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the dadadadys、全国ツアー『(茜)』スタート 初日の下北沢SHELTER完全レポート

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the dadadadys全国ツアー『(茜)』8月23日(水) 下北沢SHELTER Photo:小杉 歩

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すでにリリースニュースも発表されているが、teto名義の曲の再録から新曲までを4ヶ月連続リリースという、ここから怒涛の攻勢をかけていくことを感じさせる、the dadadadys。その第一弾曲である「kill&miss」のリリース日に行われたのがツアー「(茜)」であり、下北沢SHELTERでツアー初日となるワンマンライブを開催した。

ツアー初日ということもあるが、やはり今のthe dadadadysにとっては激狭と言えるようなキャパであるために即完の客席は開演前から何度もスタッフが前や奥に詰めるようにアナウンスするくらいの超満員っぷりであるがゆえに少し開演時間を押した19時過ぎに、懐かしの某アニメのテーマ曲がSEとして流れると、どこかスポーティーな出で立ちが実にカッコいいyucco(ドラム)を先頭にメンバーが登場するのであるが、甚平と言っていいような夏らしい服装にサングラスという姿がどこかこれまでとは違うオーラを発する佐藤健一郎(ベース)に少し驚いていると、ステージ両サイドの山岡錬と儀間陽柄のギターコンビも含めた4人で向かい合うようにして音を鳴らし始めると、最後にステージに登場した、サングラスをかけて長くなった髪を後ろで結くようにした小池貞利(ボーカル&ギター)が歌い始めたのはなんといきなりteto名義の頃の「暖かい都会から」であるのだが、その歌い出しから客席では大合唱が起こるし、小池もマイクを客席に向けるようにする…と思ったら早くも小池が客席にダイブし、客席からもダイバーが続出するのはyuccoと佐藤の力強く走り出すようなリズムによって小池からも観客からも衝動が溢れ出ているからだ。個人的にもこの曲のMVを観て衝撃を受けてtetoにハマったという経緯があるだけに、バンドの編成も名前も変わってもこうしてこの曲を聴けているというのが実に嬉しいし、この曲から与えられる衝撃や衝動が今も変わっていないことを実感することができる。

ご機嫌なイントロのメロディも、小池による1週間の失くしたものを歌う歌詞も実にキャッチーな「ROSSOMAN」はサビで一気にやはりyuccoのドラムが加速することによって観客が次々に観客の上に飛び上がっては転がっていくのであるが、バンドがまた少し変わったように感じたのは、どちらかというと後ろでバンドを支えるようにベースを弾いてコーラスをしていたイメージが強い佐藤もこの序盤から思いっきり観客の目の前まで出てきて、手が届くような距離感で演奏していたこと。それは今のthe dadadadysのライブの衝動が小池だけからではなく、メンバー全員によって発せられていることを意味している。だからこそこんなにもこのキャパで観客が次々にダイブしているのだ。

小池は「気持ち良くなりたい奴!音楽で自由になりたい奴!どうしようもないくらいに叫びたくなるような思いを抱えてる奴!」と観客に問いかけるようにして叫んでから、まさにその音楽を目の前で浴びていることの気持ち良さをそのまま曲にしたかのような「k.a.i.k.a.n」を歌うのであるが、小池は再び客席に飛び込むと、観客の持っているペットボトルの水を奪ってそのまま自分で飲み、さらには客席に向かって撒くという無茶苦茶極まりないパフォーマンスを展開するのであるが、その後にすぐ新しい水をその観客に渡すというあたりに、ただ無茶苦茶なだけではなくて、ちゃんとそれ以上のものを与えてくれるという小池の優しさや人間性が滲み出ているし、その人間性はそのまま曲や歌詞にも滲み出ている。だからこそ聴いていて、ライブを観ていてこんなに体も心も震わされるのである。

「まだまだ青二才だけど〜」と言って「青二才」に繋ぐという、MCらしいMCではないが、実に上手い繋ぎもそうであるが、冒頭からこんなにも小池がハンドマイクで歌いながら自由なパフォーマンスができるというのは、エフェクターを駆使して様々な音を鳴らす山岡と、掻き鳴らすようにしながらコーラスを務める儀間という手練れのギタリスト2人への信頼があるからこそできるものだろう。なんなら小池はほとんどの曲で客席に飛び込んでいるのだが、フェスやイベントが短距離、2マンが中距離とするならワンマンはマラソン並みの長距離と自分は捉えているのだけれど、その長距離をいきなりスタートから全速力で走ることができるのも山岡と儀間の存在あってこそである。小池はそうした計算ではなくて、あくまでその場その瞬間の衝動としてそうしたライブになっているのだろうけれど。

