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平松愛理インタビュー「新しく第一歩を踏み出すというより、これまでの35年で経験したものを土台にリセットする」

音楽

インタビュー

ぴあ

平松愛理 (Photo:吉田圭子)

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Text:斉藤貴志 Photo:吉田圭子

昨年、デビュー35周年を迎えた平松愛理。アニバーサリーアルバム、名曲「部屋とYシャツと私」のリミックス募集、地元・神戸での5年ぶりの震災メモリアルライブなど、年明けまで盛りだくさんな1年を過ごし、還暦とダブル記念のライブでひと区切りをつけた。そして、6月には新たな船出となるコンサートツアー『北風と太陽と私』を東京と神戸で開催。長いキャリアを経た狭間での思いを語ってもらった。

――5年ぶりの『KOBE MEETING』が大成功しましたが、神戸には大学までいらっしゃったんでしたっけ?

大学を卒業してから、HONEY&B-BOYSというグループのHONEYとしてレコーディングをしていて、ちょうど1年後にデビューしました。上京したのもそのときです。

――子供の頃から様々な音楽活動に打ち込んできたことは、度々語られていますが、音楽以外には神戸でどんな思い出がありますか?

3歳の頃からずっと音楽一辺倒でしたね。いろいろなバンドをやって、(ライブハウスの)チキンジョージができてすぐから出させていただいて。大学時代も、みんなはお洋服や飲み会や合コンで盛り上がっていましたけど、私は一切ダメ。そんな時間があったら1曲でも書きたい、練習したいと思っていました。

――合コンに参加したことはないんですね。

1回だけ仕方なく行ったんですけど、楽しくなくて。私、大学ではワンダーフォーゲル部に入っていたんです。入った理由は、人は極限状態で何をするのかを見て、歌詞のネタにしたかったから(笑)。実際に遭難したこともあります。3日間、先輩たちが病気になってしまった子を連れて下山したので、山の中でどうしたらいいか分からないままでした。

――本当に極限状態だったわけですか。

水が限られた量しかない中で、ゴクゴク飲んでしまう人もいれば、普段つっけんどんな人が少ししか飲まなかったり。私はジャンケンが弱くて、一番重いお米を背負って下りなければならなくなったんですけど、素っ気ない友達が代わってくれたり。人って表面では分からないなと勉強になって、人間ウォッチングには良い経験でした。雪渓がある寒い春山で、手拍子をしたら暖かくなるからと、私はずっと歌っていました。

――恋愛ソングのネタになるような経験もありました?

人の話を聞くのは好きでした。何で失恋したのか? 何を言われて、どう思ったのか? どんな場所だったのかとディテールまで聞いて、それは長年続けています。自分も好きな人はいました。ギタリストで弾いている姿がめちゃめちゃカッコ良くて、同じく長身の彼女といつもふたりでいらっしゃいました。

――片想いだったんですね。

憧れでした。でも、ちゃんと恋愛もしましたし、歌詞にもしています。デビュー曲の「青春のアルバム」は実話。20歳のとき、初恋だった彼が仙台で就職することになって、伊丹空港でのお別れのシーンです。

――「ついていくことを選べなくて本当にゴメンね」とか、リアルだったんですね。

送迎デッキにいた私です。その日は元町のヤマハでライブがあって、リハーサルと本番の間に空港に行きました。それから本番というのはキツかったんですけど、アマチュアとはいえステージですから、しっかり歌って、終わって楽屋で泣きました。

――35周年ライブもこの記事が配信される頃には終わっていますが、18歳で結成したERI & WANDERLASTのメンバーと、共に60歳になってのステージということで、エモいものになったことでしょうね。

学年が違っていて、全員が60歳という期間は2週間くらい。そして、私が35周年というダブルの記念日は一生に1回ですからね。

――アマチュアバンドのメンバーたちがみんな、60歳に至るまでプロとして活躍しているのは、奇跡的ではないかと。

ミュージシャン仲間の間では伝説のバンドと言われています。バンドでデビューしたわけではないのに、ひとりひとりが個々に頑張って、みんながミュージシャンとして第一線で生きているのは滅多にないと。「いつか東京で会おう」という22歳の約束を果たすために集結しました。

――感慨と懐かしさがありました?

