ジャパニーズMCバトル:PAST<FUTURE hosted by KEN THE 390 EPISODE.1(後編) “KREVAスタイル”とは何か?
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左からKREVA、KEN THE 390
ラッパーのKEN THE 390がホストとなり、MCバトルに縁の深いラッパーやアーティストと対談する本連載。EPISODE.1の前編では、ゲストのKREVAがフリースタイルを始めた頃の黎明期を振り返った。
後編では「B-BOY PARK」のさまざまな逸話や、現在のバトルシーンについての思いを語り尽くす。
取材・文 / 高木“JET”晋一郎 撮影 / 斎藤大嗣 スタイリング(KREVA) / 藤本大輔(tas) ヘアメイク(KREVA) / 結城藍 ヘアメイク(KEN THE 390) / 佐藤和哉(amis)
トップオブザヘッド(完全即興)でやるしかねーか
──2001年「B-BOY PARK」(BBP)のKENSHIN戦での「俺がネタ帳 / 暴くデカ長」というラインや、当時のインタビューでも「16小節書いてきてるやついるけど、それだったら筆記試験にすればいいじゃん」と発言されるなど、KREVAさんの即興に対する思いは随所に垣間見られますね。
KREVA なんでそんなにこだわっていたんだろう……? 今となってはわからない(笑)。でもROCK-Tee(EAST END)の考え方だと思うよ。俺は韻の踏み方とかMPCの使い方を、ROCK-Teeに教わった部分が大きい。ROCK-TeeはDJだけど、「韻はこうじゃないと」とか、ラップにもかなり厳しい先輩だから(笑)。「フリースタイルで仕込んだネタをやるやつってダサくね?」って言われて、俺も「そうっすね」と。それで「じゃあトップオブザヘッド(完全即興)でやるしかねーか」みたいな(笑)。
KEN THE 390 ははは。でも自分が即興でやってるのに相手がネタっぽくて、それで観客が湧いたらムカつくのはわかるし、現場に対してもわからせたいみたいな気持ちになりますよね。
KREVA そういうことだと思う。フリースタイルとかMCバトルの大会で、書いた内容で来るのはズルくね? みたいな(笑)。
──2001年のフロントとのバトルでも「あいつはネタ帳持ってきてる、許さねえ」とガンガンに詰めています。
KREVA フロントは確か高校の同級生の弟だったんだよね。で、楽屋でびっちり何か書いてあるノートを持ってて。
KEN 本当にそんなネタ帳が存在するんですね!
KREVA 「めっちゃ準備してるじゃん!」とはバトル中に言ったんだけど、ただ、正直言ってそれが韻のネタ帳かどうかは、読んでないからわからないんだよね。会場までの行き方が書いてあったのかもしれない(笑)。
──もしかしたら普通に勉強してただけかもしれないし。
KREVA ホントそう。何かの試験前だったかもしれないし、だとしたら悪いことした(笑)。今だったらネタ帳を持ってようがなんだろうが、まったく別に何も思わないだろうし、当時もネタを完全に否定してたわけじゃないはずなんだよね。
──ラバダブで持ち曲をやれば大盛り上がりすることもあるし、フリースタイルだってネタが完全にバチッとハマればいいわけで。
KREVA だからトップオブザヘッドをテーマにすることで、こちらの土俵に乗せる、こっちに寄せるという側面はあったと思う。
KEN そうか。「即興か否か」という議題を出せば、相手が即興じゃない技を出しにくくなるし、そういうテクニックも意識的に使われていたと。その意味ではトップオブザヘッドをテーマにクレさんが1999年に優勝したことで、以降はそのモードが浸透していった側面もあると思うんです。
KREVA 確かに、誰かが「なに即興でやってんの?」「よく丸腰でここに出てきたな」という内容で優勝したら、そのモードも1つの流れになったのかもね。「お前を殺すための200バース書いてきた! よく聞け!」みたいなやつがいたら最強だったかも(笑)。
KEN 危なすぎますよ、そいつ(笑)。でも、どんなにいい内容を書いてきたとしても、フリースタイルの場においては、“即興のつかみ方”には最終的には勝てないと思います。どんなにバースがよくても、相手や相手の話に1mmも触れないMCバトルやフリースタイルは観ても面白くないと思うし。
──特に今はそうかもしれないですね。
KEN 99年にクレさんが優勝したことで、以降は大まかに言えば「フリとオチをしっかり効かせて、ケツでしっかり韻を踏む」という、いわゆる“KREVAスタイル”と言われる方向性がスタンダードになっていくし、クレさん的な方式を取り入れる人が増えましたが、それは現象としてどう感じられてました?