そんな小池もさすがにギターを持って弾きながら歌うことによって、客席に飛び込むことなく歌うようになるのだが、「俺たちとあなたがいる今この場所が、光るまち!」と言って演奏されたのがteto名義時代からの屈指の名曲である「光るまち」であるというあたりに、この曲をこの位置に持ってこれるくらいにこれ以降もキラーチューン、名曲揃いであることがわかるのであるが、この曲も来月にこのthe dadadadysバージョンが配信されることがすでに発表されているが、メロディの美しさは変わることなく、スピード感溢れるソリッドなギターロックになっている。だからこそイントロでこの曲だとわかって湧き上がった観客がサビでもそのまま、いや、それ以上の熱狂でもって飛び跳ねまくっている。それはこの今のthe dadadadysでのリアルなこの「光るまち」にダイレクトに反応したリアクションということである。

そのソリッドさ、シャープさというサウンドとどこまでもキャッチーなメロディ、そして衝動という黄金のトライアングルがずっと変わらないことを示すのが今年の3月にリリースされたばかりの「だ」と「da」という2枚の作品の収録曲であり、「あっ!」は小池もギターを弾くことによってさらに分厚くなったサウンドがよりそう感じさせてくれるのであるが、しかしながら配信されたばかりのteto名義の再録「kill&miss」では小池がギターを放り出して客席に飛び込んでいくという自由っぷりを遺憾無く発揮する。でも前日にこの曲が再録されて配信されるということが発表された時のリアクションも、実際にこうして演奏された時のリアクションも、ファンそれぞれがそれぞれの思いでteto名義の曲を大事にしているということがよくわかるし、それはきっと小池も佐藤もそうだからこそ、こうして再録して今のthe dadadadysとして演奏しようとしているのだろう。この小池が飛び込んだ姿向かって飛んでいく観客の笑顔と楽しいでしかない空気が本当にそう感じさせてくれる。

「踊る準備はできてるか!踊らない準備もできてるか!どっちでもいい、自由にして〜」と言って演奏された「しぇけなべいべー」は小池の言葉通りに否が応でも体が左右に動いてしまう、つまりは鳴っているサウンドのご機嫌さによって歌詞通りにこの曲が鳴ったらどんな場所でもついつい踊り出してしまう曲であるのだが、それでも誰よりもステージ上にいる小池が自由に振る舞っているからこそ、自分の衝動や感性に自由でいていいと思わせてくれる。それはこの日もそうであるし、生き方そのものもそうであっていいと伝えてくれているかのような。

そんな体が動き出してしまうご機嫌さは「にんにんにんじゃ」へと繋がっていくのであるが、小池の取る忍者のようなポーズに合わせて観客もそうしたポーズを取っているのが実に面白い。何というか、自由にしていいということを示していながらも、確かに今目の前にいる人と繋がっていたいという感覚をライブの雰囲気が抱かせてくれる。それはバンドサイドも、観客サイドも。それがこんなにもこの日の空気を楽しいというものにしてくれているのである。

そんなバンドと観客の互いの絶好調っぷりを示すかのように演奏された「超々超絶絶頂絶好最高潮」を聴いていて感じたのは、この5人でのグルーヴがさらに研ぎ澄まされて進化しているということ。この日は「da」の収録曲はほとんど演奏されていないが、それはそうしたグルーヴに重点を置いたようなサウンドの作品であるように感じた「da」を経たことがデカいんじゃないかと思う。その曲作りとともに繰り返してきたライブが確かにバンドの進化に繋がっていると感じることができるし、それは観客のリアクションの熱狂っぷりを見ればよくわかる。

そんな中で雰囲気がガラッと変わるのは、teto名義時代のライブで新曲として演奏された時に「これはとんでもなくめちゃくちゃ良い曲だな」と思ったのが今も忘れられない「コーンポタージュ」であり、その誰もの記憶の中に存在するような情景を呼び起こす歌詞も含めて、やっぱり今になってもその名曲っぷりは変わってないなと思う。最低限の照明しかない肉弾戦・接近戦のこのSHELTERであるが、それでもどこかそのコーンポタージュを早期させるような淡い色の照明がその名曲っぷりをさらに引き出している。

