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尾上右近「純度100%の歌舞伎愛を伝えたい」 自身の限界に挑む自主公演『研の會』に込めた思い

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尾上右近 撮影:興梠真穂

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歌舞伎界のプリンスと呼ばれ、古典歌舞伎はもちろん『ワンピース歌舞伎』、そして今年7月に控える「新作歌舞伎『刀剣乱舞』」などでも主要な役を任され、ドラマ、映画、ミュージカルと多彩に活躍している尾上右近。彼が2015年から続けている自主公演『研の會』が今年も上演される。右近が未経験の名作に積極的に挑戦する場だが、第七回である今回は、任侠に生きる浪花の男たちの濃厚な人間ドラマが見どころの『夏祭浪花鑑(なつまつりなにわかがみ)』と、女形舞踊の最高峰『京鹿子娘道成寺(きょうかのこむすめどうじょうじ)』。「自主公演でなければこんな大変なことはできない充実した内容。自分で決めておいて途方に暮れている」というほどの大作2作に挑む右近に話を聞いた。

歌舞伎を通じて愛を学ぼうとしている

――自主公演『研の會』も七回目。もともとどんな思いで始めたものなのでしょう。

10代、20代の頃はなかなか主役をやらせてもらうことなどなく、自分からその機会を作らねばという思いがありました。それを叶えるには自分で公演をプロデュースするしかない、と始めたのがこの『研の會』。「僕を見て!」という思いがスタートですね。今は『刀剣乱舞』といった新作や、歌舞伎座などでも中心的な存在で舞台に立たせてもらうことが増えてきたので、体感的には少しずつ、振り向いてもらってきている感覚がありまして……。

――「僕を見て」というのはお客さまにではなく“歌舞伎という憧れの存在”に僕に気付いてほしいという意味なんですね!

そうです、そうです。歌舞伎に振り向いてもらいたくて始めました。もちろん歌舞伎を愛する皆さまにも僕を見てもらいたい、こんなに歌舞伎を好きなんだと知ってほしいという思いもありますが、何よりも僕は10代の頃からずっと歌舞伎に片思いしているんです。

――では歌舞伎から振り向いてもらっている今は、何か別の目標が?

いや、例えば恋愛にたとえると、ずっと恋していた相手が僕に気付いてくれて「もしかしたら向こうも僕のことを思ってくれているのかも……?」と思ったところで、相手へのアピールを止める男なんて嫌でしょ(笑)? あなたの愛情はそれまでのものね、って相手を失望させちゃう。なので引き続きアピールは続けていきたい。言ってみれば、恋から愛に移行している段階。僕は歌舞伎を通じて愛を学ぼうとしている……(笑)。

――(笑)。今のフレーズ、見出しにしていいですか。

してください、してください(笑)。もうね、愛って本当に海と同じで、広くて深く澄んでいるものだから、溺れないようにしないと……。

――止まりませんね(笑)。右近さん、言語センスとサービス精神が素晴らしいですよね。

僕ね、退屈が一番嫌いだし「面白くない」が一番の罪だと思っているフシがあるんですよ。喋ることも表現のひとつだと思いますから。

――インタビュアーとしては助かる限りです!

歩けなくなるまで“出し切る”のが理想

――右近さんの近年のご活躍ぶりから、長年の歌舞伎ファン以外にも、歌舞伎を観始めたばかりのお客さまもご覧になるかと思います。改めて今回の演目である二作について教えてください。まず『夏祭浪花鑑』は。

『夏祭』は市井の話ですが、ある意味武家社会にも似た、義理や人情といった“自分の命よりも大切なもの”がある社会の中に生きる団七という懸命な男が主人公。そこに義理のお父さんが悪役として絡み、物語が生まれる。「舅殺し」と呼ばれますが、ふとした過ちから親を殺める、単純に言えば「事故が事件になっちゃう」話。でも実は上演しない場面も含めるととても長くスケールの大きなお芝居で、お家騒動なども絡み、忠義など昔の日本人の美学がふんだんにつめこまれています。様式美、決め台詞、立ち回りの絵面としての美しさが堪能できる。何よりも人殺しをし、夏祭りの喧騒の中に消えていく男に拍手喝采が起こるというのは「そんなことあるかい」と思いつつ、歌舞伎ならではの臨場感を楽しんでいただけると思います。

現代美術家・横尾忠則氏に直談判したという特別版ポスター

――『道成寺』はいわゆる道成寺伝説を基にした歌舞伎舞踊。

こちらも話の筋は単純で、男に逃げられた女の執念の物語、とひと言で説明できます。男への恨みで、女が蛇になる。その蛇の怨霊が踊り子に化け、道成寺という寺に現れてお坊さんの前で踊りを披露するのを、お客さまが目撃しているという形で見せる舞踊演目。女形の美しさの要素がふんだんに織り込まれ、ひとりの女性がずっと踊っている中で初恋のような初々しさから強い恋心、それが恨みに変わるまでを表現していきます。様々な要素が入るし、衣裳も変わるし曲もテーマもどんどん変わるので、退屈しない作りですし、筋がなくても楽しめる、古典としての強みが伝わる作品です。