選曲のために40年前のテープをいっぱい聴きました。前身のCUBIC BREAKというバンド時代からいるのは、キーボードの森(俊之)くんだけ。そこからERI & WANDERLASTになって、ギターの古川(昌義)くんとドラムの山下(政人)くんが入ってきたんですけど、テープを聴いていて面白かったのは、ステージごとにプロに近づいていく感じがあって。

――スキル的なところで?

最初はグダグダというか、演奏する楽しさに溢れながらも自己満足に感じられたのが、だんだんとお客さん側に立って構成や曲繋ぎを考えたり、成長していました。テープは劣化していて、途中で半音下がったりして、それはCDに焼いても何をしても勿論変わらないですから(笑)。

――とは言え、そんな昔のカセットテープがちゃんと残っていて、良かったですね。

探せば探すほど出てきて、全部聴いていたら夜が明けました(笑)。予想以上に忘れていたオリジナル曲が多くて、選曲は大変でしたね。どれも世に出ていない曲で、「青春のアルバム」だけは20歳で作ったので、アレンジが違うWANDERLASTバージョンでプレイしました。歌詞も少し違っています。

――年末に配信リリースした35周年アニバーサリーアルバム『Self Selection Notes』でも、選曲はだいぶ悩まれたのでは?

すごく苦労しました。「あの日の忘れ物」で始まって、最後は「戻れない道」にするのは、良いアイデアだったと思っていて。私の人生に忘れ物はあります。覚えておくべきことをメモしていく感じで選んだ曲たち。でも、戻ろうと思っても二度と戻れない。そういう35年を歩んできたという締めにしたかったんです。最初は12曲だったのが、ポニーキャニオンさんから「もうちょっとみなさんに聴かれた曲も入れてください」と言われて、15曲になりました。「部屋とYシャツと私」も入れてなかったので(笑)。

――本当ですか!?

「素敵なルネッサンス」も「Single is Best!?」も自分では選んでいなくて、後から入れました。今は入れて良かったと思っています。ひとりよがりのデジタルリリースになっていたかもしれなくて、みなさんに聴いていただくことを考えると、やっぱり耳馴染みのある曲があったほうがいいなと。

――1枚のアルバムとしての軸というか、曲調などで選ぶ基準にしたこともありましたか?

似た曲を選ばないことをルールにしていたのと、詞を届けたい思いは大きかったです。テクノポップの「ピラフになりたい」以外は詞から選びました。

――こちらには入りませんでしたが、デビュー曲の「青春のアルバム」を今聴くと、どう感じますか?

それも普通入れますよね(笑)。歌について言えば、迷いがありました。私の礎はカーペンターズですけど、バンドではハードロックとかいろいろなジャンルをやりましたし、テクノポップも好きで、音楽的にいろいろな面が自分の中にあったんです。上京してソロデビューが決まったけど、自分の曲を採用してもらえずに事務所を辞めて、改めてデビューを目指すうえで、どこに向かえばいいんだろうと考えていました。

――どんな路線で行くかと。

今まで触れてきた音楽に立ち返ると、クラシックではヨハン・ブルグミュラーが私にとっての大先生。洋楽ではビリー・ジョエルやダリル・ホール&ジョン・オーツも好き。もうひとつは、大衆音楽ではなく、アンダーグラウンドで自分の世界を突き詰めていく道もありかなと。いろいろ考えながら、QX3という打ち込み機材を買ってデモテープを作っていたんですけど、やっぱり私はポピュラーミュージックで行くのがいいのかなと。でも、自分らしさも加えたかったので、イギリスのデイヴ・スチュワート&バーバラ・ガスキンの要素をちょっともらって、最初にレコード会社に持ち込んでボツになった「青春のアルバム」をアレンジし直したら、「これはいいね」となりました。

――のちの独身OL路線は意図して築いたんですか?

応援歌やラブソングを書いて、失恋した人や恋で悩んでいる人が共感できる。プラスαで傷を共有できて、「ひとりじゃないんだ」と思ってもらえる。悲しい詞には明るいコードをつけたり、前向きな言葉を足して一歩踏み出せる曲にする。そんなポリシーがあったのが加速しました。私自身はOL経験がないので、ポニーキャニオンの女性社員のみなさんに「恋愛してますか?」「仕事とどう両立してますか?」みたいなリサーチをいっぱいしたんです。OLさんが集まる場所という意味で「給湯室の女王」と書かれたこともありました(笑)。

――その路線がハマったわけですね。

周りのみなさんのおかげです。きっと誰かが「こっちだよ」とメッセージを送ってくれていて。意図されているものを拾うことには、私は割と敏感で、「そっちに行けばいいんだ」と直感で選んでいました。

――たぶん、自分の世界とポピュラリティがうまく融合したんでしょうね。

そうですね。このテーマを平松愛理というカテゴリーではどうするか、みたいな感じでやってきました。OLの応援歌にしても、平松愛理ならどう作るかなと、自分を客観的に見ていたところはあります。

――一昨年に2年半ぶりにライブを再開して、今はステージのための体力も万全に戻っているんですか?

