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ぴあ 総合TOP > デビュー35周年! 筋少×ジュンスカ同期インタビュー「もう50を過ぎたらバンドは立ってたらそれでいいんだと思うんだよね(笑)」

デビュー35周年! 筋少×ジュンスカ同期インタビュー「もう50を過ぎたらバンドは立ってたらそれでいいんだと思うんだよね(笑)」

音楽

インタビュー

ぴあ

左から)森純太、宮田和弥、大槻ケンヂ、内田雄一郎 Photo:石原敦志

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筋肉少女帯、JUN SKY WALKER(S)。ともに80年代バンドブームを駆け抜け、90年代後半にはバンドの解散や休止を経験、そして00年代後半に活動を再開するといった、似たような紆余曲折を経て、共に今年がデビュー35周年の節目にあたる。そんな盟友と言ってもいい2バンドから、筋少は大槻ケンヂ&内田雄一郎、ジュンスカは宮田和弥&森純太が参加して同級生対談が実現した。80年代後半のバンドブームから現在の活動まで、当事者しか知りえないエピソード満載で語り尽くす。

「サウンドは全然違うんだけど、エネルギーみたいなものはすごくリスペクトしていましたね」(宮田)

――もうすでに取材が始まる前にお話が弾んでいますが(笑)。

宮田 大槻とはこの間ラジオで会って話したばっかりだったというのもあったしね。で、今日はここへ来る前彼を喫茶店で見かけたんですよ。

大槻 そうそう。

宮田 窓際にいたから僕が外から呼んで。

JUN SKY WALKER(S)・宮田和弥

――え、偶然見かけたんですか?

宮田 そうなんですよ。

大槻 明るい人だなーって思った(笑)。

――(笑)。ちょっと振り返ってお話を伺いたいのですが、最初にお互いのバンドを知ったのはどういうきっかけだったんですか?

大槻 野音で初めて会ったんだと思う。

 会ったのはそうだよね。でも存在は知ってたけどね。

宮田 インディーズの当時は僕らより筋少の方が有名だったんで。ナゴムだったしね。僕らは雑誌で見てた側だったから。先に行ってる存在だった。

 そうね。

宮田 だから吉本の芸人さん的に言えば、僕らの方が後輩感ある(笑)。

 渋谷のLa.mamaが俺らのホームなんですけど、そこによく筋少のフライヤーが貼ってあったりしたし、そもそもバンド名も変わってるからすごく印象が強かったですよね。

大槻 La.mamaはよくやったもんなぁ。でもね、我々はよく同学年の人から先輩だと思われてる節があるんですよ(笑)。だから雑誌『宝島』に小さくても載ってたってことは、当時のバンドマンにとっては大きかったんだと思う。そこが先輩感を出してることになってたんだと思う。

宮田 確かにね。『宝島』に載ってるっていうのはデカいよね。

内田 『FOOL'S MATE』に載ってるぜ、とかね。

宮田 そうそう。

 『DOLL』とかね。

大槻 でも、こっちとしては小さく載っただけだから、そんな気にもしてなかったんだけど。ジュンスカは、ホコ天とかから勢いのあるバンドが出てきたっていう噂を最初に聞いていて、それで野音で一緒になったんだけど、あの時は確か、THE RYDERS、筋少、ジュンスカの順番で、もうその時点ではジュンスカは大ブレイクしてたよね。

筋肉少女帯・大槻ケンヂ

内田 うん。カッコいい人たち!って感じだった。僕らはあんまりカッコ良さを追求してなかったからね。

大槻 ああ。

宮田 俺は何て言うか、筋少は狂った集団っていうか(笑)。

大槻 うん、狂ってた。

宮田 三柴くん(三柴理。当時は三柴江戸蔵という名前だった)とかのインパクトもすごかったし、ぶっ飛んでるっていうか。だからサウンドは全然違うんだけど、エネルギーみたいなものはすごくリスペクトしていましたね。

大槻 その野音の時に、THE RYDERSのOHNOさんがトイズファクトリーの旗を振ってたのを憶えてる。

宮田 え、それ知らない(笑)。

大槻 特に筋少なんてさ、レーベル旗揚げの意識なんてなかったじゃない。

内田 うん。よくわかんなかった。

大槻 ジュンスカはどうだったかわかんないんだけど、OHNOさんが「俺たちのレーベルだ!」って旗を振ってるのを見て、あ、そういうふうに考えなきゃいけなかったんだって気づかされたというか、OHNOさん、いい人だな〜って思った。

