黒沢清、ジャ・ジャンクー、ケリー・ライカートが語る小津安二郎 お気に入りの映画は
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「小津安二郎生誕120年記念シンポジウム “SHOULDERS OF GIANTS”/お早よう デジタル修復版」の様子。 左から黒沢清、ケリー・ライカート、ジャ・ジャンクー。
第36回東京国際映画祭で小津安二郎の生誕120年を記念したシンポジウム「SHOULDERS OF GIANTS」が10月27日に東京・三越劇場で開催。小津に多大な影響を受けたドイツの映画監督ヴィム・ヴェンダースによるスピーチに続き、「お早よう」のデジタル修復版が上映された。シンポジウムには黒沢清、ジャ・ジャンクー、ケリー・ライカートという世界で高く評価される日中米の映画監督が集結。小津のフィルモグラフィから選んだお気に入りの作品を紹介しながら、小津映画の魅力を語った。
ヴィム・ヴェンダースのスピーチで幕開け
小津という“巨人”の肩の上に乗って、その視線の先にあるものをのぞき、映画の未来を考えるという趣旨の「SHOULDERS OF GIANTS」。ヴェンダースは「偉大な小津安二郎の生誕120年を祝して、この特別な秋の日に東京でご一緒できて、とても光栄に思います。映画祭の数日間で美しくレストアされた16本の作品を鑑賞できるのは素晴らしい特権です」と挨拶する。自身は過去に映画祭で「風の中の牝鷄」「宗方姉妹」「東京暮色」などを鑑賞したことを明かしながら「この場で小津さんに対して何かいい一言が言えるか自信はありませんので、どうか録音はしないでください(笑)。できるだけ多くの作品を観てほしいと願っています。今日の上映とシンポジウムを楽しんでください」と呼びかけた。
「お早よう」三者三様の感想は
上映後、黒沢、ジャ・ジャンクー、ライカートの3人は観終えたばかりの「お早よう」の感想を語り合う。近所付き合いの小さな波風に振り回される大人たちと、一切口をきかないことで大人に対抗する兄弟を描いた同作について、黒沢は「コメディだから許されてますが、本当に疑心暗鬼と誤解と断絶が続く。ギリギリの一触即発のところで進行していくのが本当にスリリングでした」と吐露。ライカートは映画を観ながら、メロドラマの巨匠として知られるダグラス・サークを想起したことに触れつつ「色味、均等な構図、衣装、セット、背景、色。それぞれのカットが絵画のような映画でした。子供たちがテレビを欲しがるドラマですが、日常生活における細やかなストーリーが美しい」と称賛する。ジャ・ジャンクーは自身が子供時代を過ごした1970年代を思い返し「この物語より20年は遅れていますが、私も同じようにテレビを欲しがっていました」「おそらく今の時代に小津監督が生きていたら、家庭の中にAIやロボットを取り入れた物語が展開するんじゃないでしょうか(笑)。それは『お早よう』ではなく『こんばんは』かもしれません」と冗談交じりに話した。
シンポジウムは3人が小津のお気に入りの映画を順に挙げ、各々の視点から作家としての特徴や魅力を語っていく内容に。東京国際映画祭のプログラミングディレクターを務める市山尚三、ラジオパーソナリティのクリス智子がMCを務めた。
黒沢清「小津のどす黒い欲望」
トップバッターの黒沢は、松竹の名匠として知られた小津が1950年に新東宝で撮り上げた「宗方姉妹(むなかたきょうだい)」をピックアップ。戦後に撮られた「晩春」「麥秋」「東京物語」という一連の作品で、小津に崩壊する家族を描く作家という評価が定着した点に触れ「最後には笠智衆に代表される人物が『そうかい』『そんなもんだよ』『しかたないさ』といった言葉ですべてを鷹揚に受け止めて、いろんな人生の矛盾や難しいことを、なんとなくうまくまとめる。『お早よう』では佐田啓二と久我美子の若い男女が果たした役割。これが小津の1つの特徴です」と説明する。