KREVA あの方法論が“KREVAスタイル”って言われてたのは、のちに知ったくらいじゃないかな?
KEN 確かに、クレさん自身が定義したものではないですからね。でも、僕も観客として観に行ってたときは、やっぱり「韻の落とし方」「どう即興で韻を踏むか」に期待してましたね。
KREVA でも、勝った人間のスタイルが中心になっていくのは必然だよね。あと韻に関しては、K.I.NさんやPESが流れるようなフロウでラップするのを間近で見ていたから、俺はかっちり韻を落としていくっていうのは差別化として考えてたのかもな、と今になって思った。
KEN そして、当時のクレさんのスタイルが強かったのは、BBPのシステムも大きかったのかなと。今のバトルはターン制が基本ですけど、初期BBPは1分間の持ち時間制でしたね。そうすると“1分のショーケースを見せる”という側面もあったと思うんですよね。そのルールの中で一番効果的な見せ方がクレさんのスタイルだったのかなと。
KREVA なるほどね。
嫌だったね、正直、出るのが
──そして2000年には「BBP」のMCバトル第2回大会が開催されます。
KEN 第1回はみんな模索してたと思うんですけど、クレさんが「即興でラップはできる」ということを優勝という形で証明したことで、2回目以降はプレイヤーの平均値も、フリースタイルのレベルも上がったと思うんですね。
KREVA 2年目は漢と戦ってるんだ……あと岡山のYOUTHか。よく勝ったね、あんな“韻奇人”に(笑)。
──1回戦の対戦相手は、KREVAさんとともにFUNKY GRAMMAR UNITに所属するCHANNEL(INNOSENCE / CASSETTE VISION)で、その意味でも同門対決が行われていますね。
KREVA ああーーーーーー!
KEN 思い出しがすごい(笑)
KREVA 持ってねえなあ、CHANNEL(笑)。あんなに一緒に練習したのに。CHANNELもBBPに出るっていうから、「フリースタイル地獄」よろしく、インストをひたすら入れたテープをラジカセで流しながらずっとフリースタイルを、しかもそれを渋谷の109とか原宿の駅前でやるんだよ。バトルでどんな相手が来ても対応できるように、道行く人間の容姿とか服装を織り込んでフリースタイルして、練習してた。
KEN 街角ならどんな人が通るか読めないし。
KREVA そこで基礎体力を上げとくっていうか、言葉の引き出しを何個も作って、それをいつも半開き状態にしておく感じだったよね。何かが来たらそれ用の引き出しをパッと開けるみたいな。
──Motoyと決勝で当たり、それを下してKREVAさんがV2を果たします。
KREVA 回を追うごとに相手はやりやすくなっていったと思うよ。
KEN 単純に相手の方が持っている情報量が多くなるし。
KREVA そうそう。2回目はディフェンディングチャンピオンという部分、3回目はメジャーデビューアーティストという部分があったから。
KEN 基本、MCバトルって人気者が不利になることが多いですよね。
KREVA だから2回目のときはむちゃくちゃ練習していった。一応楽屋では余裕な感じにしてたけど、めちゃくちゃナーバスで。トイレでもフリースタイルしてた記憶がある。
KEN そんなにですか。
KREVA 誰かに聞かれてたら「あいつコソ練してたぜ!」とか言われたんじゃない?(笑)
KEN 別に練習したっていいんですけどね(笑)。
KREVA そうだな。コソ練しちゃいけないって決まりはないな(笑)。2001年の3回目はプレッシャーがすごかった。周りも「がんばれよ!」じゃなくて「当然勝つでしょ?」という期待を持ってたし、ほかのMCも「あいつをどう倒すか」という“打倒KREVA”が意識の中心だったと思う。嫌だったね、正直、出るのが。
──2001年は、KICK THE CAN CREW(KTCC)として「スーパーオリジナル」でのメジャーデビューが5月にあり、7月にはシングル「イツナロウバ」のリリースがありました。それに加えて、BBPの直前には喉の手術もされていたようですね。
KREVA それでバトルに出るのは、大変すぎるね(笑)。