宮田 THE RYDERSは一緒に「電撃バップ」(ラモーンズ)のカバーやったりさ、それこそ3バンドで回ったでしょ。筋少、THE RYDERS、ジュンスカで。

大槻 やったよ。

宮田 俺、いつもTHE RYDERSの楽屋にいたのよ。当時いたメンバーのTSUDAくんは渋谷のタワレコの向かいで店やってて。

 DEE DEEね。

大槻 あ〜。ギターのTSUDAさんね。

宮田 俺はその店にもよく遊びに行ったりしてたから、THE RYDERSは仲良かったんだよね。

大槻 THE RYDERSは一時期おんなじ事務所だったんだよね。

内田 うん。

筋肉少女帯・内田雄一郎

大槻 PCMで。

宮田 あー、そっか。GO-BANG'Sもいて。

大槻 だからLOFT、La.mama界隈でしょ。

――筋少とジュンスカが出会った野音というのは、トイズファクトリーの旗揚げイベント『TOY'S BOX』ですよね?

大槻 そうです。で、その後も何回か『TOY'S BOX』はやってるんですよね。

内田 かまいたちとかもいたよね。

大槻 かまいたち!

宮田 MARQUEESとかね。

 MARQUEESは最初の野音にもいたよね。

JUN SKY WALKER(S)・森純太

大槻 え、そうだったっけ!? そうだったね!

内田 いや、最初はTHE RYDERS、ジュンスカ、筋少の3バンドだった。最後にみんなで「電撃バップ」やろうってなって、でも僕らよくわかんなくて、しかもギタリストがいなかったんだよ、その時。

宮田 はいはいはい。

大槻 僕ら全然ラモーンズ通ってなかったもんね。

内田 で、今度は筋少がメインでやるセッションっていうことになって、曲どうしよう? わかんないね、なんでもいいや、じゃあ「スモーク・オン・ザ・ウォーター」(ディープ・パープル)でっていうのって憶えてる?

宮田 いやそれは憶えてないな。

内田 やったんだよ。

宮田 だから名古屋か大阪かってことだよね。

大槻 筋少、ジュンスカ、THE RYDERSで?

宮田 そう。出順を変えて、それぞれのバンドが仕切る日、みたいなのがあったんだよ。

大槻 で、「スモーク・オン・ザ・ウォーター」やったの? えー、憶えてない。俺が憶えてるのは、『TOY’S BOX』の代々木かどっかで、最後何やろう?ってことになって、「ツッパリHigh School Rock'n Roll」をやったの。それが、なんかすごく解せなかったのね。正直俺としては(笑)。なんでその曲やるんだよって思ったんだけど、その後、いくつかのセッションで、何やろう?ってことで、あんまり共通する曲がないっていう時に、じゃあ銀蝿やる?ってことになって「ツッパリHigh School Rock'n Roll」を結構やったんだよね。

宮田 それにしても面白いね、こうやって話すと。俺の知らない記憶が出てきたり、誰か一人が憶えてることがあったり。

内田 トイズのバンドをシャッフルしてやったのって憶えてるよね?

宮田 うんうんうん。あん時やったのが「悪の草」?

大槻 そうそう。(寺岡)呼人くんと、川井健(Bonnie Duck!?)とミスチルのドラムの鈴木(英哉)くんとかとやった。BUCK-TICKの「悪の華」を「悪の草」って言って歌ったんだけど、それが動画として残ってて、井森美幸さんのオーディション動画くらい再生されてる(笑)。

全員 あはははは!

大槻 もしかしたら俺関連で一番再生されているんじゃないかって思う。

宮田 それ残ってるってことはBUCK-TICKも公認なの?

 目をつぶってるってだけでしょ(笑)。

大槻 あの時憶えているのは、「悪の草」って言って、スベったのよ。で、それがテレビで放映されたんだけど、それを見た和弥くんが、「大槻はすごい。会場ではスベってた。でもテレビで編集されたら受けたようになってた。それを見越して言ったんだろう」って(笑)。

内田 テロップの入れ方がうまいんだよ。

宮田 確かに。

内田 で、その時のシャッフルはくじ引きでメンバーを決めたじゃない。バンドが集まってワイワイ文化祭のようにやってたのに、その頃橘高文彦はダメ人間だったから(笑)、ひとりだけ来なかったんだよ。

大槻 来なかったんだ。まあ彼は若き日悩める人だったから。

内田 まあ本番は来たけど。なぜか僕と橘高と和弥くんが同じバンドになっちゃったの。

宮田 そうだ! それ憶えてる。

 何やったの?

