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松下洸平×栗山民也 忘れてはいけない、今も起こり得る記憶『闇に咲く花』

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インタビュー

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左から)栗山民也、松下洸平  撮影:石阪大輔

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井上ひさしの“昭和庶民伝三部作”の第二弾として1987年に初演の幕を開けた『闇に咲く花』(第一弾は『きらめく星座』、第三弾は『雪やこんこん』)が、令和の今、7回目の上演を迎える。1947年、空襲で焼け落ちた神社を舞台に、必死に生き抜く庶民の姿や、戦争がもたらした酷い現実、その責任を問う重厚なテーマを、笑いと涙で綴った“記憶”の物語だ。神社の神主・牛木公麿(山西惇)の一人息子・健太郎の役で井上戯曲に初挑戦するのは、映像や舞台で華々しい活躍が続く俳優、松下洸平。初演から本作の演出を担って来た栗山民也とは、こまつ座では『木の上の軍隊』(作:蓬莱竜太)、『母と暮せば』(作:畑澤聖悟)で息を合わせて来た。静かな信頼でつながる俳優と演出家、ふたりが向かう「忘れてはいけない」物語とは――。

井上戯曲に取り組んでいるという実感

――こまつ座への出演は三作目となる松下さんですが、本作で初めて井上ひさし戯曲に挑みます。今現在の稽古場での感触などを教えてください。

松下 演出の栗山さんの現場は、僕は24歳の時のミュージカル『スリル・ミー』(2011年初演、18年再演まで5シーズンに出演)に始まって『アドルフに告ぐ』(15年)『木の上の軍隊』(16年初演、19年再演)『母と暮せば』(18年初演、21年再演)で経験させていただきました。この『闇に咲く花』は初演が36年前で、僕が今、36歳なんですね。

栗山 へえ〜、そうなんだ。

松下 はい、作品と同い年で。今回が7回目の上演ということで、すでにある程度の“型”のようなものはあると思うんですが、栗山さんは、これまでやってきたものをなぞって作ってはいらっしゃらない。そこにすごく刺激をいただいていますし、僕たちの芝居を見ながら栗山さんがその場で演出をつけてくださっているのを感じて、とても楽しいです。

初めて井上さんの戯曲に向き合って、あらためて笑いのエッセンスが散りばめられているなと感じています。終戦から2年後の話であることを忘れてしまうくらい、ここに出てくる人たち、神社の境内で生計を立てている戦争未亡人の女性たちの笑顔がすごくまぶしくて。そこに時々スッと鋭く入って来る戦争の悲惨さであったり、その中で暮らしている人たちの苦しみであったり、それらがポンポン入れ替わるようにして出てくるところが、この作品にトライするうえでの難しさだなと感じています。でも同時に、井上さんの作品に取り組んでいるんだという実感もあります。

――『闇に咲く花』で松下さんが演じるのは神社の神主の一人息子、健太郎。かつて野球部で活躍し、出征して戦死したと思われていたところに帰還して来る青年です。栗山さんはかねてより松下さんに「井上ひさしの台詞を言わせたい」と思っていらしたと伺っていますが、この役を松下さんに託した、その思いをお話いただけますか? 

栗山 こまつ座で2作品もやっているのに、なぜ座付き作者の言葉を一言もしゃべってないんだろうと思えば、当たり前にそう思うでしょう(笑)。

井上さんは野球好きだったんですよ。野球に関する小説もいくつか書いているしね。また当時、実際に戦争で死んでいった野球選手もいて、井上さんにとっての“憧れのヒーロー”を描きたかったんじゃないかな。で、洸平が演じる健太郎を見てみたいなと思った。今、洸平が言ったように、毎回やっぱり違うんですよ。初演の時は、これは戦争という記憶を描いた芝居だなと思った。記憶とはいわゆる歴史ということだけど、今の時代、戦争は過去のものではないじゃないですか。つまり今もまた戦争の時代であって、地球の裏側では人が殺し合っている。そう考えると、この作品の一言一言をどう語るのか、その見方がまったく違って来ます。“戦地”なんて言葉がものすごく生々しく響いて来るよね。

松下 (深く頷いて)はい。

栗山 そういう意味で、稽古場ではちょっとラジカルになるかな。日本人はのんびりした感覚でいるので、忘れてはいけない、今も起こり得る記憶だと認識する、その役割を果たすまでやり続けないといけない芝居だなと思います。

