長渕剛、ニュー・アルバム『BLOOD』を引っ提げ全国アリーナツアー開催中「これからは笑顔で、君が笑顔になることをやりたい」
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長渕剛
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すべて見る現在、全国アリーナツアー『TSUYOSHI NAGABUCHI ARENA TOUR 2024 “BLOOD” 』の真っ最中のシンガーソングライター、長渕剛。デビューからすでに45年を超えるキャリアを持つ彼だが、音楽への情熱はいまだ衰えず、ニュー・アルバム『BLOOD』をリリースしたばかりだ。近年は、過去代表曲のさまざまなメディアでの披露や、SNSの精力的な活用など、新たなモードに入ったことも感じさせる長渕が、現在の活動について忌憚なく語る。
──まずは最新アルバム『BLOOD』のお話から聞かせてください。一枚通してのコンセプトというよりは、一曲一曲、現在のさまざまなテンションを封じ込めた作品に感じました。
この間、コロナがあったりしましたけど、いろいろ考えたり感じたりしたようなことが中心ですね。書き溜めていた楽曲もあったりしたんですけど、基本的にはレコーディングの半年から1年のタームで、ガッと書き上げたものが多いですね。
──そうすると、書き溜めていたもので収録していない楽曲も多いのでしょうか?
ありますね。僕の場合は自分の体験や感じたことをもとに詞、曲を書くんですね。でも、それだけだとつまらないと、それがみんなの心にもあるよねって思えるように普遍的に書き換えることに一手間かけます。そこの自己採点が非常に厳しくなる。
──これは完成だ、という地点はご自身ではっきりわかるものですか?
なんかありますね。僕が30代の中盤頃に、こういう歌を書きたいって言っていたのが童謡のような曲。「夕焼小焼」みたいな、いつの間にか不意に口ずさんでるようなメロディーなんですね。誰が書いたかはどうでもよくて、何となく不意に口ずさんでいるような歌になれるといいなっていうのは、もう昔から思ってるんです。まだその途中ではありますけども、余計な言葉を削除していったり書き換えたり、そこを目指すとなかなか難しいんですね。
──歌い手はパーソナリティーが魅力となることも多いので、すごく難しいバランスですね。
歌っていうのは、作家が書いて世に放ったら、もう作家のものじゃないというふうに僕は思う。聴く人のものになってしまう。詞の中であんまり厳密に色とか形とかっていうことを言わないほうが、いいときもありますね。
──長渕さんはキャリアも長く、時代時代で多くの楽曲を残されてきました。それこそテレビ番組やYouTubeなどで取り上げられる機会も多いですが、過去の楽曲との向き合い方は昔と変わらないものでしょうか。それとも年々キャリアを追うたびに変化しているのでしょうか。
昔はヒット曲が出たら、10年は歌わねえとかね(笑)。つっぱってた頃そういう感じでしたよ。そういうつっぱりがないと次が生まれませんからね。だけどここまでやっていくと、あまり抵抗がなくて。喜んでくれるもの、みんなが、コンサートに来た連中が歓喜の渦でガッと湧き上がってくれるなら、って気持ちでいっぱいです。
──Youtubeで視聴できる「THE FIRST TAKE」の「とんぼ」では、長渕さん自身もすごく楽しんで歌われてる感じが伝わってきました。
「THE FIRST TAKE」のスタッフの連中はみんな若くて「いいものを作るんだ」って気持ちで現場が白熱していました。僕らもそうですけど、ものづくりの現場って皆そうです。すごいいい現場だなと思って。彼らと話しながら、彼らの情熱とかひたむきさに対して、求めてる以上のものをもっとやってあげたいというふうな気持ちになりました。
──まさに先ほど長渕さんがおっしゃられていた、自分の作った曲が、聴く人のものになっていくというお話ですね。
自分が傷ついたり、傷つけたり、人生っていろんなことがある。深みにはまったりとかするときもある。僕の曲は、そういうときに「よっこいしょ」と自分を立てるために作った歌。ラジオのゲストなんかに出させてもらうと、その歌が他の人の人生の中で大きなエポックとしてあって、救われたんだっていう方も結構いらっしゃる。僕が一生懸命、自分が立ち上がろうと思って必死で作った歌を、僕の知らなかった人たちが自分の歌として聴いて、それで一歩前進できたんだと言われると、頑張って作ってきてよかったなと思える。これからもそういう歌をたくさん生んでいかなきゃいけないな、と。
──特に長渕さんの場合は、キャリアの節目、節目で広く知られた曲があるので、きっといろんな世代にそういう方がいらっしゃるんだろうなと感じます。
コンサートには、もう三世代が来ますからね。親子三世代。お父ちゃんがちっちゃい子をおぶって、拳を上げたりしてね(笑)。あっ、四世代もいるよ(笑)
──当たり前ですけど、デビューした頃には想像もしなかった風景ですよね。
