森山直太朗インタビュー「映像作品『素晴らしい世界』をきっかけに、見た人がそれぞれの中にある何かを考えるきっかけになってほしい」
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インタビュー
森山直太朗
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すべて見るText:谷岡正浩 Photo:小境勝巳
1年半という長い時間をかけて、100本と追加公演を巡ったツアー『素晴らしい世界』の国内公演の終着点として辿り着いた両国国技館での〈番外篇〉。その〈番外篇〉を中心に、彼が歩んできた2年弱、107本の道のりが見える映像作品が完成した。すでに多くの観客から絶賛の声が上がっている映画『素晴らしい世界は何処に』の公開に続いて、11月6日(水)にはLIVE Blu-ray & DVD作品『素晴らしい世界 in 両国国技館』がリリースされる。あのとき、あの場所で森山直太朗が見つけた“答え”とは何だったのか? そして、彼が抱えていた“空白”とは? 長く、かけがえのない季節を通り過ぎた森山直太朗が今思うこと。
根源的な部分と共鳴しながら〈番外篇〉までの長い旅を続けてきた
――1年半をかけて100本に及ぶツアーとそのハイライトとなったNHKホールでの〈前篇・中篇・後篇〉をへて、両国国技館での〈番外篇〉を開催するというアイデアはどのようなきっかけで生まれたのでしょうか?
実は、〈番外篇〉云々の前に、両国国技館でやりたいということが先だったんですよ。『素晴らしい世界』とは関係なく。シンプルに、いつかあのセンターステージでやってみたいっていうのが夢だったんです。それはだから、ツアーで100本回ってみたいっていう、漠然とした夢と同じレベルのものとしてあって、いつか広いところのセンターステージに立って舞台をやってみたかった。で、今回100本の夢が叶ったから、その勢いでスタッフに提案してみたんですよ。
そしたら、いろいろな話の流れで、『素晴らしい世界』の国内公演の終着点としては見えるんじゃないかっていうことになって、僕自身も、ああそうかと。NHKホールで行った〈前篇・中篇・後篇〉は101本目に当たるライブだったんですけど、その時点ではそこが終わりだったんです。でも、僕のこれまでの活動を辿っていくと、実は終わりはまだその先にあるんだよっていう裏切りも森山直太朗らしいなと思ったんです。それもこれも、『素晴らしい世界』という言葉が持っている受け皿としての大きさがあったからこそ、物語をつなげていけたんですよね。ということで、〈前篇・中篇・後篇〉の先にあるもの、それは〈番外篇〉しかないよね、はみ出ちゃったんだからっていうことになりました。さらにその、はみ出ちゃった中にアジアやアメリカといった、海外公演も含まれることで、両国国技館とワシントン、上海、台北にまではみ出ちゃった〈番外篇〉としてまとめることでしっくりくるものがありました。
――なるほど。となると、〈前篇・中篇・後篇〉ですべてを出し切って曝け出した後に、さらに何を見せるのか? ということを『素晴らしい世界』という物語の文脈の中で考えなければいけないという難しさがあったのではないかと想像しますが、そのあたりはいかがですか?
これ、面白いもので、ここでやってみたいっていう衝動の方が勝っちゃうんですよ。そうなると、なんでもできるんです。その場所でやりたいという気持ちやそこへ向かうプロセス、どうしてここでやるのかといった必然性、そこに、その場所の持つ磁場の強さが合わさって、どんどん純度を高めていくと舞台では奇跡が起こるんですよね。そしてそれは、どうしても両国国技館でなければならなかったんです。武道館でもなかったし、他のどんな場所でもなかった。両国国技館と森山直太朗というのを合わせると、髷を結っている自分の姿が見えてくるっていうくらい見えるものがあったんですよ(笑)。何か景色が広がるっていう感覚が、舞台を作る上で自分の中ではすごく大切で、だから質問されたように、確かにすべてを出し切った後ではあったんですけど、両国国技館という場所だったからこそ僕自身が見える景色、また、見せられるものがあると思ったので、そこはまったく心配していなかったです。
告白してしまえば、やるって決めた時点で何の勝算もありませんでした。でも、100本ツアーを決めたときだって勝算はありませんでしたから。これが今までの自分だったら、両国国技館でやるっていうことに対して、「いやいや......」みたいな反応を示されたら「そうだよね」ってすぐに翻してたと思うんですけど、『素晴らしい世界』という名の下に100本ツアーをやったという確かな実感が、「でもね」って言えるだけの強さというか、自然な力学として自分を前に進められたんですよね。なぜなら、自分はなぜこれをやりたいのか? という衝動を探す旅が100本ツアーだったし、その終着点が両国国技館を含めた〈番外篇〉だったので、そこまで描き切らないと終わることにならないから。で、結局この旅は終わらないものなんだっていうのを〈番外篇〉で思い知らされることになるんですけどね。自分がどうして生まれてきたのか? っていう、考えたって答えの見つかりようもない問いと同じで、だからこそそういう根源的な部分と共鳴しながら〈番外篇〉までの長い旅を続けてきた......そういうイメージでした。
――答えが出ない問いだからこそ、問い続けなければいけないという基本原則に立ち返ると、映像作品(映画/Blu-ray & DVD)として『素晴らしい世界』が残るというのは、とても意味のあることだと思います。
そうですね。あのとき感じたものが、それが答えではなかったにせよ、また年月が過ぎれば全然違う感じ方をするでしょうし、だけどひとまずこの地点で区切りをつけるという意味で映像作品に残すことは僕自身にとっても必要だと思いました。
――先ほど、両国国技館の場の力ということをおっしゃいました。実際にステージに立った感覚はいかがでしたか?
