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『アクアマン』大ヒットで生ける伝説へ 予測不能な天才監督ジェームズ・ワンの凄さの本質を紐解く

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リアルサウンド

 『ソウ』シリーズをはじめ、『インシディアス』や『死霊館』シリーズなど、スリラー、ホラー映画で新しい表現を確立し、現在、ハリウッドで最も才能ある監督の一人として知られるジェームズ・ワン監督。新作を撮るたびに新たなステータスを得て、メジャー作品『ワイルド・スピード SKY MISSION』(2015年)で大きな成功を収めると、製作費1億6000万ドル以上といわれる超大作『アクアマン』が、日本公開を待たずして興行収入10億ドルを突破。『ダークナイト ライジング』(2012年)の記録も超えて、DCコミックスを原作とした映画史上最大のヒット作となるなど、最近はハリウッドで最も稼ぐ監督、そして最も忙しいプロデューサーの一人となっている 。

参考:影響を受けたのは黒澤明と『レイダース』? 『アクアマン』ジェームズ・ワン監督が語る

 新作『アクアマン』の日本公開にともない、すでに生ける伝説となっていると言っても過言ではない、記録づくめの天才監督ジェームズ・ワンの凄さの本質とは、いったいどこにあるのだろうか。ここでは彼の主要な監督作品を振り返りながら、その秘密を紐解いてみたい。

 ジェームズ・ワン(温子仁)は、中国系のマレーシア人の家庭に生まれ、若い頃に家族とともにオーストラリアに引っ越したオーストラリア人だ。メルボルンの大学では、ともに『ソウ』シリーズや『インシディアス』シリーズなどを作ることになる盟友リー・ワネルと出会っている。『ソウ』のパイロット版の映像を作ると、アメリカの複数の製作会社にアプローチを始め、次々に断られながらも最終的に企画を実現させる。この根性は、彼自身も述べているように逆境に耐えて勤勉に働く移民のスピリットによるものだ。

 殺風景なバスルームのなかに拉致監禁された男たちが、異常者による死のゲームに参加させられるという低予算のスリラー映画『ソウ』は、リー・ワネルの見事な脚本と、長編初監督作とは思えないワンの達者な演出により、サンダンス映画祭で圧倒的な支持を得て、一般公開後にブームを巻き起こした。作品はシリーズ化され、設定や描写を真似た多くの類似作品も生まれた。ワン監督自身は、このことを「拷問ポルノの父になった」と表現する。まだ20代の若さにして、彼はすでに伝説を一つ作ったのだ。さらに続けて、『デッド・サイレンス』、『狼の死刑宣告』を完成させることで、様々なジャンルの作品に対応できることを証明している。

 2番目の伝説はここからだ。ワン監督は、先鋭的なホラー映画『インシディアス』において、内容の面で驚くべき成功を収めた。類い希な創造力によって様々に新しい演出を編み出したのだ。それを象徴するのが、『インシディアス』の冒頭、ある少年が老婆の霊に呪われる場面だ。ファーストカットで、カメラは家屋の室内にぶら下がる球状のペンダントライトを逆さまに映し、そのまま反時計周りに回転することで、天地が正常な向きになる。上下左右、裏表、常識と非常識など、世界観や価値観が反転する奇妙な感覚こそが、『インシディアス』から与えられる恐怖の源泉である。

 ワン監督は、既存のホラー映画の表面的な描写を模倣するのではなく、“恐怖の根っこ”をつかみだして、ラボラトリーで研究者が天然の材料から薬効成分のみを抽出して新薬を精製するように、当時アメリカでもブームになっていたJホラー映画の要素をもとり込みながら、安定的に新しい恐怖表現を生み出し続けることに成功したのだ。ゆえにワン監督は、若手監督ながら「ホラー・マスター」と呼ばれるまでになった。近年、アメリカでは質の高いホラー映画が多く作られているが、いまだ『インシディアス』ほど恐怖表現を俯瞰し得た監督はおらず、その先進性を超える作品は出てきていないように思える。

