ただ、1960年代、70年代のポピュラーミュージックって、ヒットする曲はほかの曲とどこか違ったんだよ。“似てるけど違う”。それがヒットの要因だったわけだ。すごく直接的で……まあ理屈じゃないものがあるわけ。その頃のヒット曲が全部面白かったというのはそういうことで、それに影響されていたわけだ。そういう意味では僕も大瀧くんと同じように、根っこはポップスの人間ではあるとも思うね。
──はい。巡り巡って最終的には細野さんのプロデュースについての話にまで到達しましたが、今回はこのあたりでお時間です。次回以降も、“補講”というフォーマットでいろいろとお話を伺えればと思います。
<終わり>
細野晴臣
1947年生まれ、東京出身の音楽家。エイプリル・フールのベーシストとしてデビューし、1970年に大瀧詠一、松本隆、鈴木茂とはっぴいえんどを結成する。1973年よりソロ活動を開始。同時に林立夫、松任谷正隆らとティン・パン・アレーを始動させ、荒井由実などさまざまなアーティストのプロデュースも行う。1978年に高橋幸宏、坂本龍一とYellow Magic Orchestra(YMO)を結成した一方、松田聖子、山下久美子らへの楽曲提供も数多く、プロデューサー / レーベル主宰者としても活躍する。YMO“散開”後は、ワールドミュージック、アンビエントミュージックを探求しつつ、作曲・プロデュースなど多岐にわたり活動。2018年には是枝裕和監督の映画「万引き家族」の劇伴を手がけ、同作で「第42回日本アカデミー賞」最優秀音楽賞を受賞した。2019年3月に1stソロアルバム「HOSONO HOUSE」を自ら再構築したアルバム「HOCHONO HOUSE」を発表。この年、音楽活動50周年を迎えた。2021年7月に、高橋幸宏とのエレクトロニカユニット・SKETCH SHOWのアルバム「audio sponge」「tronika」「LOOPHOLE」の12inchアナログをリリース。9月にオリジナルアルバム全3作品をまとめたコンプリートパッケージ「"audio sponge" "tronika" "LOOPHOLE"」を発表した。
・hosonoharuomi.jp | 細野晴臣公式サイト
・細野晴臣 | ビクターエンタテインメント
・細野晴臣_info (@hosonoharuomi_)|Twitter
・Hosono,Haruomi (@hosonoharuomi_info) ・Instagram写真と動画
安部勇磨
1990年東京生まれ。2014年に結成されたnever young beachのボーカル&ギター。2015年5月に1stアルバム「YASHINOKI HOUSE」を発表し、7月には「FUJI ROCK FESTIVAL '15」に初出演。2016年に2ndアルバム「fam fam」をリリースし、各地のフェスやライブイベントに参加した。2017年にSPEEDSTAR RECORDSよりメジャーデビューアルバム「A GOOD TIME」を発表。日本のみならず、上海、北京、成都、深セン、杭州、台北、ソウル、バンコクなどアジア圏内でライブ活動も行い、海外での活動の場を広げている。2021年6月に自身初となるソロアルバム「Fantasia」を自主レーベル・Thaian Recordsより発表。2023年5月17日に新作EP「Surprisingly Alright」を配信と12inchアナログでリリースする。
・never young beach オフィシャルサイト
・Thaian Records
・never young beach (@neveryoungbeach)|Twitter
・Yuma Abe (@_yuma_abe) ・Instagram写真と動画
ハマ・オカモト
1991年東京生まれ。ロックバンドOKAMOTO'Sのベーシスト。中学生の頃にバンド活動を開始し、同級生とともにOKAMOTO'Sを結成。2010年5月に1stアルバム「10'S」を発表する。デビュー当時より国内外で精力的にライブ活動を展開しており、2023年1月にメンバーコラボレーションをテーマにしたアルバム「Flowers」を発表。またベーシストとしてさまざまなミュージシャンのサポートをすることも多く、2020年5月にはムック本「BASS MAGAZINE SPECIAL FEATURE SERIES『2009-2019“ハマ・オカモト”とはなんだったのか?』」を上梓した。
・OKAMOTO'S OFFICIAL WEBSITE
・ハマ・オカモト (@hama_okamoto)|Twitter
・ハマ・オカモト (@hama_okamoto) ・Instagram写真と動画