もう感覚的には3年前くらいの遠い記憶になっちゃってるんですけど(笑)、安心感があったというのはすごくよく覚えているんですよね。本当に自分の前世は力士だったんじゃないか? って思うくらい(笑)。実際、本番の2週間くらい前に風邪をこじらせてしまって、リハもあまりできない状態で本番に臨むことになったんですよ。こんなに時間をかけて用意してきたのにっていう自分に対しての情けなさとか、本番で声が出なかったらどうしようっていう不安とか、結構ピンチな状態だったんですけど、いざ両国国技館のステージに立ったら、ピタッと咳が止まって、スコンと腹から声が出たんですよ。本当に角力の神様がいるんだって思いました。そういうのも含めて、不思議な力を感じる空間でしたね。だから、両国国技館ってどんな場所でしたか? って聞かれたら、パワースポットでしたっていうのが一番端的に的を射た答えですね(笑)。
『素晴らしい世界』の〈後篇〉に参加してくれたヴァイオリニストの須原杏ちゃんが両国国技館を見に来てくれて、僕にこんなことを言ったんですよ。「この両国国技館の舞台のために、これまでの101本があったんだと思った」って。それはすごくうれしかったし、一方で、国技館での『素晴らしい世界』のパフォーマンスの後に、「ああ、答えはなかったんだ」っていう場所に辿り着いたっていう、どう理解したらいいのか分からない感覚がずっとあって。つまり、ここまで長い時間をかけて回ってきて、結局得られたものは、答えなんてないという答え、というのはあまりにも酷だなっていう感覚と、同時に、もう探さなくていいんだっていう安堵の両方があったんですよね。そして、ある意味で執着を手放せたことで、表現者としては最もいい状態になれたんだなって思ったんです。それが、杏ちゃんの「このためにやってきたんだね」っていう言葉の真理なのかなって今は思います。
映像作品でしか辿り着けなかった結論がそこにはある
――最後の台北公演を記録した映像の中(LIVE Blu-ray & DVD Disc 2に収録)で、「空白」とおっしゃっていたのが印象的でした。その「空白」は直太朗さんがずっと抱えていたものなのでしょうか?
今、僕はデビューして22年が経ったんですけど、最初の12年くらいですかね、自分のやりたいことを飲み込んで、なんとかバランスをとりながらやってきたという感覚があるんです。それは誰のせいとかではなくて、単純に自分が臆病だったから。外から見たらそれは何の問題もないようには見えてるんです、きっと。環境的にも。でも、自分の根っこにある魂みたいなものが、「もうこれ以上舞台になんて立てないよ」っていう悲鳴をあげて、それがどんどん大きくなっていったんです。じゃあやめればいいじゃないかと。だけど、舞台に立ちたかったんです。もう無理だっていうところまで行って、そこで最後の最後に残っていたのは、やっぱり舞台に立ちたいっていう気持ちだったんですよね。そこに気づけたんです。だから、ある視点から見た僕は、がむしゃらに突っ走っている森山直太朗に見えたかもしれないけど、少し視点を変えて見てみたら、それは自分じゃない自分を許容していた時間だったんです。それを「空白」という表現で語りました。
あるいは、僕がまだ8歳くらいの頃、父と母とひとつ屋根の下で暮らしていた時間、そこから40年くらい経って、父の死の間際に病院でまた3人一緒になる......それまでの長い時間は「空白」と言ってもいいかもしれないですね。映画ではそのときの音声が使われていましたけど、病院で父と母と僕が一緒にいるって気づいた瞬間、ホラー映画かなって思いました(笑)。「うわ、みんなでいる!」って。そこの、家族という視点だけで切り取ってみたら、僕は40年もの間、ずっと来ないバスを待ち続けている幼いままの自分がいるわけですよね。でもその空白があったからこそ、また視点を変えて見れば、僕は曲を書けたんだと思うから、一概に「空白」とは何か? という答えも実はないんですよね。でも、僕の中にあるふたつの「空白」......つまり、表現者としてのものと家族のものと、そのふたつがリンクしているのが『素晴らしい世界』という旅だったような気がしています。最後に父の死が含まれているということも。