しかしそうした少ししんみりするような空気を再び一変させるようにして、小池が目の前にいる人たちに向けて電話をかけるようにして前のめりにタイトルを口にしてから演奏された「もしもし?もしもさぁ」もやはりteto名義の頃からずっと聴いている人からしたら実に思い入れの強い曲だろうし、今こうしてライブで聴けるとは思ってなかった曲だろうけれど、そんな喜びが全てダイブなどの熱狂のリアクションとして現れている。もちろん小池も客席にダイブしまくっているのであるが、曲間ほぼなし(ずっとドラムを叩き続けているyuccoの体力の凄まじさたるや)というあまりにも駆け抜けすぎているライブとなっているために小池は「ゲボ出そう(笑)ゲボ出たら受け止めてね(笑)君たちがゲボ吐いたらぺろぺろしてあげるから(笑)それが、愛」と言って、本当に曲中に咽せているというか、呼吸に詰まっているくらいの状態で歌っているのがわかる「♡」は「右手の人差し指に出来るあのささくれが作る痛みだけが あの人やあの人の憂鬱を紛らわす」 「君が心から望むのならば やまない雨すら降らせるさ 虹の終わりもここにしてしまおう 楽勝だろう なぜなら」 というフレーズの数々が小池の持つロマンチックさを感じさせてくれるし、そうしたすぐにその状況や情景を脳内に描くことができるけれど、他の誰でも書くことができないという作詞家としての才覚を存分に感じさせてくれる。それはteto名義の頃から発揮されていたものであるが、小池のそうした部分をわかっているからこそ、今もずっとthe dadadadysに夢中であり続けているという人もたくさんいるはずだ。

続いて「らぶりありてぃ」は同期の音も使って小池の歌声にエフェクトがかけられ、再び空気は変わっていく…と思いきや、小池は曲の序盤で歌詞を飛ばしてしまい、メンバーに演奏を止めてもう一回やり直すことを要請する。その際にメンバーが曲が終わるような感じで演奏を合わせるという息の合ったコンビネーションを見せたために小池も「え?これでこの曲終わるの?(笑)」と焦っていたが、「こういうのもきっと良い思い出になるから」と言うあたりに、こうしたことがあると怒りになってしまうようなイメージもある小池が本当にただただ今この瞬間を楽しもうとしている、楽しんでもらおうとしていることがわかるし、小池がライブ序盤から観客の声を求めるようにしていたのもそういうことだろう。だからこそこの日の「らぶりありてぃ」は他の何物でもない、この瞬間のthe dadadadysのリアルが鳴っていた。

そんな小池がアコギを手にして歌い始めたのはteto名義での長尺名曲バラード「忘れた」であり、バラードでありながらも聴き入ると同時に強く心を焦がすような小池の歌唱とバンドの鳴らすサウンドによって、観客はみんな腕を振り上げているという光景も実にこの日のライブの熱気を物語っていたものだったのだが、今でもこの曲をいろんな場所で聴いてきたことは忘れていないし、この日だってきっとそうだ。最初からペース配分という言葉を知らないかのように張り上げまくって歌っていたことによってかなり喉がキツそうになっていた小池の姿も含めて。

そんなバラードの後にはyuccoと佐藤、さらにはギター2人のサウンドが豪快に重なっていくとともに、佐藤と儀間のハイトーンなコーラスが聞こえた瞬間に何の曲かわかった観客たちが一斉にさらに前へと詰めかけてダイブを連発するのは、こちらもteto名義からの名曲「拝啓」であり、やはり小池もそのダイバーたちに自ら重なっていくかのように客席に飛び込んでいくのであるが、その姿も「拝啓 今まで出会えた人達へ 刹那的な生き方、眩しさなど求めていないから 浅くていいから息をし続けてくれないか」 というフレーズが歌われることによって純粋さの塊であると思える。誰よりも刹那的に生きているかのように見える小池がこうして周りの人が少しでも長く生きていて欲しいと歌うことの優しさが胸に沁みるからこそ、今でもこの曲に泣かされてしまうのであるし、自分は小池にもそうしてずっと生きていて欲しいとこの曲を聴くたびに思うのである。