──常勝王者としての期待、メジャーアーティストという攻撃材料──特に当時はまだメジャーVSアンダーグラウンドという構図がありましたし、そしてKTCCの制作など、当時のクレさんは「シーンに名を馳せる」という目的はバトルにおいてもリリースにおいてもすでに果たしている……その意味で、モチベーションとしても難しいですよね。
KREVA 自分のマインドとしても、MCバトルにフルコミットメントできていればまた別だったかもしれないけど、俺はKTCCや音楽作りで売れたいと思っていたし、そこに注力してたから、全然練習もできてなくて。だから、バトルに向けて“フリースタイル頭(あたま)”にしていく時間が必要だったんだけど、そもそもフリースタイル自体の回数も減ってたんだよね。たぶん2000年くらいを境に、イベントでもフリースタイルの時間にあまりマイクを持たなくなってきてたかも。RHYMESTERやMELLOW YELLOW、RIP SLYMEもそれまでみたいに皆がクラブにいることもなくなったし。
──クルーのイベントよりも、個々のグループでの活動が中心になってきた時期ですね。
KREVA イベントがあってもそれぞれのライブの時間をしっかり取るようになって、フリースタイルの時間が減ってたんだよね。だから、BBPの3回目は受験勉強じゃないけど、とにかく自分の中で“フリースタイルモード”にしなくちゃいけなくて、直前には毎日即興やって、むりやり頭を切り替えてた。この年にはFORKは出てないの? 玉露は出てたよね。
KEN 玉さんとは1回戦で当たってますね。
KREVA 覚えてる。韻のスタイルはラッパ我リヤ的な感じだったけど、正統派でうまいなと思ったね。このバトルでROCK-TeeさんがICE BAHNをすごく気に入って、いろいろ関わるようになるんだよね、たぶん。(当時の対戦表を見て)オオツ(O2)ってMSCの? ヤバいね。
KEN MSCは漢さんが予選で敗退して、O2さんが本戦に上がってるんですよね。
KREVA 決勝の相手はキンダシャーロックね。でも1個1個の場面とか、どんな韻を踏んだとかまったく覚えてないな。ただ迷彩の服はちゃんと選んで着ていった。俺にはハードコアなイメージもなかったし、自分としてもバトルモードにするために、わざわざ買いに行ったんだよ。手袋も込みで(笑)。
KEN クレさんが僕の「Shock feat. SKY-HI、KREVA、Mummy-D」のライブにゲストで来てくれたとき、あの格好をセルフサンプリングしたんですよね(笑)。
KREVA そうそう。バンダナしてね(笑)。
KEN あれはテンション上がりました(笑)。
「MCバトル大会=スターを輩出する場」という意味合いが生まれた
KEN 大きな大会がBBPしかないタイミングで、そこで無敗のままバトルを勇退したのはKREVAさんだけですよね。
KREVA 名を馳せ切った感じでしょ(笑)。
──「名を馳せ切った」と言い切れるのはクレさんぐらいですね(笑)。
KREVA しょうがねえなーみたいな感じだもんね。3連覇しちゃったら(笑)。
一同 (笑)
KREVA 大変だったけど、結果的には出てよかったなって思う。「もう殿堂入りだな」ってAKIRAさん(CRAZY-A。BBP主催者)に言われたときはホッとした。「よかった……もうこれで出なくていいんだ」って(笑)。BBP後の「FG NIGHT」には、優勝トロフィーを持っていって、みんなで乾杯したな。Mummy-Dさんとかすげえ喜んでくれて。「FG NIGHTにトロフィーが返って来たぞ!」みたいな。エモい感じだったよ。
──2001年のイベント後のインタビュー映像を観ると「もうこれ以上いじめないでくれ」と、けっこうげっそりしながら答えられてて(笑)。
KREVA 疲労困憊だったんだろうな(笑)。心底疲れてたんだと思う。
──同時に「みんなが真似しているから、俺は俺の基本を忠実にやれば勝てる」とも話されてて、それは王者ならではのコメントだなと。
KREVA 沖縄の元祖タコライスの店みたいなこと言ってるな(笑)。
──「ウチの味こそオリジナルにして至高」的な(笑)。これは以前にKENくんとも話していたんですが、「BBPで3連覇したKREVAがスターになった」という事実がなければ、もしかしたら現在のMCバトルの隆盛は、もっと違う形になったのかもしれないと思うんです。
