『トクサツガガガ』は現代のオタク趣味の在り方を反映 歴代ドラマ『電車男』『モテキ』と比較する
映画
ニュース

特オタ(特撮オタク)の女性を描いたドラマ『トクサツガガガ』(NHK)が最終回を迎えた。
【参考】 『トクサツガガガ』Pが語る、作品のテーマ
主人公の仲村叶(小芝風花)は、特オタであることを隠しながら、同じ趣味の仲間を求める隠れオタク。第1話では会社でオタバレに怯える叶の心情がコミカルに描かれていたのだが、その時点では、叶の心情とシンクロできず、うまく作品に入り込めなかった。
■“おたく”の発祥
“おたく”という言葉が知られるようになった1988~89年に起きた連続幼女誘拐殺人事件から30年近く経とうとしている。犯人の部屋に積み上げられた膨大なビデオテープ(テープの中身は、アニメや特撮番組、残虐なホラー映画が多かったと報道された)の衝撃によって、おたく=社会不適合者の犯罪者予備軍という偏見は完全に定着した。
大人になっても、子ども向け番組に固執する未成熟な若者を指す侮蔑語として広まったおたくという言葉だったが、90年代に入ると社会現象となったロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』を筆頭とした漫画やアニメの社会的地位が向上し、オタク=クールな趣味を持った若者文化の消費者という意味へと変わっていく。
■オタクドラマ『電車男』『モテキ』
しかし、それでもオタク=恋愛が苦手なコミュニケーション弱者という偏見は根強く残っていた。匿名掲示板2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)に書き込まれた話をドラマ化した05年の『電車男』(フジテレビ系)はそんなモテないオタク男性が恋愛に目覚めることで、成長していく姿を描いた恋愛ドラマだった。
自意識過剰なサブカル青年が主人公の『モテキ』(テレビ東京系)も同じようなテイストの恋愛ドラマだった。趣味の世界に逃避する青年が、生身の女性と恋をすることで人間として成長する姿を描いた作品が、00年代後半からポツポツと作られるようになる。
先日まで放送されていたオンラインRPG『ドラゴンクエストX』(スクエア・エニックス)で知り合った女性とルームシェアすることになる青年を主人公にした『ゆうべはお楽しみでしたね』(MBS)も同じ趣向の作品だったが、オタクであることに対する偏見や嗜虐性は大分薄れており、恋愛経験のない主人公の自意識過剰ぶりに対して、そこまで気にしなくてもいいよ、と語りかけるような優しい作品だった。
これらの作品は基本的に男性オタクの立場から描いた作品だ。だから女性オタクの目線からみた世界では全く違うことが問題意識となって浮かび上がってくる。
■オタクの多様性を描いた『トクサツガガガ』
話を『トクサツガガガ』に戻そう。叶の葛藤が女性オタクとして普遍性のあるものなのか、男性の自分にはわからないところがあり、うまく入りこめなかったのだが、2話以降、叶のほかにもオタク女性が多数登場することで、作品に入りやすくなった。
本作は、同じオタクといっても様々な考えの人がいるのだということを丁寧に拾っている。それはアイドルオタクであることを隠して働く北代優子(木南晴夏)の葛藤が描かれたことでより明確になる。北代の葛藤と叶との衝突を見て、本作はオタクの多様性を描いた作品なのだと理解した。趣味を公言するオープンオタクもいれば、ひっそりと暮らしたいという隠れオタクもいて、同じオタクでも考え方や悩みは微妙に違うのだ。
第4話で、特撮オタクの叶と吉田久美(倉科カナ)、アイドルオタクの北代とみやびさん(吉田美佳子)、そして少女向けアニメ「ラブキュート」が好きな任侠さん(竹内まなぶ・カミナリ)の5人がいっしょにカラオケをするシーンは、オタクの多様性をもっとも象徴する豊かな場面である。
また、任侠さんが「ラブキュート」を好きだというのが象徴的だが、本作の同時代性は、オタクの生きづらさを、ジェンダーの問題として扱っていることにある。叶は男の子向けの戦隊ヒーロー番組を好きな自分を幼い時に母親から否定されたことがトラウマとなっており、叶が母親と対峙する姿がクライマックスとして描かれる。
男性オタクを主人公にした作品が、異性との恋愛を描くのに対し、『トクサツガガガ』は、男らしさ、女らしさを押し付けてくる日本社会の抑圧をやり過ごしながら、自分らしくいられる居場所探しと多様性の擁護へと向かうのだが、そこで描かれるオタク趣味の在り方は大きく変化している。
『電車男』や『モテキ』では、虚構の世界に閉じこもり、現実と向き合うことができない男たちの“逃避先”としてオタク趣味が描かれていた。対して、本作におけるオタク趣味は、(家族も含めた)自分たちを抑圧する過酷な社会をやり過ごすための“緊急避難所”である。現実に対するシェルターという意味ではどちらも同じだが、描かれ方は真逆のものとなっている。
これは、90~00年代よりも、2019年現在の日本社会の現実の方が厳しいことの現れだろう。描写こそコミカルだが、叶たちがオタ活(オタク活動)にいそしむ姿はとても切実に映る。だからこそ多くの視聴者に響いたのだろう。終盤はやや駆け足だったが、オタクの多様性をジェンダーの観点から掘り下げた傑作である。
(成馬零一)