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第1回 20周年を迎えた心境とバンド結成時のエピソード

音楽

インタビュー

ぴあ

今回のツアーは、日比谷野音ライブを訪れたファン、来れなかった人たちへの「鶴の野恩返し返し」と題して全国15カ所のライブハウス、ホールで行われる。ワンマンライブ及び久しぶりの対バンライブも行われるツアーに向けて、このインタビューではバンド結成20年の歩みをテーマごとに語ってもらい、5日間連続でお届けする。20周年を迎え、今なおワイワイし続けるする3人組・鶴とはいったいどんなバンドなのか? 第1回は20周年を迎えた心境とバンド結成時を振り返ってもらった。

「バンド仲間の希望だ」って言われます

── バンド結成20周年、おめでとうございます!

鶴 ありがとうございます!

── 実際、結成20周年ってどう感じていますか?

秋野温(Vo&Gt) 僕は「あっという間だったな」という感覚が強いです。特に自主レーベルを始めてからというもの、毎年自分たちで向かうべき目標を作ってきたので。それを一生懸命繰り返していたら、あっという間に20周年まで来たなという感覚。何もなければこの先もこのままいくんだろうなっていう感じがします。

神田雄一朗(Ba&Cho) よく、「30代って早いよ」とか言われるじゃないですか? そう思いながら30代になって気付いたら40代になって、「あ、確かに30代は早かったな」みたいな、その感覚にバンドの20年は似てるかもしれないです。20年間色んなことをやったことを考えると随分長くやってるなって思うんですけど、実際今の感覚としては「苦節20年!」みたいな感じはまったくないですね。

── 正直、苦節感はあんまり出てないです(笑)。

神田 そうですよね(笑)。もちろん色々大変なこともあって、「のほほん」とやってきたわけじゃないんですけども。

笠井“どん”快樹(Ds&Cho) いや、わりと「のほほん」とやってきたよ?

一同 (笑)。

神田 「楽しい」っていうのが良い温度感で20年っていう感じです。

── 「20周年おめでとう」って色んな人に言われますか。

笠井 関係者からはよく言われますね。友達からは言われないけど(笑)。

神田 バンド仲間からは、「20年間かあ、すごいことですよ」ってLINEとかで言われますね。

秋野 「バンド仲間の希望だ」みたいなことを言ってもらえたりとか。やっぱり、みんないろいろありますからね。

秋野温(Vo&Gt)

── 20年バンド活動を続けるすごさを、みなさんわかっているということですね。

笠井 そういう声はよく聞きますね。逆に俺たちには、やめなきゃいけない事情がなかったよね?

秋野 まあそうだねえ。

笠井 いろいろあったと思うけど、「じゃあやめるか」って言ったら、どんな状態でもまあ続けていたんだろうなって。

秋野 きっかけとか節目みたいなものは、各々あったはずなんだよね。

笠井 それはいっぱいあったはず。例えば契約がどうこうとか、コロナのこととか。ただまあ、やめることもないかなっていう感じですよね。例えば活動がどんどん縮小したとしても、やめはしなかっただろうなっていう気がします。

神田 「やめる」っていう概念がもうないっていう感じですかね。べつに年に1回だけしかライブをやらないとしても、鶴をやってればいいんじゃないかっていう。

笠井 前提に鶴があってのことなので、「20年すごいね」って言われても、そんなにすごくがんばって続けてますっていうよりも、「そりゃ続けるよね」っていう基盤があったような気がするので、確かに「苦節20年です」みたいな感じじゃないですね。

笠井“どん”快樹(Ds&Cho)

「殴り合ってみたいね」とはずっと言ってるんですけど(笑)。

── その根底にあるのはやはり、「友達から始まっているバンド」ということですか。

秋野 そうですね。

笠井 たぶん、それですよね。

神田 確かに、「今日から友達やめようよ」って言わないもんね。

── 大喧嘩とかしたこととかないですか?

神田 そこまでの大喧嘩はないですね。「殴り合ってみたいね」とはずっと言ってるんですけど。

一同 ははははは(笑)。

笠井 いつかやるのかもしれないよ?

