国境を越えて活躍する日本人 第7回 | 映画「無名」で存在感を発揮 森博之インタビュー
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森博之
世界に活躍の場を広げる日本の俳優たち。中国映画「無名」でトニー・レオン(梁朝偉)やワン・イーボー(王一博)とともに、強烈な存在感を放つ森博之もその1人だ。
海外で活躍する日本人を紹介する連載「国境を越えて活躍する日本人」第7回では、彼が歩んできた道のりにフォーカス。「外人」と呼ばれた幼少期を経て、得たものとは? 「無名」の舞台裏、役作りについてもたっぷり語ってもらった。
取材・文 / 金子恭未子
日本人なのに周りからは「外人」と呼ばれた
──森さんは東京都ご出身でアメリカ、カナダで育ったと聞きました。
2歳のときに東京からニューヨークに移り住んで、そこからバンクーバーに引っ越したんです。当時は日本人が住んでいることが、当たり前じゃなかったんでしょうね。アジア人というだけでからかわれたり、周りの子供たちに追いかけ回されました。でもこっちも追いかけ返していた(笑)。活発な子供だったと思います。
逆に、8歳で日本に帰ってきてから内向的になりました。僕からすると日本は、異国のような感覚。長髪は僕くらいで、周りの子供たちはみんな坊主頭に短パン。日本人なのに周りからは「外人」と呼ばれました。髪が長いからと、いきなり先生に「これなんとかならんのか?」と髪の毛を引っつかまれたり、恐怖を感じることもあった。ただとにかく日本のテレビが面白かったんです。「ウルトラマン」や「仮面ライダー」、ロボットアニメに夢中になりました。だから“逆ホームシック”になることはなかったです。
──そういった幼少期の体験が、俳優を志すきっかけだったんでしょうか?
もともと俳優になろうなんて一切考えていなかったんです。14歳からモトクロスを始めて、プロになろうと、関東選手権や全日本選手権を夢中で追いかけていました。高校時代は、お金があったらすべて部品代に消えていた。でも10代の終わり頃にプロとしてやっていけるんだろうか?と立ち止まったとき、若者が経験する普通のことを一切やっていないことに気付いたんです。悩んだ結果、大学に入って、ディスコに行ったり、おしゃれをしてみたり。でも、1年で飽きてしまった。だからバイトしている以外はずっと引きこもって、映画ばかり観ていたんです。そうこうしているうちに、演じることへの興味が強くなっていった。どうすれば俳優になれるのかわからなかったので、養成所に通ったり、この連載にも出ている奈良橋陽子さんのワークショップにも参加していました。
──奈良橋さんともご縁があるんですね。
そうなんです。その後、友人が出演している舞台の打ち上げに紛れ込むことがあって、流山児★事務所の演出家・流山児祥さんと出会ったんです。「お前芝居やりたいのか?」と聞かれて、「はい!」と答えたら、もう次の舞台に出ることになった。「煙の向こうのもう一つのエントツ」という舞台だったんですが、自分たちでセットを運んで、全国何カ所も周りました。3人ぐらいしかお客さんがいないこともあったんですが、全力で芝居を作っていく面白さをそこで知ったんです。自分の芝居はカスみたいなものでしたけど(笑)。
──どんな役を演じたんですか?
チンピラ役でしたね(笑)。何もできなかったんですが、とても楽しかった。その後、オーディションを経て、美輪明宏さんの舞台「毛皮のマリー」に出ることになりました。美輪さんは、演技とはどういうものなのかを教えてくれた。貴重な経験でした。そこからテレビや映画にちょいちょい出させてもらったんですが、あまり芽が出なかったんです。だから俳優という仕事は1回置こうと。それでモータースポーツの世界に戻って、Rotax MAX Challengeというレーシングカートをやっていました。
──演技からしばらく離れていたということですが、どういった経緯で中国作品に関わるようになったんでしょうか?