内田 それで、橘高来ないから意地悪でブラック・サバスやろうかって言って、なんで意地悪でブラック・サバスなのかもはやわかんないんだけど、和弥くんがヤバイって思って、いやいやちょっと、ジュリーとかにしようよって言って。

宮田 はいはいはい。それで「カサブランカ・ダンディ」をやったのか。

内田 そうそう。ジュリーの真似してみんな帽子かぶって。その相談をしているところに、純太くんが、「ブラック・サバスいいな」って(笑)。

 ああ、それ憶えてる。自分が何をやったのかは憶えてないんだけど、内田くんのいるスタジオの扉をガチャンと開けたら、ブラック・サバスの「N.I.B.」のイントロが聴こえてきたから、いいなーって言ったのは憶えてる。

大槻 そしたら、ほかのグループは何をやったんだ?

内田 「悪の草」と。

大槻 で、ジュリーやって、あ、おいちゃん(本城聡章)とかはフィンガー5だったっけ?

内田 違う違う。チャゲアス。

大槻 チャゲアス!?

 桜井くん(和寿)が歌ったんだっけ?

大槻 そうそう。「SAY YES」だ。そっちの方が「悪の草」より鉄板で受けるんで、一時期トークイベントでかけまくった(笑)。さっきも言ったけど、その時のイベントのドキュメンタリーみたいなのをテレビでやったのよ。そのオーディオ・コメンタリー的なものをやったのが僕と、なぜか西田ひかるさんだったのよ。俺はまあ出てるからあれなんだけど、西田ひかるさんはたぶん筋少もジュンスカもまったく知らなかったと思うんだよね(笑)。

宮田 なるほどな。だから俺さ、西田ひかるさんに謎に挨拶されたことあるのよ。

大槻 それだ!(笑)。

宮田 それなんだな(笑)。俺は面識ないんだけど、知ってるふうな感じで挨拶されたから、なんでだろうなって思ってたんだよ。

大槻 よかったね、何十年後に謎が判明して(笑)。

――いろいろと記憶がジョイントしますね(笑)。

大槻 みんなでポスターの写真を撮ったよね。懐かしいなー。明らかにひとりだけ変な方向を向いているやつがいたよね。

宮田 いたいた(笑)。

大槻 なんでこいつはこれをOKにしたんだろう?って思ったもん。

宮田 そいつ以外よかったからじゃない。今みたいにデジタルで合成とかできないから。

「いろいろとジュンスカのことは伝え聞いてた。厳しい現場だったって(笑)」(大槻)

――ジュンスカは97年に解散、筋少は97年に最後のアルバムをリリースし、99年に活動を凍結しました。それ以後、お互いに個人レベルでの交流はあったんですか?

大槻 ちょうど筋少の活動が凍結した頃だったかな、純太くんが僕のところで弾いてくれたりしたよね。

 あー、はいはい。

大槻 その時僕が純太くんにずっと“猪木ハラスメント”をしていたという(笑)。

 あれ、それなんだっけ?

大槻 いや、当時俺、猪木の話ばっかりをしてて(笑)、それで「猪木さん」って言ってたんだけど、純太くんが「猪木」って言ったら、「猪木さんと言え!」って怒るっていう(笑)。

内田 そんな猪木信者だったのか。

大槻 いやそんなことないじゃん(笑)。

 あれはソロのライブだったよね。名古屋、東京と。

大槻 あれ? あの時ベース誰だったっけ? 内田くんじゃなかったかな。

 あの、マルコシアス・バンプの。

大槻 あ、佐藤研二さんだ。

 で、川井健もいた。

――それは筋少の活動休止以後ですか?

大槻 いや、前だね。『ONLY YOU』を出した時か。

 そうだね。

大槻 和弥くんとは、ジェット機とも一緒になったり。

宮田 そうだね。

大槻 水戸(華之介)さん(ex.アンジー)とか、あっちゃん(ATSUSHI/ニューロティカ)とかと「マイ・ウェイ」歌ったりしたよね?