「夏の匂いがしてます!」と小池が言って続け様に演奏されたのは、こちらもteto名義での夏の大名曲「9月になること」であり、サビではダイバーはもちろん、リズムに合わせて力強く腕を振り上げる観客の姿も昔から全く変わることはないのだけれど、こうして今のこの5人でのthe dadadadysでtetoの曲をやることに複雑な思いを抱いている人も間違いなくいると思うし、それもめちゃくちゃわかる。それは自分も脱退した山崎のギターも、福田のドラムも大好きだったからで、あの4人のtetoの鳴らす音やライブに胸を焦がしていたからこそ、土砂降りの日比谷野音を始めとしたいろんなライブに足を運び、突如として4人での最後のライブとなった東京キネマ倶楽部でのライブの時には泣いてしまったから。

でもこの日のこの「9月になること」では小池のみならず、儀間までも客席に飛び込んで天井に足をつけてバランスを取るようにしてギターを鳴らしていた。そんな5人でのこの曲を演奏している姿を見て、これが自分が憧れてきたロックバンドのライブだと思った。序盤で小池が口にしていた、どうしようもないような思いを全て衝動として音や姿で示してくれている。そうなりたかった、そうしたかったからこそ、このバンドの音楽が好きで、それは今でも変わっていないどころか、この5人でのものとして進化を遂げている。もしかしたらメンバーと名前が変わってからライブを観ていないという人もいるかもしれないけれど、そういう人にこそ今のこのバンドのライブを観て欲しいと思った。きっと、今観たらいろんなことを思い出すことができるだろうし、自分の中にある「やっぱりこれだ!」という確信を得ることができるはずだから。

しかしながらそんな自分の思いを心地良く裏切ってくれるのもまた小池であり、the dadadadysである。なので「楽しかった!全部許して!」と言って本当にあっという間(曲間が全くないからマジで体感10分くらい)に最後の曲として演奏されたのは「(許)」であり、「まぁいいや~ まぁいっか~ 拗れた脳内も歪んだ性癖も全部無修正で まぁいいや~ まぁいっか~ 阿保面な野次馬たちも頓珍漢な商人も全部全部全部」 というサビの歌詞を聴いていると、もうこの日この場所でこのライブを観れていれば日々の憂鬱やムカつく奴のことなんか全てどうでもよくなってしまう。ただ楽しいだけじゃなくて、そうして我々の明日からの日々を前向きに生きることができるようにしてくれる。自分はそれこそが平日の夜にロックバンドのライブを観に来る意味だと思っているし、そうした意味ではこんなにロックなライブはないというくらいにロックだった。

汗と熱気に塗れる中でも観客がアンコールを求めて手拍子をしていると、袖から「そんくらいじゃ俺は出れないよ!」という小池の声が聞こえてきたことによって、さらに観客の声と手拍子が大きくなっていく。序盤から観客の声を聞こうとしていたのもそうであるが、今の小池は自分や自分たちだけが思うままにやれればいいというのではなくて、目の前にいる人と一緒にライブを作ろうとしている。何度も書くが、その感覚こそがこの日のライブを最高に楽しくかつ幸せな空間にしてくれているし、バンドの在り方や醸し出す空気も変わったように思える。

そうして大きな声でのアンコールに応えて登場したメンバー、儀間がイントロのギターリフを鳴らしたのを皮切りにリズム隊と山岡のギターもそこに加わっていく。それだけで客席からさらなる歓声が上がると、小池もステージに登場して歌い始めたのは「手」。言わずと知れたtetoの大傑作アルバムのタイトル曲である(自分はリリースされた2018年のベストアルバム1位にこのアルバムを選出しているくらいの超名盤)のだが、

「馬鹿馬鹿しい平坦な日常がいつまでも続いて欲しいのに 理想と現実は揺さぶってくる でもあなたの、あなたの手がいつも温かかったから 目指した明日、明後日もわかってもらえるよう歩くよ」 というフレーズを歌いながら小池は投げキスをしたり、客席に飛び込んで観客の手にキスをしたりする。その観客たちは決して激しい曲ではないのにリズムに合わせて飛び跳ねまくっている。その光景とこのサビのフレーズはとんでもなく楽しいこの日のライブの雰囲気にこの上なくふさわしいものだ。個人的にも何度この曲を聴いて救われるような感覚になっただろうか。その感覚は今でも全く変わっていない。今もこうしてこの曲を聴くことによって救われる感覚が確かに存在している。それは作った人、鳴らしている人の持つ優しさや温もりを確かに感じることができるからだ。