一方で今回挙げた「宗方姉妹」のほか「風の中の牝鷄」「お茶漬の味」には、すべてを丸く収めるような人物が登場しないことを指摘。中でも「宗方姉妹」について「本当に人間同士が理解し合えない。この映画の暗黒部分を担っているのは田中絹代と山村聰の夫婦関係です。ここまですさまじく断絶した夫婦は映画の中でほとんど観たことがありません。夫婦らしい会話は一言もなく、夫は極度のニヒリズムに陥っている」と述べながら、「断絶した人間関係がやがて暴力沙汰に陥ってしまう。小津はそういうおぞましい瞬間を嬉々として描いている。小津のどす黒い欲望が垣間見えます」と続ける。
そして1949年の「晩春」から「宗方姉妹」「麥秋」「お茶漬の味」「東京物語」と続く戦後数年間のフィルモグラフィの流れを踏まえ、伝統的な家族の崩壊を見つめた代表作と、人間のドラスティックな断絶を描いた作品群を交互に撮っている点に言及。以上を踏まえ、黒沢は「1人の作家は自分の信じた1本の道をまっすぐ突き進んでいるわけではないのです。『晩春』のような非常に美しい映画を撮りながら、小津はどこかで『それは偽善かもしれない』『嘘だ』と。そういう気で『宗方姉妹』を撮ったのかもしれません。人間同士は断絶している。それがあるきっかけで暴力にまで発展する。だから戦争が起こったのではないか。皆がもはや戦争を忘れたかのような顔をしているけれど、そんなのは嘘っぱちである。そういう激しい感情に突き動かされているような映画を、小津は戦後において、ときどき撮っています。作家は戦争という強烈な体験を忘れようとしても決して忘れることができず、また世間の評判や興行的な失敗などに大きく影響され、右往左往しながら作品を作り続けている。小津のような強烈な個性を持った作家が、実は揺れ動き、矛盾した作品を撮っている。それが小津という作家の豊かさなんだろうと思います」と話した。
ジャ・ジャンクー「家族関係の束縛」
続くジャ・ジャンクーは、まず小津作品の特徴を「日本の社会経済の大きな変化を非常に上手に扱っている。産業化が進み、家族関係にも影響を与えていく。その変化の中で人間をしかと見つめるのが小津作品だと思います」と解説。そしてお気に入りの1本には、北京電影学院の在籍時に初めて観たという「晩春」を挙げた。
寂しさを感じながら娘を嫁がせようとする父、そんな父を1人にさせまいと結婚に乗り気ではない娘の関係を描いた同作。ジャ・ジャンクーは「この映画にはごく個人的な失望、感傷、悲しみが凝縮されていると思います。この父娘は互いに寄り添っているけれど、依存もしている」と切り出し、その魅力を「父親は娘を結婚させるために、自分の再婚を装い、娘を結婚に仕向ける。娘が嫁ぐことで家庭は崩壊し、父親は孤独になる。あまりにも濃密な関係が崩壊していく。この家族関係の変化は、独立です。家族関係の中にあった温もりは束縛だった。それが、この映画がとても胸を打つところ。小津が現代に生きる人間を強烈に見せてくれた作品だと思います」と解き明かす。
さらに中国で出版された小津の日記を読んだと言い「小津監督は自分の体の状況を克明に記しているんです。今の自分をしっかりと観察していて、お通じのことまで事細かに書いている。『今日は乾燥していた』『今日はやわらかかった』と(笑)。小津は今の自分を見つめ現代を描きながら、時代の先、未来を見ていた。時代を超えたもの、未来を提示する視点を持っていた監督だと思います」とたたえた。
「東京物語」は家に帰りたがるロードムービー
「映画を通じて日本のことを知る体験が面白い」と語るのは、今回の初来日ですでに4日間にわたって多数の小津作品を鑑賞しているというライカート。お気に入りの作品には「東京物語」と「彼岸花」を挙げ、「東京物語」の魅力を「ロードムービー」の観点から紐解いた。