両国国技館で「素晴らしい世界」を歌った後に感じた、「もう探さなくていいんだ」っていうひとつの結論と、父の死に際して3人でまた一緒に過ごせたけど、それまでの40年という空白が決して無きものにはなってないという現実が、複雑な模様で入り混じっているというか......決してハッピーエンドという感じではなかったじゃないですか? 特に映画は。人が何かの真実に辿り着くためには、自分の中に潜んでいる深い闇にじっと目を凝らさなきゃいけないんだっていう厳しい現実と、でもどこかで「良かったね」っていう思いが交錯している、その複雑さを色にするなら真っ白なんですよね。だから、最後は白い世界で終わりたかったんです。そこに、見ている人の様々な思いや問いをどんな色でもいいから垂らしてほしい......そんなふうに思いました。
――森山直太朗というひとりの人物が抱えている空白は、視点によってそれが空白かそうじゃないかが変わるというのはとても面白いですね。
そうなんですよ。その空白こそが一方で自身のアイデンティティになっているっていうことなんですよね。Blu-ray & DVDのブックレットに寄せた文章の中でこんなことを書いているんです。それは......自分がなぜ音楽を始めたのか? ということへの洞察です。母親が音楽をやっているがために僕は愛情を奪われたように感じていたから、音楽を毛嫌いし遠ざけていたはずなのに、なぜ音楽を選んだのか? 振り返って考えてみたら、父と母の唯一の共通言語が音楽だったんですよ。音楽を通して知り合った彼らが、別れたとしても......それがどんなにきつい別れ方だったとしても......僕が音楽をやっているっていうことが、何かふたりのつながりになるんじゃないかって、そういう思いが心の奥の方にはあったんですよね。あるいはそうやって、僕自身が父と母の存在を肯定的に捉えたかったのかもしれない。だから結局僕は感謝しているんですよ。僕のこの境遇に。普通の視点から見たら、おそらく幼い頃に僕を取り巻いていた世界というのは、ある意味で理不尽なものだったと思うんです。でも、僕が音楽を始めることによって、それを僕自身のアイデンティティにすることができた。そこが、人の人生っていうものを考えたときに、面白いし、めんどくさい部分ですよね。だから、「よかったでしょ」って、もし母親に言われたら、それはそれで腹が立つんですけど(笑)。
――ははは。
音楽をやることでしか自分を証明できない、そういう関係だから、たとえば音楽番組なんかで良子さんと僕がふたり並んで歌っている、とかよりも、今回の映画で父の死に際でようやく40年ぶりに3人が揃ったっていう方が望んだ共演の形なんですよ、あれは。
――すさまじいですね(笑)。
ですよね(笑)。だって、幸せな家庭だと思われちゃうと嫌だもん。
――どうして自分が音楽を始めたのか? という根源的な問いの螺旋の中で、そこに父と母との関係というものが大きく関わっていることが改めて分かったと。では、直太朗さんにとっての音楽というのは何を指すものなんでしょうか?
曲を作ったり、レコーディングしてCDを作ったりっていうのは、僕にとっては音楽のための手段なんです。では、僕にとって音楽とは何か? と聞かれたら、それは舞台表現なんです。僕は舞台を、空間を作りたいんです。そこでこの音を響かせたら、どんな世界になるんだろう? っていうことが本能的な興味としてあって、それを満たしていたいんですよね。もしかしたらそれは、音楽じゃなくてもよかったのかもしれない。でも、先ほど言ったように、僕には僕だけの空白があって、それが僕を音楽に向かわせる力には逆らえなかったので。と、今はこうしてはっきりと言うことができるんですけどね。でも『素晴らしい世界』という名で107本のツアーを回る2年前だったら、こんなふうには答えられていなかったと思いますね。
――取材している時点において、映画『素晴らしい世界は何処に』が順次公開中で、そして11月6日(水)にはLIVE Blu-ray & DVD作品『素晴らしい世界 in 両国国技館』がリリースされます。映像作品にした意義をどのように感じていらっしゃいますか?