宮田 あったね。だから、お互いに解散したり休止したりする前っていうのは、筋少とジュンスカで何かやるっていうのはなかったよね。

大槻 うん、なかったなかった。

宮田 でも、大槻が『リンダリンダラバーソール』(書籍)を出したりとか、そこで僕のことを書いたりしてくれたりしたから、そういうこともあって一緒に何かやっているわけではないけど、どこか近くにいるような感じはありましたね。

大槻 あとは共通の知り合いのバンドもあったしね。

宮田 だから、いつ会ってもあんまり久しぶりって感じがしないんですよね。しかも、今大槻のマネージャーをやってる永井くんはもともとずーっと一緒にジュンスカのツアーを回ってくれてたんですよ。

――あ、そうだったんですか。

宮田 僕の衣装を乾燥機かけて縮めたっていう。その小さくなった衣装がちょうどSOPHIAのギターのジルくん(豊田和貴)に合うっていうことで、彼が着てた。豹柄のジャンプスーツみたいなやつ。

大槻 だからいろいろとジュンスカのことは伝え聞いてた。厳しい現場だったって(笑)。すごく昭和な感じの。やー、筋少と違うなーって思ってた(笑)。

――メジャーデビューして、大体10年くらいで活動が止まって、で、また10年くらいして再開してっていうサイクルが筋少もジュンスカも同じなんですけど、そこに何があるんでしょうか?

大槻 いや、バンドってそういうもんなんですよ。大体ある程度やると、ちょっと……っていう時期があるんじゃないですかね。

宮田 それこそ内田くんと大槻って同級生でしょ?

大槻 うん。

宮田 で、俺らも中1から、まあ森くんは一個上の先輩だけど、なんかそういうのもあるのかもね。同級生で一緒に組んだバンドだしっていうのも。わかんないけど。

大槻 いや、あるでしょう。

宮田 ミスチルとかBUCK-TICKとかってメンバーも変わってない、解散も休止もしてない、これは本当にすごいと思うよ。BUCK-TICKは俺らと同期じゃん。ミスチルは少し下だけど。ユニコーンも一回解散してるしね。

大槻 ジュンスカとユニコーンって『宝島』の表紙を一緒に飾ってなかった?

宮田 『宝島』じゃないね。『PATi-PATi』とかじゃなかったかな。

大槻 『PATi-PATi』ね。いろいろあったな、音専誌も。当時のライターさんもみんな年が近かったからね。皆さんお元気かな。

内田 偉くなってるんじゃない?

宮田 そうだよね。

大槻 そうか。僕らって、校長先生とか社長の年だもんね。CEOだよね。

宮田 下手したらもうすぐ定年だよ(笑)。

「ある意味ブームでワーッと世に出たんだけど、でも普段の俺のままだぜっていう気持ちは共有してたよね」(大槻)

――デビューしたくらいの頃、将来のことは全然考えてませんでしたか?

宮田 まったく考えてなかった。

大槻 考えてなかったなー。

宮田 この間ラジオで大槻も言ってたけど、35年もやってるとは思わなかったって。本当にそうだよ。

大槻 思い出した。たまたまワーッと世に出ちゃったから、20代は、まあ今やってることをやりましょうと。30になったらインドにバックパッカーの旅で行って、40で帰って来て、みたいなことを20代の頃考えてた。若者らしくていいでしょ(笑)。

内田 いい。

大槻 そういう生き方もあっただろうしね。実際、バンドやってて海外に渡って違うことをやっているって人もいるだろうしね。だいたいバンドで売れるなんてあり得ないって思ってたからね。アングラだったから、特にナゴムは。

宮田 でも、売れたい、とは思ったでしょ? たくさんの人に聴いてほしいとか、ライブハウスがいっぱいになったらいいなとか。

大槻 多少はね。でもむしろアングラでありたかったから、デビューしてすぐに武道館をやらせてもらえたんだけど、あんまりうれしくなかったんだよね。

 ははは。

宮田 へー。

大槻 うれしいとかじゃなかったよね?