「俺が埼玉県○○市…に住んでいた時に、地球はくだらねぇなって思って作った曲!」と小池が言うと、その言葉からも古くから存在する曲だということはわかるのであるが、実際に演奏されたのは歌い出しから客席では大合唱となった「高層ビルと人工衛星」という名曲しかないtetoの中でも屈指の名曲たちの連打っぷりであるのだが、やはり客席に飛び込みまくる小池の横では佐藤もガンガンステージ前に出てくる。その姿を見ていて、こうしてtetoの曲を今でもライブで聴くことができているのは今も小池と佐藤が一緒にバンドをやっているからなんじゃないかとも思った。それは2人が一緒に作って鳴らしてきた歴史を持っている曲たちだから。そこに対する誇り、今の自分たちがtetoの曲を鳴らすことへの自信をそんな佐藤の姿から感じていた。その姿を見ながら、本当にバンドを続けてくれてありがとうございますと思っていた。

「「kill&miss」がリリースされたのも出てから知ったんだけど、これからtetoの曲も新曲も毎月出ます。最後に出る新曲「(茜)」はまだ出来てないんで、出来なかったら許して(笑)。tetoの曲を今再録することに思うことがある人もいると思う。でも俺が作った良い曲たちだから!」という、最後の最後に口にしたMCらしいMCは、今こうしてtetoの曲をthe dadadadysで再録してリリースすることの意味をどんな憶測よりも雄弁に語っていた。聴き手それぞれに思い入れがある曲たちには、きっと小池にとってそれ以上に思い入れが強くあるのだろうし、その曲たちを前向きに捉えて向き合っている。バンド名もメンバーも変わったからはい終わり、ではなくて自分が生んだ曲を今でも大切にして育てようとしている。きっとその曲のチョイスも小池なりに意志や考えがあるものだということをこの日のこのMCからは確かに感じられたのだ。

そして小池は続けて「この世にいるだろう、自分みたいな人に歌う」と言って「東日暮里5丁目19-1」を歌い始める。音源では地声というか、それよりもさらに低いキーで歌われているのが印象的な曲だったが、ライブではそこまで低いような感じがしないのはその歌唱に思いっきりこの瞬間の感情を込めているからだと思うけれど、小池はやはり弾いていたアコギを置いて客席に飛び込み、その客席の中に着地してもみくちゃになりながら歌うのであるが、音源よりもさらにはっきりと情景の移り変わりを感じさせるような間奏でのメンバーが体だけではなくて心でも向き合うような演奏にも確かな感情が感じられる。それは小池だけではなくてメンバー全員が鳴らす音に衝動を込めて放出しているということ。

「いつかの地球最後はこんな夜がいいな 君との最初の夜もこんな夜がいいし いつかの地球最後もこんな夜がいいな」 と思わずにはいられない夜であったし、「俺に似た誰かが今日もまた 同じように月に吸い込まれる 明日はどんな一日になるだろう 思っ切り走って帰ろうかな」 というフレーズの通りに、明日への確かな力と希望を感じさせてくれるようなライブだった。それはこれまでに見てきたteto、the dadadadysのライブとはやはり少し違ったものであるように感じていた。

ツアー初日というのは新しいスタートだ。実際にこの日から始まるツアーはリリースも重ねることによってさらに変化・進化していくはず。そうして変わっていくものもある一方で、変わらないものも確かにある。少なくとも自分がこのバンドの音楽、ライブを心からカッコいいと思っていること、自分の中にある言葉にできないような衝動を全て具現化してくれている存在であることは全く変わっていない。だからこそこれからもこうしてthe dadadadysのライブを目の前で観て、バンドが発する衝動を浴びていたいと思うし、それをたくさんの自分のような人、小池のような人に味わって欲しいと思っている。それは初めてライブを観た時からずっと、こうして自分の中の得体の知れない感情を美しいものに昇華してみたかった、こういうバンドをやってみたかったという意識を体現してくれているバンドであるから。

Text:ソノダマン Photo:小杉 歩

the dadadadysのチケット情報はこちら:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2344152

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