Rotax MAX Challengeで日本一を獲ったんですが、2011年に東日本大震災が起きて、自分の中でいろんな価値観がガラッと変わってしまった。この先どうしようかと考えて、石川県に引っ越したんです。そこで、テレビCMなどを数千本手がけている長谷川章さんと縁ができて、「デジタル掛け軸」というプロジェクトアートを手伝うことになりました。ある日、長谷川さんを訪ねてきた中国の美術関係の方と一緒に食事をすることになったんですが、その席にいたのが、今、マネジメントをしてくれているセレクトリンクスの桜木愛さんだったんです。「中国の作品に興味ありますか?」と聞くので「ありますよ」と。それで出演することになったのが、中国ドラマ「谜·途」(※)でした。1つひとつの縁がつながって、今に至っています。
※「谜·途」:「琅琊榜<弐>~風雲来る長林軍~」のチャン・ボー(張博)、「有翡(ゆうひ) -Legend of Love-」のチョー・シアオ(車暁)、「贅婿[ぜいせい]~ムコ殿は天才策士~」のジャン・イーイー(蒋依依)らが共演した中国ドラマ。公開時期は未定。
──初めて体験した中国の撮影現場はいかがでしたか?
とにかくエネルギッシュでした。猛暑の中、助監督が朝から晩まで大きな声を出していて、「この人、いつ疲れるんだろう?」と。いろいろなアイデアをすぐ取り入れていく柔軟性も感じました。ただ最初の作品なので、言葉も理解できないですし、何がなんだかわからなかった。そういった状況の中で、なんとかしていくことも、同時に身に付けていく必要がありました。演技面でもシンプルに演じればいいわけではなく、異国の文化と向き合いながらやっていかなければならない。もちろんそれは中国だけでなく、ほかの国でもそうですよね。
説明してもしょうがない、現場で見せるしかなかった
──中国での映画デビュー作となった、ヤン・フォン(楊楓)監督の「鉄道英雄」ではチャン・ハンユー(張涵予)、ファン・ウェイ(范偉)といったそうそうたる面々とともにメインキャラクターの藤原を演じていらっしゃいます。
周りが大スターの中、誰?という状況。僕の名前を知っている人は誰もいない。それをどうひっくり返していくか。僕はこういう人間ですと説明してもしょうがないので、現場で見せるしかなかった。中国語でのセリフも初めてで、膨大なセリフ量と向き合いながら、物語の歴史的背景も調べていきました。コロナで21日間隔離されていたんですが、一歩も外に出られないのでずっと映画のことを考えていた。プレッシャーはありましたが、現場に入るときは堂々と行こうと。
──台本は中国語と日本語のものを受け取るんですか?
そうですね。ただ日本語の台本は日本語セリフとして完成された状態ではないこともあります。中国語は非常に短い文字数の中にいろんな意味が入ってくるので、それを日本語に翻訳しようとすると長くなってしまうんです。短くしようとすれば、普段日本人があまり使わないような古い言葉や、四字熟語を使わざるを得なくなる。だからそういう言語間の違いを把握したうえで、監督と協議して日本語セリフを修正することはあります。
──現場によっては急にセリフが変更になることもあると聞きます。
監督によってはそうですね。特に「無名」は恐ろしかった(笑)。セットに入ったあとに、ここをやっぱりこうしたいということはありました。
──かなり瞬発力が要求される現場でしたか?
うわさには聞いていたんです。だから「はい」とだけ答えて、演じていました。でも、普通は絶叫じゃないですか(笑)。その場で覚え直さないといけないので。
渡部を演じるためには、歴史を理解しないとどうにもならない
──「無名」は映画ナタリーで記事を出すたびに大きな反響があります。森さんの周りはいかがですか?
自分の友人だけじゃなく、いろんな方のレビューも見ているんですが、さまざまな意見、見方があるなと感じます。日本人だからといって、日本人の歴史を知っているわけじゃない。実は知らないことがかなりありますよね。だからこの映画を観て、歴史に興味を持ったとか、日本と中国の関係を見直すきっかけになったという感想はとてもうれしいです。
──この映画は、ほかの方の感想を読みたくなる作品だと感じます。
ネクタイの意味は?とか、皆さんの解説や考察を読んでいると、僕も知らないことがいっぱいで、そうなの!?って。レビューを読んでから、もう1回観るとほんまや!とびっくりすることもあります。
トニー・レオンさん演じる諜報員フーとワン・イーボーさん演じるフーの部下イエは両面性を持たせなくてはならないキャラクター。観客に伝えたいけど、伝えてはいけない、難しい演技が課せられていますよね。それを1回観ただけで、把握するのは難しい。何度も観ている方もいると思うんですが、映像のクオリティと作り込みがすごいので、その回数に耐えうる作品にもなっている。何回観ても面白いし、ネタバレを読んだあとに観ても面白い映画だと思います。
──時系列が交錯したり、かなり複雑な作品ですが、初めて脚本を読んだときはどんな印象を持ちましたか?
