第5回 思い出深いライブのエピソードと新たなツアーへの意気込み
音楽
インタビュー
鶴 左から)神田雄一朗(Ba&Cho)、秋野温(Vo&Gt)、笠井“どん”快樹(Ds&Cho)
今回のツアーは、日比谷野音ライブを訪れたファン、来れなかった人たちへの「鶴の野恩返し返し」と題して全国15か所のライブハウス、ホールで行われる。ワンマンライブ及び久しぶりの対バンライブも行われるツアーに向けて、このインタビューではバンド結成20年の歩みをテーマごとに語ってもらい、5日間連続でお届けする。20周年を迎え、今なおワイワイし続けるする3人組・鶴とはいったいどんなバンドなのか? 第5回は3人それぞれが記憶に残っているライブのエピソード、20年で変わったこと変わらないこと、そして全国ツアー「結成20周年記念TOUR 鶴の野恩返し返し -みんなにワイワイをお返ししに行く会-」への意気込みを聞かせてもらった。
野音ライブ前夜と当日の鶴
── 「47都道府県ツアー」4周目を終えて(群馬公演のみ後日開催予定)、今年7月23日には初の日比谷野音ワンマンライブが行われました。
秋野 ずっと幸せな空気を感じさせてもらえたなと思います。もうちょっと気負うかなと思ったんですけど、平常心で臨めた自分を褒めたいです(笑)。普段のワンマンより緊張感はあったんですけど、いつも通りやれた気がしますね。
神田 あっつぃはそんなに緊張してるようには見えなかったですね。どん君はもうガチガチに緊張したけど。
笠井 気負いまくってました。
秋野 それがいつも通りだなと思った。
神田 いつも通りの、トップクラスの緊張感。
笠井 予想通り緊張してました。前日も寝れないままちゃんと緊張してステージに上がって、ガチガチのプレイをしました(笑)。
神田 いやプレイには、緊張して堅い感じとかはそんな感じなかったけどね。
── 神田さんはどんなときでも緊張しないんですよね?
神田 あんまりしなくて、今回もそんなに緊張しなかったです。ここ5年ぐらいの俺のテーマが、「凪」なんです。あんまり一喜一憂しないっていうか。あんまり感情を上下させないような暮らしをしたいと思っていて。ひとつ決めていたのが、「野音だからってちゃんと準備するのはやめよう」と思ったんです。なので前日も近所のお祭りに行って、屋台でたこ焼きを食べたりしてのんびりしていていました。当日は東京のライブなので家からも行けるんですけど、ツアー中のホテルから会場に向かう方が、ライブとしてはやりやすいんですよ。だから前日はメンバー全員あえて東京のホテルに泊まったんです。そこでもツアー中と同じようにYouTubeを見ながらいつも通りレモンサワーを飲んで、ダラーっとして寝ようっていう普通の感じにしたことが、結果的に良かったです。
── アンコールでは、満を持してアフロとキモシャツが復活しました。これまでも色んな大舞台で復活させるのではっていう予想はあったと思いますが、20周年まで温存していた感じですか?
秋野 これまでもいろんな人から、「アフロやらないの?」って言われたんですけど、それまではそういう気持ちにならなかったんですよね。今回は初めての野音だし15周年より20周年だろうっていうことで、1曲アフロで行きますかと。当時の衣装が着れるものならやろうかと(笑)。
神田 着れましたねえ。
笠井 まず、「まだ衣装があるっけ?」というところから始まりましたから。裾の広がったパンタロンを探し出して、俺が一番最初に履いてみたんですけど、「ギリギリ入ったよ!」ってふたりに写真を送りました。一番体型が変わった俺が履ければふたりも大丈夫だろうって。
神田 アフロは11年前のまま、倉庫に仕舞ってたんですけど、久しぶりに開封したら若干カビてました(笑)。
笠井 それをウェットティッシュで丁寧に拭いたりして。
秋野 ミイラを発掘するような感じで(笑)。でもまあ綺麗なもんだったよね。
── ステージに立ってみて感慨深さもありました?