KEN BBPのMCバトルは確実にMCにとっての登竜門だったし、それ以降の00年代のMCバトルは“名前を売る”という側面が強かった。そして、クレさんが「MCバトルで強い人」で終わるんじゃなくて、そこから実際にスターアーティストになったことで、“スターを輩出する場”という意味合いが、MCバトル大会には生まれたんじゃないかなって。
KREVA まあ、俺がそこで直接的な恩恵を受けているわけじゃないけど、そうだとしたらありがたいよね。
KEN バトルの歴史で見るとそう見えますよね。そういう意味合いと同時に、単純に「MCバトルって面白いんだ」というのを、クレさんやほかのMCが形にしたと思うんですよね。あそこで盛り上がらなかったら、「日本のMCバトルは面白くないよね」で終わってた可能性もあるわけで。
KREVA 間違いない。
梅田サイファーが土下座 約10年ぶりのフリースタイル
──KREVAさんは、BBP3連覇以降、MCバトルをそんなに観てないとおっしゃられていますね。
KREVA そんなにどころか、まったく観てない。申し訳ないけど「フリースタイルダンジョン」も観たことなくて。ほかのMCバトルに関しても、YouTubeでFORKがバトルしてたのをなんかの拍子にチラッと観たぐらいで、本当にまったく知らないんだよね。
──それは単純に興味を失っている感じですか?
KREVA フリースタイルをする場面に立ったり、バトルの現場を考えただけで、ちょっとなんか汗かくっていうか、緊張感がよみがえってナーバスになってしまうんだよね。トラウマとまでは言わないけど。だからこの前、大阪で梅田サイファーとフリースタイルしたときも(2023年4月1日、大阪・服部緑地野外音楽堂で行われた「The Cypher 2023 Revenge」)、なんかすげえ変な汗が出たよ(笑)。
KEN 梅田のみんなが手を変え品を変え「お願いします!」と楽屋に頼みに来たという(笑)。
KREVA 俺が出てくるまでずーっとステージでフリースタイルしてて、マイク持ってないやつが入れ代わり立ち代わり楽屋に来るんだよ。で、最終的に土下座みたいな(笑)。そのときもめちゃくちゃ緊張した。10年ぶりとかだったもん。
──パブリックな状況だと、「200万なんて昼飯代」というフリースタイルが飛び出した、2011年の「B-BOY PARK 冬の陣」以来でしょうか。
KEN あのとき、クレさんが“並び替え”をやったと聞いて、俺は超アガりましたね。
KREVA これはセルフオマージュしかないな、と思って、それで並び替えをやって。あと最近は韻を踏まないフリースタイラーがいるって聞いたから、それだったら余裕だなというのもあったし、最後はマイク投げて帰る、みたいな(笑)。
一同 ははは(笑)。
KREVA それで終わったら梅田の全員また土下座(笑)。
KEN それはそうですよね(笑)。ずいぶん前ですけど、俺とサイプレス上野とロベルト吉野とかが名古屋でライブしてたとき、偶然クレさんも名古屋にいて、クラブに遊びに来てくれたんですよね。それでフリースタイルで「KREVAが来てるぜ!」とステージから呼ぶっていう。
KREVA 茂千代のときと同じだよ(笑)。
KEN 俺らも超若手で、直接ちゃんと話したこともないぐらいの時期。で、クレさんはステージに上がってくれたんですけど、バチバチに韻踏んで、お客さんもガンガンに盛り上げて、最後はマイクを投げて帰ったんですよね。だから呼び出した俺らはケチョンケチョン、こてんぱんにやられて。
──フリースタイルハラスメントして、返り討ちにされるという(笑)。
KREVA ははは! フリースタイルハラスメント(笑)。でもこれだけ「フリースタイルすることに価値が生まれる男」っていうのもなかなかいないから、それはそれでいいのかなって思ったりするけどね。
バトルシーンから違う現場でしっかり活躍できる人がもっと出てくるといいよね
──改めてKREVAさんがバトルをどのように考えられていたのか、どんな部分が現在の礎になっているのか、興味深く聞かせていただきました。