同作は広島の尾道から子供たちを訪ねて上京した老夫婦が、最初は歓迎されるものの、やがて厄介払いさせられる形で熱海を訪れる物語。まずライカートは、アメリカ映画におけるロードムービーの特徴を「一般的に自分自身の実存的な発見の旅を描きます。人は今いる場所を離れ、どこかに行くことを止められない。家族の束縛があり、そこでロードに出るわけです」と説明する。一方で「東京物語」を“夫婦が自分たちのいるべき安定した場所”から外に出て行くロードムービーと位置付け、「老夫婦は東京に出てから、子供たちによって海(熱海)に送られます。そこに彼らの居場所はない。場違いで、故郷が恋しい。家に帰りたがるロードムービーというのは、とても興味深かった」と語った。
続けて小津映画の持つ複雑な魅力を「多くのアメリカ映画では今抱えている不満が、物語の動機になるのはご存知でしょう。一方で小津の映画では、特に女性が『私は今のままで幸せです』と語ります。すでにすべてがここにある、という満足感によって失われるのは、誰かがいなくなったり変わったりすることへの憧れ。実際、私たちはすでに最高の日々を過ごしてきて、そして今も幸運な日々を過ごしていることが、そんな悲しみをもたらします」と説く。言外のニュアンスが多く含まれる小津映画のセリフに関しても「彼らは何を話し、何を言わないのか。その会話の裏にある本当の会話はなんなのか。言葉で語られていないことを常に考えていました」と言及した。
さらにライカートは小津後期のスタイルを「ミニマリズム的」と解釈し「同じテーマを同じようなセッティングで同じ俳優が演じているのに、それぞれが特殊。あんなにも少ない要素で、これほど多くのことを語れるのかと驚きました」と称賛。後期の作品からさかのぼるように、今回初めて戦前のサイレント作品もいくつか鑑賞したそうで「若い頃に監督した映画はもっと忙しない。たくさんの要素があったのが、後期になるにつれて、どんどん少なくなっていく。その変化を逆から観ていくのが面白かった」と明かす。一方で「私にとって小津の作品を1本ずつ個別に語っていくのは、とても難しい。それぞれが互いにつながっていて、連続したもののように思えるから」と、同じモチーフを選ぶことの多かった小津の映画を語る難しさにも触れた。
ケリー・ライカート「結婚に対するオブセッション」
娘の結婚を描いた作品が多い点について「小津からは結婚に対するオブセッションを感じます。日本に来てから毎日、小津の映画を観ていますが、たくさんの花嫁も見ました」と語る一幕も。小津映画における父娘といった関係に心のつながりがあることは認めつつも「女性たちは『結婚する気はない』と言いながら、結局は結婚する。(父や生家への)自己犠牲と言えます。女性たちの声はありますが、女性たちが意思決定者ではないですよね」とコメントする。当時の家庭内における女性の描写には「男性が洋服を脱ぎ捨て、それを女性たちがあとから拾っていく。それだけで私には驚きでした」と戸惑いもあった様子。ライカートが「小津監督は、そうした男性に対する何かしらの視点は提示しているんでしょうか」と指摘すると、黒沢が当時の時代状況を踏まえつつ「小津はどこかで馬鹿な男という皮肉も込めて描写しているのは間違いないと思います」と答える場面もあったが、1時間のシンポジウムはここで幕切れに。
黒沢が語った人々の断絶と揺れ動く作家性、ジャ・ジャンクーが魅了された社会から逃れられない人間の姿と個人の悲しみ、ライカートのロードムービーや女性に対する視座など、各々が作ってきた映画を想起させるような語りが披露される一夜となった。
11月1日まで開催中の第36回東京国際映画祭では13本の4Kデジタル修復版、3本のデジタル修復版を上映。国立映画アーカイブでの「TIFF/NFAJ クラシックス 小津安二郎監督週間」の16本と合わせ、現存するほぼすべての映画が紹介される。