 そのような内容的成功とともに、実験性をやや抑えて作風を幾分クラシカルにした『死霊館』は、人間ドラマの暖かみを先進性のなかに加え、奥行きを与えている。ここから、次のステップである大メジャー作品への挑戦が見えてくる。『ワイルド・スピード SKY MISSION』である。ホラー・マスターとして、このまま傑作を撮り続ける能力は、間違いなくワン監督にはある。にも関わらず、彼はアクション大作へと本格的に移行していく。これはいままでの多くのファンに衝撃を与えた。

 ワン監督は、お気に入りの監督に、デヴィッド・リンチや、ジョン・カーペンター、ダリオ・アルジェント、黒沢清らの名前を挙げる一方で、じつはスティーヴン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、ジェームズ・キャメロンらへの憧れも述べており、自身の才能がスリラー、ホラーだけにとどまらないことを証明したい欲望があったようにも思われる。

 そして、彼の目論見は『ワイルド・スピード』シリーズ最大のヒットを記録する大成功によって、実現されることになった。だが、この作品は非常に奇妙な印象もある。自身のアイデンティティでもあるカメラの回転演出が見られるように、ここでも惜しげもなく様々なアイディアが投入され、前後の整合性や自然な感情の流れよりも、アクションの持続やシーンのインパクトに偏重し、目まぐるしくスピーディーに特異な映像が展開していくのである。

 そう、ここでもワン監督はホラー映画に行ったように、ジャンル映画の解体と構築を再び行っているのである。しかもそれが観客の支持を受け結果を生み出している。しかし、これを分析し、何が面白いのかを説明しようとすると、言葉がなかなか浮かんでこないのである。ワン監督は、もはや映画批評家、評論家の見る従来のメソッドを飛び越えて、観客の意識とよりダイレクトに接続するような文法を確立し始めたとすら思える。大衆娯楽とは何なのか、ヒット映画とは何なのか。それを批評家以上にシビアに分析しているように感じられるのだ。

 そして、自身最大のヒット作であり、初のヒーロー映画への挑戦となる『アクアマン』は、さらにその先へ歩を進める。内容自体は明快この上なく、子どものような気持ちで楽しめる。そんな表面的なシーンごとの描写を評価することは可能だが、それ以上の内部的分析は、かなり難しい。『アクアマン』を十分に論じるためには、映画批評家、評論家自身も、新しい表現で対応する必要があるのではないだろうか。

 この作品を理解する一助となるのは、主役を演じたジェイソン・モモアの不思議な魅力であろう。彼のルーツは、ハワイ先住民、アメリカ先住民、ヨーロッパの民族と、複数の大陸、島にまたがっていて、いままでのハリウッド大作の主役としては、ほとんど見たことがない風貌である。そしてそれは、二つの種族の間に生まれ、双方の人々を融和させようと奮闘するアクアマンの姿に重なっていく。だからこそアクアマンは、閉塞した現状を打破する存在になり得るはずだ。

 そしてそれは、アメリカで奮闘する、アジア系でありオーストラリア人のジェームズ・ワン監督という、複数の社会を横断する存在とも重なりを見せる。『アクアマン』は、典型的なハリウッド大作であり、観客の心理を十分に理解しながら、アジア的なセンスを感じる部分もある。こういった表現は、偏見なく興味の触手を伸ばして表現を融合する作家性と、ヒットメイカーだからこそ可能なのであろう。しかもそれは、アジア的神秘性をことさら強調したりするような表面的なものではない、あくまで内部的なものである。それは、ハリウッドのステレオタイプとも、アメリカにおけるいままでのアジア人のステレオタイプのイメージとも異なる。

 新しいジャンルで次々に成功を収め、自分のイメージを確立しながら、何度もそれらを脱ぎ捨てていく。彼は期待されるイメージを自分から覆し、常に新しい表現を目指す監督なのだ。新しい企画の話は次々に伝えられてはいるが、今後、彼がヒーロー映画を作っていくのか、ホラーに回帰するのか、それともまた別の分野に挑戦するのか。とくにいままでの経緯を考えれば、全く予測不能である。それもまた、ワン監督の魅力であることは間違いない。(小野寺系)