KREVA バトルを追いかけてない外側の人間からの意見にはなるけど、これだけバトルの数が増えて、情報も多いと、その中だけでやってると勝ちづらくなってる人もいるんじゃないかな。だからそれこそ、バトルにプラスアルファの要素をどれだけ乗せられるか、みたいなことが大事なのかもしれない。
KEN それは今回話して本当に思いましたね。バトルも歴史が長くなって、情報も増えているし、バトルにネイティブな世代もいて。それは歴史の積み重ねだとは思うんだけど、一方で、ほかのジャンルやカルチャーのアティチュードみたいなものをミックスする重要性も増してきているのかなと。
──自家中毒に陥らないためにも。
KREVA もちろん、バトルの中にもいろんなスタイルがあるんだろうし、いろんなMCがいるとは思うけど、例えば異ジャンルの手法とか方法論は参考にしてもいいのかもね。
KEN めちゃくちゃ思いました。レゲエのクラッシュやB-BOYのダンスバトルから影響を受けて、クレさんがフリースタイルやバトルを進化させたことが今日のお話でよくわかったし、それがシンプルにこれからのMCバトルへのヒントになるかもなって。
KREVA 自分のことで言えば、MCバトルで3連覇するのより、ポップスの世界に乗り込んでスーパーどアウェーでライブするほうが、100倍くらい大変なんだよね。だってCHAGE and ASKAのあとでライブだよ?(笑) 同じ土俵で、同じ価値観を共有する人たちの中で戦うなら、シンプルにスキルを磨けばいいけど、ほかの場所ではそれは通用しないじゃん。
KEN 確かに。
KREVA エミネムはフリースタイルで名を馳せたけど、それ以上に白人として黒人社会の中で戦っていくっていう、もっと強烈な戦いがあったと思うし、そこではMCバトルで鍛えたバトルメンタリティを活用したり、ポジティブな方向に持っていったと思うんだよね。バトルシーンができているのは素晴らしいし、それはいい傾向だと思うけど、それを持って、違う現場でしっかり活躍できる人がもっと出てくるといいよね。音楽だけじゃなくて「話す」とかでもいいわけだし。
KREVA(クレバ)
BY PHAR THE DOPEST、KICK THE CAN CREWでの活動を経て2004年にシングル「音色」でソロデビューを果たす。2006年2月リリースの2ndアルバム「愛・自分博」はヒップホップソロアーティストとしては初のオリコンアルバム週間ランキング初登場1位を記録し、2008年にはアジア人のヒップホップアーティストとして初めて「MTV Unplugged」に出演した。2012年9月08日に主催フェス「908 FESTIVAL」を初開催。“9月08日”は“クレバの日”と日本記念日協会に正式認定されている。さまざまなアーティストへの楽曲提供やプロデュース、映画出演、ブロードウェイミュージカル「IN THE HEIGHTS」、「ムーラン・ルージュ!ザ・ミュージカル」の日本語歌詞を担当するなど幅広い分野で活躍しており、2011年には初の著書「KREAM ルールなき世界のルールブック」(幻冬舎)を刊行。本書は2021年6月に電子書籍化された。2023年9月8日に新曲「Expert」を配信リリース。同年9月14日に主催ライブイベント「908 FESTIVAL 2023」を、翌9月15日には「KREVA CONCERT TOUR 2023『NO REASON』」を東京・日本武道館で開催する。
衣装協力 / IM MEN、Ray-Ban
KEN THE 390(ケンザサンキューマル)
ラッパー、音楽レーベル・DREAM BOY主宰。フリースタイルバトルで実績を重ねたのち、2006年、アルバム「プロローグ」にてデビュー。これまでに11枚のオリジナルアルバムを発表している。全国でのライブツアーから、タイ、ベトナム、ペルーなど、海外でのライブも精力的に行う。テレビ朝日で放送されたMCバトル番組「フリースタイルダンジョン」に審査員として出演。その的確な審査コメントが話題を呼んだ。近年は、テレビ番組やCMなどのへ出演、さまざまなアーティストへの楽曲提供、舞台の音楽監督、映像作品でのラップ監修、ボーイズグループのプロデュースなど、活動の幅を広げている。10月28日にはKEN THE 390が立ち上げたヒップホップフェスティバル「CITY GARDEN 2023」が東京・豊洲PITで行われる。