佐藤浩市らが三國連太郎をしのぶ、孫・寛一郎は「恥ずかしくない作品を残す」
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左から佐藤浩市、寛一郎
俳優・三國連太郎をしのぶ「三國連太郎 十三回忌」の会が、4月14日に東京・角川大映スタジオで行われた。
2013年4月14日、90歳に死去した三國。27歳でスカウトされ映画界に足を踏み入れた三國は、映画「ビルマの竪琴」「無法松の一生」「飢餓海峡」「利休」といった作品に出演し、昭和を代表する実力派俳優として名を馳せる。「釣りバカ日誌」シリーズでは“スーさん”こと鈴木一之助を演じ、西田敏行扮するハマちゃんこと浜崎伝助とのコンビが長年ファンの間で親しまれた。
「三國連太郎 十三回忌」には生前に縁のあった俳優や関係者、総勢400名が出席。息子で俳優の佐藤浩市は「今日はありがとうございます。三國連太郎にはスタジオが似合うと思い、この撮影スタジオで執り行わせていただきます。本日は最後まで三國の話をして盛り上げて、皆さんの楽しい笑い声を雲の上の三國に届けたいと思います。映画の創り方も変わってきましたが、三國がいた昭和・平成の時代の映画の話を含めて楽しい話を聞かせてください」と挨拶する。孫にあたる俳優の寛一郎は「三國と親父の会話の独特の緊張感を覚えています。自分が軽々しく言えない存在ですが、尊敬する好きな俳優の1人です」と続けた。
この日は、三國と縁の深かった小林薫、渡辺えり、浅田美代子、吉岡秀隆、朝原雄三、永瀬正敏、羽田美智子、石橋蓮司、北大路欣也がスピーチ。頻繁に三國宅で飲んでいたという小林は「(渡辺を含む)この3人でよく飲みに行っていました。三國家を訪ねるツアーをして、三國さんはお酒は飲まないけどいつも本当に楽しそうにしていました」と述べ、「三船敏郎さん主演・近藤勇役を演じた『新選組』では、芹沢鴨役の三國さんが人間の業を圧倒的に出されて、主演の三船さんを上回るお芝居で負けず嫌いな姿を見せてくださいました」と当時を回想した。
「釣りバカ日誌」シリーズを多く手がけた監督の朝原は「『釣りバカ日誌』でご一緒した折は、いつも三國さんがとんでもないことを言い始め、浅田美代子さんがそれにびっくりして、西田敏行さんが取り成す、という関係性でした。三國さんが『釣りバカ日誌』に20本も出演されたのは、西田さんという天才に勝ちたかったから、という思いだったのだと。毎作、『新しいお芝居のやり方でやりたい』とおっしゃって撮影に臨んでいらっしゃいました」と明かした。このほか各ゲストによるスピーチの内容は以下に掲載した。
最後に佐藤は「これだけの方々が昨日のことのように三國の話をしてくださる。雲の上で聞いてくれていたと思います。今日の会で一生懸命手伝ってくださったスタッフの皆さま、本当にありがとうございました。僕が言うことはもうありません。本当に今日はありがとうございました」と伝える。寛一郎は「皆さんの話を聞くとエゴイストでクレバーな方だなと思いました。三國は芝居の中・映画の中でしか正直でいれなかったのかなと感じています。僕は三國の思いを受けてアクターにもスターにもならず、このまま邁進していきたいと思います。最後に1つ言えることは三國に恥ずかしくない作品を残していければと思います」と気を引き締めた。
なお会場内のスクリーン左手には、三國が活躍した時代の映画撮影現場のオブジェが印象的にレイアウトされる。これは美術監督・原田満生のデザインで、三國の私物であるトレンチコート、帽子、バッグ、劇用指輪、葉巻パイプ、杖や撮影監督・木村大作の私物であるフィルムカメラ(ARRI 2C 35mm カメラ)が照明機材や脚立とともに並ぶ。会場後方には、特殊メイク・江川悦子が作成した三國、佐藤、寛一郎の親子3代のデスマスクも飾られた。
ゲストによるスピーチ
小林薫、渡辺えり
家が近所で頻繁に三國宅で飲んでいた件について