神田 そうですね。当時ってどちらかといえばファンキー、ファニーなパーティーっていう感じの衣装って捉えてたんですけど、10年経って着てみたら、「あれ? カッコよくないこれ!?」って普通に思いました。
秋野 そうそう、カッコよかったのよ俺たち。
笠井カッコイイよ、似合っていれば。
神田 だから、ちょっと味をしめてるよね? またやりたいなって。
秋野 次の30年までアフロでいく?(笑)。
一緒にソウルのパワーを燃やしてくれる人たちのおかげで成功した「鶴フェス」
── 2019年には「鶴ヶ島ふるさと応援大使」も務める地元の鶴ヶ島市運動公園で入場無料の「鶴フェス」が開催されましたが、ものすごい人が集まって大盛況のイベントでしたね。
秋野 僕らは全国をツアーでまわって、フェスやクラウドファンディングのことを広める活動がメインだったので、当日の会場の準備とかは本当に実行委員会、スタッフチームのおかげでした。鶴と一緒になってソウルのパワーを燃やしてくれる人たちがいるっていうのは、すごく幸せなことだなって感じました。
神田 すごいことだと思うんですよね。言ってみれば、俺ら3人のために1万何千人が動いたわけじゃないですか? フェスが終わった日は実家に戻ったんですけど、居間の暗い部屋でひとり、缶ビールをプシュッとやって、「すごいことをやったな」ってしみじみ思ったのをよく覚えてます。
笠井 無料イベントで当日まで集客の予想ができなかったから、「ちゃんとお客さん来るのかな?」っていうハラハラ感があったんですけど、蓋を開けてみたらすごいお客さんで。あの日、ステージ上がってから「ヤベえな、楽しいな」って、マイクに入ってるのにずっと言ってました(笑)。
── 「鶴フェス」を機に、地元との関係はより強固になった感じですか。
秋野 地元との関係はひたすら良好で、「いつでも鶴フェス行けるぜ」っていう空気は勝手に感じてます(笑)。たぶん1回目のときよりもっともっと協力してくれるパワーは大きいんじゃないかなって感じてます。
笠井 あのとき出店してくれたお店の人たちは、「早く次やろう」って言ってくれてますね。
神田 だから今後も続けたいですよね。
3人それぞれの20年で思い出深いライブ
── 野音や「鶴フェス」の他に、それぞれが20年間で特に記憶に残ってるライブのエピソードってどんなものがありますか?
笠井 「COUNTDOWN JAPAN」に初めて呼ばれたとき(2006年)ですね。何千人の前でライブをするっていうのが初めてで、いざやってみたら「何千人のお客さんが盛り上がるライブでこんなに楽しいんだ」っていうことが体感できて、ライブが終わってから3人で「ヤベえ、楽しかった!」って床に倒れ込んでゴロゴロゴロ~ってしてた記憶があります。
神田 大きい規模で言ったら、15周年の「15th Anniversary “好きなバンドが出来ました” ~東西大感謝祭~」(2018年/東京マイナビBLITZ赤坂、大阪心斎橋BIGCAT)が結構思い出深いです。内輪の話なんですけど、あのときは直前まで動員がヤバかったので、ハラハラしてたんですよ。それが後半急激に伸びて、当日は大盛況だったんですけど、演者側の気持ちと制作側のハラハラ感と成功した安心感が両方あったなっていう意味で印象深いです。小さい規模で言うと、神戸BACKBEATっていうライブハウスでやったときです。その前日に、コブクロ主催の「風に吹かれて」っていう大阪万博公園でやったイベントに、開場から開演までの時間にサブステージでライブをやらせてもらったんですよ。それで盛り上がって結果を残せたんですけど、そのイベンターのボスが翌日も観に来てたんです。でもお客さんは10人ぐらいしかいなくて、さすがにモチベーション的にはちょっとシュンとしたんですけど、そこで俺たちは前日の何千人の前と変わらないテンション感で、わりと良いライブをしたんですよ。「こんばんは鶴です!」って煽っても誰もついてこないんですけど、メンタルが強い感じでライブを30分ぐらいやったら、イベンターのボスが「今日観れてよかった」って言ってくれて。いつもやることは100%でやってるんだなって、証明できたライブだったなって思い出があります。その後その人にお世話になって色んなイベントに出させてもらって、だんだん大阪で動員が増えて行ったっていう、思い出深さがあります。