「健太郎は確かに帰って来た」という現代演劇としての結論

――松下さんは今稽古場で、健太郎をどんな人物として立ち上げようと考えていらっしゃいますか。

松下 そうですね。まだこれからの稽古でより探っていく段階ではあるんですが……。本当に野球が好きで、自分の生まれ育った環境も愛していた。だから戦地でさまざまな経験をして帰って来た時に、そこが焼失してしまっていることへの怒り、悲しさ、寂しさが大きくて。すごく無垢な、純粋な青年で、栗山さんが稽古場でよく「スポーツマンらしい快活さ」とおっしゃっているので、そういう姿、野球を愛する熱い部分をこれからしっかり見つけていかなきゃなと思っています。

栗山 井上さんは、いろんなところから原稿を催促されて、本当ならずっと書斎で書き続けなきゃいけないのに、高校野球の中継をコッソリ観ていたんだよ。晩年はサッカーを観るのも好きで、「スイマセン。2時間、観ちゃいました」なんて手紙を書いて来るわけ(笑)。

松下 ハハハ!

栗山 井上さんとスポーツって、ちょっと結びつかないと思わない? 劇構造をこんなにも緻密に構築して、あたかも今起きたかのように作るのが演劇だとすると、スポーツは“その瞬間”なんだよね。その瞬間、逆転の一発が入ったらワーッとすべてが変わる。井上さんは、そういう物語展開に憧れていたんじゃないかなって気はしますね。

――井上さんが本作に取り掛かる前に、栗山さんと能の話をされたとか。本作について栗山さんは「世阿弥の複式夢幻能*の構造を土台にしたもの」とおっしゃっていますね。
(*前後二段の構成で、後場では主人公が霊的な存在となって語る)

栗山 井上さんの作品は、往々にして死者の物語です。悲惨に、無惨に死んでいった人間たちが、なぜそんな運命を辿らなければならなかったのか。そこが井上さんの出発点であって、ならばその人たちにもう一度、言葉と肉体を与えて今に蘇らせてあげよう、それが演劇であると。健太郎はまさしくそういう存在だよね。

松下 あ〜、そういうことなんですね。

栗山 だって、「もう死んだ」と思われていた人が戻って来て、そこから話が思いも寄らない展開を見せていくわけで。最後には皆が「本当に健太郎は帰って来ていたのかな」と思うんだけど、井上さんは「健太郎は確かに帰って来た」と書いています。そこが、夢幻能とは違う、現代演劇としての結論なんだよね。

俳優としての命を繋ぎ止められた

――先ほど松下さんが、24歳の時に『スリル・ミー』で栗山さんに出会ったとお話しされましたが、栗山さんはその時のことを覚えていらっしゃいますか?

栗山 もちろん覚えていますよ。2011年の、東日本大震災が起きた日の翌日に、『スリル・ミー』初演のオーディションをやったんです。その時、洸平は確か、地方にいたんだよね?

松下 そう、熊本にいたんです。

栗山 震災でオーディションの時間に遅れたんだ。スタッフが「もう終わりにしましょう」と言ったけれど、「こっちに向かってくれているんだから、もう少し待とう」と言って。だから、あそこで打ち切っていたら会ってなかったかも。

松下 ええ〜!……そうでしたか。

栗山 1時間くらい待ったのかな。オーディションの部屋に入って来た時の、洸平の声と表情、存在感、その透明さがとても印象強かった。まあ、ようは惚れたんだね(笑)。

松下 ハハハ!……ありがたいです(照)。

栗山 初演をやった後、再演を避ける俳優は多いんですよ。なぜなのか、僕にはよく分からないんだけど。でも洸平は、作品にこだわるよね。だから『木の上の軍隊』も『母と暮せば』も再演をやっている。いい作品というのは、出会うたびにいろんな局面が見えて来るんですよ。役者自身が変化しているからそれが分かるわけで、だからイギリスの俳優はシェイクスピアを何度もやるんです。新しいものにばかり目がいく俳優が多いなかで、洸平のこだわる姿勢はいいよね。こだわるって大事なことだから。

――松下さんは、栗山さんとの作品作りで、影響を受けている部分などありますか?