一読してもよくわからなかったんですが、パっと読んでこれは面白いことになるなという予感がしました。時代背景を考えると、一筋縄ではいかない。いったい、これをどう撮るんだろう? どういう物語になるんだろう? 自分はどう演じればいいんだろう?と考えながら、これはいい映画になるなと思いました。
──森さんが演じた渡部は、上海に駐在する日本の将校でスパイのトップです。強烈な存在感を放つキャラクターですが、どのように役作りをしていったのでしょうか?
渡部を演じるためには、歴史を理解しないとどうにもならないと思いました。この作品も撮影前に21日間の隔離期間があったんですが、セリフには一切、手を付けず、歴史や組織の背景を調べることだけに集中しました。物語の中で起こる出来事には、もとになっている実在の事件があります。それを整理しながら、あの時代に、渡部が何を考え、何をしようとしていたのかを探っていきました。そこから自分ならどうしただろうか?と、自分を渡部の中に入れていく。そうすると葛藤が生まれますし、彼が選択せざるを得ない行動への苦しみにも直面しました。渡部は傲慢でないと生きていけない人間。一番自分に近いと感じたのは、彼が案外だまされるところでしたね。
──渡部を演じるうえでモデルにした人はいますか?
このキャラクターのモデルは◯◯じゃないかと考察されている方もいらっしゃいますが、僕は実在の人物3人ぐらいをミックスしています。1人を見つけている方はいましたが、残りの2人を当てている方は今のところいないようです。2人のうち1人は文官で、もう1人は実在の女スパイ・鄭蘋茹(テンピンルー)と家族ぐるみの付き合いがあった人物です。彼女をモデルとしたジャンに渡部が恋愛感情を持っていたんじゃないか?というところから、その人をモデルにしました。
──モデルになった3人はチェン・アル(程耳)監督から指示があったんでしょうか?
監督から特別指示はなかったです。隔離期間があったというのもあって、事前に監督とディスカッションする時間が取れなかった。だからいきなり現場に入って、挨拶をして、もう「リハーサル行こうか」と。監督はまず、演じているものを見てみたかったんだと思います。そのあとは特に何も言われませんでした。驚くほど演出面の要望は少なかったと思います。
──少ない中で、監督から受けた演出にはどんなものがありましたか?
画面に出てくる感情量を調整することですね。「無名」はキャラクターの感情を極力抑えた作品。そんな中で、渡部は一番フリーで、シンプルな立場なので、わかりやすく感情や表情が動く人間です。演じているとだんだんイライラしてきて、「近衛(文麿)は! 近衛は!」と感情的になることもありました。そんなときには、監督から「怒りすぎ」と声が掛かって、少し抑えました。受けた演出といえばそれぐらい。
──細かい指示をされることはなかったんですね。
そうですね。チェン・アル監督の現場は中国の撮影現場の中でも特別だと思います。とにかく静か。スタッフへの指示はすべてヘッドセットで届けられる。みんな動かずに淡々と準備を進めて行く。とにかく演技がしやすい現場でした。待ち時間が長くなったときには監督からお茶が届けられたり、一丸となって映画を撮っていこうという空気感が強かった。撮影の日にスッとその日の台本が届いて、夕方撮影開始という恐怖はありましたけど(笑)。
なんで俺、トニーさんを自宅に呼んでるんだろう?
──共演者の演技を受けて、ご自身で調整していったこともありましたか?
もちろんありました。ネタバレになってしまうので多くは語れないですが、例えばタン部長を演じたダー・ポン(大鵬)さんとの共演シーンでは、彼をぱっと見たら、とても切ない表情をしていたんです。そんなに悲しい顔するの?と。僕は強気に出たものの、彼の表情を見てもごもごっとなった。それはダー・ポンさんの演技を受けて自然と出てきたものです。
──実際に相対したからこそ、見えてくるものがあると思うんですが、主演のトニー・レオンさん、ワン・イーボーさんとの共演はいかがでしたか?