『KOBE MEETING』で1曲、テンポが本来BPM102で、上半身はついていくけど、脚がついていかなくて。メンバーさんたちとのグループLINEに「100にしてもらうことは可能ですか?」と送りました。100と102ではだいぶ違うんです。

――日頃からトレーニングをしたりは?

週1回、専属のトレーナーさんについていただいて、筋トレをしています。若いときは歌は腹筋だけでしたけど、今は背筋もどう使うか。その辺をトレーナーさんと話しています。背筋をシャンと伸ばして歌ったほうが見栄えがいいけど、背中をちょっと丸めないと背筋がうまく使えなくて、これは許してもらおうかなと。声帯も筋肉なので、年齢と共に衰えていきますけど、キーは今のところ下げていません。「部屋とYシャツと私」はレコード大賞で作詞賞をいただいた頃から、CDより半音下げて歌っていました。

――そうだったんですか。

レコーディングでのキーが間違いだったんです。「AでなくA♭にしてもらいたい」とお願いしたら、「そんなことは言わないでね」みたいな感じで。もともと周りに反対されて、無理やりアルバムに入れてもらった曲だから、二度と歌うことはないと思っていました。だから、レコーディングで声が出さえすればいいやと、直前にハイトーンの大橋純子さんの「たそがれマイ・ラブ」ばかり歌っていて。そのままポンとレコーディングしたのが、あの「部屋とYシャツと私」です。

――その2年後にシングルカットされて大ヒットして、「二度と歌わない」どころではなくなりました。

CDのキーに設定すると、下のほうの音が出にくくなって、ライブでは他の曲の低音がちょっとスカスカになってしまうんです。だから、本来歌いたかったキーにしました。そこからは下げていなくて、ずっと同じキーで歌っています。

――6月のツアーの位置づけとしては、35周年のアニバーサリーを経て、また前を向く感じですか?

新しく第一歩を踏み出すというより、これまでの35年で経験したものを土台にリセットするイメージです。意識も随分変わりました。固定観念に縛られていたところがあったのが、もっと柔らかい頭で音楽に接していきたいと思っています。

――それは年齢を重ねるほど、難しいことではないですか?

言えるだけ言ってみよう、という気持ちがあります。最近すごく思うのが、明日何が起こるか分からないなと。前は明日できることは明日に延ばしていたのが、今は今日やってしまいます。生きているうちに、できることをやっておきたくて。

――フレーズが浮かんだら、その日のうちに曲にするとか?

はい。だから、どうしても寝不足になって、寿命を縮めていますけど(笑)、それでも思う存分、音楽で生きていきたくて。この1年くらいで、考え方がすごく変わりました。6月のライブでは、1月も2月も歌った未発表曲の「北風と太陽~エピローグ」を、会場限定でCD販売しようと思っています。そのカップリングに、今募集している「部屋とYシャツと私」のリミックスも完成させて入れます。

――「北風と太陽~エピローグ」は一昨年のライブで初披露したとき、「相反するふたつの気持ちを肯定していい」というMCがありました。

人間の中にある対極の気持ちを書きました。愛されたいと思いながら、愛することを恐れてもいる。流されたくないと思いながら、流れて楽になりたい自分もいる。両方あるんですよね。人はそれでいいんだと思います。自分はしっかりしているつもりでも、誰かのたったひと言で憂うつになったりもする。そんなことも書きました。

――そういうことって、年齢を重ねていけば悟りが開けるというか、揺らがなくなるものとは思っていませんでした?

死ぬまでこうなんだと思います。前はガクッと落ち込んだら、その中に埋没する感じがありましたけど、今は「明日はもっとキツいことが起こる」と思うようになりました。あんなに「もうダメだ」と絶望したことも、明日になればちっぽけに感じる。辛いことは際限なく起こるんだと、覚悟しておけばいいんです。それも小さな悟りだと思います。

――「部屋とYシャツの私」のリミックス募集の応募作品は、順次聴いているんですか?

