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グレン・クローズが見せる解放と恍惚の表情ーー『天才作家の妻』が描く“妻”という役目

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リアルサウンド

 過去何世紀にもわたって、女性は鏡の役割を務めてきました。鏡には魔法の甘美な力が備わっていて、男性の姿を二倍に拡大して映してきました。
――ヴァージニア・ウルフ著『自分ひとりの部屋』(平凡社、片山亜紀訳、2015年)

参考:“アベンジャーズ”集結など代替案も ケヴィン・ハート降板で話題、アカデミー賞授賞式司会の役割

 波の音が聞こえてくる。夫婦が住む海の近い家で聞こえてくる波の音だ。その波の音が突如、夫・ジョゼフ(ジョナサン・プライス)の咀嚼音で遮断されると、隣で眠っていた妻・ジョーン(グレン・クローズ)が目を覚ます。このオープニングは、映画を通して妻が夫の咀嚼音に悩まされ続けることを告げる。食べる夫/食べない妻という不均衡な構図が徹底して描かれると、欲望をがさつに満たす夫/それに耐え忍ぶ寡黙な妻、というこの夫婦の関係性が前景化されていく。

 作家を志す大学生だったジョーンは、教師だった作家のジョゼフと運命的な恋に落ちる。彼には妻子がいたが、ほどなくして2人は恋に落ちてしまう。それからおよそ40年の月日が経ち、ジョゼフがノーベル賞を受賞したと1本の電話を受けるところから物語が綴られていく。すると、ジョーンの回想とともにこの夫婦の秘密が次第に明かされていく……。

 原題の『The Wife』や邦題の『天才作家の妻 -40年目の真実-』で、「妻」の呼称がタイトルに使われていることからも明らかなように、本作は「妻」という役目についての映画とも言える。彼女が演じることを熱望した『アルバート氏の人生』(2011年)のことを思い返せば、主演のグレン・クローズは、何者として生きていくのかという命題を背負った役者と言ってもいいかもしれない。同作は、19世紀のアイルランドを舞台に、男性として生きていくしかなかった女性・アルバートを描いた映画だ。この映画の中で、アルバートが男性の衣服を脱ぎ捨て、女性の衣服で走りまわる輝かしい場面がある。この時グレン・クローズは、この映画において唯一と言ってもいい、解放と恍惚の表情を浮かべる。本作『天才作家の妻 -40年目の真実-』では、私たちは映画が終わるまさにその時になってようやく、その時にみた表情と邂逅することとなる。ヴァージニア・ウルフが言う“鏡の役割に陥れられた女性“から脱却する、まさにその瞬間に。

 映画の終盤、ジョゼフはジョーンに自分のことを愛しているか尋ねるが、同じように映画の終盤で夫が妻に自分への愛情を尋ねる映画がある。それが、インド映画の『マダム・イン・ニューヨーク』(2012年)だ。英語が準公用語として定められているインドでは、家庭内の会話が英語で行われることも多く、主婦のシャシは夫や子どもたちが英語で話すかたわら、自分だけが英語が話せないことに悩んでいた。英語教室に通い始めたシャシは、英語とともに失われていた自尊心や自立心を手に入れていく。映画の終盤、シャシと夫が出席した結婚式で、シャシが英語によるスピーチを勧められると、すかさず夫が立ち上がり、妻は英語が苦手なので、と遮る。しかし、シャシが臆することなく参加者の前で英語のスピーチを披露すると、夫は面目が立たない様子で妻に自分のことをまだ愛しているか、と聞く。この映画でもまた、本作と通底する主題が描かれている。

 ここ最近、女性が書くことを主題とした映画として、エル・ファニング主演『メアリーの総て』(2017年)やキーラ・ナイトレイ主演『コレット(原題)』(2018年)などが立て続けに製作された。『メアリーの総て』で描かれたメアリー・シェリーは、彼女が匿名のもとに産み出した怪物譚である『フランケンシュタイン』(1818年)初版の序文を、夫にさも自分が書いたように書かれたことを、のちに暴露している。あるいは、『コレット』で描かれたフランスの作家・シドニー=ガブリエル・コレットは、ゴーストライターとして時には部屋に閉じ込めて書かせるなど陵辱し続けた夫の元を離れ、生涯にわたって奔放な恋愛をしながら書くことを謳歌した。しかし、本作における“作家の妻”は、そのどちらでもない選択をする。

 もっとも重要なことは、彼女が“真実”を誰にも語らせず、誰にも委ねず、ノートの白紙のページを撫でるまさにその手にのみ握っている点にある。それこそが、“作家の妻”としてしか生きてこられなかった彼女の、なによりの復讐なのだから。(児玉美月)