まずはトニーさんとのシーンから始まったんです。当然、僕としても大好きなスターが来た!と。「トニー!」「モリー!」と握手して(笑)。
──(笑)
リハーサルをやって、1回チェックするんですが、トニーさんは「森さん、ここ座って!」とどこまでもジェントルマン。「俺はスター!」というのが一切ない、誰に対しても同じ接し方なんです。照明の調整をやっている間に、「今度、石川県に遊びに来てくださいよ!」「行くよ!」なんてやり取りもして、なんで俺、トニーさんを自宅に呼んでるんだろう?って(笑)。でもそれは、監督が意図的に作ってくれた交流の時間だったんです。トニーさんもそれはわかっていたようでした。
──1番最初に撮影したのはどの場面だったんですか?
渡部がジャンを助けられないかと、フーに相談する場面です。完成したものはあの短さになっていますが、現場では渡部が部屋を出たあともずっとカメラが回っていた。それをモニタで見ていたんですが、トニーさんはふーっとタバコをふかせて、動かずじっとしていました。その“静”の芝居を見たときに、なんだこれはと驚愕しました。煙を使って演技をしているんです。現場に入ってくるときは、気さくな近所のおじさんみたいなのに、いざ撮影が始まると、めちゃくちゃ、かっこいい。
──やはり、大きな刺激を受けましたか?
この人から学べるものは学ぼうと思いました。トニーさんは相手の役者がちゃんと生きるような芝居をするんです。演じていると、あれ?ってそのことに気付く。もちろんできあがったものを見てもそう思いました。何かあからさまなことをやっているわけではないんですが、知らぬ間に引っ張られている。そしてトニーさんがいないシーンまで、渡部の影に彼が演じるフーが存在するようになった。この存在感はいったいなんなんだろう?と。ものすごい人でした。
──森さんは、ワン・イーボーさんとの共演シーンも多かったですよね。
撮影初期はワン・イーボーさんとのシーンはなかったので、あまり交流はなかったんです。ただ、彼はいつもセットにいた。
──出演シーンでなくてもですか?
そう。出番がないのにずっといるんです。監督室にいて、モニタを見ている。彼は本当に無口な人。でも、あるとき、僕の横で日本語のセリフをぶつぶつ練習していたと思ったら、「ここを教えてください」と声を掛けてきた。一緒に日本語の練習をしているところはけっこう、カメラに撮られていましたね。
──メイキング映像で拝見しました。
日本語でやろうと、彼は急に監督から言われているんです。恐らく日本語でセリフを話すシーンを撮る3日ほど前に。実際、撮影に入ってみると、やっぱり3日では厳しいなと思いました。でもそれから相当練習したようで、1週間後には、これはいけるというところまで上達していた。母国語ではない言語を急に覚えて、さらに演技をする難しさは知っているので、こんなにしゃべれるようになったんだと本当に驚いたんです。だから「びっくりしました!」と伝えたんですが、それがメイキングで使われていた場面なんです。
撮影の合間もずっと日本語の練習をしていて、すごく努力しているのがわかる。だから、こちらもより何か手伝えないかなと思うし、大丈夫かな?と前のめりになっていくんです。ワン・イーボーさんは、シャイで無口でひたむきで、とにかく一生懸命な人。だから映画の中での渡部とイエの関係性と一緒なんです。どんどん彼を信頼していくし、好きになっていくし、親のような気持ちにもなっていく。渡部がイエに「お前も(満州に)連れて行くつもりだ」と言うシーンがありますが、あれは一緒に来てほしいと、まるで恋人に言うようなものですよね。
──森さんが考えるワン・イーボーさんの魅力ってどんなところにありますか?
問答無用で人を惹き付けてしまうところです。僕の周囲も、映画を観たあとはずっと彼の話ばかり。いや、俺の話は?って(笑)。もし現場で嫌なやつだったら、僕もこんなふうに言わないです。本当にいいやつ。渡部とイエのラストシーンで、彼はタバコを吸っていますが、吸いすぎてそのあと吐いているんです。あの時代のタバコなんで、フィルターがなくて、ものすごくきつい。ニコチンにやられて、声も出なくなりますし、気持ちも悪くなる。それを彼は真面目にガンガン吸っていました。
──観るたびに新しい発見がある「無名」ですが、森さんのお気に入りのシーンは?