秋野 下北沢GARAGEでやった初ライブも覚えてるし、いろいろ思い出深いライブはあるんですけど、自分の人生に於いてとんでもない状況だったなっていうのが、ミニアルバム『秘密』のツアー(2011年の東名阪ツアー「秘密ツアー〜今日あった事は内緒で〜」)に、EMMAさん(菊地英昭(THE YELLOW MONKEY / brainchild’s))がツアーに帯同してくれたことです。作品にゲストとして参加してもらって、ギターソロを3曲ぐらい弾いてもらったんですけど、ツアーにも参加してほしいって言ったら、ライブの半分以降出っ放しで4人バンドみたいな状態になって。「あれ?憧れのロックスターが自分たちのバンドに入ってやってるぞ?」って、もう意味が分からないというか。EMMAさんは学生時代から本当に憧れの人だったので、EMMAさんと出会ってから『秘密』のレコーディングぐらいまでは、自分は舞い上がっちゃってて記憶にないんですよ(笑)。でもこのツアーの幸せだった気持ちだけは思い出せます。
── 15周年のときにも共演してますし、それだけ秋野さんにとっても鶴にとってもEMMAさんの存在は特別なんですね。今は神田さんがbrainchild’s(EMMAによるプロジェクト)のメンバーとして一緒に活動してますね。
神田 そうです。でもbrainchild’sは卒業制度がないので、あっつぃも所属してます(「Nokia」名義で参加)。
秋野 「ROCK IN JAPAN」にも一緒に出てもらったんですけど、そのタイミングで「brainchild’sをバンドにしてツアーをしようと思ってる」という話を聴いて、「ギターが決まってなかったら是非お願いします」って売り込んだんです(笑)。でも一緒にステージに立つことで、「EMMAさんのギターの音にはなかなか追いつけないな」っていう衝撃も受けた気がします。
── THE YELLOW MONKEYやbrainchild’sから、鶴のことを知ってライブに来たりする人もいそうですね。
秋野 結構いますね。
笠井 brainchild’sでふたりを見て、鶴のライブに来ましたっていう人は結構いるよね?
神田 そうだね。結構多いね。
20年バンドを続けてきて変わったこと、変わらないこと
── 20年間バンドをやってきて、変化してきたことってありますか?例えば歌詞に使う言葉が、世の中の変化と共に変わってきたり。
秋野 あんまり気にせず書いてますね。最初に歌詞を見せるのは2人なので、書くだけ書いてみて、ふたりが何か引っかからなければ大丈夫かなって。それに昔からそんなに尖った表現を使う方じゃないですし、自分のことを丁寧にわかってもらいたいっていう感覚でやってるので、言葉に関してはずっと変わらずにやってます。
── ボーカルについてはいかがですか?
秋野 ボーカルは年々、良い意味で適当になってきましたね(笑)。すごく気を遣い過ぎて声が出づらくなったり、喉の調子が悪かったりっていうシーズンもあったんですけど、そういう時って本当に負のスパイラルで、考え込めば考え込むほど不安が増してきて、「次のライブ大丈夫かな、声出るかな」ってなって行って、結果本当に声が出ないっていう最悪の方に行くことが多かったんです。最近はライブ当日のコンディションじゃなくて、前日までどれだけ追い込めるかが重要だと思ってます。だから野音の前日もスタジオでアコギを弾きながら大声で「ワー!」って全部通して歌ってたんです。その方が喉のコンディションが整うというか。昔は喉を大事にし過ぎてリハーサルもろくに歌わないでいきなり本番で歌ってたので、喉が出来上がってないんですよ。それはダメだなっていうことに、ようやく気付きました。最近は加湿もそんなにしないですし、適当が良いです(笑)。
笠井 自分は変わらないことの方が多いのかな。あんまり変わらないことで、「これが自分のできること、できないことなんだな」っていう棲み分けができるようになったかもしれないです。できないことは頑張るけど、これを一生懸命やらなきゃって思うとまた視野が狭くなっていくので、できる得意なところをやっていこうかなって思うようになったぐらいですね。あとはギックリ腰になったことぐらいですかね(笑)。
秋野 ああ、ギックリ腰で言うと忘れられないライブがもう1本あった。
神田 確かに。ギックリ腰ライブ。
笠井 ギックリ腰になった翌日が「hoshioto」っていう岡山の野外フェスで、山の上の一番高いステージまで歩いて行かないといけないんですよ。でも腰が曲がったまま、お客さんに心配されながら登って行きました(笑)。
秋野 ステージにも、SEが流れてからふたりがワーって登場した後に、どん君がおじいちゃんみたいにのっそり歩いてきて。
神田 「頑張れー!」ってお客さんに言われながら(笑)。
笠井 「見ないで~!」って(笑)。
神田 自分はさっき、「凪」っていう話をしたんですけど、それはライブを良くするためっていうのもあるんですよ。オンステージとオフでスイッチを切り換えすぎると、疲れちゃったり心配したり、本来のパフォーマンスができなかったりっていうことがあるので、それを一緒にしたいというのがあって。20年やってきて色々失敗してきた中で、今そういうところが自分の答えになったのかなっていう感じがしています。それが20年で変わったことですね。
── だから緊張しなくなった?
