「敵」「羊の木」を手がけた吉田大八、脚色の極意を母校・早稲田大学で語る
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早稲田大学の映画講義「マスターズ・オブ・シネマ」に登壇した吉田大八
本日4月19日に東京・早稲田大学で行われた講義「マスターズ・オブ・シネマ」に、映画「敵」の監督を務めた吉田大八が登壇した。
「マスターズ・オブ・シネマ」は、映像制作者たちが制作にまつわるさまざまな事柄を語るもの。講義は、吉田が映画に興味を持ち始めた浪人生時代の話から始まった。当時たまたま近くにあった名画座に通うようになった彼は、「映画を観始めたらすぐに自分でも作りたくなった」といい、早稲田大学第一文学部に進んで映画史を学びつつ、映画制作サークルに所属して8mmフィルムで映画を撮っていたと話す。卒業後、映像に関わる仕事をしたいと考えた吉田は制作会社に就職し、CMディレクターとしてキャリアを重ねた。
2007年公開の初監督作「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」を制作した経緯を、吉田は「本谷有希子さんが作った舞台をご自身で小説にしたものが文芸誌に載っていて、それを読んだときに映画が作れそうな気がしたんです。“自分の頭の中で形になっちゃったから、これを吐き出したい”みたいな気持ちがありました」と振り返り、「脚本を書きつつ、本谷さんの劇団のホームページに『まだ映画を撮ったことのないCMディレクターがこういうことを考えています』と連絡して許可を取り、所属していた制作会社にお金を出してもらって進めていきました」とも明かした。
「マスターズ・オブ・シネマ」担当教員の谷昌親は「大学時代にはオリジナルの映画を制作されていたとのことですが、原作があるものを映像化しようと思ったのは、CM制作を経験して、ある程度枠があるほうが作りやすくなったからですか?」と問いかける。吉田は「CMだと最初に商品や、その商品に伴ったオリジナルの企画がすでにある。それを受け取って自分がどう料理するかということをやっていた。与えられたお題に対して自分らしい答え方をする、というスタンスは、(原作がある映画の制作においても)地続きのような気はしますね」「CMを作っている間に“制限があるほうが力が出るタイプ”になったんだと思う。『まず縛って』という感じです(笑)」と自身の見解を示した。
続いて、山上たつひこ、いがらしみきおによる同名マンガが原作のヒューマンサスペンス映画「羊の木」の話題へ。同作では、国家の極秘プロジェクトのもと、過去に殺人を犯した移住者たちを受け入れる港町・魚深市で起こる事件が描かれた。谷が「小説とは違ってマンガにはビジュアルがある。映像化にあたってどんなアプローチをしたんですか?」と質問を投げると、吉田は「絵は直接的な表現だから、その引力から一度自由になったうえで、映画として何がベストかを考えないといけない」と答え、「原作は主人公が40~50代の市長の設定だったのですが、映画では若い市役所職員にしています。一職員の彼が自分なりにこの状況を経験することで、観客に近い目線で物語を進めようと思った」と、改変部分の意図を回想。劇中で錦戸亮演じる職員・月末一が関わる6人の元受刑者については「(6人との出会いを通して)錦戸くんの顔がどう変わっていくかが大事。彼の表情を追うことで面白くなるような、効果的な登場順を考えた」と述懐した。
谷は、このほか吉田が手がけてきた「桐島、部活やめるってよ」「美しい星」「騙し絵の牙」などに触れ「吉田監督の作品は群像劇が多い。その中で1人ひとりの個性を描くことや、物語がバラバラにならないようまとめることが得意なのでは?」と分析。吉田は「人がいっぱい出ている映画が好きというのはあります。ずっと1人を見ていくのではなく、視点を移しながら大きなうねりを作って、物語を進めていく」と自身の手法に言及する。そして「『騙し絵の牙』が一番登場人物が多いんですが、その反動で次の『敵』は(主に)1人になっちゃった」と話し、学生たちの笑いを誘った。
今年1月に公開された「敵」について、吉田は「筒井康隆さんの原作を1990年代末か2000年代頭ぐらいに初めて読んだときは、『敵ってなんだろう』とは考えず、単に不条理劇として楽しみました。そこから20年以上経って読み返したときに、前半のごはんを作ったり友達と会ったりする淡々とした日常生活を本当に気持ちよく感じて。だからこそ、それがどんどん不確かなものになっていくことが怖かったし悲しかったんです。30代の頃は噛み砕けていなかったんだろうな」と思い返す。原作に時間軸はなく「朝食」「預貯金」「昼寝」「睡眠」「戦闘」「神」といった細かい項目ごとで章立てられており、吉田は「過去に起こったことを振り返って書いている。話者はどの時点にいるのか示されていない。死の間際で回想しているのかもしれないし、死者の記憶かもしれない」と思いをめぐらせたという。そのうえで「映画では時間の経過を感じさせることで、小説とは別の価値を持つものにしたいと思ったんです。原作に出てくる主人公の好きな食べ物を、季節に沿って構成し直したら意外とうまくいきました」と本作における脚色の極意を伝えた。
講義の終盤には、学生とのQ&Aの時間も設けられた。「ダークな表現も多いが、最後は前向きな気持ちになれる作品が多いのはなぜですか?」と聞かれた吉田は、「人間をあきらめていないからかなと思います。生きることも死ぬことも含めて肯定したい、という気持ちや祈りみたいなものが反映されているのでは」と回答する。「敵」を劇場で観た学生から「淡々と日常を描いていたところから、どんどん夢の割合が大きくなり、最後はどれが現実で夢かわからなくなった。それは意図したものですか?」という質問も。吉田は「自分自身、そういうふうに振り回される映画体験が好き。観客を迷子にさせる映画は不親切だと言われることも多いけれど、全部わかって生きていたら息が詰まりますよね。生活の中で、目の前のパソコンをどう扱っていいのかわからないのはストレスだけど、映画館という空間は“わからないことを経験する場所”としてもっと活用したらいいと思う」と前置きし、「『敵』は、どこでも(夢と現実の)線引きができるように作った映画なんです。何かが起こったあとに、ただ目が覚めるシーンを入れているだけ、と考えると、全部夢とも現実とも捉えられる。わざとわかりにくくしたわけではないし、僕の中で正解があるわけでもいない。そんなふうに(自分なりの解釈で)観てくれる人がいると信じて映画を作っています」と矜持を語った。
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