すべてのシーンに思い入れがあるんですが、強いて挙げるなら渡部が刀を前に正座しているシーンです。実は切腹しようとするものの、思いとどまるという長いシーンだったんです。撮影中は毎日ホテルの大理石の上に正座して、死ぬこととは?と考えていました。撮影された長いバージョンのものは存在しているんですが、僕自身は観ていないんです。観てみたいという意味で、そのシーンを挙げました。
あとは、ボロボロのワンちゃんが蹴られるシーンですね。実家で飼っていた犬と同じ犬種だったということもあって重なってしまって。爆発が起こるシーンはたまらないです……クレジットにも名前が入っていますが、もう特別賞をあげようよと思います。
──あのシーンに心をえぐられた人は少なくないと思います。
「無名」は心を持っていかれる描写がいろんな場面に潜んでいる。この映画はスパイノワールというコピーになっていますが、愛の物語でもあると思うんです。フーもイエも、ジョウ・シュン(周迅)さん演じるチェンもホアン・レイ(黄磊)さん演じるジャンも誰かを愛している。描かれていないですが、渡部がなぜジャンを助けようとしたのか?と考えると感じるものもあります。大義のもとに何かをやろうとしたときに、守りたい誰かのためにという感情もあるはずなんですよ。それは映画として打ち出しているわけではないですが、そういう側面もある作品だと思っています。
国境なんてない作品、それが僕がやっていきたいチャレンジ
──海外で仕事をするうえで、森さんはどんなことを大切にしていますか?
このコラムのテーマから外れてしまうんですけど、僕は物心ついたときには、海外にいて、ある意味日本が異国だったんです。8歳で帰国して、日本の学校に入ったときには「外人、外人」と呼ばれた。日本人なのに、日本人だと思われなかった。それで、子供ながらに思ったんです、みんな人間じゃんって。国や人種に違いはありますけど、でも人間としてお互い存在していると思うんです。
中国もアメリカもそうですけど、いろんな文化や風習があって、「この国はこうだ」とか「この人はこうだ」なんて決め付けられない。日本だって地域が違えば文化も違うし、ほんの数km離れただけで、なまりも違う。それを考えたときに、一番大事にしなければいけないのはお互いをリスペクトすること。その国で仕事をするのに、その国を尊重しないのはおかしい。まず相手を理解しなければいけないし、相手との違いを受け入れていく。そのうえで、迎合するわけじゃなく、自分はこうだよというのを出していけばいいと思っています。その中で逆に日本が見えてくることもあるんです。
──海外で仕事をする際、喜びを感じる瞬間は?
やっぱり海外で仕事をすると日本で仕事をしているときよりもはるかに自分との違いに触れる機会が多くなる。仕事の進め方も違う。僕はそんな違いを知って行くことが楽しいですね。
──今後ますます国を越えて、作品を作っていく機会が増えていくと思います。森さんが今後チャレンジしたいことを教えてください。
否定され続けているんですが、ラブストーリーをやりたいんです。でも誰も叶えてくれない。僕の通訳をやってくれる方も「50代の恋愛なんて誰が観たいんですか?」って言うんですよ。ひどいじゃないですか。ジャック・ニコルソンの「恋愛小説家」や「恋愛適齢期」を知らんのか!と。大人のラブストーリーがあって何が悪い!と力説しています(笑)。
──(笑)
あとは、ここのところシリアスなものが続いたので、コメディもやりたいですね。ただこれは、来年公開予定の作品でもう叶ったんです。4カ国語を使う現場だったんですが、誰が何語をしゃべるんだっけ?と混乱したり、話しているうちに言葉が混ざっていったり、面白い現場だった。「無名」がそうであったように、今後、多言語の作品も増えていくと思うんです。そんなときには日本語にも字幕を付けてほしいなと思います。国境なんてない作品、これが僕がやっていきたいチャレンジです。
──新作の情報解禁楽しみにお待ちしています。
日本で公開したいですね。皆さん、ご協力お願いします!
森博之(モリヒロユキ)プロフィール
1968年生まれ、東京都出身。アメリカ・ニューヨーク、カナダ・バンクーバーで過ごしたあと、8歳で帰国。1993年に舞台「煙の向こうのもう一つのエントツ」で俳優デビューを果たす。美輪明宏の主演舞台「毛皮のマリー」などに出演したのち、レーシングカート「Rotax MAX Challenge」に参戦。ピープルシアター公演「蝦夷地別件」で俳優復帰し、ドラマ「谜·途」で中国作品に初参加した。その後、ドラマ「長河落日」や、映画「鉄道英雄」などの中国作品に出演。チェン・アルの監督作「無名」では、メインキャラクターの1人渡部を演じている。
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