神田 いやでも、中年の大喧嘩ダサくない? それは10代20代でやっとこうよ(笑)。

神田雄一朗(Ba&Cho)

── もともと、張り合うような関係じゃないところから、バンドが始まってる?

神田 そうですね。カッとなるのがあんまりカッコイイと思わないタイプなので。カッとなってグワッといった瞬間に、「ああ、もう負けだよ」って思っちゃうというか。

秋野 まあ人ですから、イライラするシーンっていうのは全員あったでしょうけど。

神田 だからもう、もしやめるとしたら不仲とかじゃなくて、こうなるともう体調とかの話になってくるよね。

── 現状はいかがでしょう? 絶好調そうですけど。

笠井 先日、健康診断に行ってきました。まだ結果は出てないけど。

── それは「Soul Mate Record」の社員としてやってるんですか?

笠井 いや個人ですけど、そういうのもレーベルとしてやりたいですね。

神田 でもどうせやるなら、ちゃんとコンテンツ化したいよね。テレビとかでもあるじゃないですか?

秋野 もし結果に万が一のことがあったらお蔵入りで(笑)。

── なんでも企画にしようという思考になってますね(笑)。

神田 そうです、何事も鶴の活動に落とし込んでいくという。各々の趣味とかも全部。

秋野 鶴という基本の枠があって、各々が好きなことをやっているイメージです。

音楽性とバンド名の整合性を1ミリも考えてなかった

── 改めて結成当初のお話を伺いますけど、もともと4人いたバンドがひとり抜けて3ピースになったんでしたっけ?

神田 いや、4人いて僕ら3人が抜けたんです(笑)。

秋野 そこはちゃんと3人で「僕たちやめます」って言ったんで。

笠井 それは鶴じゃない別のバンドで、もうひとりの音楽性でやってたんですけど、「この音楽じゃない気がする」って気が付いて、3人で抜けたんです。

── じゃあ、その頃には3人が好きでやりたい音楽があったということですよね。

秋野 う~ん、「これだ!」っていう確固たるものはなかったんですけど、「これじゃねえな」っていうのはわかったというか(笑)。みんなで合奏するのは楽しいけど、僕らがやっていて楽しめる音楽像はこれじゃないなと思ってやめたんですけど、そのやめたときのきっかけとなるバンドが、新宿JAM(2017年に閉店)にいたんです。ブルース、ソウル、ディスコ、ファンクをやっているザ ワイワイズという3ピースバンドだったんですけど、そのバンドの音楽性に刺激されたのが大きかったですね。メンバーみんな、ライブが楽しそうで、すごくウキウキする音楽だったんですよ。それを見て「これがやりたいことだよね」って決心して3人でバンドをすることにしたんです。

── そのときに改めて、どういう音楽をやろうかって3人で話したんですか?

秋野 そうですね。ソウル、ディスコ、ファンクってそれまで自分では聴いてこなかった音楽だったんですけど、そこから聴き始めてみたらそれこそ自分たちが通ってきた80年代、90年代J-POPの元ネタみたいなものがゴロゴロしていて。小学生のときにCMで聴いたウキウキする音楽もそういうジャンルにいっぱいあったので、「ここに自分が求めていた音楽の高揚感があったんだ」って、鶴を初めてからは聴きまくりました。

神田 ふたりは自分で音楽を掘るタイプだったんですけど、俺は結構カッコイイよって言われた音楽を聴いて、気に入ったらCDを借りて聴いてました。だから、その頃の俺の音楽の好みを作ったのは、このふたりかもしれないです。

── 初めて鶴のことを知った人は、ソウル、ディスコ、ファンクというジャンルと「鶴」という和風のバンド名にギャップを感じるのではないでしょうか。

神田 そこの整合性を1ミリも考えてなかったです。

秋野 考えてなかったですねえ。

笠井 ははははは(笑)。

神田 やりたい音楽はこれ、バンド名は鶴ヶ島の鶴で、ミスマッチかどうかすら気付いてなかったですね。

秋野 「変なバンド名!」とは思いましたけど、説明しやすいし、めでたいからまあいいかって。

── 誰が最初に言い出したんですか?