神田 「緊張したくないな」って思っても緊張するじゃないですか? そうならないためにはどうすれば良いのかなって考えたときに、あんまり考えないで一喜一憂しなければいいのか、心があんまり動かなければいいのかって思いながら、だんだんそういう風になって行ったら、気付いたらあんまり緊張しなくなった感じです。
秋野 なるほどね。(笠井に向かって)俺ら緊張組じゃん?
笠井 そこはもう、コントロールできない。
秋野 最近、諦めるようになったから。昔よりはみんな、「なるようにしかならない」って思うようになったと思います。
色んなことを乗り越えた先の「鶴にしかないバンド感」を味わってほしい
── 11月3日(金祝)宮城県・仙台LIVE HOUSE enn 2ndを皮切りに「結成20周年記念TOUR 鶴の野恩返し返し -みんなにワイワイをお返ししに行く会-」が全15公演開催されます。「鶴の野恩返し返し」とは?
秋野 7月の20周年記念の日比谷野音ライブが「鶴の野恩返し」というタイトルだったんですけど、そこにみんなに来てもらったので、今度はこちらから感謝をお返しするつもりで、「鶴の野恩返し返し」というわかりづらいタイトルになっています(笑)。
── では最後に、ツアーに向けてひと言ずつお願いします。
秋野 最近本当に、バンドのリズム感というか空気が、ナチュラルに素敵だなって自分たちでも思えます。47都道府県4周目のツアーぐらいからずっとその流れを維持できていると思うので、色んなことを乗り越えた先の、鶴にしかないバンド感を味わいに来てもらえたらなと思います。
神田 47都道府県ツアーをやっているバンドとしては、15本ってすごく短いツアーなんですけど、駆け抜けて終わるっていうよりは、1本1本のライブを噛みしめて味わいたいなと思ってます。ワンマンもありますけど、対バンでライブをやるのがちょっと久しぶりなんですよ。コロナ禍でライブができなくなったり、無観客ライブとかもありつつ、やれるようになってもワンマンが多くて。対バンで刺激しあってファン同士が混ざるっていうことが久しぶりにやれるので楽しみです。今の鶴の良い空気と、無敵ではないんですけど、ゾーンに入ってる感じのライブができれば、来てくれた人も俺らも楽しいツアーになると思います。
笠井 今回のツアーは挑戦的な会場もあって、ヒューリックホール東京(2024年1月7日(日))なんかは大きい規模のホールなので、頑張りたいです。今回、みんなに恩返しに行く側なんですけど、さらにまた助けてもらうために集まってもらって、全県ついてきてくれてもいいぞっていう気持ちで回って行こうかなと思います(笑)。それと神田君が言ったように、対バンは今までのツアーでも「どうだ!」っていう自信を持ってお届けできる我々の盟友たちばかりなので、楽しみにして観に来てもらえたら嬉しいです。よろしくお願いします。
Text:岡本貴之 Photo:石原敦志
ライブ情報
「結成20周年記念TOUR 鶴の野恩返し返し -みんなにワイワイをお返ししに行く会-」
11月3日(金祝)宮城県・仙台LIVE HOUSE enn 2nd ※ワンマン公演
11月5日(日)北海道・札幌PLANT ※ワンマン公演
11月18日(土)岩手県・the five morioka ゲスト:FUNKIST
11月19日(日)青森県・弘前KEEP THE BEAT ゲスト:FUNKIST
12月2日(土)福島県・OUTLINE※ゲスト有り
12月9日(土)愛知県・名古屋ElectricLadyLand ※ワンマン公演
12月16日(土)新潟県・CLUB RIVERST ※ゲスト有り
12月17日(日)石川県・金沢AZ ※ゲスト有り
1月7日(日)東京都・ ヒューリックホール東京 ※ワンマン公演※リベンジ公演
1月13日(土) 香川県・高松DIME ゲスト:BRADIO
1月14日(日) 愛媛県・松山WstudioRED ゲスト:BRADIO
1月20日(土)福岡県・ DRUM Be-1 ※ワンマン公演
1月21日(日) 広島県・CAVE-BE ※ゲスト有り
1月27日(土) 岡山県・CRAZYMAMA KINGDOM ※ゲスト有り
1月28日(日) 大阪府・BIGCAT ※ワンマン公演
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鶴オフィシャルサイト:https://afrock.jp/
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