――この大作2本を、1日2回ずつやるのは大変そうです。

そうですね。でもやっぱりコロナ禍以降、ひと月のうちに何役も大役をできるというのは、特に若手にとっては難しくなっていますので、この大変さは自主公演でしかできない。またスケジュール的な大変さなどははある種の限界はあると思いますが、僕、歌舞伎において自分の中で限界を設定したくないんですよ。2日間で4回公演するのも1回でも多く僕がやりたいから。本当はもっとやりたいくらい。理想は2日目、最後の『道成寺』が終わったら、舞台から楽屋まで歩けなくって台車に乗せられて移動するくらい“出し切る”ことです! あとは女形という生き物は演劇の中でも稀有ですし、僕は男を演じる立役と女形、両方やらせていただく立場で、これだけ振れ幅のある役をひとりの役者が演じるというのはなかなかないことです。そこを観ていただきたいというのはアピールポイントです。

受け継がれていく技術と思い

――『夏祭浪花鑑』の団七九郎兵衛とお辰、『京鹿子娘道成寺』の白拍子花子、いずれも初役ですが、右近さんの中で印象深い先輩の姿は。

団七とお辰と言えば17代目の勘三郎のおじさまがまず思い浮かびます。僕は直接舞台を拝見できた世代ではありませんが、とても憧れており、家で歌舞伎の映像を観る時は“17代目勘三郎率”が高い。もちろん18代目勘三郎のおじさま、勘九郎のお兄様、團十郎のお兄様もなさっており、各先輩それぞれの魅力を見させていただいてます。今回、団七は幸四郎のお兄様に教えていただき、最終的には白鸚のおじさまにも教えをいただく予定です。お辰は中村京蔵さんが先代の雀右衛門のおじさまのお辰の型を覚えていらっしゃるので直接伺って勉強させていただきます。

『道成寺』は、曾祖父の6代目菊五郎がこの作品を今の形にブラッシュアップしたということもあり、やはり曾祖父の印象が強いです。そこから師匠である当代の菊五郎のおじさまといった自分のルーツの中にある音羽屋系の方々、あるいは18代目の勘三郎のおじさま、今の勘九郎さんといった中村屋の方々のお顔も浮かびます。そして女形の修行という面で言うと、やはり10代のうちからずいぶんと色々なことを教えていただいた玉三郎のお兄様の存在が大きいです。その玉三郎のお兄様が菊之助のお兄様とふたりで踊られた『京鹿子娘二人道成寺』という人気作があったのですが、「歌舞伎座でしっかりした道成寺の形で踊ることはこれが最後だろう」とおっしゃった時のその舞台はとても印象に残っています。色々なお話を伺い、千穐楽の日も、出番を待たれている場所までついて行かせていただきました。生で観た『道成寺』はあの舞台の記憶がとても強いです。

――先輩方から技術とともに思いも受け継がれていくものなのですね。今回は舞踊家であり振付家である尾上菊之丞さんのご子息、羽鳥嘉人さんが初舞台を踏まれるとのこと。右近さんも子役の頃から舞台に立たれています。

実は僕が初めて舞台に立ったのは、嘉人くんのお父様である菊之丞先生のお姉様、尾上紫さんが『京鹿子娘道成寺』を舞踊公演で演じられた時なんです。歌舞伎の初舞台は7歳なのですがそれ以前、4つか5つの時でした。その僕が『道成寺』の白拍子花子を初役で挑戦するこの公演で、嘉人くんが初舞台を踏む。嘉人くんは『夏祭浪花鑑』の方での出演ですが、循環しているな……と感慨深い思いがあります。自分の中で、歴史の1ページがめくられる思いです。歌舞伎の世界は大きな家族だなと思うし、自分だけでやっているのではなく、歴史の中に自分がいて、お互いに関わり合っているんだなと改めてかみしめています。

ミュージカルの経験で得たもの

――さて話は変わりますが、昨年右近さんは『ジャージー・ボーイズ』で、ブロードウェイミュージカルに初挑戦されました。その経験は、歌舞伎に戻った時、あるいは清元の太夫としてのお仕事に、何か影響を及ぼしていますか。

これは時差があって、やっている時は無我夢中だったし、歌舞伎から離れていることの不安も伴うし、共演者の皆さんは百戦錬磨で、若手と呼ばれる方ですら全員がミュージカルの舞台を経験している中にひとりで入って、プレッシャーも戸惑いも大きかった。ひとつの技術を習得するにも時間がかかる自分に対してノッキングが起こり、苛立ちすら感じていました。でもやっぱり今思えば確実に良い経験になっています。