内田 うん。

大槻 なんか、困ったなぁって感じ。

内田 悪ふざけしてたら、こんなことになっちゃってどうしようって感じ。

大槻 橘高くんなんかは、やっぱりディープ・パープルのライブ盤(『ライヴ・イン・ジャパン』)とか聴いて育ってるし、ロックスター願望のある人だから、よほどうれしかったみたい。

宮田 なるほどね。

大槻 まんが道(大槻と内田のユニット)は全然違ったね。

内田 まあ、ここにリッチー(・ブラックモア)が立ったんだ!とかって思ったけど、あららっていう。

宮田 でもある意味で地に足がついてたというか、冷静だったんだね。

大槻 なんだかわかんなかったんだよ、あの頃、バンドブームの頃ね。

内田 忙しすぎてね。

――ジュンスカ は初めての武道館の時はどのように感じたんですか?

宮田 僕は単純にうれしかったし、浮かれてたって言ったらあれだけど、全国ツアーでどこに行っても人がいっぱいで。

大槻 でも浮かれられる時期があってよかったよね。

宮田 まあね。

大槻 我々は世に出るのが早かったけど、それでいい経験をさせてもらったよね。今ないもんなぁ、そんなのなぁ。

――(笑)。

宮田 当時はあったんですよ、バンドの辿っていくステップっていうか。まずは渋谷LIVE INNから始まって、日本青年館。

大槻 青年館ね。

宮田 だけど俺ら、青年館は飛ばしたのよ。青年館、渋公、武道館、次はもう代々木とか西武球場とかになったのかな。当時はまだドームはなかったから。西武球場でライブをやった日に、いつも行ってる居酒屋でビール飲んだんだよ。これ、最高。今でも憶えてる。西武球場であれだけでかいとこでライブやったんだけど、自分で運転して車で家に帰ってきて、いつもの居酒屋で飲むっていう。

大槻 俺も青年館終わった後に野方の喫茶店でパスタ食べてさ、だからそういうのわかる。

宮田 でしょ。うれしいんだよね。

大槻 だから、ある意味ブームでワーッと世に出たんだけど、でも普段の俺のままだぜっていう気持ちは共有してたよね。

宮田 絶対に六本木とか西麻布とか行かなかったもん。

大槻 毎晩行ってた人もいたけどね(笑)。

内田 ジュンスカの武道館をおいちゃん(本城聡章)と観に行ったんだよ。そしたら、おいちゃんがバレちゃって。

宮田 筋少だーって。

内田 ざわざわざわざわってウェーブが起こっちゃって。ブームってヤダなって思った。

大槻 何年か前にニューロティカの武道館に行ったらさ、上の方でわーって声がしてさ、会場にジュンスカが流れたと思ったら、和弥くんが(笑)。

宮田 歌ったんだよね。

大槻 すげー盛り上がってたよ。ジュンスカが復活してからの武道館にも行ったんだけど、それくらいの時期にわりといろいろな同世代バンドが武道館をやるようになって、いろいろ観たんだけど、普通に褒めるけど、ジュンスカが圧倒的にステージの使い方がうまいなーと思って。さすが、武道館たくさんやってきたバンドだなって思った。

宮田 武道館は好きだよね、やっぱ。

「そうだよ、これ『ボヨヨンロック』集会だよ」(宮田)

――今、それぞれのバンドは“何期”になるんですか?

内田 老齢期(笑)。

大槻 ここから僕はどうやって筋少をソフトロックにして行こうかをめちゃめちゃ真剣に考えています(笑)。

宮田 でもさ、新曲の「50を過ぎたらバンドはアイドル」は、筋少ならではのソフトロックじゃない。

大槻 そうだね。もう50を過ぎたらバンドは立ってたらそれでいいんだと思うんだよね(笑)。曲はなんでもいいんじゃないかと思う(笑)。全然話変わるんだけど、二代目橋幸夫っていうのが今度デビューするんだけど、4人なんだよ。バンドもそうなるんじゃないかな(笑)。

全員 はははは。

大槻 それにしても、ジュンスカはすごい数のライブをやるんだよね?