松下 本当に、今の自分がいるのは栗山さんのおかげです。ここ数年はテレビの仕事もやらせていただいていて、そういう今の自分があるのも栗山さんとの出会いがあったから……、もし『スリル・ミー』という作品で栗山さんにお会いしていなかったら、自分はどこにいて、何をしていただろうな?! と。そう思うほどに演劇のことをいろいろ教えてくださったので、楽しい! もっと続けたい!って思えて。それでも何度か、「あ〜自分には向いてないな」とか、「ずっと演劇やっていていいんだろうか」と悩んだけど、そんな時もやっぱり栗山さんが「『木の上の軍隊』をやろうよ」、「『母と暮せば』をやろうよ」と声をかけてくださった。だから、俳優としての命を繋ぎ止められたと思っています。

栗山 まあ、何事も運命だよね。好奇心を持っていれば、人間はいろんなものに出会えるから。あのオーディションで、もう一人、この場に必死に向かっている青年がいることに僕は勇気づけられて「もうちょっと待とうよ」って言ったから、会えたわけだ。

松下 僕は『スリル・ミー』を7年やらせてもらったんですが、最後にやったシーズンの大阪での公演で、これは僕と(二人芝居のパートナーの)柿澤勇人の個人的な感情ですけど、やりたいことがやれた、『スリル・ミー』ってこういう作品なんだ、ってやっと二人で頷けたんです。でもそう考えたら、7年かけて何十回と二人でやって来たのに、答えが出なかったんだなと。僕たちってとことん答えのない仕事をしているなと思ったんですよ。それで今、『闇に咲く花』の稽古をしていて、栗山さんは36年のあいだに何百回と公演をされてきて、それでも先日、何かに気づいて美術を少し変える提案をされていて。何回やっても新たな発見があるってすごいな! 本当に終わりがないなと思いました。

栗山 装置は初演で使って取って置いたものがそのまま来るけど、俳優はそうじゃない。今生きている俳優がキャスティングされるんだから、36年前の健太郎とは全然違って来る、そこが演劇の凄さだと思うね。現代の肉体が古典にどうぶつかって、作品化していくか、それが演劇なんだよね。だから古典であっても、つねに現代劇を作らなきゃいけない。その作業が僕はとても好きなんだ。今回、装置だけじゃなく、いろんなところが違うよ。だけど、例えば台詞が現代の言葉遣いになってしまったら、それは直すよね。僕たちは昭和22年という時代にジャンプして、覗きに行く旅を稽古場でやっているわけだから。

――我々観客もその旅にしっかりついて行って、大事な記憶を心に留めたいと思います。

松下 今、栗山さんがおっしゃったように、自分なりの健太郎を探す旅をしなきゃいけないなと思うし、どうしたってそうなってしまうと思います。井上さんの言いたいことが健太郎の言葉の中に詰まっていると思うんですよね。とくに最後のほうの台詞は、健太郎の言葉であり、井上さんの言葉だと勝手に解釈しています。その思いを背負い、ちゃんと客席に届けることが僕の仕事なので、今を生きる人たちにつないでいくこと、バトンを渡していく作業に一生懸命向き合っていきたいなと思います。

栗山 日本人の“忘れっぽい”性質についても、この作品には十分に書かれているからね。忘れるというのは人間にとって一番楽な方法なんです。だけどそれではいけないと、それぞれが自覚しないといけないよね。僕が昔、必ず年に2回ヨーロッパに行っていたのは、日本にいるとダメになると自覚するから。海外を歩いて人や作品に出会うと、つねに「いいのか? それでいいのか!?」といった鋭い問いかけが突き刺さって来る。僕がこまつ座さんの舞台を演出するのは、その問いかけをし続けていきたいという意味もありますね。

取材・文:上野紀子 撮影:石阪大輔

<公演情報>
こまつ座第147回公演
『闇に咲く花』

作:井上ひさし
演出:栗山民也
出演:山西惇、松下洸平、浅利陽介、尾上寛之、田中茂弘、阿岐之将一、
水村直也(ギター) / 増子倭文江、枝元萌、占部房子、尾身美詞、伊藤安那、塚瀬香名子

2023年8月4日(金)~2023年8月30日(水)
会場:東京・紀伊國屋サザンシアターTAKASHIMAYA

【全国公演】
2023年9月2日(土)・3日(日)
会場:愛知県・東海市芸術劇場 大ホール

2023年9月6日(水)~ 10日(日)
会場:大阪府・新歌舞伎座

2023年9月12日(火)・13日(水)
会場:福岡県・キャナルシティ劇場

チケット情報
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2343169

公式サイト
http://www.komatsuza.co.jp/

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