小林「この3人でよく飲みに行っていました。三國家を訪ねるツアーをして、三國さんはお酒は飲まないけどいつも本当に楽しそうにしていました。三船(敏郎)さん主演・近藤勇役を演じた『新選組』では、芹沢鴨役の三國さんが人間の業を圧倒的に出されて、主演の三船さんを上回るお芝居で負けず嫌いな姿を見せてくださいました」
渡辺「1988年の舞台『ドレッサー』で夫婦役で共演したときからの縁で、稽古初日に三國さんの台本が真っ黒で、600回台本読んで来られたと聞き驚きました。奥深く豊かな人柄に虜になってしまい、自分も引越して近所になって頻繁に飲むようになりました」
浅田美代子、吉岡秀隆、朝原雄三
3人が縁の深かった「釣りバカ日誌」シリーズについて
浅田「14本共演した『釣りバカ日誌』は、途中参加だったけれど、温かく迎えてくれました。三國さんは普段は楽しい人でしたが、脚本は書き込みがすごくて、西田さんと喧々諤々議論が続き、撮影出来なかった日もありました。『息子』では父と娘の役柄を演じました。メイク室で、役柄にあわせて、爪の中に汚しをいれて(役作りをして)いるのを見て、驚いた思い出があります」
吉岡「釣りバカ12(『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』)のみの共演で、スタッフと勘違いされているのか中々覚えてもらえなかったんです(笑)。(当時、『男はつらいよ』と『釣りバカ日誌』がセット上映だったことから)寅さんのことをA面と呼んで、寅さんに出ている自分のことを見ると『あ、A面の人がいる』とよく茶化していました(笑)。三國さんと西田さん、2人とても仲いいのがとてもうらやましく思っていました」
朝原「助監督として参加した『息子』では、衣裳あわせで、『この衣裳はがんとして着たくない』と主張され、『大変な人だな』という印象でした。ただ真摯に向き合っていると、真摯に返して下さる方でもありました。監督として『釣りバカ日誌』でご一緒した折は、いつも三國さんがとんでもないことを言い始め、浅田美代子さんがそれにびっくりして、西田敏行さんが取り成す、という関係性でした。三國さんが『釣りバカ日誌』に20本も出演されたのは、西田さんという天才に勝ちたかったから、という思いだったのだと。毎作、『新しいお芝居のやり方でやりたい』とおっしゃって撮影に臨んでいらっしゃいました」
永瀬正敏、羽田美智子
永瀬「映画『息子』で共演させていただきました。とてもよくしていただいていっぱい話してくださいました。役や映画についての話ではなく、自分の出身地を調べて話しかけてくださったり、見せてくれた後ろ姿もすべて勉強になりました」
羽田「『美味しんぼ』親子共演にご一緒しましたが、私には当時言われていた親子の確執的なものはわかりませんでした。三國さんが、『ウチは普通の家とは違うので、(息子に対して)不憫なこともあったと思う』とおっしゃったり、見えないところで浩市さんの芝居を確認されたりするのを見て、緊張感はあれども愛し合っている親子にしかうつりませんでした」
佐藤「(羽田の話を受けて)わだかまりということは実際なかったんですが、同じ道を歩む息子として反発するようなピリピリした空気感は少しありましたが、羽田さんがいてくださって助かりました」
石橋蓮司、北大路欣也
石橋「30歳ぐらい差があって、三國さんはスターで日常的な会話はほとんどした記憶がありませんでした。映画の撮影の際、三國さんと監督が議論になって夜が空け、2人の意見が一致しなかったことで撮影がなくなったこともあり、俳優として自分の意見を言っていいんだということを勉強させていただきました。また、僕は三國さんとのエピソードは多くありませんが、三國さん・佐藤浩市さん・寛一郎さん、親子3代に渡って共演させていただきました」
北大路「急遽キャスト変更があった作品で、三國さんが稽古場に来て助けてくださったことを思い出します。本当に救いの神で、静かに現場を盛り上げてくださった。一方で役柄からセットで会うのも怖かった作品もあったり、『八甲田山』の撮影では、絶対に納得がいかないとOKが出ないこともありました。それでも40日間の過酷な雪山撮影で三國さんは文句を言わず、役者魂をぶつけられたような気がします」