はい、聴いています。35歳以下の方を対象にして、SNSでは「芸術に年齢制限を設けるのか」と批判的なことも書かれていました。大まかにはその通りだと思います。でも、オリジナルは絶対超えられないから、まったく違うものを作るしかないんです。実際にすごく違うリミックスが来ていて、へーって感じで面白いです。

――「次の世代に受け継ぐ架け橋となるようなアレンジを」と謳われています。

この曲を知っていても、私の名前も顔も知らない人は結構多くて。この前、ごはんを食べに行ったときに、お店に居合わせた63歳の方に「平松愛理さんですか?」と聞かれたんですね。後から「お待たせ」って来た33歳の女性に「平松愛理さんだよ」と言っていたんですけど、その方は全然分からなくて「ふーん」となっていて。でも、「ほら、「部屋とYシャツと私」の」と言われたら、顔色が変わって「カラオケで歌ってます!」とのことでした(笑)。

――逆に言えば、若い人にも曲は知られているわけですよね。

平松愛理を知らないのに、カラオケで歌ってくれていて。タイトルがひとり歩きしているのはありがたいです。今回の募集も、私の名前を知らなくても構いませんので、リミックスしていただけたら。ご本人の次のステップにしてほしいので、一緒にMV撮影をしたり、6月のステージに出てもらうことも提案したいと思っています。

――新曲も今、バンバンできているんですか?

言葉が舞い降りてくるので、早く形にしたい感じです。ライブ前はやることが多くて、作曲まで手が回ってなかったんですけど、落ち着いたら取り掛かろうと。昔作った未発表曲もあるので、今の意識でリセットして書き直すつもりです。

――才能の枯渇とは無縁のようですね。

枯渇していた時期もありました。喜怒哀楽が何も感じられなくて、当時はこんな残念な人生はないなと思っていました。今は苦しいことがあっても喜びもあって、人生の方程式が成り立っていると分かった感じがしていて。キツいことがあったら、「これは絶対、次は良いほうに展開するぞ」と待てるようになりました。

――実際に苦しさが良い方向に転んだ経験もあって?

数で言ったら、転んだままのほうが多いです。でも、ほんの少しでも良いほうに向けば、それを1ミリと取るか100メートルと取るかは自分次第。小さくても喜びが生まれたら「やったー!」と思える気持ちが、大事なのかなと考えています。

――次のアニバーサリーと言うと40周年になりますが、その辺まで見据えた長期の展望はありますか?

来年にはフルアルバムをCDで出したいです。「北風と太陽」に「部屋とYシャツと私」の35周年バージョン、デジタルリリースした曲にプラス、新曲も収録して。

――新たな音楽性も打ち出していくんですか?

どうなのかな。「ピラフになりたい」のような試みはしていくと思いますけど、ライブの度に、ずっとついてきてくださったファンのみなさんに本当に感謝しているので。みなさんの望んでいないところに今さら行くのは、ルール違反かなと思っています。

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【応募方法】

1. 「ぴあアプリ」をダウンロードする。

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<リリース情報>
35周年アニバーサリーアルバム
『平松愛理 35th Self Selection Notes』

配信中

【収録曲】
1. あの日の忘れ物
2. 君にしとけば良かったなんて
3. 素敵なルネッサンス
4. BLUE MOON
5. 愛をあげたい
6. ピラフになりたい
7. Roseの花束
8. 部屋とYシャツと私
※Album『MY DEAR』収録ver.
9. 白夜
10. 転ばぬ先の闇
11. Single is Best!?
12. Miss Very well
13. 悲しくて悲しすぎて
14. 追伸
15. 戻れない道

配信リンク:
https://hiramatsueri.lnk.to/35th

<ツアー情報>
平松愛理コンサートツアー2025『北風と太陽と私』

2025年6月1日(日) 東京・大手町三井ホール
開場16:00 / 開演16:30

2025年6月22日(日) 兵庫・神戸朝日ホール
開場16:00 / 開演16:30

【チケット情報】
S席:8,500円(税込)
A席:4,000円(税込)
高校生以下:1,000円(税込)

■ぴあアプリ先行:2月9日(日) 23:59まで
詳細はこちら

■一般発売:2025年3月1日(土) 10:00~

平松愛理 公式サイト:
https://www.hiramatsueri.com/top

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