秋野 前のバンドで下北沢GARAGEでのライブが決まっていたんですけど、やめちゃったんでキャンセルの電話をしたら、「急すぎるから何かやってくれ」って言われて3人でライブをやることにしたんです。それで練習スタジオに連絡したら、「バンド名を教えてください」って言われて、咄嗟に「鶴西で」って僕らの出身校の鶴ヶ島西中学の名前で予約したんです。そこからライブ直前になってバンド名をどうしようかっていうときに、鶴だけの方がめでたいし、「西」をはずしたんです。

神田 「西」をはずそうって言ったのは誰なんだっけ?

笠井 それもあっつぃ(秋野)だった気がする。

秋野 俺かなあ。

神田 じゃあ、命名者は秋野温かもしれないです。

笠井 20年経って気が付いた(笑)。あっつぃが付けたんだね。

秋野 緊急に迫られて、「これでいいか」ってね。

神田 今思えばナイスチョイスですよ。鶴ヶ島市のとの繋がりも、バンド名のおかげみたいなところもありますから。

笠井 本当だよねえ。

── ちなみに、他のバンド名の候補ってなかったんですか?

神田 鶴以外は考えてないですね。ただ、横文字のバンド名はなんとなく嫌だなっていうのはあったんですよ。なんかカッコつけたくなかったんですよね。「カッコつけるのが恥ずかしい」みたいな時代だったんですよ。

秋野 そうだね。まず、読めないバンド名はダメじゃん?

神田 そうそう。英語っぽいのもなんかシュッとしすぎてるっていうか。よく、ライブのMCで「(カッコつけた言い方で)じゃあ聴いてください……ホニャラララ」みたいな感じってあるじゃないですか?あの感じが嫌だっていう時代があったんですよ。今やそれはそれで理解できるんですけど、21~22歳の頃は「何カッコつけてるんだよ」みたいな感じだったんです。照れ隠しもあったと思うんですけど。

笠井 照れ臭かったんだよね。

秋野 カッコつけられなかったからね。

神田 だからちょっとダサいぐらいのバンド名でちょうど良かったんですよね。

初期の鶴~アフロヘアの変遷を辿る~

── 初期の鶴は、アフロヘアと派手な柄シャツ(通称キモシャツ)とフレアパンツがトレードマークでしたけど、いつぐらいから始まった衣装なんでしょう?

秋野 一番最初は普通の衣装でした。

神田 キモシャツすら着てなかった。

結成当時

笠井 一番最初に、お揃いのチェックのシャツ買わなかった?

秋野 ああ、そうかも。何か揃ってる感を出そうとしてたんでしょうね。そこから結成1年目ですぐアフロにしたんだっけ?

笠井 もう、すぐだったと思うよ。

── そのアイデアは誰が出したんですか?

神田 それはどん君(笠井)です。

秋野 対バンライブとかイベントに出たときのインパクトが欲しいよねって。

笠井 最初から、「良い音楽をやってるんじゃないか」っていう謎の自信があったんですよ。でも、対バンライブってお目当てのバンドしか見て行かないお客さんも結構いるから、何か目を引くものがあれば見て行ってくれるじゃないかなと思って、それは何かなって考えたときにチョイスを間違えてアフロになったというか。

結成当時

── 後で間違えたって思ったんですか(笑)。

笠井 どこで気が付いたのか(笑)。そのときはアフロがいいんじゃないか、これは閃いたぞと思って提案したら、ふたりもバカなもんだから「アフロいいね!」ってなっちゃって。

神田 グッドアイデアですよね。

秋野 「いいね、それ!」って。

一同 ははははは(笑)。

── アフロのかつらを被っていたわけですけど、地毛で本当にアフロヘアにしようっていう話にはならなかったんでしょうか。

笠井 毛の長さが全然足りなかったですからね。でも、すぐにでもアフロにしたかったんで(笑)。

神田 しかも最初の最初は、べつに志が高いわけでもなく、結婚式の出し物でアフロを被るぐらいの気持ちでやってたんで、まあ東急ハンズとかドン・キホーテのやつでいいやって、みんなで買いに行って。