ミュージカルは歌の中に心があり、そこに気持ちを吹き込むことが大事だし、音楽と音楽の間にお芝居が入り、芝居の流れで歌になり、またお芝居になり……と行ったり来たりする。その作業は新鮮で、勉強になることだらけでした。歌舞伎は、ミュージカルで言うところの歌とお芝居を複数人で分担してやっている形ですので、それをひとりでやるというのはやはり芝居面でも音楽面でもどちらの勉強にもなりますよね。

――具体的には、たとえば。

まず台詞に対する慎重さが増しました。そして声を使って音を捉えるという作業に対しての感度が上がった。「この音の間にこの台詞をしゃべったら綺麗に収まるんだな」ということを普段あまり考えていなかったのですが、演奏家の方に伺ったら「役者さんはご自分のお芝居のテンポでやられるので、この寸法で終わるかなと塩梅を見計らっています」と言われた。合っているもんだと勝手に思っていたのですが、合わせてくださっていたんです。でも本当はどう思っているのかとお聞きしたら、もちろん「役者さんとそういう話をわざわざする機会もないし、こちらが見計らえば成立しますのでご自分のテンポでどうぞ」とおっしゃってくれるのですが、やはり長唄だったら長唄のそのワンフレーズをその形のまま、お芝居にはまれば音楽家としては気持ちがいい、という話がお聞きできまして。微妙な違いではありますが、一度その音の中で芝居をしてみたらすっぽりハマったし、お客さまの反応も心地よさそうでした。やはり音をちゃんと聞いて合わせるのがいいんだ、という気付きは、ミュージカルを経験したから得たものです。

また役者とは別の、家業である清元の太夫としては、音程に対して慎重になりました。清元はすごい高音で節を展開させることが多く、それは繊細な音程を突くのですが、そういう音を攻める時はつい音が下がりがちになるんです。下がるとやはり気持ち良くない。そこは自分としてもシビアになりましたし、三味線を弾いてもらって音をとっても下がらない感じになってきたなと感じています。

――ちなみに西洋音楽であるミュージカルの発声と、邦楽である清元の発声はまったく違うものですか。

全ッ然違います! 例えば、高音を出す原理をホースの水でたとえると、水勢を強くすると高音が出るのですが、西洋の音楽は水の量を単純に増やして水勢を増す。古典声楽である清元は、同じ水分量の中でホースの口をキュッと絞る感じ。感覚としては日本とブラジルくらい違います(笑)。

――興味深いお話をありがとうございました。最後に、歌舞伎の新しいファンが増えていますが、例えば『FFX歌舞伎』で初めて歌舞伎に触れた方が次に何を見ればいいのか迷っていることもあるかもしれません。そういった方々にこの『研の會』のアピールをするとしたら。

歌舞伎座の興行などは、色々な役者さんが主役を勤め、それぞれの思いが詰まっていますが、この『研の會』は“僕の思い”しか詰まっていません! もちろん出演してくださる皆さんの思いのおかげでやらせていただいている公演ではありますが、僕の「これをやりたい、これを観て欲しい」という強い思いは、観てくださったら必ず伝わるはず。惰性や義務といった言葉とはもっとも遠い場所にある公演です。また、新作歌舞伎の時……例えば『刀剣乱舞』でいえば、もともとあるコンテンツへの真剣な気持ち、歌舞伎に対する真剣な気持ち、キャラクターに対する真剣な気持ち等々、真剣さが四方に分散していますが、『研の會』は歌舞伎に対しての真剣な気持ちのみ、純度100%の僕の歌舞伎愛だけで出来ています。僕が歌舞伎を好きな気持ちをストレートに詰め込みましたし、誰かが何かを好きな気持ちって伝播していくと思うんですよね。これで伝わらなかったらちょっと役者稼業考えます……という思いで挑みますので、ぜひいらしてください!

取材・文:平野祥恵 撮影:興梠真穂

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<公演情報>
尾上右近自主公演 第七回『研の會』

一、 夏祭浪花鑑
二、 京鹿子娘道成寺

出演:尾上右近、坂東巳之助、中村米吉、羽鳥嘉人、尾上菊三呂、中村莟玉、中村種之助、中村鴈治郎ほか

2023年8月2日(水)・3日(木)
昼の部 11:00開演/夜の部 16:30開演
場所:東京・浅草公会堂

尾上右近自主公演 第七回『研の會』のチケット一般発売に先がけて、ぴあアプリ先行が決定!

6月17日(土) 12:00(正午)より受付開始! この機会にぜひ、ぴあアプリをDLのうえ、お申込みください!
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