宮田 35周年だから、だいたい35本から40本くらいを今年から来年にかけてやろうって感じ。

大槻 すごい! いや〜、がんばって。

内田 昔からすごい数をやるよね。

宮田 そうだね。いまだに小林(雅之)が運転してるから。

大槻 小林くん、ずーっと運転してるよね。ジュンスカのドキュメント映画(『JUN SKY WALKER(S) MY GENERATION』)があったじゃん、それを映画作家とかが観て論じてるっていうのがあったんだけど、「とにかく小林さんはずっと運転している」って(笑)。「この映画の核はそこだ!」って。

宮田 いまだにだよ。だいたい、ライブが終わったら夜走りで次の土地に行っちゃうのよ。そうすれば昼過ぎまで寝てられるじゃん。ライブ終わったあとって興奮して寝らんないから。かと言って酒飲んだら次の日怠いし。だから小林はライブ終わったらすぐに楽器積んで、眠くなるからって飯も食わないでそのまま次の会場まで何百キロって走っちゃうんだよ。

 プロ。

宮田 ほんとトランポだよ。

大槻 筋少にもそういう人がいればほんとバンド違ったよ。

内田 そんな稀有な人いないよ、なかなか。

宮田 小林は運転が好きでやってるんだよね。それこそ北海道とかだと道内を回るのにイベンターさんが運転するわけじゃん。でも小林は俺に運転させてくれって言うわけ。ただ、事故が起こるとイベンターの責任になるから、やめてくださいってなる。それでも小林は、俺が運転するって言ってやる。それだけ運転が好きなんだよ、小林は。

大槻 いや、運転が好きで済む問題なのだろうか?(笑)。

全員 (笑)。

大槻 だいたいバンドって分かれてくると思うんだけど、バンドワゴンスタイルでやるバンドって、そのスタイルができる人たちなんだよね結局。フラカンにしろ怒髪天にしろ。そういう人たちの集まりなんだよね。筋少はそういう人が誰もいないんだよね。

内田 水戸さんとやってた3-10 chainがそうだったんだよ。

大槻 うっちーも運転してたの?

内田 最初ちょっとしたかな。

大槻 俺は移動で疲れちゃうからねー。だから次ツアーをやるにしても、23区ツアーにしようかなって(笑)。

全員 はははは!

大槻 あんまり江戸川区とか台東区でライブやったりしないでしょ?

宮田 確かに23区ツアー面白いな。絶対に公共のホールってあるもんね。意外にライブハウスよりも箱代安いかもしれないし。

大槻 俺はもうそれで行くよ(笑)。

――打ち上げのスタイルも若い頃に比べたらかなり変わったんですか?

宮田 そうですね。森くんは飲まなくなったしね。

大槻 筋少もね、橘高くんが酒もタバコもやめたの。

宮田 やっぱそういう年齢というか時期というかね。俺もそこまで飲まなくなったし、2人もあんまり飲まないもんね。

大槻 内田くんは飲まない。僕は飲むけどそんなに飲まない。

宮田 昔、筋少とツアー回ってる時にさ、朝にホテルのロビーに降りると絶対に喫茶店で本読んでたもん。そういうイメージがある。

大槻 文系だよね、我々は。

内田 うん。打ち上げとかね、ご飯食べてすぐに帰っちゃう。

大槻 あのさ、俺、聞きたかったのはさ、バンドって組んだのって若い頃じゃん。歌詞を書くにおいても若い詞を書くわけじゃない。それがどんどん歳を重ねていくことになるんだけど、歌詞のテーマってどうしてる?

宮田 歌詞は一番苦しむね。

大槻 世間とか社会への反抗みたいなことになってくると、この歳にもなると妙にリアルになっちゃうんだよね。

宮田 そうなんだよ。シュプレヒコールをあげてるみたいになっちゃうからね。音楽とは別な聴こえ方になっちゃうというかね。若い時のそれとは全然違うんだよね。ジュンスカってどっちかって言うと、「歩いていこう」とか「START」とか、前向きな歌詞が多いんだよね。だから今回の新作『そばにいるから』には「もう一度 歩いていこう」っていう曲があったり、もちろん視点は多少変わるけど、言葉は前向きなものを使うかな。普段は俺、いじけ屋なんですよ(笑)。ひがみっぽかったりもするんだけど。だからその反動っていうのもあるかもしれないですけどね。

――大槻さんは何か意識していることはあるんですか?