秋野 パーティーグッズ売り場にね。

神田 最初は1,000円ぐらいのしょぼいヤツだったんですけど、「ちょっと毛量が足りないよね」って、2,000円~3,000円のちょっと良いパーティーグッズにして、サイズがアップしたんですよ。それをもう何年も大事にしていて。まあ大事にっていうか、コンビニのビニール袋に入れてたんですけど(笑)。

一同 (爆笑)。

神田 コンビニのビニール袋に入れて縛って、リュックの中に突っ込んでそのままライブに行くみたいな。当時は杜撰でした。地毛の襟足が出てたりして。

笠井 最初の頃はライブの途中で取ってたんですよ。

神田 最初の2、3曲だけアフロでやって、途中のバラードっぽい曲では取るっていう。

秋野 本当、出オチだったんだよね。

笠井 謎のバンド(笑)。お客さんの目だけ引ければいいやっていう考えだったと思うんですけど。

神田 あるとき、初期のバラード曲『手紙』をやるときに、試しにアフロのままやってみたんですよ。そしたら意外といけるなと思って、そこからアフロでライブ全編通してやるようになったんです。

メジャーデビュー直前「ちょっと売り方がわかんない」

── そのスタイルで人気が出たから、そのまま継続していったんですね。

神田 そうですね。でもメジャーデビュー直前に、よしもとのレーベル(R and C)にいたときには、当時の担当者に「ちょっと売り方がわかんない」みたいなことを言われたんですよ。

笠井 曲はポップで、アフロ感もそんなに感じない、アフロからはちょっと地毛がはみ出してるし、売りづらいなって。

秋野 キャラクターとして中途半端だったんだよね? どっちかにした方がいいんじゃないの?っていう。

神田 「やるならやる、やめるならやめる」みたいな。それで「やります!」って、プロ仕様のオーダーメイドのかつらを使うようになって、一気に値段が跳ね上がりました。3,000円が45,000円になりましたから。

── アフロをやめずにグレードアップさせたわけですね(笑)。ライブでかなり汗をかくと思いますけど、洗濯できるんですか?

神田 3ヶ月に1回メンテナンスをしてました。シャンプーとパーマをかけ直してもらって返って来るんです。それまではファブリーズとかで匂いを消してました(笑)。それを8年間続けて、2012年の頭でアフロとキモシャツは引退したんです。

Text:岡本貴之 Photo:石原敦志

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ライブ情報

「結成20周年記念TOUR 鶴の野恩返し返し -みんなにワイワイをお返ししに行く会-」
11月3日(金祝)宮城県・仙台LIVE HOUSE enn 2nd ※ワンマン公演
11月5日(日)北海道・札幌PLANT ※ワンマン公演
11月18日(土)岩手県・the five morioka ゲスト:FUNKIST
11月19日(日)青森県・弘前KEEP THE BEAT ゲスト:FUNKIST
12月2日(土)福島県・OUTLINE※ゲスト有り
12月9日(土)愛知県・名古屋ElectricLadyLand ※ワンマン公演
12月16日(土)新潟県・CLUB RIVERST ※ゲスト有り
12月17日(日)石川県・金沢AZ ※ゲスト有り
1月7日(日)東京都・ ヒューリックホール東京 ※ワンマン公演※リベンジ公演
1月13日(土) 香川県・高松DIME ゲスト:BRADIO
1月14日(日) 愛媛県・松山WstudioRED ゲスト:BRADIO
1月20日(土)福岡県・ DRUM Be-1 ※ワンマン公演
1月21日(日) 広島県・CAVE-BE ※ゲスト有り
1月27日(土) 岡山県・CRAZYMAMA KINGDOM ※ゲスト有り
1月28日(日) 大阪府・BIGCAT ※ワンマン公演

★9月18日(月) 23:59までぴあアプリ先行実施中
https://lp.p.pia.jp/article/news/288143/index.html

関連リンク

鶴オフィシャルサイト:https://afrock.jp/

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