没後130周年。天才絵師、河鍋暁斎の“天才”たる所以に迫る展覧会
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右:河鍋暁斎《枯木寒烏図》 一幅 明治14年(1881) 榮太樓總本鋪 展示期間:3月4日(月)まで/中央:河鍋暁斎《花鳥図》 一幅 明治14年(1881) 東京国立博物館 展示期間:2月18日(月)まで/左:河鍋暁斎《観世音菩薩像》 一幅 明治 12〜22年(1879〜89) 日本浮世絵博物館 展示期間:3月4日(月)まで
江戸末期から明治初期に活躍した絵師、河鍋暁斎(かわなべ・きょうさい、1831〜89)。動乱の時代に絵師として独自の道を切り開いた暁斎の足跡を展望する『河鍋暁斎 その手に描けぬものなし』展が、サントリー美術館にて3月31日(日)まで開催されている。
暁斎は幼少期に浮世絵師・歌川国芳のもとで絵を学び始め、その後入門した狩野派では19歳という異例の早さで修業を終え、独立後は戯画や風刺画などで人気を博した。
「その手に描けぬものなし」と言うとおり、動物画に仏画、身の毛もよだつ幽霊画からコミカルな妖怪画・戯画まで、ありとあらゆるジャンルの作品を卓越した絵画技法で描き出してきた。
近年ではインパクトのある戯画や妖怪画が人気を集めている暁斎だが、同展では、狩野派の伝統を受け継ぐ筆法と古画の学習を画業の基礎とした点に注目。画業を代表する名品とともに、暁斎がどのように先人たちの作品と向き合い、独自の絵画を切り開いていったかを、全7章の構成で紐解いていく。
例えば、第2回内国勧業博覧会で事実上の最高賞に輝き、その名を世に広く知らしめた《枯木寒烏図(こぼくかんあず)》。水墨画の域を尽くした同作とは対象的に、同時に出品した《花鳥図》は緻密な描写と鮮やかな彩色を駆使した着色画。この2作品が第1章の冒頭に並べられることで、暁斎の天才的な画域の幅広さがひと目で分かる。
また第3章では、暁斎自身が挿絵を描いた《暁斎画談》を展示。宋元の名家や、雪舟などの中世絵画、歴代狩野派絵師、土佐派、円山派、尾形光琳、谷文晁、鈴木春信や喜多川歌麿、葛飾北斎らの浮世絵といった、先人たちの作品の模写が多数描かれており、暁斎がいかに過去の名品を研究していたかがうかがえる。
幼少期より“画鬼”の愛称で呼ばれ、天才的な絵画技術を認められていた暁斎だが、彼が「努力する天才」であったことが同展を通して伝わってくる。最晩年まで続いたという古画学習や日々の研鑽こそが、暁斎の魅力である幅広い画域を支え、「何でも描ける天才絵師」たらしめていたのだ。
同展には、河鍋暁斎記念美術館をはじめ深大寺や湯島天宮所蔵のものから、ゴールドマン・コレクションや大英博物館所蔵のものまで、国内外の名品約120件が登場(期間中展示替えあり)。代表的な作品以外にも、残酷な処刑シーンを羽織に描いた《処刑場跡描絵羽織》や、何気ない日常をユーモラスに綴った《暁斎絵日記》なども展示されるのでお見逃しなく。
没後130周年となるこの機会に、河鍋暁斎の比類ない才能の一端に触れてみてはいかがだろうか。
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