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市川左團次が右下葉肺がんにより82歳で死去、尾上菊五郎・市川團十郎がコメント

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市川左團次(c)松竹

市川左團次が、昨日4月15日3:48に右下葉肺がんにより死去した。82歳だった。

左團次は1940年11月12日、三代目市川左團次の長男として東京都に生まれる。1947年5月に東京劇場「寺子屋」の菅秀才で、五代目市川男寅として初舞台を踏み、1979年2月に四代目市川左團次を襲名した。敵役の演技に定評があり、歌舞伎十八番「暫」の清原武衡、「助六」の意休、「実盛物語」の瀬尾十郎、「御所五郎蔵」の星影土右衛門などで存在感を見せた。

1997年に松尾芸能賞優秀賞、1998年に眞山青果賞特別賞、2016年に日本芸術院賞を受賞し、2011年に旭日双光章を受章。最後の舞台は今年1月に東京・国立劇場で上演された「遠山桜天保日記」で、左團次は羅漢尊者を勤めた。

訃報を受けて尾上菊五郎は「今日、左團次さんに会ってきましたが、側にいてお顔を見ているといろいろな思い出が胸にこみ上げてきました。年代も近いので、小さい時から一緒でしたし、今に至るまで共に数多くの舞台に立ちました。役者としても人間としても明るく優しい、茶目っ気もある、素晴らしい仲間です。五月、六月の歌舞伎座でご一緒できるのを楽しみにしていました。今はゆっくり休んで欲しいと只々願うばかりです」とコメント。

また市川團十郎は、幼少期から交流があった左團次との思い出を振り返りながら「昨今では、市川宗家としての私に対して、『市川宗家である』ということを左團次さんは行動で示し続けて下さいました。言葉では言い表せない感謝があります。そして昨年十一月、十二月の團十郎襲名では、二か月間お付き合い下さり、倅の『外郎売』では朝比奈を、私の『助六』ではくわんぺらを、そして十二月の『口上』では襲名の披露の口上をしていただきました。本当に感謝してもしきれません。私自身はもとより、歌舞伎界にとりましても大変な損失です。この悲しみは、言葉では言い表すことができません。心よりご冥福をお祈り申し上げます」と語った。

なお葬儀は4月20日に家族葬にて行われる。