感じるのは、歌が浸透してることの喜びと、あとその反面、責任みたいなもの。こんなもの書いて失敗したなとか、責任取れねえなと思ったときもあったんですけど。ただ、そこぐらいはちゃんとやんなきゃよっていう気持ちも自分の中であって。人の人生の中に、ストンと自分の歌が入っているんだという意識というか、各自の心の中に入っていくものを作っているのだっていうことを、しっかり感じながらの45年でしたので。実は、自分の人生がお粗末で、少し乱雑で、人と同じような幸せを得ることができなかったんじゃないかなって思った頃もあったんですが、今は逆に、人の心に自分の歌が届いてるんだ、あるいは届けなきゃいけないっていう、そういう使命感みたいなものを幸せに思うようになりました。
──そう思えるようになったきっかけはあったんですか。
僕の曲を聴いていた人たちも、僕と同じように歳を重ねていって、自然とそれぞれリーダー格になっていくわけじゃないですか。そういう人たちと出会う機会が、だんだん年齢とともに多くなってくるわけです。デビュー当初は背中を丸めて、田舎もんが都会に出てきて、冗談じゃねえよ、なめたら許さねぇぞ、みたいな気持ちでみんなつっぱっていました(笑)。僕もみんなが敵に思えた。だけどあるときから、そういう人たちと交流を重ねるようになったときに、人生の中に僕の歌があるんだっていうことを言ってくれる。味方がここにもいる、あそこにもいるというふうに思えたときに、まんざら敵ばっかしじゃねえんだと。僕は当然30代、40代には被害者意識みたいなものもありましたけども、でもそこを超えて歌だけは誠実に一生懸命、苦しみながら書いてきました。だから、こうやって仲間がたくさんいるんだというふうな思いに変わりましたね。
──ご自身のキャリアを肯定的に受け止められるって、すごく大きいことですよね。
やっとじゃないですかね。まだまだ信じてないですけどね、自分自身を。作家としての自分自身を。いつも一曲書くたびに、いいわけがないって思うというのが僕の持論です。もういっぺん、寝てから明日もう一回考えよう、といろんな人にも聴かせるんですよ。
──正直、長渕さんのようにみんなに知られた曲も非常に多いシンガーソングライターが、ご自身でそのように受け止めていることに驚きました。過去にどれだけ名曲があって今、新しい曲で満足できるかどうかが重要なんですね。
僕、一切その思いがないんですね。よく言われるじゃないですか。一曲ヒットすりゃ飯10年食えるぜみたいな。でも、そんな甘い世界じゃないんで、僕がやってきた世界っていうのは。やっぱり楽曲が売れて食えるとかじゃなくて、自分の生き方と、それから時代の反応みたいなものが同居してないと生きている価値がない。
──そうなんですね。
そんなことばっかり考えますね。なのでYouTubeなんかもいろいろ試行錯誤して。確かに我々の時代と価値観も違うけど、そっぽを向くんじゃなくて、その中に入っていって、どう切り込んでいったら若い連中たちと話ができるかとか、そういうことを考えますね。
──最近は、SNSも活発に活用されていますね。特にInstagramは、昔であればファンは見ることができなかった一面も多くアップされていますね。
おっかなびっくりでやってますね(笑)。これからどうなるかわかりませんけど。皆さん、生きているなかで、社会でいろんな経験をするじゃないですか。移り行く街並みの風景になにかを感じたり、季節感や風の匂い、人間のいろんな変貌、変化を感じながら社会生活を営んでる。僕の場合は、歌という手段でしか社会と密接な関わり合いを持てない。どうしても閉塞的な自分になってしまう。自分を押し沈めてしまった穴から、いろんな社会を見たとき、ここだと思って当て込んで詞を書くんです。その姿は……今、思うと痛々しいですよね。良い悪いでなくて痛いんですよ。それを300曲以上、どんなハッピーな歌でも痛みはありますから、300曲以上書いてきたときに今思うことは、彼らがそれを、それぞれの人生の中で楽しんだり希望の灯火として聴いてくれたっていうことが、僕にとっては……痛んでよかったと。これからは笑顔で、君が笑顔になることをやりたい、そういうふうな思いにすごくなりますね。それは若いときとはまったく違うところでしょうか。子供たちが笑うんだったら、この歌を歌ってあげたいとか。今あなたが泣いてるんだったら、自分の中からこの歌を歌ってあげたい。そういうふうな気持ちが強いんです。
──そういう思いは、きっとコンサートの向き合い方にも影響してきますよね。ツアーについても話せる範囲で聞かせてください。
新旧、織り交ぜて「えっ?」って歌も歌いたいね。昔から振り返るってことがすごく嫌だったんですよ。でもスマホなんか見てると、嫌でも自分の昔の歌が出てくるんですね。いろんな方たちが自分の歌を歌ってくれてるんですけども、意外といい歌だなとか思えたりね(笑)。でも、昨日より今日を笑えるようにしたいんですよね。今は自分も含めて、みんなが幸せになること、ですね。そういう使い方をしたいということを強く思います。
──活動への心持ちみたいなところは、ここ数年でかなり変わられたんですね。
変わりましたね。変わったとも言えるし、昔から実はあったんだけどそれを見せるわけにはいかなかった、みたいなところもあります。活動をしていくうえで戦いみたいなところもある。特に若いときは。戦ってるときに月並みな優しさを見せたものなら、すぐ足をすくわれるみたいな、そういう経験も何回もしてきました。この人ちょっと怖いぞというふうに思われたところはあるし、自分でもそういう立ち振る舞いは多かったんじゃないでしょうかね。
──ご自身のパブリックイメージみたいなものに、苦しんだときもあったんでしょうか?