大槻 それもひとつの歌詞の書き方だけど、政治的な方向とかスピリチュアルな方向には偏らないようにしようっていうのは考えていますね。あと最近、若いボカロの歌い手さんなんかの歌詞を見て、勉強っていうんじゃないけど、影響を受けたりします。なんかね、今の若い子の歌詞はどんどん筋肉少女帯っぽくなってる。なんか内向的な感じの詞が多くなってきたように思いますね。いよいよ俺の時代が来たか!って(笑)。

宮田 ああ、そうかもね。「うっせぇわ」とかって筋少っぽいもんね。

大槻 うんうん。

宮田 「高木ブー伝説」にも通ずるところがあると思うな。

大槻 そういう傾向があるんだよね。

――音楽性に関しては、例えばここから激変していくことっていうのは考えにくいですかね、さすがに。

宮田 まあ、そうですね。

大槻 たまにいるけどね、久しぶりにフェスとかに出てきた大物海外アーティストがものすごく最新のサウンドをやっててみんながポカンとしちゃうっていうことが(笑)。でも筋少もあと一回くらいポカンとさせてみたいな。

内田 ポカンと、させようか?

大槻 うん。

内田 まあ、やれなくはない。

大槻 なんだこれ!?っていうアルバムがラストアルバムになっちゃうかも(笑)。

 でもそんな感じで、変わらずにいくか、ポカンとさせるかはわからないけど、「ボヨヨンロック」(まんが道)の時みたいにまたコラボをしても面白いかもね。

大槻 ああ、いいね。

 唐突に今思ったんだけど。対等に1枚のシングルというか曲を作るっていうね。ありえねーだろう!っていう曲調でもいいし、なんか一緒にやったら面白いかもなって。

内田 よく考えたらこれ「ボヨヨンロック」のメンバーじゃないか(笑)。

宮田 そうだよ、これ「ボヨヨンロック」集会だよ。

全員 (笑)。

大槻 いやあでも、アレはひどい詞を書いたと今になってみて思うよ(笑)。若気の至りって怖いなぁ(笑)。

Text:谷岡正浩 Photo:石原敦志

筋肉少女帯

<ライブ情報>
筋肉少女帯メジャーデビュー35周年記念ライブ「#筋少の日」

2023年6月21日(水) LINE CUBE SHIBUYA
OPEN17:45 / START18:30
サポートメンバー:三柴理(Pf.) /長谷川浩二(Ds.)

料金:8,800円(全席指定・税込)
チケット発売中:
https://w.pia.jp/t/king-show-t/

<リリース情報>
筋肉少女帯 アルバム『一瞬!』

2023年6月14日(水) 発売
CD(2枚組):4,290円(税込)

【収録曲】
■DISC1 1. サンフランシスコ(2023ver.) ※新録音
2. 釈迦(2013ver.)
3. 日本印度化計画
4. 踊る赤ちゃん人間
5. 香菜、頭をよくしてあげよう(2013ver.)
6. サボテンとバントライン
7. 小さな恋のメロディ
8. オカルト
9. 再殺部隊
10. サイコキラーズ・ラブ
11. バトル野郎~100万人の兄貴~
12. 航海の日
13. ゾンビリバー ~Row your boat
14. 元祖 高木ブー伝説
15. 月とテブクロ
16. ディオネア・フューチャー

■DISC2
1. 50を過ぎたらバンドはアイドル ※新曲
2. 高円寺心中(2023ver.) ※新録音
3. 混ぜるな危険
4. 踊るダメ人間
5. イワンのばか ’07
6. 機械
7. 衝撃のアウトサイダー・アート
8. ドンマイ酒場
9. くるくる少女(2013ver.)
10. 暴いておやりよドルバッキー
11. マタンゴ
12. カーネーション・リインカネーション
13. Guru 最終形
14. エニグマ
15. 週替わりの奇跡の神話
16. 楽しいことしかない

筋肉少女帯 公式サイト
https://king-show.net/

ぴあアプリ/WEBにて大槻ケンヂ連載「今のことしか書かないで」隔週水曜更新中

JUN SKY WALKER(S)

<ライブ情報>
祝・日比谷野音100周年 JUN SKY WALKER(S) 35th Anniversary Live

2023年6月10日(土) 東京・日比谷野外大音楽堂
OPEN16:30 / START17:30

料金:7,700円(全席指定・税込)
チケット発売中:
https://w.pia.jp/t/junskywalkers-35th/

<リリース情報>
JUN SKY WALKER(S) デビュー35周年記念シングル「そばにいるから」

2023年6月10日(土) リリース
価格:1,400円(税込)

【収録曲】
1. そばにいるから
2. もう一度 歩いていこう
3. GET HAPPY!

TOY’S STORE、日比谷野外大音楽堂のワンマンライブで販売

JUN SKY WALKER(S) 公式サイト:
http://junskywalkers.jp/

フォトギャラリー(18件)

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