つまりそれは、映像作品でしか辿り着けなかった結論がそこにはある、ということですね。もちろんその場でそれを感じていたことは間違いないんでしょうけど、映像にすることでより鮮明に可視化できたということはあると思います。それが実は不思議な体験だったんですよね。記録を記憶として残すということは映像作品の重要な役割で、それはこれまでも当然やってきたんですけど、でも今回の場合、実際の舞台は終わったのに、映像を見ながら「まだ知らないことがあったんだ」っていう感覚になるのは初めてですね。だから、自分の存在を超えて、多くの人に見てもらいたいって思う自分がいるんですよね。
承認欲求なんかとはまた全然違う次元で、ものすごく安直な言い方なのかもしれないんですけど、この映像作品をきっかけに、見た人がそれぞれの中にある何かを考えるきっかけになってほしいんですよね。僕は「空白」と表現しましたけど、たぶん誰もの中に、ずっと放置してきている何かはあるはずなんです。それって、取り出して向き合うのはきついから、ついつい見ないふりをして放置してしまうんですけど、だんだん悪臭を放ちだすんですよ。そうするともっとキツくなっていく。そこに、僕がそうだったように、この映像作品を通して向き合えるきっかけになるんじゃないかな? そうなればいいな? 芸術やエンタテインメントの存在意義ってまさにそこにあるんじゃないかな......そんなふうに思います。
<リリース情報>
森山直太朗20th アニバーサリーツアー『素晴らしい世界』in 両国国技館
2024年11月6日(水) リリース
●初回生産限定盤Blu-ray(2枚組):9,900円(税込)
●初回生産限定盤DVD(3枚組):9,570円(税込)
※Blu-rayはDolby Atmos仕様
【Blu-ray収録内容】
■Disc1
森山直太朗 20th アニバーサリーツアー『素晴らしい世界』in 両国国技館
1. 生きてることが辛いなら
2. 青い瞳の恋人さん
3. 花
4. ラクダのラッパ
5. papa
6. アルデバラン
7. することないから
8. 愛し君へ
9. 生きとし生ける物へ
10. 君のスゴさを君は知らない
11. すぐそこにNEW DAYS
12. Nonstop Rollin’ DOSA
13. boku
14. あの海に架かる虹を君は見たか
15. バイバイ
16. 素晴らしい世界
17. さくら
EN-1. ロマンティーク
EN-2. どこもかしこも駐車場
■Disc2
森山直太朗20th アニバーサリーツアー『素晴らしい世界』ドキュメンタリー「素晴らしい世界史」
【DVD収録内容】
■Disc1
森山直太朗 20th アニバーサリーツアー『素晴らしい世界』in 両国国技館
1. 生きてることが辛いなら
2. 青い瞳の恋人さん
3. 花
4. ラクダのラッパ
5. papa
6. アルデバラン
7. することないから
8. 愛し君へ
9. 生きとし生ける物へ
■Disc2
10. 君のスゴさを君は知らない
11. すぐそこにNEW DAYS
12. Nonstop Rollin’ DOSA
13. boku
14. あの海に架かる虹を君は見たか
15. バイバイ
16. 素晴らしい世界
17. さくら
EN-1. ロマンティーク
EN-2. どこもかしこも駐車場
■Disc3
森山直太朗20th アニバーサリーツアー『素晴らしい世界』ドキュメンタリー「素晴らしい世界史」
<配信情報>
「森山直太朗20th アニバーサリーツアー『素晴らしい世界』in 両国国技館」ライブ音源
2024年11月6日(水) 配信リリース(16曲)
【収録曲】
01. 生きてることが辛いなら(Live at 両国国技館 2024)
02. 青い瞳の恋人さん(Live at 両国国技館 2024)
03. 花(Live at 両国国技館 2024)
04. ラクダのラッパ(Live at 両国国技館 2024)
05. papa(Live at 両国国技館 2024)
06. アルデバラン(Live at 両国国技館 2024)
07. することないから(Live at 両国国技館 2024)
08. 愛し君へ(Live at 両国国技館 2024)
09. 生きとし生ける物へ(Live at 両国国技館 2024)
10. 君のスゴさを君は知らない(Live at 両国国技館 2024)
11. すぐそこに NEW DAYS(Live at 両国国技館 2024)
12. boku(Live at 両国国技館 2024)
13. 素晴らしい世界(Live at 両国国技館 2024)
14. さくら(Live at 両国国技館 2024)
15. ロマンティーク(Live at 両国国技館 2024)
16. どこもかしこも駐車場(Live at 両国国技館 2024)
特設サイト:
https://naotaro.com/subarashiisekai-dvd/index.html
森山直太朗 公式サイト:
https://naotaro.com/
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