あるともないとも言えないです。自分で好んで作ったイメージもあれば、そうじゃなくて作り上げられたものも当然ある。良いも悪いも含めて、ブランディングイメージなんて時代や社会の流れとともに、良かったことが悪かったことになったり、どんどん変わってく。変わったものに対して、自分自身が苦しむところはあるかもしれないが、皆さん、そうでしょうね。昨日のものを全部、捨ててしまおうかと、そこをどうやって戦ってクリアしていくか。当然クリエーションしてる人たちは、みんな思ってることだと思う。昨日までの自分を僕は破壊していくみたいな作業が好きです。
──キャリアが長くなればスキルや強みも増えますけど、同時に難しさもあるわけですね。
ありますが、基本は体力。つまり肉体をしっかり整えることです。食とトレーニング‼! 自分が忘れてはいけないのは、それと自分は若かった頃の硬質な反骨精神だとか、スピード感であるとか、それからノリです。グルーブ感。「そんなことやるの?」とか「えっ?」って驚きを思いついたら、もう言ったその瞬間から動く。これが若さの持つ宝物なんですけど、それが現役の基本。毎日おもちゃ箱をひっくり返すような人生を生きていかねばつまらないですね。
──ツアーも新鮮な気持ちで挑めそうですね。
これまでいろんな会場、路上ライブまでしていますけど、ひとつだけあるのは、僕は常に緊張します。どんな場所でも緊張します。大いなる素人‼!であることが大切です。
──え? それはどんなライブでもですか。
慣れないですね(笑)。慣れないから、ここはうまくいくだろうかとか、いろんな雑念が、素人感が入ってくるんです。それを解消するために稽古をします。今、真っ最中ですね。厳しい稽古をします。幸せなことに、その思いを分かってくれている仲間たちがいるので、素晴らしいツアーになるんじゃないでしょうか。小心者なんでしょうね(笑)。
──そんな……(笑)お話を聞くと、常に初心という感じですね。
そうです。ずっと初心です。最初から客が入ってたわけでもないし、自分の足を使って、全国を周りながら仲間を増やしていったようなところがあるんですね。せっかく仲間がこんなにたくさん集まってきてくれたんだけど、来年になったら、また来るかどうかなんてわからない。だから勝負です。毎日勝負です。
──ただ良いパフォーマンスをするだけでなく、ひとつのショーとして、エンタテインメントとして見せたいという思いも強いんですね。
それは自負するところです。いつもリハーサルのときは一番後ろに行って、聴こえ方をチェックして、1階、2階、3階、隅々のお客さんまでが満足できるようなものを作ろうとしますね。そこは誰より妥協できないところ。そして大いに自信があるところですね。 いずれにせよ、大いなる節制と基礎トレーニングを継続しているところに現役を張る価値があるわけです。デブは敗北‼!なんです(笑)
<ツアー情報>
『TSUYOSHI NAGABUCHI ARENA TOUR 2024 “BLOOD”』
9月5日(木) 愛知・Aichi Sky Expo ホールA
9月6日(金) 愛知・Aichi Sky Expo ホールA ※売切
9月28日(土) 広島・広島サンプラザホール ※売切
10月18日(金) 東京・有明アリーナ
10月19日(土) 東京・有明アリーナ ※売切
■チケット情報:
https://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b2451540
長渕剛公式サイト:
https://tsuyoshinagabuchi.com/
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